ショートケーキをもう一度

香山もも

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頼まれごと

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 次の日、蓮君がやってきたのは、お昼過ぎだった。
 あたしと葵さんはちょうど病室にいて、泰三さんにりんごを剥いてあげていた。
 本当はまたケーキが食べたいと言っていたのだけど、とりあえずりんごで我慢してもらったのだ。
 蓮君はあたしを見るなり、目をそらす。気になるけど、なるべく気にしないようにした。
 蓮君は座るなり、本を読みはじめた。談話室から取ってきたのだろう。ちらり、横目で見ると、星座と、それから人体図の本だった。
「蓮、穂乃香と一緒に、下の売店に行ってきてくれないか?」
 言ったのは、葵さんだ。飲みものを買ってきてほしいという。蓮君は本を閉じて、あたしは立ちあがり、病室を出る。
 エレベーターの所までは、特に話もしなかった。降りてから、先に口を開いたのは、あたしのほうだった。
「……昨日、何してた?」
 言ってしまってから、口をつぐむ。何を訊いたらいいのかわからなくて、つい出てしまった。ちらり、蓮君を見る。彼は前を向いたまま、答えた。
「日向さんのところで、ごはんを食べました。オムライスを作ってもらって、それから、ちょっとぼくの話を聞いてもらったりして」
「話って?」
「それは――内緒です」
 こっちを見て、笑う。その顔に、ほっと息をつく。どうやら、男同士の話、というやつらしい。あたしもそれ以上は訊かない。
「……オムライス、おいしかった?」
 父の得意料理だ。あたしも子どもの頃から、よく作ってもらった。
「――はい、とても」
「そっか。よかったじゃん」
「あれって、穂乃香さんも作れるんですか?」
「――まあね。たまごしっかり焼いたやつも、ふわふわも両方できるよ」
 あたしは得意げに笑う。そうこうしているうちに、売店に着いた。お茶を選んで会計を済ます。
 よかった、と思った。
 葵さんの言ったとおりだ。
 いつもどおりだ。

 病室へ戻ると、葵さんがいなかった。トイレかな? と思いつつ、お茶をテーブルの上に置く。
 泰三さんは、眠っていたのだろうか。ゆっくり、目を開ける。
「すみません、起こしちゃいましたか?」
 あたしが言うと、軽く首をふる。
「……あおい、は……先生のところ、だ……」
 かすれた声とともに、泰三さんが手をのばす。
追って見ると、食べかけのりんごがあった。
「これですか? 食べます?」
 あたしはお皿を手に取る。すると泰三さんが首をふる。
「……たのみが、ある……」
「え?」
「きみたちに……おねがいしたい……」
 あたしはぎゅっと、りんごが刺さったフォークを握りしめた。

 葵さんが戻ってきたのは、それから十分ほど経ってからだ。
「おかえりなさい」
 言いながら、あたしはお茶を飲む。蓮君は再び本を広げていた。
「……ああ」
 買い物のお礼を言われると、イスにすわる。それから、泰三さんの顔を見た。
「父上。手術の日が、正式に決まりました」
 その言葉に、あたしも蓮君も、葵さんへ視線を注ぐ。
「先生の都合により、一週間後になった」
 期間は短いが、それまでにしっかり療養し、できる限り体力をつけるようにするという。
「……一週間後」
 あたしと蓮君は、顔を見合わせる。
「二人とも、どうしたんだ?」
「あ、ううん。すぐなんだなって思って」
「そうだな。一度着がえを取りに、家へ戻るとするか」
 葵さんは息をつき、中をあおいだ。

