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春も終わりを迎えたこの時期、狭山村にはせわしない空気が村全体を覆っていた。
毎年恒例のあの祭りの準備に、村人達全員がかかりきりだからだ。
二日連続で燃やし続ける櫓を組んだり、祭り参加者に対しての食事の材料の確保を自分達の畑仕事の合間に準備をする者や、終わってからする者。それぞれが世話しなく祭りに向け着々と準備に取り掛かる。
おいちの家は、去年喪に服していたので祭りには参加しなかったが今年の祭りは出ることが出来る。参加できるとはいえ、家族はあまり乗り気ではなかった。去年、おいちの葬式を手早く行ったのだがなんせ遺体不在の葬式。参列してくれた村人たちにばれぬようにするのは一苦労だった。死因の説明も風邪をひき肺炎を起こして亡くなったという事にしている。勿論、見せてはならぬあの赤子。あめと梅二が家から連れ出し子守をしていたという訳だ。葬式一つについた沢山の嘘でほとほと疲れてしまった家族は、今年の祭りの参加を躊躇していた。
「俺が出るよ」
梅二が言った。
「普段通りにしていた方がいいからね。それでなくても、葬式の時から変な目で見ている奴らが何人かいるんだ。だから、俺が出る」
梅二は何らかの責任を感じているのか。囲炉裏の前に集まった家族の前でそう話した。
「そうかい。じゃあ悪いけど梅二頼むね」
母親は、腕に幼子を抱きあやしながら頼んだ。この幼子、歳は昨日で一歳になった。何にでも興味が出る危なっかしい時期で目が離せない。母親は、ゆきの子供と知らずとても可愛がっている。名前を付けたのも母親だ。名は雄一郎。雄一郎は、大きな病気もせずすくすくと元気に育っていた。
「本当にいいのか」
梅二が祭りに参加することを再確認して来たのは父親だった。父親は、あの日以来めっきり話さなくなった。あの日・・・梅二が子供を交換した日。
少しだけ梅二はドキリとした。
恐らく父親だけは知っている。梅二が子供を交換したことを。その証拠に、雄一郎を一切抱かない。あやしもしないし名前も呼ばない。
「うん」
「そうか」
「じゃあ。俺が準備してやるよ」
利一は、梅二が祭りの時に着る着物やひょっとこの面を出すため納戸の方へ行ったので梅二もそれに続く。
そして祭り当日。
ひょっとこの面を被った梅二は祭りに出かけた。
今日は雲一つないとてもいい天気だった。
朝の涼しいうちに家を出た梅二は、櫓が組まれている場所へ向かった。祭りは夕方から始まるのだが、何となく落ち着かない梅二は早く家を出たのだ。
櫓が組まれている場所まで来ると、梅二のように早くから来ている男達が何人かいる。その男達は何をする訳でもなくただ、櫓の近くに腰を下ろしているだけだった。
梅二は、なるべくその男達から離れた位置に座ろうと場所を探していた時、こんな会話が聞こえてきた。
「なあ聞いたかい?」
「なにを」
「何でも、山岸家の初孫、ものを言わないそうだ」
「ほんとかい」
「ああ。言葉をしゃべらないばかりか声も出さないらしい」
「そりゃあ気の毒だな」
「だから、まだ一歳なのに物書きを教えてるそうだよ」
「一歳で書けるかねぇ」
「でも、喋れねぇんじゃそれしか方法はないからな」
「ふ~ん」
梅二は固まった。
(姉ちゃんの子供が喋れない?声も出ない?そんな事があるか。あんなに元気に泣いたり声も出してたのに)
ひょっとこの面を被っているので話している男達がどこの誰だか分からない。梅二はもっと話が聞けるのではと思い近くに座る。
しかし残念な事に、その男達からもうおいちの子供の話題は出なかった。
(そんな・・・病気になって声が出なくなったのか?)
