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本社出張

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「俺、明日から仕事だからちょっとこっちにいるね」
キキョウに声を掛けて仕事部屋に籠った。こんなに長くパソコンに触らないのも久しぶりだった。
メールチェックをする。
友達や取引先からの新年の挨拶や、DM。その中に、出口部長から珍しく個人メールが届いていた。
「あー、呼び出しだ……」
クリックしてメールを開く。

櫃木ひつき君 あけましておめでとう。今年もよろしく。本社付けなんだからそろそろ顔を出してください。評価面接は来週の8日だが、前日の7日から入るように。スケジュールは以下の通り。今年も期待してるぞ! 出口”

スケジュールを見ると、例年のごとく評価面接以外はほとんど研修に駆り出される。毎年新人が入る前に先輩になる現場の社員に再度教育を行う。毎年そう内容は変わらないが、仕様変更などがあるともちろんレジュメは作り直しだ。
「うーわ、そうだよ今年は仕様変更が多かったんだよ……」
僕は、今の会社に新卒で入社してから、どうしても上司と合わず三年ほどで辞めようとしていた。それをと引き留めてくれたのが出口部長だった。
お前のその技術とセンスを他所の会社に取られたら困るんだよ、と言って、僕に在宅での勤務をする最初のケースとして上と掛け合い認めさせた。だから僕は飛行機の距離の地元にいるけれど、東京本社の出口部長のいる部署の所属になっている。
あの時部長が”こいつは俺が直接面倒を見ます”と言ってくれなかったら今頃僕はどうしていただろう。
その位恩義がある人なので、逆らうことはできないしそのつもりもない。ただ、今回は状況が特別だ。四日間の出張。キキョウを一人にしても大丈夫だろうか。


「キキョウさん」
夕食を食べながら、いつ出張の話を切り出そうかと思っていた。今日は1月4日だから明日と明後日で準備をしていたらすぐに行かないといけない。
「んー?」
箸を口にはさんでキキョウが返事をした。
「俺明日から仕事始めなんだけど……7日から出張なんだ」
「そうか、アオイさんはお休みじゃないもんね。私、自分が休んでるからうっかりしてた!」
「10日の夜には帰ってくるけど、その間一人で大丈夫?」
「え?全然平気だよ。子供じゃないもん」
「危ないじゃん、一人じゃ」
「大丈夫よ!あんまり外に出ないようにする」
「ホントに?」
「ほんとに」
温かい豚汁を一口飲んで、キキョウを見る。青菜のお浸しを口に運んでモグモグと咀嚼している。ずっとキキョウと暮らしたら、毎日こんな感じなのか。
――今更だけど、どうして僕はキキョウといて平気なんだろうか。三年付き合った彼女とは丸一日過ごしたらもう独りになりたかった。でも目の前のこの人にはそう思わない。キキョウの趣味も、好きなものもほとんど知らないのに。
「……アオイさん、心配してくれてありがと」
「え?うん」
「大丈夫だから、安心して出張行ってきてね」




二日間仕事部屋に閉じこもってレジュメを改訂し、スーツケースに服と資料を詰め込んだ。伸び放題の髪も切りに行ったし、髭も剃った。一応サラリーマンなんだよな、これでも。
クローゼットを開けて、久しぶりにスーツを出す。熱を出してからロクに運動していないから太ったかと思っていたけど、逆に痩せていた。筋肉落ちたんだなあ。
「おはよう」
ワイシャツを着てネクタイを締めながらリビングに入る。
「おはよう~。きゃ、アオイさん⁈」
キキョウが僕を見て目を丸くしている。
「え?何かついてる?」
「ううん。別の人みたいで……」
そうだよな、髪も髭も伸び放題で破れたジーンズを穿いてるのがデフォルトだったもんな。
「馬子にも衣裳だろ?」
「ちょっとびっくりしただけよ?」
キキョウが用意してくれたトーストを齧る。
「キキョウさんごめんな、早起きさせることになっちゃって。寝てて良かったのに」
「ううん。たまには早起きもしないとね。それに居候が寝てる訳にはいかないよ~」
居候。そうだ。彼女は困ってるから住まわせてるだけの人。

「アオイさん、もう少し隣から荷物持ってきてもいいかな?」
「いくらでも持ってくるのはいいけど、怖くないの?」
「多分大丈夫。それよりもいるもの置きっぱなしだから。身体ももう痛くないし、少しずつ片付ける」
「辛かったら無理しないで」
「うん」
「ごちそうさま」
僕は席を立った。家を出る時間が近づいている。ジャケットとコートを羽織り、スーツケースとブリーフケースを持った。
「忘れ物、無い?」
「……うん」
キキョウが玄関まで見送ってくれた。
言おうか言うまいか迷ったが、言ってから行こう。
「あのさ……」
「ん?」
「隣、引き払ってきなよ。家賃もかかるしさ。片付けるの手伝うし」
「え……」
キキョウは言葉が出ずに固まっている。
「じゃあ行ってくる」
「あ……いってらっしゃい、気を付けてね」
どういう返事が来るかわからないけど、どちらにしたって、あの惨状を一人で片付けるのは無理だ。帰ってきたら一緒にやろう。
エントランスを出て駅までの道を歩く。ふと振り向いて僕の部屋を見た。バルコニーからキキョウが顔を覗かせていた。僕が気づいたのを見て手を振る。
僕は、一度だけ手を振り、道を急いだ。



