精神病棟のある日

Yoshinaka

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20世紀最後の花見

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「お花見したい人、来てください。」
婦長の申し出に、私たちは顔を見合わせた。
「花見って、城下公園でしょ?もう希望者は出発したんじゃなかった?」
一人が首をかしげた。私も同調する。この日、院内外出企画は城下公園に出かけて花見祭りに出かけるというもの。何週間か前から掲示板に「希望者は申し込むこと」と模造紙にマジックで書かれ、その下に申し出順に希望患者の名字が連なっていた。桜外出するくらいの気力のある患者は、順々に名乗り出、今日皆出かけて行った。つまり、今ここに残っているのは、「外出するくらいの気力がない」患者たちなのだ。
「どっかで花見するって?でも病院出られないじゃない。」
誰かが訝しげに聞き返す。その通り、私たちが入院しているのは、この病院の閉鎖病棟。何らかの正当な理由がない限り、患者を外には出せない。
「いや、考えがあるのよ。」
思わせぶりな婦長の言葉に、物好きな(そして外出するまではいかないが桜は見たい)患者が数名のることになった。もちろん、私もその一人に入っていたのは言うまでもない。

婦長の引率があったため、私たちは閉鎖病棟の通用扉を通ることが出来た。いくら院内でも、閉じ込められた空間と、そうではない空間では空気が違うな、と現金にも納得する。廊下を通り、エレベータに誘導された。どこの階かと思いきや、最上階、すなわち屋上だった。鉄扉を開き、外に出た私たちは感嘆した。目の前には広々とはいかないものの、それなりの幅があるグリーンの地面が開け、その四方に周辺ビルの街並みが広がっている。ここは商業繁華街に割と近い地区だ。
「見回してごらん、結構外の桜が見えるでしょ?」
婦長の言うとおり、屋上からだと病院周辺の街頭や公園に咲く桜の木々がしっかりと見渡せる。病棟の窓は鉄格子が入っていたすりガラス。さらに、病院全体を塀で囲まれているため、こんなに近くの桜の存在にも気づかなかったようだ。でも、屋上からならそれらの障壁を越え、お大尽気分で周囲の桜を楽しめる。さすが婦長。粋な計らいを考えたものだ。
屋上からは、病棟の中庭も見渡せる。ちょうど、男子病棟の患者がそこでキャッチボールをしていた。遠目からでも分かる青い作業着を手掛かりに、付添人が顔なじみのA作業療法士だと分かる。屋上のフェンスに顔をくっつけて、私や他の患者がA作業療法士に手を振ると、相手も気づいて振り返した。婦長がその様を見て、呆れ顔をする。
「そんな、動物園の猿みたいなことしない。」
確かに、そう言われればそうだ。私たちはきまり悪そうに笑い、フェンスから離れた。
「ほら、あそこに話題のプレミアムタワーが見えるよ。」
婦長が指し示す方向を見ると、その先には出来たばかりのビルが窺えた。駅コンコースの大改装も終了し、まったく近代的に生まれ変わったと騒がれていたのだ。つい最近もミレニアムが流行語になり、20世紀の終わりと、近づく新世紀、つまり未来時代の到来を私は感じていた。プレミアムタワーの完成もその象徴の一つだったのだ。屋上の風に吹かれながら、私は考える。もうあと2か月もしないうちに私はここを出るだろう。外に出る私を待っているのはどんな生活、そして人生なのだろうか。この病院の閉鎖病棟のたいていの患者が数か月で退院するか、開放病棟に移る。閉鎖空間は制約と息苦しさを伴うが、同時に保護も意味する。それだからだろうか、閉鎖病棟を出、外部に触れる患者は皆、嬉しい反面、どこか不安な表情を隠せない。私も皆に倣い、一概に手放しでは喜べないのが本音だ。
「屋上からだとよく見えるでしょ?折角桜の季節なのに、見ないともったいないと思って。本当はゆっくり見物したいけど、あんまり長居は出来なくてね。」
婦長が申し訳なさそうに笑い、全員に病棟に戻るよ、と声をかける。皆と肩を並べて屋内に入りつつ、私は思った。思う存分桜を見ること。外の空気を吸うこと。現実の社会を歩くこと。そのためには、やはり閉じ込められた空間を出るしかないと。勇気をもって外に踏み出そう、そう私は心に決めた。

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