ショートケーキをもう一度

香山もも

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それぞれの気持ち

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 家のほうへ戻り、軽くお茶を飲むと、あたしは自室へ向かう。すでに蓮君がいて、畳の上であるものを広げていた。
「――あ」
 思わずあたしは声をあげる。それはあたしが葵さんのお母さんの部屋から、持ってきたノートだったからだ。
「ちょっと、なに勝手に見てるのよ」
 蓮君からノートを奪う。すると彼は肩をすくめた。
「それ、取ってきたものじゃないですか……」
 それからやや口をつぼめた。
「まあ、そうだけど……」
 確かに、あれこれ文句を言える立場ではない。「でも、よく見つけましたね」
 蓮君は伺うようにあたしを見た。その様子にあたしは息をつき、もう一度ノートを広げる。
 それは、葵さんのお母さん――楓さんの、日記のようなものだった。とはいえ、日々の出来事が書いてあるわけじゃない。
 記してあるのはすべて、お菓子ばかり。しかもちょっと変わっていた。
「これって、いわゆる食べ歩き帳っていうのとは……」
 蓮君も、もう一度ながめながら口にする。
「ちがうと思う」
 あたしはあることを思い出していた。
「確か泰三さんは、楓さんと洋菓子店で会ったって言ってた……」
 お菓子の絵と文章。そして、どういう時に食べたいか、食べてほしいか、そんなことが綴られている。本当に、お菓子が大好きだったようだ。
 プリンは辛いことがあった日、ホットケーキは何かを達成した日、アイスクリームはうれしいことがあった日、など、お菓子を食べる時の気持ちや状況も書かれている。
「これを見てると、とても自ら命を断とうとした人には思えませんけど、ね……」
 あたしも同意見だった。
 葵さんは言っていた。
 芯の強い人。そして、自分の弱さを許せない人だったと聞いている。
「ちなみに蓮君、この間、一番好きなお菓子は内緒って言ってたよね? この中にある?」
「……いきなりですね」
「そういえば、わかんないままだったかなって」
「だったらそのままでいいじゃないですか?」
「まあまあ、そう言わずに」
 あたしはノートを差し出した。さっきとは逆で、それもおかしな感じがしてしまう。
 蓮君は無言のまま、ページをめくっていく。けど、あまり反応らしいものはなく、あたしはぼんやりとその様子をながめていた。
 彼はページを、最後までめくる。
 そこで一瞬、瞳を大きく見開いた。
「……穂乃香さん、これって……」
「やっぱり……思った?」
 最後の一ページは、あるお菓子で終わっていた。とても一般的で、ケーキ屋さんなら、どこでも置いてあるようなものだ。
 そう、ショートケーキだった。


 病院に着いたのは、翌日の午後だった。まずはホテルに行き、荷物の整理をする。この間と同じように、伊集院さんが二部屋用意してくれていた。
「ねえ、蓮君。日向さんのことだけど……」
 葵さんのお誕生会。伊集院さんが言うには、できれば日向さんにも参加してもらいたいという。けれど自分からは言い出せない。なのでぜひ、あたしたちから声をかけてほしいという。
「ああ、そっちはぼくに任せてください」
「……けっこう、仲いいよね……」
 自分の父親であるぶん、なんだか複雑な気分だ。元の世界に戻っても、そうなんだろうか。ふと、そんなことを思う。
「いや、まあ……そうですね。一応、泊めていただいたりもしてるんで」
 そういえば、そうだった。
 オムライスを作ってもらったと言っていたのを思い出す。
「日向さんって、さ……」
 あたしはぽつりとつぶやく。自分の父親をこう呼ぶことに、大分なれてきた。
「やっぱり、どうしようもないって思ってるのかな。自分にはどうにもできないって」
「気になりますか?」
「そりゃあ、ね。でも、本音なんて教えてくれなさそうかな」
「――わからないですよ」
 蓮君があっさりと言った。
「何も変わらないって思ってるなら、言っても言わなくても一緒なら、教えてくれるかもしれませんし」
「……そうきたか」
 今更、何を言っても変わらない。だったら本音を言ったっていいんじゃないかってことだ。ありえるような、ありえないような……父の性格は、わかっているようで、つかみどころがない。
「……譲りますか? 穂乃香さんに」
 蓮君が首をかしげた。あたしはあわてて首をふる。
「いや、あたしが誘うのは無理だよ。絶対ボロが出そう」
「確かに。じゃあ、こうしましょう。誕生会の話は、ぼくがします。でもって、穂乃香さんから話があるって伝えておくのはどうでしょう」
「え……うーん」
 どっちとも取れる返事をしてしまう。
「じゃ、そうしますね」
 蓮君はさっさと話を終わらせてしまった。

 翌日、あたしは病院の屋上にいた。蓮君に行くように言われたからだ。
 ……なんか、緊張する。
 あたしは壁にもたれかかって、洗濯物を見ていた。シーツがたくさん干されていて、はためいている。その様子をながめていると、少しだけ身体がゆるむ。
 案外、こんな感じなのかもしれない。
 風でなびくと、向こう側が見える。でも、また見えなくなる。
 たった一枚で隔てられている世界。
 そんなふうに思っていると、急に人の気配がした。
「……あ」
 ふり向くと、日向さんが立っている。
「待たせちゃったかな?」
「あ、いえ……」
 見てみると、缶コーヒーが2本持っていて、そのうち1本を渡される。
「ありがとうございます」
 開けて一口含む。とたんに、さっきの緊張感がよみがえってくる。何を話したらいいのかわからなくて、出てきたのは、冷や汗のようなものだけだった。
「――葵さんの誕生会、するんだって?」
 先に口を開いたのは、日向さんのほうだった。
「あ……はい。来てくれますか?」
 どうやら蓮君は、本当にちゃんと伝えてくれたらしい。
「そうだね。顔は出そうかと思ってる」
 それを聞いて、少し安心した。でも、本当に聞きたいことが聞けたわけじゃない。
 それに今となっては、聞いてどうするのか、という気持ちになってきた。
「……きみは以前、葵さんの幸せを願ってるって言ってたよね?」
「あ、はい」
 確かに言った気がする。二人きりで話をした時だ。
「今でもその気持ちは、変わらない?」
「――はい」
 それは、はっきりと言える。今も、そしてこれからも変わらない。そう思える。
「じゃあ、彼女はーー葵さんにとって、何が幸せだと思う?」
 好きな相手と、結ばれること。
 愛してくれる相手と、生きていくこと。
 どちらが幸せか。彼はそう言いたいのだろうか。
 あたしの脳裏に映るのは、葵さんの笑顔だ。今までたくさん見てきた、彼女の表情。
 小さな小さな何か。一つ一つ、積みあげてきたもの。
「――彼女は、幸せだと思います。どんな道を選んでも、幸せに生きていける人だと思います」
 すると、日向さんは笑った。
「蓮君と同じことを言うんだね」
「へ?」
「彼も言ってた。あまり彼女をーー葵さんを見くびらないでほしいって」
 ちょっと意外……というよりはうれしかった。彼もちゃんと、見ていてくれていた。わかってくれていた。そのことがあたしの胸を熱くする。
「……一度だけ、僕も素直になってみようかな」
 日向さんはふと、言葉をもらす。
「一度だけで、いいんですか?」
 あたしも、小さく笑う。それからコーヒーを飲んだ。
「大事なことっていうのは、そう何度も言えるものじゃないからね」
 今の父が聞いたら、笑ってしまいそうな言葉だった。
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