 ホテルへ戻ると、あたしと蓮君は荷物をまとめる。手を動かしながらも、頭の中は動揺していた。
「……どうしよう」
 思わず、口に出す。蓮君も便乗するようにつぶやいた。
「そうですね……」
 思い出しているのはきっと、二人とも同じことだ。そう、泰三さんに、頼まれたこと。
 ――持ってきてもらいたいものがある。だからそのために、力を貸してほしい
 泰三さんはあの時、あたしたちに言った。
 一瞬、なんのことかわからなくて、正直、あたしは戸惑った。それはきっと、蓮君も同じだったと思う。
「手術まで、一週間、か……間に合うかな」
「……うーん」
 蓮君は渋い顔をした。そうだよね、と息をつく。
 泰三さんは、葵さんや家の人には内緒で、あたしたちに持ってきてほしいものーー正確には、探してきてほしいものがあるという。場所は桐谷家のある部屋。ただ、どこにあるかはわからないらしい。
 探しているものは、薄紅色の箱。ノートくらいの大きさで、何が入っているのかは、教えてくれなかった。
 しかも、葵さんにわからないように、というのが引っかかる。余所者のあたしたちにとって、一番の難題だ。
 二人同時に、息を吐く。
 結局あたしたちは、そのままホテルを出て、葵さんの家に向かう。車の中では、ほとんどしゃべらなかった。
 平治さんの迎えで、桐谷家に着く。部屋に行くと、再び蓮君とすわりこむ。
「……ねえ、蓮君。例の部屋、どこだかわかる?」
「大体……そうですね。ただ……」
 彼の言いたいことは、なんとなくわかっていた。どっちが行くか、ということだ。
「……ちなみに穂乃香さん、探しものは得意ですか?」
 蓮君の言葉に、あたしはしばし考える。
「……どっちかっていうと、苦手……かな?」
 蓮君がにっこりと微笑んだ。

 なんでこんなことをしてるんだろう。
 みんなが寝静まった後、あたしはひたひたと廊下を歩いた。
「穂乃香さん、早く進んでください。あ、ちなみに次の角を右です」
 後ろからついてくるのは、蓮君だ。あの後結局、部屋の中を調べるのは、あたしの役目となった。蓮君はいわゆる見張り役ーー何かあった時に、すぐにごまかせるよう、外で待機する形となったのだ。
「そこです。その部屋です」
 指されて、あたしは一度立ちどまる。それから意を決したように扉を開ける。
 そう、なぜならがそこは、葵さんのお母さんの部屋。彼女の母親が、亡くなった場所だったからだ。
 人が亡くなった部屋。
 そういう場所に入るのは、初めてのことで、やっぱり気が引ける。というか、どうしても構えてしまう。
「……大丈夫、ですか?」
 後ろから、蓮君が声をかけてくる。あたしは我に返って、へいき、と小さく返した。
 部屋は、思ったよりもきれいだった。掃除もされているし、家具も鏡台以外、置いていない。けど、静かすぎた。人気があまりにないのだ。
 まずは、押し入れから見てみる。それから、戸棚。中に入っていたのは、それぞれ書籍だったり、細々としたもの。写真立てや衣類、他には箱や玩具のようなものもある。ホコリが積もっているので、あまり開けられることはなかったんだろう。上の戸棚も同様だった。箱がたくさん。瀬戸物がいくつか入っていて、けれど薄紅色のものは見つからない。
「押し入れの奥って、どうなってますか?」
 外から蓮君が話しかける。
「どうって……どうにもこうにも」
「隠し扉とかありません?」
「……忍者屋敷じゃないんだから」
「昔の調度品には、わりと多いみたいですよ」
 言われて、押し入れの中の箪笥に手をかける。中には特に、たいしたものは入っていない。
「穂乃香さん、ちょっと代わってください」
 結局蓮君が、部屋の中に入ってきた。
 あたしは外を見つつ、部屋の中をもう一回、見まわした。
 目についたのは、やっぱり鏡台だ。鏡には布がかけられている。きっと、葵さんのお母さんのものだろう。つい、引き出しを開けてみたくなった。
「――あ」
 入っていたのは、薄紅色の箱ではない。別のものだった。
「……穂乃香さん、だれか来ます」
「――え?」
 蓮君が気配に気がついて、あたしはあわてて鏡台をしめる。それから、入り口のほうへ向かった。
 扉を閉めようとした、その時だ。
 ゆっくり、部屋の扉が開かれる。
 どうしよう。
 目を固くつぶった。すると、
「……穂乃香。何をしてるんだ? こんなところで」
 葵さんだった。
「あ……えっと……」
 なんて答えたらいいんだろう。目を逸らして、鏡台を見る。するといつのまにか、蓮君がいない。どこにいったのか、あたしにはわからない。緊張した面もちで、あたしはうつむいた。
「まちがえたっていうか……その……」
 どこをどう、まちがえたらこうなるのか。言っていて、あまりにも無理がある、と思った。いっそ、本当のことを言ってしまおうかと思ったその時だ。
 葵さんが軽く頷いて、腕を組んだ。
「もしや、気に病ませてしまった……か?」
「え?」
「ここは母の部屋でな。この間、おまえには話を聞いてもらっただろう?」
「あ……えっと……」
 いくらあたしが混乱しているからといって、話がつながっていない、というのはわかる。それとも、葵さんなりの気遣いなんだろうか。
 あたしはちらり、押し入れを見る。なんとなく、視線を感じたのだ。しかもしっかり、扉が閉められている。
 それを見て、どっちにしても便乗させてもらうことにした。
「あ……その……実はそうなんです。別にトラウマになってるとかじゃなくて。その、なんていうか……やっぱり少し気になって」
「よく、この部屋がわかったな」
「あ、はい。なんとなく、です」
 そこはもう、そう言うしかない。
「でもあのここって……焼けてしまったんですよね?」
 火事になった、と聞いている。けれどもその跡は見あたらない。
「ああ、幸いそんなに被害は出なかった。千里や平治がほとんど鎮火してくれたんだ。母は……亡くなってしまったが……」
 それはどうにもならない。どうにも、変えることができない。
「私もおまえに話をした後……なんとなく気になってしまって、な。足が向いてしまった」
 葵さんが天井をあおぐ。あたしもつられて、顔をあげた。うっすら名残りがあるのか、煤のあとのように見えるものがあった。
 これは、葵さんに訊くべきことではないかもしれない。彼女はまだ、その手に握りしめているのかもしれない。わかっていたけど、あえて尋ねてみた。
「……お母さん、どんな人でしたか?」
 葵さんや蓮君、そして泰三さんから聞いたのは、おおまかな事柄だけだ。
 彼女の瞳には、どんな人間に映っていたんだろう。それが知りたくて、口を開いたのだ。
「ーー自由な、人だった。病にかかる前まで、ここに来るまでは、な」
「自由?」
「そうだ。以前、本家に住んでいた時は、破天荒というか……こっそり夜中にお菓子を食べるような人だった」
 その言葉に、笑みがこぼれる。
「かわいい人ですね」
「私もよくつきあわされて……そういう感じだったから、父とも気が合ったんだろう」
 けれど、病に侵されていくうちに、徐々に変化していったという。
「……強い人間だった。それゆえ、己が弱くなることを許せない人だった」
 似ているんだな、と思った。
 いや、似ていた、と言うべきか。
「さあ、昔話は終わりだ。部屋へ戻るとしよう」
 葵さんが、あたしの手を引く。
 あたしは気になって、ついもう一度、押し入れを見た。

