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何かを成し遂げようとするのは、思いの外、無難しいことなのか。それとも自分が、難しくしているだけなのか、どっちなんだろう。
その日は、雨だった。
まさに、ここに来た時と同じような天気だった。
「――よし、オッケー。葵さん、すごくかわいい」
あたしは朝から、彼女の部屋にいた。着る服や靴など、見立ててあげていたのだ。
服装はワンピースにサンダルーーと言いたいところだったけど、雨なので普通に靴になった。
「……そう、か?」
鏡の前で自分の姿を見る。心なしか、あかくなっている気がした。
「うん。雨だけど、まあ……大丈夫でしょう」
こっちは尾行……というか、付いていきやすい。
「……うまく、やれるだろうか」
葵さんの顔が一瞬、くもる。あたしはその手を軽く握る。
「うまくやろう、なんて思わなくていいよ。ただ、自分に正直に」
そう口にすると、葵さんは笑う。
「なんか、うれしいな」
「何がですか?」
「ようやくおまえが、敬語ではなくなった」
その笑顔は、本当にかわいくて、思わず抱きしめたくなるほどだった。
葵さんが出た十分後くらいに、あたしも準備を調える。尾行なんてしたことがないけど、大丈夫かな。
「病院のほうは、ぼくと伊集院さんにまかせてください。それからこれ……」
蓮君が渡してくれたのは、連絡用のテレホンカードと資金だった。
「面倒かもしれませんけど、何かあった時のために」
顔に出ていたのかもしれない。携帯がないって、やっぱり不便だ。でもここでは、それがあたりまえだった。
「不便だからこそ、できることもありますよ、きっと」
「……だと、いいな」
から笑いを返した。
待ち合わせは、確か駅だ。
先に着いていたのは、葵さんのほうだ。少しして、日向さんが来た。二人で何か話している。しばらくして、なんとか歩き出した。
話はうまくいったようだ。ほっとしたのも束の間、見失わないように追いかける。
歩きながら、なんだか笑ってしまいそうになる。尾行と言いつつも、相手は自分の両親だ。しかも、自分がまだ生まれる前の。
ふたりは、喫茶店に入っていく。とりあえず、といったところだろう。あたしもそっと、中へ急いだ。
四角になる場所を選んで、アイスティーを頼む。どきどきした。自分のことじゃないのに、自分のこと以上に。ちらちら見ると、ふたりはとても楽しそうに話をしている。ほっとしつつも、なんだか胸の辺りが痛くなる。理由は、わからなかった。
お茶を済ませると、ふたりは出ていった。あたしも急いで会計をして、後を追う。傘が一瞬、どれかわからなくなった。あわててつかむと、ふたりを探した。
雨は少し、弱くなっていた。それをいいことに、あたしは傘をささずにふたりをさがす。なんでこんなに、焦ってるんだろう。あたしが見ても見なくても、ふたりはきっと変わらないのに。
ようやく、ふたりらしき影を見つける。背中だった。その時、あたしは思った。
ああ、そうか。
あたしは立ち止まって、胸に手のひらをのせる。それからぎゅっと、服をつかんだ。
この痛みや不安は、少しだけ知っている。覚えがある。そう、迷子になった時のような感覚だ。
ここにいるのに、見つめてもらえない、という思い。そして彼らのそばに、両親の間に、自分がいないという淋しさ。
ありえないのだ。ありえないと、わかっているのだ。
でもだからこそ、あたしは願ってしまう。望んでしまう。
あのふたりの間に、自分はいたいのだと。
あたしは、俯いた。
そこから、動けなかった。
小雨が頬を濡らす。強くはないはずなのに、やけに重たく感じた。
「……ここに、いたのか」
ふと、そんな声がした。
あたしはゆっくり、顔をあげる。
するとそこには、葵さんがいた。
初めて会った時と同じように、傘をさしてくれていた。
「ほら、行くぞ」
そして、あたしの手を取る。あたしはなぜか、泣いてしまいそうだった。
結局、3人になってしまった。右に日向さん、左に葵さん、そして真ん中にあたし。なんだかおかしな、そして初めての組み合わせだ。
「……すまん」
一緒にお手洗いに行った際、葵さんがつぶやく。
