惑わし

玉城真紀

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樹海

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「着いた」
なけなしの最後の金を叩いて電車に乗りその後は徒歩で目的地まで来た。何時間歩いたか分からない。今、何時なのかもわからない。夕方・・・分かるのはこれだけだ。
自分が腕にはめている時計は、自分と同じように時を刻むのをやめている。まぁ、今更時間を気にすることもないのだが。
観光客が少なくなっているのには助かった。
薄いコート一枚しか着ていない、みすぼらしい男が一人樹海に入って行ったら通報されかねない。
もう人とは関わりたくなかった。
準備はしている。
来る途中の工事現場から失敬してきたロープ。これだけで十分だろう。
俺は、コートの中に隠し持っているロープをゾロリと触る。
後は、この樹海の中に入りこのロープを使うだけ。簡単な事だ。
「よし」
力の入らない声で気合を入れ樹海に入る。
樹海に入るのは初めての事だ。木々が生い茂り所々地面が隆起している。
奥に進もうと道なき道を進んで行くが、ろくに食事をしていない俺にとっては過酷な登山をしているようだった。
息も上がる。酸素を体に取り込もうと口を開け呼吸をするが上手く入ってこない。
ついに座り込んでしまった。
「はぁはぁはぁはぁ」
自分の顔を口から出た白い息が覆う。
「まだそんなに奥に入ってないのに・・・はぁはぁはぁ。出来ればもっと奥の方で」

誰かが言っていたが、人は自分の死に場所を決める時墓標となる物を見つけると。
俺もそんなものを見つけるために奥に行こうとしているのか。
暫く休んだ後、震える足に力を入れて立ち上がり歩き出す。
でこぼこした足元と、鬱蒼と生える木々。
上を見ると、夕焼けに染まったオレンジ色の空が木の隙間から見える。
「はぁはぁはぁはぁ」
静かだ。鳥の声も人や車の騒音も聞こえない。聞こえるのは俺の荒い呼吸の音のみ。
頭の中では、妻や子供達の事でいっぱいだった。
「何で俺が・・・はぁはぁはぁ・・・何で俺なんだよ」
次第に、解雇されたことに腹が立ってくる。
歩き続けてどの位経ったのか、気が付くともう周りは暗闇が支配していた。俺は立ち止まり、周りを見渡してみる。どの方向を見ても、代わり映えのしない森。自分がどの辺りにいるのかさえも分からない。
「もうここでいいか」
俺は手頃な木を探し始める。
「これでいい」
決めた木は、丁度いい高さに枝が伸びていた。その木の隣には、どうしてそうなったのかは知らないが、隆起した岩がまるで墓標の様にそそり立っている。
最後にふさわしい場所だ。
俺はその木の近くに行き、持っていたロープを結ぼうとした。
「ん?」
何かを蹴った。真っ暗なのでよく分からないが、蹴った後コロコロと転がる音を聞く。
何を蹴ってしまったのか。感触からいってやけに軽い感じだ。
気になった俺は、ロープを結ぶのをやめ暗闇の中地面に這いつくばると自分が蹴った物を手探りで探し始めた。
「これか?」
丸みを帯びた石みたいなものだ。所々穴が開いている。ごつごつした部分・・・
「うわぁっ‼」
俺は、手にしていた物を放り投げた。ソレは頭蓋骨だった。この場所で、先に旅立った人のものなのか。初めて触った人骨に心臓の鼓動が速くなる。
その内可笑しくなってきた。
「フフフ・・・ハハハハハ!」
俺の笑い声が樹海の森に浸透していく。
自分の未来を触り、それに驚いている自分。これほど可笑しいものはない。
暫く笑った後
「さてと・・・俺も続きますか」
ロープを結ぶ作業を再開した。寒さで指先がかじかみ、時間がかかってしまったがなんとか結ぶことが出来た。後は、輪になった部分に自分の頭を入れそのロープに体をゆだねるだけ。何の難しいことはない。
俺はかじかんで痛くなってきた指先を温めるため、コートのポケットに手を入れる。これから死のうとしている人間が手を温めるというのもおかしな話だが。
「ん?」
手に何か当たる。取り出すとウサギのキーホルダーだった。柔らかい素材で作られたピンク色のウサギの頭にチェーンが付いている。娘の物だ。ポケットに入れた覚えがないので、何かの拍子に入ったのだろうか。
「さて、改めて」
手にした輪を目の前にした俺は、その輪から見える向こうの景色が俺が最後に見る景色なんだと実感しながら、ゆっくりと頭を入れた。
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