 葵さんに部屋まで送ってもらうと、あたしはふと、さっき見た鏡台の引き出しが気になった。
 あれって……。
 そう思った時だった。
 カタ、と、部屋の扉が開く。
 蓮君だった。
 ややホコリまみれになりつつも、その手にはしっかり、薄紅色の箱が握られていた。
「――あったの?」
 つい、大きな声を出してしまう。すると蓮君が人差し指を唇にあてた。
「し――っ」
 蓮君が扉をしめる。そして、箱を畳の上に置いた。
「……思ったとおり、箪笥の中に一つだけ、からくりになっている部分がありまして」
「それだけ大事なものってことよね?」
「……たぶん。しまったのも、泰三さんじゃないかと思います」
 蓮君の言葉に、あたしは首をかしげる。
「だったらなんで泰三さん、どこにあるかわからない、なんて言ったのかな?」
「……入れたものの、開けられなくなっちゃったんじゃないですか?」
 蓮君も少し、開けるのに手こずったようだ。本当に、一人じゃなくて良かった。あたしだけだったら、多分、どうにもならなかっただろう。
「――話を戻そう。それで? 中身は?」
 蓮君が箱をかるくゆするようにして、開く。あたしは、目を大きく見開いた。
「……これって」
「確かに、大事なものですね」
 あたしたちは顔を見合わせる。
 でもこれを、一体どうするつもりなんだろう。あたしと蓮君は唇をかむ。
「……やっぱり過去は、変えられるのかもしれない」
 蓮君の言葉に、あたしはさらに唇をかみしめた。
 変わる未来と、変わらない未来。
 あたしが見たいのは、どっちなんだろう。
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