「喫茶店までは、なんとかなったのだが、この先どうしたらいいのかわからなくなってしまって。そしたらちょうど、おまえの姿が見えてな。正直ほっとした」
それで声をかけてしまったという。
「ーー難しいな、デートというものは。慕っている相手であればうれしいに違いない。けれど逆に相手の反応も自分のことも、気にしすぎてしまう」
葵さんが眉を寄せて、ほんの少し頬を染める。
「穂乃香、申し訳ないがこの後はおまえもつきあってくれないか? 私だけだとやはり……保ちそうにない」
「えっと……でも……」
「この通りだーー頼む」
葵さんに、手を合わせられてしまった。
それだと、あんまり意味がないかもしれない。わかっていたのだ。なのにあたしは、
「あ、あたしでよければ」
そう返事をしてしまっていた。
葵さんと日向さんの元にもどる。ちょっと彼の反応が気にかかった。あたしは呼び出しておきながら、なんだか妙な登場の仕方になってしまったからだ。そのことについて、まだ何も説明していない。おかげであたしは、別の意味で緊張していた。
横断歩道の前で、待っていた時のことだ。
日向さんがそっと、ささやくように言う。
「事情は葵さんとーーそれからきみの弟さんに聞いてる。だから、何も気にしないで」
彼のほうを見ると、苦笑していた。その顔を見て、あたしも笑う。
気がつくと、雨が止んでいた。
3人で、どこに行くか。
そこがまず、問題だった。
この組み合わせだと、思いつかない、というのが本音だ。映画といっても微妙だし、お腹はそんなに減ってない。買いものにもあまり興味がないし、いわゆる遊技場もなんとなく気乗りしない。
あたしはちらり、ふたりを見て、考える。友達ではなく、もし、両親と行きたい場所があるとしたら、と。
浮かんだのは、そんなに大した場所じゃない。どこの家族にもありえる、ありふれた光景。
遊園地、だった。
家族で、遊園地。
そんなあたりまえに近いことを、あたしは望んだ。とはいっても遠くには行けない。ちょうど良い場所を、日向さんが案内してくれた。
「……ときどき患者さんの外出につきあったりするので」
そんなに大きくはない。
観覧車と、メリーゴーラウンド。小さなジェットコースターに、ティーカップ。それから、ミラーハウス。チケットを買って、まずはジェットコースターに乗る。とはいっても、あたしだけだ。葵さんも日向さんも激しい乗り物が苦手らしく、首を縦に振ってくれなかった。
ま、いいか。
あたしが乗っていれば、ふたりきりになれるわけだし。それはそれで、悪いことじゃない。そう思って純粋に楽しむことにした。
ミラーハウスだけは、3人で入った。
迷路のような場所。さっきよりもわけがわからないのに、ふしぎと不安にはならない。葵さんの腕をつかんで、日向さんの背中を追う。たくさん映る、自分の姿。それもまた変な感じだ。
「――なんか、楽しいな」
葵さんがふと、口にする。
「以前おまえと、買い物に行った時も楽しかったが、今日はまた少し違う楽しさだ」
「どんな?」
何気なく、あたしは訊く。
「そうだなあ。変な話、とても懐かしいような気持ちになる。父上や……母上と一緒にいるような、温かな気持ちだ」
「そう……ですか」
あたしは静かに、目を落とす。葵さんは気がついたように、口にした。
「日向さん、ちょっといいか?」
「なんでしょう」
「ちょっとここに、並んでみてくれ」
あたしを真ん中にして、3人で鏡の前に立つ。すると葵さんが笑いながら指をさす。
「なあ、私たち3人、どことなく似ているような気がしないか?」
どきっとした。
けど、動くことができない。さっきとは逆に、葵さんがあたしの腕をつかんでいたからだ。
「……そういえば、そうですね。なんとなく、ですが」
「日向さんと穂乃香は、鼻の形がよく似ている。そして私と穂乃香は、目の形がそっくりだ」
思わず唇を結んでしまう。きつく噛みそうになった。うれしいようで、それでいて泣きたいような気持ちがこみあげてくる。
ーーだめ。
だめだ、泣くな。
自分にそう言い聞かせて、あたしは俯いた。
瞳が震えているのがわかる。葵さんの手を振り払い、先へと進んだ。
一人、外に出た。
