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第13話 「静拳」
しおりを挟む夜明け前の空気は、まだ冷たかった。
仮眠室の小さな窓から、淡い光が差し込む。白み始めた空が、静かに世界の輪郭を浮かび上がらせていた。
ホークスはゆっくりと目を開ける。
数秒、天井を見つめたまま動かない。
呼吸を整える。
吸って、止めて、吐く。
身体の内側に意識を沈めると、昨日まで振るい続けた黒鉄の重みが、まだ背骨の奥に残っているのが分かった。
上体を起こし肩を回す。首を鳴らす。腰を捻る。
――腰に鈍い痛み。
「……来てるな」
小さく呟き、水差しを手に取る。冷たい水が喉を通る。内側が洗われる感覚。
今日は戦う日だ。
黒い大剣には触れない。
今日はまず、身体を整える。
静かな廊下を歩き、訓練所へ向かった。
■静拳
朝の訓練所は、人の気配が薄い。
土の匂い。夜露を含んだ空気。まだ陽が昇り切らない薄明。
その中央に、一人の男が立っていた。
身長は180センチ程。服の上からでもわかる無駄のない筋肉。磨かれた石のような肌。スキンヘッドに朝日が淡く反射する。
動いていない。
だが、そこにいるだけで空気が整っている。
Sランクモンク――
“静拳”カルム。
ホークスは歩み寄り、静かに頭を下げる。
「カルムさん、おはようございます」
カルムは穏やかに微笑む。
「おや、ホークスさん。お帰りなさい。魔界からご無事で何よりです」
その声には誇張がない。ただ事実を喜ぶ温度だけがある。
「ありがとうございます。……あちらでも世話になりました」
「いえ。生きて戻られた。それが何よりです」
ホークスは視線を上げた。
「身体を温めたいので素手で手合わせ、お願いできますか?」
カルムは快く引き受け答える
「軽くでよろしければ」
二人は広場中央へ移動する。
距離、三歩。
お互い構える、ホークスは機能的な構えを、
カルムは自然体。拳を握らず、ただ置いている。
「来なさい」
言葉は柔らかい、だが隙は無い。
ホークスが踏み込む。
床を蹴る音が小さく弾ける。
ホークスの正拳突き。
カルムは半歩だけ横へ滑る。最小限の移動。腕で“受ける”のではない。“流す”。
衝撃が逃がされる。
間髪入れず、ホークスは上段回し蹴り。
カルムはわずかに重心を落とし、蹴りの軌道を逸らす。
空を切る。
ホークスの攻撃は速い。
だが――
当たらない。
ホークスから放たれる拳と蹴りの連打。
上段、中段、腹部へ散らす。
カルムの腕が、肩が、肘が、触れた瞬間に軌道を変える。
打ち込んでいるのに、衝撃が伝わらない。
まるで水面を殴っているようだった。
ホークスは距離を取る。わずかに呼吸が荒い。
「……少し、動きのキレが悪いですね」
カルムは淡々と言う、だが未熟さを責める響きはない。
「身体の調子を見ましょうか?」
「……お願いします」
(カルムさんには見抜かれていたか、流石だ)
■流れを整える
休憩スペースの木製ベンチ。
ホークスは上着を脱ぎ、深く息を吐く。
柔軟を始める。
股関節、背筋、肩甲骨。
カルムは背後に回り、静かに観察する。
「……腰と背中ですね」
触れられる前に、言い当てられた。
「当たりです」
カルムは指先に闘気を集める。
淡い、透明に近い気配。
熱ではない。圧でもない。
“流れ”。
カルムは指先で闘気の流れを作りながら指で腰に触れる。
軽く押す。瞬間、内部で何かが弾ける感覚。
ホークスは目を閉じる。痛みはある。
だが嫌な痛みではない。
滞っていたものが、ゆっくりとほどけていく。
「……戦場の匂いが残っていますね」
カルムがぽつりと言う。
「匂い?」
「ええ。緊張が筋に染みついている」
背中をなぞる指が、闘気と共に流れを作る。
腰から背へ、背から肩へ。
血が巡る音が、内側で聞こえるような錯覚。
「今日、最前線に向かいます」
ホークスは目を閉じたまま言う。
「アルクと一騎討ちです」
「………ほぅ?」
一瞬指が止まる。
だが、すぐに再開する。
「……アルクですか」
声が低くなる。
「昔、会ったことがあります。境界線近くで」
カルムの指が、肩甲骨の奥を押す。
「素手で手合わせを望まれました」
ホークスは好奇心からカルムに質問する。
「どうなりました?」
「闘技を使わず勝てましたよ」
穏やかに言う。
だが、次の言葉は静かに重い。
「一発でも受けていたら、どうなっていたか分かりません」
ホークスは目を開ける。
「モンクのそれではない。戦士の格闘術でした」
短い沈黙が走る。
「強く、立派な男でした。人を引きつける器を持っていましたね」
「ええ」
ホークスは頷く。
「アルクとは魔界で共闘しました。俺も知っています」
「共闘ですか……」
カルムの闘気が、最後の流れを整える。
背中の奥が軽くなる。
「……もう痛みは?」
「ほとんど無いです」
ホークスは立ち上がり身体を確認する。
身体が軽い、滞っていた血が巡っている。
カルムは手を合わせる。
「気を張りすぎないことです」
「……難しいですね」
小さく笑う。
数秒、朝の光が二人を照らす。
「ご無事を祈っています」
「ありがとうございます」
ホークスは一礼し、訓練所を後にする。
足取りは静かだが、迷いはない。
背中が遠ざかる。
カルムはその背を見送り、拳を軽く握る。
指の節に、古い傷跡がいくつも残っている。
戦場を知る拳。
「戦友との一騎討ちですか……気負わなければいいのですが」
カルムはホークスの心境を心配し続けて静かに、呟く。
「……どちらが勝っても、惜しい人を失いますね」
朝日が完全に昇る。
影が消える。
嵐の前の、静けさだった。
第13話――終――
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