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契約結婚の条件
第12話 深夜の探索
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夜も更けた頃、私は寝床の中で天井を見つめていた。
昼間の出来事が頭の中でぐるぐると渦を巻いている。古書店で出会った椋本の言葉、理玖の過剰とも思える心配、そして華の安堵の表情。全てが繋がりそうで繋がらない、もどかしさばかりが募っていく。
「理不尽な力から人を守る組織……」
椋本の言葉が耳に残っている。まるで椿京には、普通の人間には理解できない何かが存在するとでも言いたげだった。そして、古書店で偶然目にした『九尾の狐』の書籍。契約書に記された、あの古風な「九尾」という文字との奇妙な一致。
「偶然にしては、できすぎているような……」
私は小さく呟くと、そっと布団から抜け出した。足音を殺して廊下に出ると、薄暗い中を歩く。月明かりが窓から差し込み、廊下に長い影を作っている。昼間は温かみを感じた木造の廊下も、今は冷たく、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
「せめて、禁止されている場所がどこなのかだけでも、確かめておきたい……」
契約書に記されていた「地下」と「離れの蔵」。その境界を確認するだけなら、契約違反にはならないだろう。夜は出歩かないように言われているけれど、生活をしていれば、完全に籠っていることはできないのだから。そう自分に言い聞かせながら、私は慎重に足を進めた。
廊下を歩いていると、ふと足元に冷たい空気が流れ込んできた。
「寒い……」
見上げると、そこは昼間、華に案内された居間の前だった。今は、まるで真冬の夜のような冷気が足元から這い上がってくる。不思議に思いながらさらに進むと、廊下の奥でかすかな光が揺らめいているのに気がついた。月明かりとは明らかに違う、青白い光だった。
「あそこが……地下への入り口?」
光の方向に向かって歩いていくと、階段の入り口らしき場所が見えてきた。厚い木の扉があり、重厚な鉄の錠前がかけられている。扉の隙間からは、確かに青白い光が漏れ出していた。
そして、その光と共に聞こえてくる音があった。
チリン、チリン。
鈴の音のような、美しく儚い響き。まるで風に揺れる風鈴のようでもあり、神社の鈴のようでもあった。
「どこから聞こえてくるのかしら……」
私は扉に耳を近づけた。すると、鈴の音に混じって、かすかに人の声のようなものが聞こえてくる。女性の声のようだった。とても美しく、どこか悲しげな響きを含んだ声。何かをつぶやいているようだが、言葉は聞き取れない。
「誰かいらっしゃるのですか?」
思わず小声で問いかけた時、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
おそらく理玖の足音だ。いつものように規則正しいけれど、人が歩く足音とは、やはり違ってとても微かな音だった。
「見つかってはいけない……」
私は慌てて身を翻そうとしたが、廊下に掛けられた鏡に映る自分の姿に息を呑んだ。鏡の中の私の隣に、もう一人、女性が立っている。年の頃は私と同じくらい。美しい黒髪を結い上げ、巫女の衣装を身にまとった女性。池や鏡に何度か見た、あの女性だ。
その女性が、理玖らしき男性の手を取って微笑んでいる。
「え……?」
私が振り返ると、そこには誰もいない。再び鏡を見ても、映っているのは自分だけだった。鏡に手を伸ばそうとしたその瞬間、突然激しい耳鳴りが襲ってきた。キーンという高い音が頭の中に響き、同時に女性の声が聞こえてくる。
『気をつけて……』
『あの人は……優しすぎるから……』
『でも……きっと……あなたなら……』
声は途切れ途切れで、まるで遠い昔の記憶が蘇ってくるような曖昧さだった。けれど、その声に込められた優しさと悲しさは、私の胸の奥深くに響いた。
「誰……? あなたは誰なの?」
私は鏡に向かって小声で問いかけた。しかし答えは返ってこない。ただ、鏡の表面がわずかに波打つように歪んだような気がしただけだった。
理玖の足音が近づいてくる。もう時間がない。
私は急いで自室に向かおうとしたが、ふと離れの蔵の方向に目を向けた。そこには昼間は気付かなかった白い縄が張り巡らされ、小さな札が何枚も下げられている。
「結界……?」
書生時代に読んだ古典の知識から、それが何かを封じるためのものだと直感的に理解した。まるで、蔵の中に何か大切なもの、あるいは危険なものが封印されているかのように。
そして縄の向こう、蔵の小さな窓からも、地下と同じような青白い光が漏れているのが見えた。
「朝霞様は、一体、何を隠しているの……?」
足音がさらに近づいてくる。私は急いで廊下を引き返し、自室に滑り込んだ。布団に潜り込んで息を整えていると、廊下を理玖の足音が通り過ぎていく。
その足音が私の部屋の前で一瞬止まった。
まるで、私が「探索」していたことに気づいているかのように。
私は息を殺して待った。やがて向かいの部屋の襖が開き足音は聞こえなくなったけれど、胸の鼓動はなかなか収まらなかった。