でもそこが限界だった。
あたしはその場でしゃがみこみ、泣き出してしまった。
「……穂乃香?」
葵さんがすぐに追いかけてきたのがわかる。あたしはしゃがみ、顔をうずめたまま、泣いていた。止まらなかった。嗚咽がこみあげてきて、涙があふれてくる。
最初に触れたのは、日向さんの手だった。頭をそっと撫でてくれている。
「……何か、辛いことを思い出させちゃったかな?」
あたしが泣くと、父はいつもこうやってなだめてくれた。それを思い出すと、よけいに泣けてくる。
それから、葵さんの手が、肩にふれる。ゆっくりと背中にまわり、さすってくれた。
「あ、あたし……ごめんなさい。ごめんなさい、あたし……」
自分が恥ずかしくて、情けなくて、でもどう言ったらいいのかわからなくて、ただただ謝ることしかできない。
「大丈夫だ、穂乃香。大丈夫だから……」
葵さんの声は、優しかった。そうだ。この人は、いつだって優しい。いつだって、周りのことばかり考えている。
「あ、あたし……お、お母さんに、どうして死んじゃったの? って。言ったってしょうがないのに、届かないのに。お父さんに、どうしてちゃんと話してくれないの? って。お父さんだって辛いのに……」
自分でも、何を言ってるのかわからなくなる。涙があふれて、胸が苦しくて、身体が震える。
「……なんで、なの? どうして……なの? そればっかり……で……」
「うん……それから?」
日向さんの声だ。変わらずそっと、頭を撫でてくれている。
「でもほんとうは……お父さん、にも……お母さん、にも……届いて……話してほしいわけじゃなくて……」
「うん……それで?」
葵さんも同じように、背中をさすってくれていた。
「……あたし、あたしは、ただ……」
言いたかっただけだ。駄々をこねたかっただけだ。拗ねたかっただけだ。
口に出して、初めてわかること、というのがある。
わかってほしいーー変えてほしい。そんなふうに望むこともある。だから伝えることもある。
でも、そうじゃないこともある。ただ、聞いてほしいだけのときもある。
まるでそう、今みたいに。
「……うん、そうだな」
葵さんの言葉はゆっくりと、染みこんでいく。そっと胸の内に広がり、あたしを包みこむ。
そのおかげか、あたしはだんだん、落ちつきを取りもどす。涙も嗚咽も、徐々におさまってくる。葵さんがハンカチを差し出してくれた。
「なあ、穂乃香」
まだ少し、恥ずかしさが残っていて、顔を上げられずにいると、葵さんがさらに言った。
「何か甘いものでも、買って帰らないか?」
べたべたの顔で、あたしは彼女を見つめる。
その瞳はまぶしくて、そして優しいまなざしをしていた。
帰りに寄ったのは、ケーキ屋さんだった。せっかくだからみんなの分、買おう、ということになったのだ。
「どれがいいかな」
ショーケースの前で、悩む。全部で7個。半端なので8個にしよう、ということになった。
「どうせ余っても父上が食べる」
チーズケーキにモンブラン、チョコレートにシュークリーム。アップルパイにタルト。それから、ショートケーキ。
どれかを2個にしよう、という話になり、またまた悩む。
「葵さんは? どれが好き?」
「私はどれでも構わない。穂乃香こそ、何がいいんだ?」
困ったなあ、と思う。ちらり、日向さんを見ると、彼はあくまで傍観をするだけで、何も言おうとはしない。
「穂乃香は確か、お菓子作りが得意だったな。この中で、一番作ったことがあるのはどれだ?」
いきなり言われて、でも考える。
「……シュークリームかな」
コツさえつかめば簡単にできる。そして、一度に作れる量も多い。
「じゃあ逆に、一番作ることが少ないものは?」
「……ショートケーキ……」
誕生日の定番だ。けれど、あまり作らない。誕生日、というのを、意識しすぎてしまうからだ。
「じゃあ、ショートケーキにしよう」
「え、なんで?」
よくわからない、といった顔をする。葵さんはにっこり微笑んだ。
「少ない、というのは苦手意識があるからだろう。でもそういうものは、意外にも多くの発見をもたらせてくれるものだ。今日の私のように、な」
わかるようで、わからない理屈だ。