梅二は胸を締め付けられるような切ない気持ちになる。
おいちは、佐一郎からの裏切りに会い子供まで産んだ。その子供が声も出せず話すことも出来ない。それなのに、ゆきの子供は病気一つせず元気に育っている。
(何で姉ちゃんばかりそんな目に合わなくちゃいけないんだ)
あのゆきという女の事は、梅二は詳しくは知らないがおいちに白無垢を着せ二人を選ばせるような祝言を挙げたような女だ。いい女なはずはない。
ちょっとだけ、ちょっとだけ溜飲が下がることと言えば自分の子供と信じてゆきが育てているのがおいちの子供と言う事。
しかしその子供が・・・
梅二は心配だった。
陽が高くなり正午ぐらいだろうか、櫓の近くに座っていた男達が腰を上げどこかへ行ってしまった。昼飯でも食べに帰ったのか・・・
しかし、梅二はその場所から動かなかった。
昼飯よりも、おいちの子供が心配だったからだ。梅二が心配してもどうにもならない事は分かっている。でも、あんな話を聞いたら考えずにはいられない。自分で交換したとはいえ、おいちの忘れ形見なのだから。
どぉん。どぉん。どぉん。
大きな太鼓の音がした。
驚いて辺りを見回すと、すっかり日が陰り夕方になってしまっていた。
祭りが始まるようだ。
気づくと、梅二の周りには祭りに参加する男達で溢れかえっている。
梅二は余程考えに没頭していたのか、周りの変化に全く気がついていなかった。
櫓に火が放たれる。
パチパチパチという火のはぜる音が、次第にごうごうと唸りをあげる音に変わる。
リズムを取らない太鼓の音が鳴り出した。祭りの始まりである。
梅二は、思い思いに櫓の周りを踊りながら回る男達の中に入り一緒になって踊り出した。この祭りは、五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全を願いながら行う祭りだが、今の梅二の願いはそんな事ではない。
早くおいちの亡骸を崖下から見つけたかった。あの日からも、父親と利一、梅二の三人で毎日おいちを見つけに足を運ぶがどうしても見つからない。範囲を広げてみても、遠くから岸壁を眺めるようにして見てもどこにもいないのだ。
次第に父親と利一は、梅二の言っている事を疑うようになった。
梅二は必死に自分の見た事を説明し、本当だ。信じてくれと話すが、もう今は梅二以外崖下に行って探す者はいなくなった。
その代わり、家族は「おいちは子供を置いて、どこかで一人で暮らしている」そんなバカげた考えに染まっていった。
(どうして姉ちゃんが見つからないのか・・・もし、あの崖の途中のどこかに引っかかっているにしてもあの崖の岸壁は、それ程の凹凸はない。何か見落としているのか。地面に落ちないで木に引っかかってもいない。・・・本当に姉ちゃんどこに行ったんだよ。神様、富木村の神様。どうか、どうか姉ちゃんが見つかりますように)
そんな苦しい胸の内を、この祭りの神に届くよう梅二は必死になりながら踊り続けた。
そして夕食の時間。
櫓の番の人達を残して、他の男達は、女達が用意した握り飯を貰いに当番の家へと向かう。梅二も、必死になって踊ったせいか腹が減って仕方がなかった。
握り飯を貰った梅二は、櫓の近くで食べようと思いそちらへ向かって行く。
「え~?」
「ハハハ」
何処からか楽しそうに話す声が聞こえてきた。
(おかしいな。この祭りは喋る事はご法度なはず。誰だ?喋ってる奴は)
この祭りに強い願いを抱いて参加している梅二にとっては、その浮足立ったような会話が癇に障ったので、どんな奴が話しているのか見てやろうと声のする方へ行って見た。
声の主は、ひょっとこの面を顔からずらし頭の方へと付けている男と、おかめの面をつけた女の二人だった。
その男の顔を見た梅二は体全体に一気に鳥肌が立つ。
おかめの面をつけた女に、馴れ馴れしい口調で話しかけていたのは佐一郎だった。
「あんたの事見かけてね。今日しかないって思ったんだよ」
