ショートケーキをもう一度

香山もも

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 病院に戻ると、泰三さんの意識は、だいぶはっきりしていた。このまま病院へ泊まるのかと尋ねると、
「寛さんが、近くのホテルを取ってくれている」
 3人分の部屋だった。
「おまえたちは残っても、帰ってもらっても構わない。好きに使ってほしいとのことだ」
 あたしと蓮君は顔を見合わせて、小さく頷く。
「……残ります。こういう時は頭数があったほうがいいですから」
「けれど……いつ帰れるか、はっきりとはわからないぞ」
 部屋のことは、伊集院さんから聞いていた。協力するなら、それなりの環境は用意する、と言われていたのだ。
「構いません。これもきっと、何かの縁です」
 蓮君が口にした時、あたしはなんだか笑ってしまいそうになる。
 ふしぎな縁。そして、大事な縁、だ。
 病室には、あたしが残り、その間に二人にはひとまずホテルに行ってもらった。葵さんは一度身支度を調えてから、また来るという。
 泰三さんはまだあまりしゃべれないものの、少し手を動かすことはできるようで、目は優しく微笑んでいた。
 あたしは病室で腰かけながら、そんな泰三さんを見つめる。
 おじいちゃん、なんて呼べないけど、やっぱり生きていてほしいとは思う。
 でも逆に、会えたこと自体、奇跡なのかもしれない。本来の世界では、もうきっと、この人はいないからだ。
 父方の祖父母、母方の祖父母とも、あたしが子どもの頃から縁がなかった。だからたぶん、今目の前にいることがふしぎなめぐり合わせなのだ。
 そう思ったとたん、鳥肌が立ったように、身体が震えた。
 あたしは、自分を落ちつかせるように、目を閉じて深呼吸をした。
 ゆっくり目を開けると、泰三さんと目が合う。笑ってくれていた。何も言わず、優しいまなざしを向けてくれていた。
 ――うん、大丈夫だ
 あたしは病室を出て、日向さんのもとへ向かった。

 日向さんは案外すぐに捕まり、あたしは彼を一度談話室へ連れて行く。そして、葵さんや泰三さんのことで話があるから、時間を作ってくれないか、とお願いした。
 顔があげられなかった。
 昨日の今日で、妙だと思われるかもしれない。それを悟られたくなくて、でも隠しきれなくて、俯くしかなかった。
「……いいですよ。いつ、ですか?」
 返事は、思っていたよりもあっさりだった。
「あ、じゃあ……」
 明後日、駅前に午後一時。約束をとりつけた。
 ひとまずほっとして、部屋に戻る。しばらくすると、葵さんと蓮君が来る。あたしは彼を見て、小さく頷いた。
「ぼく、ちょっと売店に行ってきます」
 ポケットからのぞいていたのは、テレホンカードだった。
 最初に蓮君がそれを見たとき、びっくりしたのか、目をしばたかせていた。
「……これって……」
 伊集院さんから連絡用に、と渡されたものだ。
 見るのも、そして使うのも初めてだという。驚いたものの、珍しくもないかな、とも思う。
 携帯は普及し始めているけど、まだまだ公衆電話も多い。でもまあ、蓮君の歳くらいじゃ、使う機会もなかったのかもしれない。
 少しすると、蓮君が戻ってくる。お茶を3本買ってきてくれた。
 葵さんがたまたま外に出た時、蓮君が言った。
「伊集院さんに連絡がつきました。予定通りだそうです」
「……そう」
「ただ当日……どうしますか? ぼくらも一緒に行きますか?」
「葵さんのデートについていくってこと?」
 それは考えていなかった。でも、確かにちょっと気になるかもしれない。
「ただ、泰三さんを一人残していくわけには……」
「だったら穂乃香さんだけでも、行ってきたらどうですか?」
「え……あたし?」
「一番気になってるのは、あなたでしょうし。ぼくはここに残りますから」
 伊集院さんもいてくれるという。
「それに日向さんを呼び出したのは、穂乃香さんでしょう。一番それが自然なんじゃないかって思って……」
 言われてみればそうだ。
「ただ、他にも気になることがあって」
 蓮君が神妙な表情を浮かべる。
「……葵さんと日向さんがふたりが待ち合わせ場所に行く、ってところまではいいとして。そのままどこかに行こうとしますかね?」
 ああ、そうか。
 真面目な二人のことだ。そのまま帰ってこられてしまっては、意味がない。
「うーん……」
 どうするべきか。あたしは考える。
「……どっちかに、先に意図を伝えておくべきかってこと?」
「まあ、それが無難かな、と」
「問題は、どっちに伝えるかってことかあ……」
 葵さんか、日向さんか。
「そもそもふたりは、お互いに想い合ってるってことに気がついていると思う?」
「……二人とも、人の気持ちには敏感だと思うんです。でもそれは、自分の気持ちが入っていないことが前提じゃないかと」
「自分に都合よくは考えないってことね」
 人のことはわかるけど、自分のことはわからないふりをする。二人の性格を考えれば、そうかもしれない。
「……じゃあ、言ってみる」
 そう口にしたのは、あたしのほうだった。
「説得って言ったら変だけど、あたし、葵さんに話してみる」
「え……でも……」
「言っても言わなくても変わらない。だとしたら、あたしも、したいようにしてみる」
 きゅっと、拳をつくる。
 固くは、握れない。震えているような気がした。
 その手の上に、ひとまわり小さな手が置かれる。
 蓮君の、手のひら。
 どこか懐かしいように感じるのは、どうしてだろう。