「鏡の中の女性……あの声……」
布団の中で、私は先ほどの出来事を思い返していた。あの女性……どこかで見覚えがあるような気がした。まるで、長い間忘れていた大切な記憶の断片が蘇ってくるような、不思議な既視感。
そして、あの女性が理玖の手を取っていた光景。二人はとても自然で、まるで長い間共に過ごした恋人同士のような親しさがあった。
「でも、朝霞様に恋人がいらっしゃるなら、なぜ私との契約結婚を……」
疑問は深まるばかりだった。そして同時に、心の奥底で何かが動き始めているのを感じていた。恐怖ではない。むしろ、その女性の声に込められていた優しさが、私の心を温かく包んでいた。まるで、遠い昔に出会った懐かしい人からの励ましのように。
『でも……きっと……あなたなら……』
あの女性はそう言ったけれど……。
「……私に何ができるというの?」
私は枕元に置いている曽祖母の形見である小さな鏡を握りしめた。月明かりに照らされた鏡面が、わずかに光を反射する。
「曽祖母様……私は今、とても不思議な場所にいます。でも……怖くはないのです。むしろ、ここに来ることができて良かったと思っています」
小さな鏡に向かって呟くと、不思議と心が落ち着いてきた。明日からは、もう少し積極的に理玖のことを知ろうとしてみよう。契約の範囲内で、できることから始めてみよう。
そう決心した時、窓の外で小さな音がした。
身を起こしてそっと窓辺に近づくと、庭の石灯篭の周りに白い影がいくつも動いているのが見えた。月明かりに照らされたその影は……狐だった。
大小様々な白い狐が、石灯籠の周りに集まっている。そして、不思議なことに、その狐たちが皆、私の部屋の窓を見上げていた。
「狐……」
一匹の狐と目が合った瞬間、その狐は丁寧に頭を下げた。まるで挨拶をするかのように。他の狐たちも、次々と同じように頭を下げる。
私は驚いて身を引いた。
ドキドキしながら再び窓から外を見ると、狐たちの姿はもうどこにもなかった。まるで最初から幻だったかのように。
「今のは……夢?」
石灯籠の周りの草が、確かに何かが通った跡のように乱れているのが見える。
「朝霞様の……お使い?」
なぜかそんな言葉が浮かんできた。まるで、あの狐たちが理玖の意志で私を見守っているかのような、不思議な安心感があった。
私を恐怖させよう、としているのではなく、歓迎してくれている。
今夜の出来事全てが、私にそう語りかけているような気がした。
「私はここにいても良い……そう言ってくれているのかしら」
胸の奥がじんと温かくなり、再び布団の中に潜り込んだ。今度は、穏やかな眠りが待っていそうだった。
廊下の向こうから、再びかすかに鈴の音が響いてくる。まるでその音が子守唄のように優しく聞こえた。
昼間の出来事が頭の中でぐるぐると渦を巻いている。古書店で出会った椋本の言葉、理玖の過剰とも思える心配、そして華の安堵の表情。全てが繋がりそうで繋がらない、もどかしさばかりが募っていく。
「理不尽な力から人を守る組織……」
椋本の言葉が耳に残っている。まるで椿京には、普通の人間には理解できない何かが存在するとでも言いたげだった。そして、古書店で偶然目にした『九尾の狐』の書籍。契約書に記された、あの古風な「九尾」という文字との奇妙な一致。
「偶然にしては、できすぎているような……」
私は小さく呟くと、そっと布団から抜け出した。足音を殺して廊下に出ると、薄暗い中を歩く。月明かりが窓から差し込み、廊下に長い影を作っている。昼間は温かみを感じた木造の廊下も、今は冷たく、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
「せめて、禁止されている場所がどこなのかだけでも、確かめておきたい……」
契約書に記されていた「地下」と「離れの蔵」。その境界を確認するだけなら、契約違反にはならないだろう。夜は出歩かないように言われているけれど、生活をしていれば、完全に籠っていることはできないのだから。そう自分に言い聞かせながら、私は慎重に足を進めた。
廊下を歩いていると、ふと足元に冷たい空気が流れ込んできた。
「寒い……」
見上げると、そこは昼間、華に案内された居間の前だった。今は、まるで真冬の夜のような冷気が足元から這い上がってくる。不思議に思いながらさらに進むと、廊下の奥でかすかな光が揺らめいているのに気がついた。月明かりとは明らかに違う、青白い光だった。
「あそこが……地下への入り口?」
光の方向に向かって歩いていくと、階段の入り口らしき場所が見えてきた。厚い木の扉があり、重厚な鉄の錠前がかけられている。扉の隙間からは、確かに青白い光が漏れ出していた。
そして、その光と共に聞こえてくる音があった。
チリン、チリン。
鈴の音のような、美しく儚い響き。まるで風に揺れる風鈴のようでもあり、神社の鈴のようでもあった。
「どこから聞こえてくるのかしら……」
私は扉に耳を近づけた。すると、鈴の音に混じって、かすかに人の声のようなものが聞こえてくる。女性の声のようだった。とても美しく、どこか悲しげな響きを含んだ声。何かをつぶやいているようだが、言葉は聞き取れない。
「誰かいらっしゃるのですか?」