けど言えるのは、葵さんにとって今日一日、とても多くの発見があった、と言えるんだろう。喜んでもらえた、ということだろうか。
ケーキを箱に詰めてもらい、病院へ向かう。
3人で、まるで、家族のように。
その日は、雨だった。
まさに、ここに来た時と同じような天気だった。
「――よし、オッケー。葵さん、すごくかわいい」
あたしは朝から、彼女の部屋にいた。着る服や靴など、見立ててあげていたのだ。
服装はワンピースにサンダルーーと言いたいところだったけど、雨なので普通に靴になった。
「……そう、か?」
鏡の前で自分の姿を見る。心なしか、あかくなっている気がした。
「うん。雨だけど、まあ……大丈夫でしょう」
こっちは尾行……というか、付いていきやすい。
「……うまく、やれるだろうか」
葵さんの顔が一瞬、くもる。あたしはその手を軽く握る。
「うまくやろう、なんて思わなくていいよ。ただ、自分に正直に」
そう口にすると、葵さんは笑う。
「なんか、うれしいな」
「何がですか?」
「ようやくおまえが、敬語ではなくなった」
その笑顔は、本当にかわいくて、思わず抱きしめたくなるほどだった。
葵さんが出た十分後くらいに、あたしも準備を調える。尾行なんてしたことがないけど、大丈夫かな。
「病院のほうは、ぼくと伊集院さんにまかせてください。それからこれ……」
蓮君が渡してくれたのは、連絡用のテレホンカードと資金だった。
「面倒かもしれませんけど、何かあった時のために」
顔に出ていたのかもしれない。携帯がないって、やっぱり不便だ。でもここでは、それがあたりまえだった。
「不便だからこそ、できることもありますよ、きっと」
「……だと、いいな」
から笑いを返した。
待ち合わせは、確か駅だ。
先に着いていたのは、葵さんのほうだ。少しして、日向さんが来た。二人で何か話している。しばらくして、なんとか歩き出した。
話はうまくいったようだ。ほっとしたのも束の間、見失わないように追いかける。
歩きながら、なんだか笑ってしまいそうになる。尾行と言いつつも、相手は自分の両親だ。しかも、自分がまだ生まれる前の。
ふたりは、喫茶店に入っていく。とりあえず、といったところだろう。あたしもそっと、中へ急いだ。
四角になる場所を選んで、アイスティーを頼む。どきどきした。自分のことじゃないのに、自分のこと以上に。ちらちら見ると、ふたりはとても楽しそうに話をしている。ほっとしつつも、なんだか胸の辺りが痛くなる。理由は、わからなかった。
お茶を済ませると、ふたりは出ていった。あたしも急いで会計をして、後を追う。傘が一瞬、どれかわからなくなった。あわててつかむと、ふたりを探した。
雨は少し、弱くなっていた。それをいいことに、あたしは傘をささずにふたりをさがす。なんでこんなに、焦ってるんだろう。あたしが見ても見なくても、ふたりはきっと変わらないのに。
ようやく、ふたりらしき影を見つける。背中だった。その時、あたしは思った。
ああ、そうか。
あたしは立ち止まって、胸に手のひらをのせる。それからぎゅっと、服をつかんだ。
この痛みや不安は、少しだけ知っている。覚えがある。そう、迷子になった時のような感覚だ。
ここにいるのに、見つめてもらえない、という思い。そして彼らのそばに、両親の間に、自分がいないという淋しさ。
ありえないのだ。ありえないと、わかっているのだ。
でもだからこそ、あたしは願ってしまう。望んでしまう。
あのふたりの間に、自分はいたいのだと。
あたしは、俯いた。
そこから、動けなかった。
小雨が頬を濡らす。強くはないはずなのに、やけに重たく感じた。
「……ここに、いたのか」
ふと、そんな声がした。
あたしはゆっくり、顔をあげる。
するとそこには、葵さんがいた。
初めて会った時と同じように、傘をさしてくれていた。
「ほら、行くぞ」
そして、あたしの手を取る。あたしはなぜか、泣いてしまいそうだった。
結局、3人になってしまった。右に日向さん、左に葵さん、そして真ん中にあたし。なんだかおかしな、そして初めての組み合わせだ。
「……すまん」
一緒にお手洗いに行った際、葵さんがつぶやく。