「本当?」
「疑うのかい?この祭りの決まりを破ってまで話しかけてんだぜ?」
「う~ん」
女の方は困ったような声を出したが、まんざらでもないようだ。
「今度さ、二人で会わない?」
「え?」
「俺、誰も来ない場所知ってるんだ。景色も凄く綺麗でさ。一度見てもらいたいな。絶対気に入ると思うよ」
「そんな場所があるの?・・・そうね。一度だけなら行ってもいいわ」
「ハハハ。良かった。きっと一度だけじゃなく何度でも行きたくなるよ。その時は必ず俺に言ってね。俺、武井村のキッチョウって言う居酒屋にいつもいるからさ。いつでもそこにおいで」
その後も楽しそうな二人の会話は続いた。
その二人の会話を影で聞いていた梅二の体は怒りで震えていた。
(こうやって姉ちゃんにも声を掛けたのか。あの後姉ちゃんは祭りの決まりを破った事を悩んでいた。食事もろくに喉を通らず家族に心配させまいと繕いながら一人で悩んでいた。この男はそんな姉ちゃんの事等知らないだろう。きっと、姉ちゃんが死んだことも・・)
梅二の手の中の握り飯は、強く握りしめられボロボロになっていた。
櫓の火を受けながら楽しそうに話す二人を、強い眼差しで見つめていた梅二の目からは何筋もの涙が流れひょっとこの面の下から滴り落ちていた。
どぉん。どぉんと祭りの開始の合図が鳴る。
わらわらと男達がまた櫓の周りに集まり、規則的な太鼓の音に合わせて踊り出す。梅二も一緒になり踊るが、今の梅二の踊りには先程とは違うある決意を胸に込めた踊りになった。
無事、二日間にわたる祭りが終わった。
暫くの間、梅二は静かに生活を送っていた。おいちが死んでからというもの、毎日のように物々交換に来ていた男達が二日に一回、三日に一回と次第に来る数が少なくなっていっていた。そのため、梅二の仕事がめっきり減ってしまったので代わりに、父親と利一と一緒に畑仕事に行っていた。
今年の祭りが終わり、三カ月が経った頃。
夕食を食べ終わった家族たちが、囲炉裏の周りでゆっくりとくつろいでいる時、梅二は切り出した。
「みんな。聞いてほしいことがある」
父親はお茶を飲み、母親とあめは雄一郎の相手をし、利一は囲炉裏の火の調節をしていた。突然梅二が神妙な顔で話し出したので、皆手を止め梅二を見た。
「俺、この家を出ようと思うんだ」
「え?どうして?」
「一人でどこまで出来るのか試してみたい」
「そんな・・・」
「一人でって、当てはあるのかい?」
母親が心配そうな顔で聞く。
「そんなのはない。裸一貫でこの家を出て、一人で生きて行けるか挑戦したいんだ」
「やめとけよ。この家で皆と一緒にいた方がいいって」
「利一兄ちゃんは、この家の長男だ。だからこの家にいる道理も分かるが、俺は次男だ。やっぱりちゃんと独り立ちしたほうがいいと思う」
「でもね梅二。もう少し・・そうね。後三年位経った頃からでも良くはないかい?」
母親は、何とかしてでも引き止めたいようだ。
「いや。俺ずっと考えてたんだ。だから明日、この家を出るよ」
「明日って・・またそんな急に・・」
母親はもう泣きそうな顔になっている。
「そうだな。梅二が考えて決めた事だ。自分の好きなようにやってみなさい」
今まで黙っていた父親が口を開いた。
この父親の鶴の一声で、梅二が明日家を出る事に対して誰も反対しなくなった。
パチンと囲炉裏の火がはぜる。
時間が経ち、囲炉裏の所にいるのは梅二と父親の二人だけになった。
母親は雄一郎を寝かしつけており、あめと利一はもう床についた。
父親も梅二も何も喋らずに、床板に座りジッと囲炉裏の火を見つめている。天井から下がる吊り縄にぶら下がるやかんは、炉の火を受け緩やかに湯気をたてていた。
父親は、そのやかんを取り自分の湯飲みへお湯を注ぐ。
「お前も飲むか」
「うん」
梅二は自分の目の前にいる父親の方へ湯飲みを差し出した。父親は黙ってその湯飲みにお湯を注ぐ。
注がれたお湯を熱そうに飲もうとしていた梅二に、父親は