思わず小声で問いかけた時、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。
おそらく理玖の足音だ。いつものように規則正しいけれど、人が歩く足音とは、やはり違ってとても微かな音だった。
「見つかってはいけない……」
私は慌てて身を翻そうとしたが、廊下に掛けられた鏡に映る自分の姿に息を呑んだ。鏡の中の私の隣に、もう一人、女性が立っている。年の頃は私と同じくらい。美しい黒髪を結い上げ、巫女の衣装を身にまとった女性。池や鏡に何度か見た、あの女性だ。
その女性が、理玖らしき男性の手を取って微笑んでいる。
「え……?」
私が振り返ると、そこには誰もいない。再び鏡を見ても、映っているのは自分だけだった。鏡に手を伸ばそうとしたその瞬間、突然激しい耳鳴りが襲ってきた。キーンという高い音が頭の中に響き、同時に女性の声が聞こえてくる。
『気をつけて……』
『あの人は……優しすぎるから……』
『でも……きっと……あなたなら……』
声は途切れ途切れで、まるで遠い昔の記憶が蘇ってくるような曖昧さだった。けれど、その声に込められた優しさと悲しさは、私の胸の奥深くに響いた。
「誰……? あなたは誰なの?」
私は鏡に向かって小声で問いかけた。しかし答えは返ってこない。ただ、鏡の表面がわずかに波打つように歪んだような気がしただけだった。
理玖の足音が近づいてくる。もう時間がない。
私は急いで自室に向かおうとしたが、ふと離れの蔵の方向に目を向けた。そこには昼間は気付かなかった白い縄が張り巡らされ、小さな札が何枚も下げられている。
「結界……?」
書生時代に読んだ古典の知識から、それが何かを封じるためのものだと直感的に理解した。まるで、蔵の中に何か大切なもの、あるいは危険なものが封印されているかのように。
そして縄の向こう、蔵の小さな窓からも、地下と同じような青白い光が漏れているのが見えた。
「朝霞様は、一体、何を隠しているの……?」
足音がさらに近づいてくる。私は急いで廊下を引き返し、自室に滑り込んだ。布団に潜り込んで息を整えていると、廊下を理玖の足音が通り過ぎていく。
その足音が私の部屋の前で一瞬止まった。
まるで、私が「探索」していたことに気づいているかのように。
私は息を殺して待った。やがて向かいの部屋の襖が開き足音は聞こえなくなったけれど、胸の鼓動はなかなか収まらなかった。
「鏡の中の女性……あの声……」
布団の中で、私は先ほどの出来事を思い返していた。あの女性……どこかで見覚えがあるような気がした。まるで、長い間忘れていた大切な記憶の断片が蘇ってくるような、不思議な既視感。
そして、あの女性が理玖の手を取っていた光景。二人はとても自然で、まるで長い間共に過ごした恋人同士のような親しさがあった。
「でも、朝霞様に恋人がいらっしゃるなら、なぜ私との契約結婚を……」
疑問は深まるばかりだった。そして同時に、心の奥底で何かが動き始めているのを感じていた。恐怖ではない。むしろ、その女性の声に込められていた優しさが、私の心を温かく包んでいた。まるで、遠い昔に出会った懐かしい人からの励ましのように。
『でも……きっと……あなたなら……』
あの女性はそう言ったけれど……。
「……私に何ができるというの?」
私は枕元に置いている曽祖母の形見である小さな鏡を握りしめた。月明かりに照らされた鏡面が、わずかに光を反射する。
「曽祖母様……私は今、とても不思議な場所にいます。でも……怖くはないのです。むしろ、ここに来ることができて良かったと思っています」
小さな鏡に向かって呟くと、不思議と心が落ち着いてきた。明日からは、もう少し積極的に理玖のことを知ろうとしてみよう。契約の範囲内で、できることから始めてみよう。
そう決心した時、窓の外で小さな音がした。
身を起こしてそっと窓辺に近づくと、庭の石灯篭の周りに白い影がいくつも動いているのが見えた。月明かりに照らされたその影は……狐だった。
大小様々な白い狐が、石灯籠の周りに集まっている。そして、不思議なことに、その狐たちが皆、私の部屋の窓を見上げていた。
「狐……」
一匹の狐と目が合った瞬間、その狐は丁寧に頭を下げた。まるで挨拶をするかのように。他の狐たちも、次々と同じように頭を下げる。
私は驚いて身を引いた。
ドキドキしながら再び窓から外を見ると、狐たちの姿はもうどこにもなかった。まるで最初から幻だったかのように。
「今のは……夢?」
石灯籠の周りの草が、確かに何かが通った跡のように乱れているのが見える。
「朝霞様の……お使い?」
なぜかそんな言葉が浮かんできた。まるで、あの狐たちが理玖の意志で私を見守っているかのような、不思議な安心感があった。
私を恐怖させよう、としているのではなく、歓迎してくれている。
今夜の出来事全てが、私にそう語りかけているような気がした。
「私はここにいても良い……そう言ってくれているのかしら」
胸の奥がじんと温かくなり、再び布団の中に潜り込んだ。今度は、穏やかな眠りが待っていそうだった。
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