【完結】マザコンな婚約者はいりません

美豆良ゆい

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第16話

「ところで、マーティン殿のお加減はどうですか?」
 伯爵が聞くと、ハーパー侯爵は驚いた表情をした。

「……ご存じでしたか。今はだいぶ良くなりました。後ほどこちらに呼びましょう。今回のことを聞いてシェリー嬢が気がかりだと申しておりましたから」

「マーティン様……ありがたいことです」
 マーティンは自分が倒れてたいへんな状況で、それでも案じてくれていることにシェリーは感謝した。

 ハーパー侯爵はとうとう本題を切り出した。
「婚約破棄の件、デューイがとんでもないことをしでかしたようで、たいへん申し訳ない」

 カヴァデール伯爵は真剣な表情になって言った。
「侯爵は手紙で婚約継続を希望されていたが、その気持ちは今でも変わらないのですか?」

 それを聞くと侯爵はすこし困った表情で答える。
「ええ……私としてはどうにか継続をお願いしたいと思っています。デューイは次男で継げる爵位がなく、今からあらたに婿入り先を探すのはむずかしいでしょう。それにシェリー嬢は真面目で素晴らしいお嬢さんだ。婿入り先としてカヴァデール伯爵家はこれ以上ない相手です。
こちらでデューイの再教育をおこないますし、もちろんシェリー嬢を傷つけた慰謝料もお支払いするつもりです」

「再教育ですか……シェリーから聞いた話ではデューイ殿は課題も自分でやらずに、ずっとシェリーにやらせていたようですが、失礼ながらご子息は教育を受けるつもりがあるのでしょうか?」

 それを聞いた侯爵は青ざめてつぶやいた。
「課題をシェリー嬢にやらせていた……?」

「侯爵はご存じなかったようですな。実は当方も先日娘に聞いて驚愕したばかりです。事情をシェリーに説明させてもよろしいでしょうか?」

「ええ……お願いします」

 父と侯爵の視線を受けて、シェリーはいままでデューイから受けた仕打ちとハーパー侯爵夫人との関係を詳細に話した。
 シェリーはぜったいにディーイとの婚約継続を避けたかったので、相手がデューイの父親であっても配慮せずに正直に伝えた。

 シェリーの話を聞き終えた侯爵は、先ほどよりもさらにひどい顔色になっていた。
 しばらく沈黙したのち、顔をあげて伯爵とシェリーを順に見て言った。

「申し訳ない。妻と息子がシェリー嬢にそのようなふるまいをしていたとは……監督できていなかった私の責任です。……妻は我が子を溺愛していて、私はデューイを妻にまかせきりにしていた。本当に申し訳ない」

 カヴァデール伯爵はすっかり意気消沈したハーパー侯爵にたずねた。
「ハーパー侯爵、わかっていただけましたかな? この婚約は継続不可能だと考えますが、いかがでしょう?」

「デューイが公衆の面前で大々的に婚約破棄を告げていたとは……学園には王太子殿下をはじめ、影響力のある貴族子弟が多いというのに。しかも、勝手にあたらしい婚約者を作るなど……これでは感情的にも状況的にも婚約継続はむずかしいでしょうね」
 言うと侯爵は頭を振って、大きくため息をついた。

 シェリーは侯爵の返答を聞いて心底ほっとした。
 絶えずシェリーを支配していた不安から、ようやく解き放たれた気分だった。

「ただ一点お願いがあります」
 ふいにハーパー侯爵が秀麗な顔に深刻な表情を浮かべて言った。

 伯爵がいぶかしげに聞く。
「なんでしょう?」

「正式に婚約解消することを、しばらく内密にしていただけないでしょうか? 特に妻とデューイの耳には入れないでいただきたい。申し訳ないが我が家の事情で理由は言えないのですが、どうかお願いしたい」

 カヴァデール伯爵はひげを触りながら思案していたが、しばらくして侯爵に告げた。
「先に婚約解消にまつわる手続きを進められるのなら、内密にいたしましょう」

「感謝します。手続きは早急に手配しましょう」

 ハーパー侯爵夫人とデューイには特に内密にする必要がある事情とはなんだろう、とシェリーは不思議に思った。先ほど感じた屋敷に漂うピリピリした空気もそれに関係するものなのだろうか。
 考えていると、侯爵は使用人にマーティンを呼びに行かせた。


「お久しぶりです」

 やってきたマーティンを見て、シェリーは驚いた。
 顔色が悪く、青ざめているというよりは、黒ずんでいる。
 ――内臓でも悪くされたのかしら?

 シェリーは驚きを顔に出さないように努め、立ちあがって丁寧にあいさつした。
「マーティン様、お久しぶりです。お見舞いもできず申し訳ありませんでした。本日お目にかかれてうれしく思います」

「侯爵領までわざわざ来てくれて、ありがとう。遠かったでしょう? シェリー嬢、弟がすまない」
 マーティンは申し訳なさそうに言った。

 マーティンもシェリーも銀髪であるが、灰がかったシェリーの銀髪と違い、マーティンの銀髪は白みが強い明るい色をしている。
 久しぶりにマーティンに会って、兄は腰が低い人なのにどうして弟はあんな風なのだろう、つくづく似ていない兄弟だとシェリーは思った。

 伯爵にもあいさつをして、また弟の件を謝罪すると、ようやくマーティンはソファーに腰掛けた。
 侯爵から婚約解消が決定したこと、デューイのシェリーへの仕打ちを聞くと、ますます申し訳なさそうに謝罪を繰り返した。

 シェリーはその様子にかえって申し訳ない気持ちになって、マーティンにたずねた。
「マーティン様、体調は大丈夫なのですか?」

 マーティンはほがらかに答える。
「ああ、もうだいぶ良くなったよ。日中はずっと起きていられるしね。医者も順調だと言っている」

「そうですか……安心いたしました。マーティン様が倒れられたことを先日耳にしたばかりで、驚きました」

「ああ……あまり人に言っていないからね。心配をかけてすまなかった」

 マーティンがすこし気まずそうに答え、侯爵も固い表情をしているのを見て、シェリーはこれも聞かない方が良い話だったのかと申し訳なく思った。

 マーティンのお茶が運ばれてくる。
 彼は口をつける前に銀のスプーンでゆっくりと紅茶をかき混ぜていた。

 シェリーはマーティンの爪を見た。
 ――黒ずんでいる。

 シェリーは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
 自分のなかで情報の断片がつながっていく。

 シェリーも以前、自分の爪が何本か黒ずんでいるのを発見したことがあった。
 そのときは、どこかにぶつけたのだろうとあまり気にせず、侍女にお願いしてうすく爪紅を塗ってもらってごまかしたのだった。

 陶器のスプーンに銀のスプーン、黒ずんだ爪……。
 ――ハーパー侯爵夫人に嫌われている銀髪の二人。

 高速で回転する思考にシェリーはめまいがした。ぐるぐると視界がまわりはじめて耐えられず目をぎゅっとつぶった。暗闇のなか、自分の仮説に確信を深めると、とうとう目を開けて言った。

「おそれいりますが、人払いをお願いいたします」
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