「気を付けるんだぞ」
と小さく言った。
梅二は、父親の言った言葉にいろんな思いが込められているのがすぐに分かった。梅二が赤子の交換を実行した日もそうだ。何を聞くわけでもなく一言。「見つかるなよ」とだけ言った。恐らく父親は全て分かっているのだろう。何故梅二が家を出るのか。これから何をやるのかを。
「うん」
梅二は返事をすると、熱いお湯を一気に喉に流し込んだ。
毎年恒例のあの祭りの準備に、村人達全員がかかりきりだからだ。
二日連続で燃やし続ける櫓を組んだり、祭り参加者に対しての食事の材料の確保を自分達の畑仕事の合間に準備をする者や、終わってからする者。それぞれが世話しなく祭りに向け着々と準備に取り掛かる。
おいちの家は、去年喪に服していたので祭りには参加しなかったが今年の祭りは出ることが出来る。参加できるとはいえ、家族はあまり乗り気ではなかった。去年、おいちの葬式を手早く行ったのだがなんせ遺体不在の葬式。参列してくれた村人たちにばれぬようにするのは一苦労だった。死因の説明も風邪をひき肺炎を起こして亡くなったという事にしている。勿論、見せてはならぬあの赤子。あめと梅二が家から連れ出し子守をしていたという訳だ。葬式一つについた沢山の嘘でほとほと疲れてしまった家族は、今年の祭りの参加を躊躇していた。
「俺が出るよ」
梅二が言った。
「普段通りにしていた方がいいからね。それでなくても、葬式の時から変な目で見ている奴らが何人かいるんだ。だから、俺が出る」
梅二は何らかの責任を感じているのか。囲炉裏の前に集まった家族の前でそう話した。
「そうかい。じゃあ悪いけど梅二頼むね」
母親は、腕に幼子を抱きあやしながら頼んだ。この幼子、歳は昨日で一歳になった。何にでも興味が出る危なっかしい時期で目が離せない。母親は、ゆきの子供と知らずとても可愛がっている。名前を付けたのも母親だ。名は雄一郎。雄一郎は、大きな病気もせずすくすくと元気に育っていた。
「本当にいいのか」
梅二が祭りに参加することを再確認して来たのは父親だった。父親は、あの日以来めっきり話さなくなった。あの日・・・梅二が子供を交換した日。
少しだけ梅二はドキリとした。
恐らく父親だけは知っている。梅二が子供を交換したことを。その証拠に、雄一郎を一切抱かない。あやしもしないし名前も呼ばない。
「うん」
「そうか」
「じゃあ。俺が準備してやるよ」
利一は、梅二が祭りの時に着る着物やひょっとこの面を出すため納戸の方へ行ったので梅二もそれに続く。
そして祭り当日。
ひょっとこの面を被った梅二は祭りに出かけた。
今日は雲一つないとてもいい天気だった。
朝の涼しいうちに家を出た梅二は、櫓が組まれている場所へ向かった。祭りは夕方から始まるのだが、何となく落ち着かない梅二は早く家を出たのだ。
櫓が組まれている場所まで来ると、梅二のように早くから来ている男達が何人かいる。その男達は何をする訳でもなくただ、櫓の近くに腰を下ろしているだけだった。
梅二は、なるべくその男達から離れた位置に座ろうと場所を探していた時、こんな会話が聞こえてきた。
「なあ聞いたかい?」
「なにを」
「何でも、山岸家の初孫、ものを言わないそうだ」
「ほんとかい」
「ああ。言葉をしゃべらないばかりか声も出さないらしい」
「そりゃあ気の毒だな」
「だから、まだ一歳なのに物書きを教えてるそうだよ」
「一歳で書けるかねぇ」
「でも、喋れねぇんじゃそれしか方法はないからな」
「ふ~ん」
梅二は固まった。
(姉ちゃんの子供が喋れない?声も出ない?そんな事があるか。あんなに元気に泣いたり声も出してたのに)
ひょっとこの面を被っているので話している男達がどこの誰だか分からない。梅二はもっと話が聞けるのではと思い近くに座る。
しかし残念な事に、その男達からもうおいちの子供の話題は出なかった。
(そんな・・・病気になって声が出なくなったのか?)