「喫茶店までは、なんとかなったのだが、この先どうしたらいいのかわからなくなってしまって。そしたらちょうど、おまえの姿が見えてな。正直ほっとした」
それで声をかけてしまったという。
「ーー難しいな、デートというものは。慕っている相手であればうれしいに違いない。けれど逆に相手の反応も自分のことも、気にしすぎてしまう」
葵さんが眉を寄せて、ほんの少し頬を染める。
「穂乃香、申し訳ないがこの後はおまえもつきあってくれないか? 私だけだとやはり……保ちそうにない」
「えっと……でも……」
「この通りだーー頼む」
葵さんに、手を合わせられてしまった。
それだと、あんまり意味がないかもしれない。わかっていたのだ。なのにあたしは、
「あ、あたしでよければ」
そう返事をしてしまっていた。
葵さんと日向さんの元にもどる。ちょっと彼の反応が気にかかった。あたしは呼び出しておきながら、なんだか妙な登場の仕方になってしまったからだ。そのことについて、まだ何も説明していない。おかげであたしは、別の意味で緊張していた。
横断歩道の前で、待っていた時のことだ。
日向さんがそっと、ささやくように言う。
「事情は葵さんとーーそれからきみの弟さんに聞いてる。だから、何も気にしないで」
彼のほうを見ると、苦笑していた。その顔を見て、あたしも笑う。
気がつくと、雨が止んでいた。
3人で、どこに行くか。
そこがまず、問題だった。
この組み合わせだと、思いつかない、というのが本音だ。映画といっても微妙だし、お腹はそんなに減ってない。買いものにもあまり興味がないし、いわゆる遊技場もなんとなく気乗りしない。
あたしはちらり、ふたりを見て、考える。友達ではなく、もし、両親と行きたい場所があるとしたら、と。
浮かんだのは、そんなに大した場所じゃない。どこの家族にもありえる、ありふれた光景。
遊園地、だった。
家族で、遊園地。
そんなあたりまえに近いことを、あたしは望んだ。とはいっても遠くには行けない。ちょうど良い場所を、日向さんが案内してくれた。
「……ときどき患者さんの外出につきあったりするので」
そんなに大きくはない。
観覧車と、メリーゴーラウンド。小さなジェットコースターに、ティーカップ。それから、ミラーハウス。チケットを買って、まずはジェットコースターに乗る。とはいっても、あたしだけだ。葵さんも日向さんも激しい乗り物が苦手らしく、首を縦に振ってくれなかった。
ま、いいか。
あたしが乗っていれば、ふたりきりになれるわけだし。それはそれで、悪いことじゃない。そう思って純粋に楽しむことにした。
ミラーハウスだけは、3人で入った。
迷路のような場所。さっきよりもわけがわからないのに、ふしぎと不安にはならない。葵さんの腕をつかんで、日向さんの背中を追う。たくさん映る、自分の姿。それもまた変な感じだ。
「――なんか、楽しいな」
葵さんがふと、口にする。
「以前おまえと、買い物に行った時も楽しかったが、今日はまた少し違う楽しさだ」
「どんな?」
何気なく、あたしは訊く。
「そうだなあ。変な話、とても懐かしいような気持ちになる。父上や……母上と一緒にいるような、温かな気持ちだ」
「そう……ですか」
あたしは静かに、目を落とす。葵さんは気がついたように、口にした。
「日向さん、ちょっといいか?」
「なんでしょう」
「ちょっとここに、並んでみてくれ」
あたしを真ん中にして、3人で鏡の前に立つ。すると葵さんが笑いながら指をさす。
「なあ、私たち3人、どことなく似ているような気がしないか?」
どきっとした。
けど、動くことができない。さっきとは逆に、葵さんがあたしの腕をつかんでいたからだ。
「……そういえば、そうですね。なんとなく、ですが」
「日向さんと穂乃香は、鼻の形がよく似ている。そして私と穂乃香は、目の形がそっくりだ」
思わず唇を結んでしまう。きつく噛みそうになった。うれしいようで、それでいて泣きたいような気持ちがこみあげてくる。
ーーだめ。
だめだ、泣くな。
自分にそう言い聞かせて、あたしは俯いた。
瞳が震えているのがわかる。葵さんの手を振り払い、先へと進んだ。
一人、外に出た。
でもそこが限界だった。
あたしはその場でしゃがみこみ、泣き出してしまった。