 夜は伊集院さんが来て、夕飯をごちそうしてくれた。ホテルの中華料理。けっこうおいしくて、たくさん食べたかったけど、思ったよりも入らなかった。
 途中、伊集院さんがそれとなく話を出してくれる。明後日のことだ。葵さんに時間を作ってほしいとのこと。彼女は二つ返事で了承していた。
 あとは、あたしだけだ。
 部屋に戻る時、葵さんに声をかけた。
「……ちょっと、話があるんですけど」
 葵さんは首を傾げるようにして、あたしを見た。
「着がえたら、そっちに行ってもいいですか?」
 あたしは息を飲んで、返事を待つ。
「ああ、構わない」
 これまでもなく緊張していることが、自分でもわかった。

 彼女の部屋に入ると、お茶を入れてくれた。
 部屋の造りはさほどあたしたちと変わりない。ベッドが一つ少ないくらいだ。
「すみません、なんか……」
 湯飲みを出されて、思わず口にした。
「遠慮することはない。世話になってるのはむしろ私のほうだ」
 それだけ言うと、葵さんは部屋に備え付けの押し入れを開ける。
「……着がえも、助かった」
 ふと見えたのは、百貨店の袋だ。あたしは立ちあがって、葵さんの後ろに立つ。
「……それ」
 彼女の隣へ行き、袋を取った。あたしが持ってきたものだ。中はワンピースとアンサンブルが入っている。
「……明後日、これを着ていったらどうですか?」
 あたしの問いに、葵さんは首をかしげる。
「えっと、ほら、さっき言ってたじゃないですか。明後日伊集院さんと出かけるって」
 ごまかすように言ってしまったので、思わず目をそらす。
「これ……を、か?」
 ちらり見ると、ふしぎそうな顔をしている。
「だってその……デート、かなあと思って」
 勇気を出してもう一言、添えてみる。
「デート……私と寛さんが、か?」
「え……だって、夫婦になるんでしょう?」
 望んでいるわけじゃない。でも、話の都合上、こんなふうにしか訊けなかった。
「そのつもりだが……」
 やっぱりなんとなく、理解できないようだ。
「だったら結婚前に二人で出かけるのは、デートになりませんか?」
「……そう、なのか?」
 あたしはだんだん、別のことが気になってきた。
「あの、葵さん。ちなみに今まで男性と、その……デートらしきものをしたこと、は?」
 あたしだって、そんなにあるわけじゃない。でも自分じゃなくたって、話を聞いたり、見たり、知る、ということはできる。
 葵さんは動きを止めたまま、しばし考えている。
「――ないな」
 あっさり、言い切った。
「ずっと女子校……だったんでしたっけ?」
 あたしは徐々に、葵さんの過去というか、今までの経歴のようなものを思い出す。
 長い間、女子校だった。そして、そんなに友達も多くない。さらに、人里離れたあの家。
「年頃の親しくない異性と出かける、というのは、嫁入り前の娘にとって、誤解を招く行為だ。しかも、女のほうが外聞が悪い。わざわざ自分を貶めるようなことはしないというか、ありえない」
 うん、可能性は低い。話をきいて、そんなふうに思う。
「それに結婚というものは、契約のようなものだろう。その前になぜ、相手と出かける必要があるんだ?」
「えっとその……お互いを知るために、というか……」
「結婚すれば一緒に生活するんだ。イヤでもわかることになる。それに寛さんのことは、小さい頃からよく知っている」
「うん、まあ……そうなんですけど」
 さて、どうやって話を切り出そうか。あたしはやや俯いた。
「確かに明後日、出かける約束はしたが、寛さんのほうもそういう意味ではないだろう。多分、これからについての打ち合わせだ。だとしたら、こちらではなく、やっぱり着物のほうがいいだろう」
 だめだ、何も思いつかない。
 ああ、もう――面倒くさい。
「――葵さん」
 あたしは思わず、彼女の両肩をつかんだ。
「あの――明後日は実は、伊集院さんとの待ち合わせじゃないんです」
 もう、正直に話すしかない。
 きっとわかってくれる――と思いたい。
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