久しぶりに乗った飛行機はやっぱり離陸する時の感じに慣れなくて、僕の身体には小さいエコノミーの席で1時間ほどを持て余した。
電車も嫌いなんだよな。空いてるローカル線は好きだけど、東京の満員電車に揺られる気力は持ち合わせていない。ネクタイがもう苦しくて、僕には在宅勤務が合っているな、と改めて思う。

本社に着いた。ビルを見上げる。自分の会社なのによそ者みたいな気分だ。僕はエレベータに乗り、5階のボタンを押した。
部署に入ると、怪訝な顔で僕を見る人が数人いる。ぽっかり空いている僕の席に荷物を置く。ああ、あの人が有名な櫃木さんなんだ、初めて見た、と聞こえてくる。いつ僕は社内で有名人になったんだ。どうせ噂話の類でだろう。
「ひっちゃん!来たか!久しぶり!」
同期の松本が僕を見つけてやってくる。
「ああ、まっつんご無沙汰」
「お前、ID掛けとけよ首に」
「おー、そうだった」
慌ててブリーフケースからIDを出し首に掛けた。同僚や先輩もお久しぶり、と声を掛けてくれる。
挨拶があらかた終わった後に松本が言った。
「最終日に部署で飲み会するけどさ、今日は飲みに行けるだろ?」
「ああ、行こう」
「――ひーつきくん!元気にしてた?」
松本の横からひょい、と顔を覗かせたのは楠さんだった。彼女も同期で、僕達三人は新人研修で同じ班だった。赤みの強いブラウンの長い髪。見た目がちょっと派手ないい女系で苦手だったけど、性格はとてもサバサバしている人で、研修でそれを知って話すようになった。
「あ、楠さんお久しぶり」
「わーなんだよユリ、ひっちゃんにだけそんな顔して」
「は?いつも私はにこやかでしょうが!で、飲み会どこでやるの?」
「あ~、お前最近フラれたからひっちゃん狙ってんだろ?やめとけ、ユリはひっちゃんのタイプじゃないし、そもそも彼女持ちだぞ?」
キキョウは彼女じゃないけど……。多分前の彼女だと思ってるよな。声には出さずに呟く。
「ちょっと!松本あんためちゃくちゃ失礼なんだけど!同期で飲もうってだけでしょ⁈」
相変わらず松本と楠さんはこのやり取りをやってるのか……。
一年目からずっと変わらない二人の会話に僕は笑ってしまった。

「――おい、俺も参加するぞ」
背後から声が聞こえた。
「出口部長、ご無沙汰してます」
会社を辞める寸前に僕を拾ってくれた恩人。松本はサシ飲みがしたかったのか残念そうな顔をしていたが、部長や楠さんを拒否する理由も無かった。
「今日はなるべく定時で終わらそうな、松本、楠」
部長は二人に目配せをした。
「あ、ああこれ、今回の詳しいスケジュールと要りそうな資料だから」
「ありがとう」
松本は僕にファイルを渡すと自分の仕事に戻っていった。
「あ、松本、ちょっと待って、店決めるよ!」
楠さんが松本の後を追っていく。
「……櫃木、少し痩せたか?」
出口部長が僕を見てちょっと心配そうな顔をした。
「はい、年末に風邪をひいて運動もしてなかったものですから」
「はは、あのメールは本当だったんだな!まあ、今は顔色も良くて何よりだ」
後から本当になってしまったんだけど、まあいいか。まっつんが誰にも言ってなければ。
「明日は午前中評価面接、午後から受け持ちの研修だ。その後二日間は研修頼むから、今日はその準備に充ててくれ。定時上がりで飲みに行くぞ」
「はい」
出口部長は四角い顔に四角い口で笑った。


いつもメールでやり取りする業者の担当者がやってきた。今日僕が本社に来ると聞いてやりくりして出てきたという。
なかなか面と向かって他社の人と会うことは無いので、久しぶりの名刺交換がぎこちない気がする。
「櫃木さん、いつもお世話になっております」
「いえこちらこそ。高山さん、お忙しい所お越しくださいましてありがとうございます」
「初めてお会いしますね」
「そうですね、いつもメールだけですもんね」
「お会いできて良かったです。僕の上司古い人で、取引先の人と飲みに行け顔を合わせろどんな人なんだ、ってうるさくて」
「はは」
「櫃木さん、本社に戻ってこられる予定はないんですか?最初冗談かと思いましたよ、プロジェクト責任者の方がリモート勤務と聞いて」
僕には責任者という名前がついていて、確かに内容に関する責任と権限を持っているが、対外的な仕事は全て同期の松本が肩代わりしていた。
「……こればっかりは人事の事なので、どうなんでしょうね」
そうだ。在宅勤務も三年を超えた。出口部長は”まあまず三年やってみてその後を考えよう、上にも取りまとめてその頃報告をする”と言っていた。三年を超えて最初の評価面接が明日だ。