「……穂乃香?」
葵さんがすぐに追いかけてきたのがわかる。あたしはしゃがみ、顔をうずめたまま、泣いていた。止まらなかった。嗚咽がこみあげてきて、涙があふれてくる。
最初に触れたのは、日向さんの手だった。頭をそっと撫でてくれている。
「……何か、辛いことを思い出させちゃったかな?」
あたしが泣くと、父はいつもこうやってなだめてくれた。それを思い出すと、よけいに泣けてくる。
それから、葵さんの手が、肩にふれる。ゆっくりと背中にまわり、さすってくれた。
「あ、あたし……ごめんなさい。ごめんなさい、あたし……」
自分が恥ずかしくて、情けなくて、でもどう言ったらいいのかわからなくて、ただただ謝ることしかできない。
「大丈夫だ、穂乃香。大丈夫だから……」
葵さんの声は、優しかった。そうだ。この人は、いつだって優しい。いつだって、周りのことばかり考えている。
「あ、あたし……お、お母さんに、どうして死んじゃったの? って。言ったってしょうがないのに、届かないのに。お父さんに、どうしてちゃんと話してくれないの? って。お父さんだって辛いのに……」
自分でも、何を言ってるのかわからなくなる。涙があふれて、胸が苦しくて、身体が震える。
「……なんで、なの? どうして……なの? そればっかり……で……」
「うん……それから?」
日向さんの声だ。変わらずそっと、頭を撫でてくれている。
「でもほんとうは……お父さん、にも……お母さん、にも……届いて……話してほしいわけじゃなくて……」
「うん……それで?」
葵さんも同じように、背中をさすってくれていた。
「……あたし、あたしは、ただ……」
言いたかっただけだ。駄々をこねたかっただけだ。拗ねたかっただけだ。
口に出して、初めてわかること、というのがある。
わかってほしいーー変えてほしい。そんなふうに望むこともある。だから伝えることもある。
でも、そうじゃないこともある。ただ、聞いてほしいだけのときもある。
まるでそう、今みたいに。
「……うん、そうだな」
葵さんの言葉はゆっくりと、染みこんでいく。そっと胸の内に広がり、あたしを包みこむ。
そのおかげか、あたしはだんだん、落ちつきを取りもどす。涙も嗚咽も、徐々におさまってくる。葵さんがハンカチを差し出してくれた。
「なあ、穂乃香」
まだ少し、恥ずかしさが残っていて、顔を上げられずにいると、葵さんがさらに言った。
「何か甘いものでも、買って帰らないか?」
べたべたの顔で、あたしは彼女を見つめる。
その瞳はまぶしくて、そして優しいまなざしをしていた。
帰りに寄ったのは、ケーキ屋さんだった。せっかくだからみんなの分、買おう、ということになったのだ。
「どれがいいかな」
ショーケースの前で、悩む。全部で7個。半端なので8個にしよう、ということになった。
「どうせ余っても父上が食べる」
チーズケーキにモンブラン、チョコレートにシュークリーム。アップルパイにタルト。それから、ショートケーキ。
どれかを2個にしよう、という話になり、またまた悩む。
「葵さんは? どれが好き?」
「私はどれでも構わない。穂乃香こそ、何がいいんだ?」
困ったなあ、と思う。ちらり、日向さんを見ると、彼はあくまで傍観をするだけで、何も言おうとはしない。
「穂乃香は確か、お菓子作りが得意だったな。この中で、一番作ったことがあるのはどれだ?」
いきなり言われて、でも考える。
「……シュークリームかな」
コツさえつかめば簡単にできる。そして、一度に作れる量も多い。
「じゃあ逆に、一番作ることが少ないものは?」
「……ショートケーキ……」
誕生日の定番だ。けれど、あまり作らない。誕生日、というのを、意識しすぎてしまうからだ。
「じゃあ、ショートケーキにしよう」
「え、なんで?」
よくわからない、といった顔をする。葵さんはにっこり微笑んだ。
「少ない、というのは苦手意識があるからだろう。でもそういうものは、意外にも多くの発見をもたらせてくれるものだ。今日の私のように、な」
わかるようで、わからない理屈だ。
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