梅二は胸を締め付けられるような切ない気持ちになる。
おいちは、佐一郎からの裏切りに会い子供まで産んだ。その子供が声も出せず話すことも出来ない。それなのに、ゆきの子供は病気一つせず元気に育っている。
(何で姉ちゃんばかりそんな目に合わなくちゃいけないんだ)
あのゆきという女の事は、梅二は詳しくは知らないがおいちに白無垢を着せ二人を選ばせるような祝言を挙げたような女だ。いい女なはずはない。
ちょっとだけ、ちょっとだけ溜飲が下がることと言えば自分の子供と信じてゆきが育てているのがおいちの子供と言う事。
しかしその子供が・・・
梅二は心配だった。
陽が高くなり正午ぐらいだろうか、櫓の近くに座っていた男達が腰を上げどこかへ行ってしまった。昼飯でも食べに帰ったのか・・・
しかし、梅二はその場所から動かなかった。
昼飯よりも、おいちの子供が心配だったからだ。梅二が心配してもどうにもならない事は分かっている。でも、あんな話を聞いたら考えずにはいられない。自分で交換したとはいえ、おいちの忘れ形見なのだから。
どぉん。どぉん。どぉん。
大きな太鼓の音がした。
驚いて辺りを見回すと、すっかり日が陰り夕方になってしまっていた。
祭りが始まるようだ。
気づくと、梅二の周りには祭りに参加する男達で溢れかえっている。
梅二は余程考えに没頭していたのか、周りの変化に全く気がついていなかった。
櫓に火が放たれる。
パチパチパチという火のはぜる音が、次第にごうごうと唸りをあげる音に変わる。
リズムを取らない太鼓の音が鳴り出した。祭りの始まりである。
梅二は、思い思いに櫓の周りを踊りながら回る男達の中に入り一緒になって踊り出した。この祭りは、五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全を願いながら行う祭りだが、今の梅二の願いはそんな事ではない。
早くおいちの亡骸を崖下から見つけたかった。あの日からも、父親と利一、梅二の三人で毎日おいちを見つけに足を運ぶがどうしても見つからない。範囲を広げてみても、遠くから岸壁を眺めるようにして見てもどこにもいないのだ。
次第に父親と利一は、梅二の言っている事を疑うようになった。
梅二は必死に自分の見た事を説明し、本当だ。信じてくれと話すが、もう今は梅二以外崖下に行って探す者はいなくなった。
その代わり、家族は「おいちは子供を置いて、どこかで一人で暮らしている」そんなバカげた考えに染まっていった。
(どうして姉ちゃんが見つからないのか・・・もし、あの崖の途中のどこかに引っかかっているにしてもあの崖の岸壁は、それ程の凹凸はない。何か見落としているのか。地面に落ちないで木に引っかかってもいない。・・・本当に姉ちゃんどこに行ったんだよ。神様、富木村の神様。どうか、どうか姉ちゃんが見つかりますように)
そんな苦しい胸の内を、この祭りの神に届くよう梅二は必死になりながら踊り続けた。
そして夕食の時間。
櫓の番の人達を残して、他の男達は、女達が用意した握り飯を貰いに当番の家へと向かう。梅二も、必死になって踊ったせいか腹が減って仕方がなかった。
握り飯を貰った梅二は、櫓の近くで食べようと思いそちらへ向かって行く。
「え~?」
「ハハハ」
何処からか楽しそうに話す声が聞こえてきた。
(おかしいな。この祭りは喋る事はご法度なはず。誰だ?喋ってる奴は)
この祭りに強い願いを抱いて参加している梅二にとっては、その浮足立ったような会話が癇に障ったので、どんな奴が話しているのか見てやろうと声のする方へ行って見た。
声の主は、ひょっとこの面を顔からずらし頭の方へと付けている男と、おかめの面をつけた女の二人だった。
その男の顔を見た梅二は体全体に一気に鳥肌が立つ。
おかめの面をつけた女に、馴れ馴れしい口調で話しかけていたのは佐一郎だった。
「あんたの事見かけてね。今日しかないって思ったんだよ」
「本当?」
「疑うのかい?この祭りの決まりを破ってまで話しかけてんだぜ?」
「う~ん」
女の方は困ったような声を出したが、まんざらでもないようだ。
「今度さ、二人で会わない?」
「え?」