”部屋に戻ってみたけど大丈夫だったよ!安心してね”
夕方スマホを確認すると、キキョウから短文のメッセージが来ていた。
”それなら良かった。外出の時は気を付けて”
全くの別世界にいるみたいだ。僕の部屋にいるキキョウと今僕がいる本社の5階。噛み合うことが無さ過ぎて虚空に投げ出された気持ちになる。
もし僕が本社勤務になったら。いや、春までキキョウが僕と一緒にいると考える方が不自然だ。

「ひっちゃん!終わったか?行こうぜ」
顔を上げると松本がいた。
「あ、彼女に連絡してた?」
「いや、大丈夫だよ。行こう。」
「場所、お前が泊まるホテルの側にしといたから」
「悪いなまっつん」
「いいって事よ、チェックインしてからいこうぜ」
楠さんに声を掛けると、
「19時集合でしょ?部長捕まえてくるから、先に行っといて!予約は私の名前ね」
そう言われたので、僕と松本はエレベータに乗り込んだ。
「あの顔は本気で仕事してる時の顔だな」
松本が呟く。
「そんなのも分かるのかよ」
「何だかんだ長い付き合いだからな~。ユリとも、お前とも」
「そうだな」
付き合いが長いだけじゃない、松本は人の様子を読み取る術に長けている。だから彼がいると部署の人間関係が円滑に行くし、対外的にも良い印象を与えて帰ってくる。
「……ま、でも、役には立たんよこんなのは。気づいたってこっち向いてくれるわけじゃないからな」
うつむいて鼻の頭を掻きながら松本は笑った。
「え⁈……まっつん、そうだったのか!楠さんを??」
「ひっちゃんまでそんなこと言うのかよ~。わかりやすくしてるつもりなんだけどなあ」
ずっとふざけたやり取りばかりしているから全く気付かなかった。
「いつからだよ」
「1年目の時から」
「マジかよ……まっつん、彼女いただろ?」
「いたけど……」

エレベータを降り、正面玄関に向かう。
「あ、寺島常務……じゃない専務だ」
僕らは立ち止まり、エントランスロビーの隅で専務が社外の人と挨拶し終えるのを待った。
小声で松本に訊く。
「寺島さん、今年度から専務になったんだよな」
「そう。今の社長とは方向性が微妙に違うから、結構派閥がができちゃっててさ、俺みたいな誰とも上手くやりたい人間は迷惑してる」
寺島専務は、僕が辞めようとしていた時は常務で、昇進したばかりの出口部長が僕の事で掛け合ったのも寺島さんだった。だから上の人ではあるが、僕は寺島専務に直接会って話をしたことがある。
挨拶を終えた寺島専務が秘書を伴ってエレベータの方へ向かってくる。ということは自然と専務が僕たちの近くを通ることになる。僕と松本は軽く頭を下げた。
「……おや、櫃木君じゃないか!」
どうして僕を覚えているのだろう。寺島専務に声を掛けられてしまった。
僕も松本も専務から声を掛けられるような役付きではない。係長と係長代理なんて肩書がついてはいるが、プロジェクトを受け持つのに社外に顔が立たないからついているだけだ。隣で松本がギョッとした顔をしているのが見なくても分かる。
「寺島専務、ご無沙汰しております」
「在宅勤務はどうかな?」
「はい、おかげ様でフレキシブルに時間を使って働かせて頂いております」
「きちんと結果も出していると出口から聞いているよ。本社でもそのノウハウを共有してもらう日も近いかもしれないな。引き続き変わらず頑張ってくれたまえ。また近いうちに会おう」
「……はい、ありがとうございます」
近いうちに会おう?
僕は専務の言葉の真意を計りかねたまま頭を下げた。頭を上げると専務は役員用エレベータに秘書と乗り込むところだった。
「まっつん、行こう」
「ひ、ひっちゃん、何でお前専務に覚えられてんの⁈」
本社ビルを出て早足で宿泊するホテルに向かった。
「一度だけ、話したことがあるんだ。地元に戻る前に」
「ああ、在宅勤務の件で?」
「でも、それだけだぜ?四年近く前の話だよ」
「やっぱり上に立つ人は一度会った人のの顔と名前覚えてるって言うけど、ああいう伝説はほんとなのかもな……」
今から出口部長とも会う。明日も評価面接だ。チャンスがあれば専務の言葉の意図を聞いてみよう。
ざわざわした気持ちのまま、僕はホテルのチェックインを済ませた。


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