「俺、誰も来ない場所知ってるんだ。景色も凄く綺麗でさ。一度見てもらいたいな。絶対気に入ると思うよ」
「そんな場所があるの?・・・そうね。一度だけなら行ってもいいわ」
「ハハハ。良かった。きっと一度だけじゃなく何度でも行きたくなるよ。その時は必ず俺に言ってね。俺、武井村のキッチョウって言う居酒屋にいつもいるからさ。いつでもそこにおいで」
その後も楽しそうな二人の会話は続いた。
その二人の会話を影で聞いていた梅二の体は怒りで震えていた。
(こうやって姉ちゃんにも声を掛けたのか。あの後姉ちゃんは祭りの決まりを破った事を悩んでいた。食事もろくに喉を通らず家族に心配させまいと繕いながら一人で悩んでいた。この男はそんな姉ちゃんの事等知らないだろう。きっと、姉ちゃんが死んだことも・・)
梅二の手の中の握り飯は、強く握りしめられボロボロになっていた。
櫓の火を受けながら楽しそうに話す二人を、強い眼差しで見つめていた梅二の目からは何筋もの涙が流れひょっとこの面の下から滴り落ちていた。
どぉん。どぉんと祭りの開始の合図が鳴る。
わらわらと男達がまた櫓の周りに集まり、規則的な太鼓の音に合わせて踊り出す。梅二も一緒になり踊るが、今の梅二の踊りには先程とは違うある決意を胸に込めた踊りになった。
無事、二日間にわたる祭りが終わった。
暫くの間、梅二は静かに生活を送っていた。おいちが死んでからというもの、毎日のように物々交換に来ていた男達が二日に一回、三日に一回と次第に来る数が少なくなっていっていた。そのため、梅二の仕事がめっきり減ってしまったので代わりに、父親と利一と一緒に畑仕事に行っていた。
今年の祭りが終わり、三カ月が経った頃。
夕食を食べ終わった家族たちが、囲炉裏の周りでゆっくりとくつろいでいる時、梅二は切り出した。
「みんな。聞いてほしいことがある」
父親はお茶を飲み、母親とあめは雄一郎の相手をし、利一は囲炉裏の火の調節をしていた。突然梅二が神妙な顔で話し出したので、皆手を止め梅二を見た。
「俺、この家を出ようと思うんだ」
「え?どうして?」
「一人でどこまで出来るのか試してみたい」
「そんな・・・」
「一人でって、当てはあるのかい?」
母親が心配そうな顔で聞く。
「そんなのはない。裸一貫でこの家を出て、一人で生きて行けるか挑戦したいんだ」
「やめとけよ。この家で皆と一緒にいた方がいいって」
「利一兄ちゃんは、この家の長男だ。だからこの家にいる道理も分かるが、俺は次男だ。やっぱりちゃんと独り立ちしたほうがいいと思う」
「でもね梅二。もう少し・・そうね。後三年位経った頃からでも良くはないかい?」
母親は、何とかしてでも引き止めたいようだ。
「いや。俺ずっと考えてたんだ。だから明日、この家を出るよ」
「明日って・・またそんな急に・・」
母親はもう泣きそうな顔になっている。
「そうだな。梅二が考えて決めた事だ。自分の好きなようにやってみなさい」
今まで黙っていた父親が口を開いた。
この父親の鶴の一声で、梅二が明日家を出る事に対して誰も反対しなくなった。
パチンと囲炉裏の火がはぜる。
時間が経ち、囲炉裏の所にいるのは梅二と父親の二人だけになった。
母親は雄一郎を寝かしつけており、あめと利一はもう床についた。
父親も梅二も何も喋らずに、床板に座りジッと囲炉裏の火を見つめている。天井から下がる吊り縄にぶら下がるやかんは、炉の火を受け緩やかに湯気をたてていた。
父親は、そのやかんを取り自分の湯飲みへお湯を注ぐ。
「お前も飲むか」
「うん」
梅二は自分の目の前にいる父親の方へ湯飲みを差し出した。父親は黙ってその湯飲みにお湯を注ぐ。
注がれたお湯を熱そうに飲もうとしていた梅二に、父親は
「気を付けるんだぞ」
と小さく言った。
梅二は、父親の言った言葉にいろんな思いが込められているのがすぐに分かった。梅二が赤子の交換を実行した日もそうだ。何を聞くわけでもなく一言。「見つかるなよ」とだけ言った。恐らく父親は全て分かっているのだろう。何故梅二が家を出るのか。これから何をやるのかを。
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