惑わし

玉城真紀

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立花という男

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「おっさん・・・おっさん・・・」
誰かが俺の体を揺さぶっている。
「おっさん!起きろよおっさん!」
(おっさん、おっさんとうるさい奴だ。誰なんだ俺を起こしているのは)
俺はゆっくりと目を開ける。
真っ暗だった視界に、空の青さが飛び込んでくる。
俺はその明るさに目を細め顔をしかめた。
「おっさん。大丈夫かよ」
俺は声のする方に首を向けると、若い男が座って俺を見下ろしている。
(誰だ?)
俺は男を見ながら考えた。
男は、黒い皮のジャンパーに黒いズボン。黒い靴。全身黒ずくめだ。黒の短髪の髪に、整った顔立ち。世の中で言うイケメンと言う言葉が当てはまるような顔をしている。
「おっさん。まだ死ぬのには早くないか?」
(そうだ。俺は首を吊る為に樹海に入り・・・ロープに頭を通して・・・)
その先の事は思い出せない。
俺は上半身を起こしそっと自分の首元を触る。特に痛みなどは感じない。
「あれ。見てみな」
男は俺の頭上を指さす。その方向を見ると、途中で切れたロープがユラユラと枝にぶら下がっていた。
成る程、俺の体重に耐えきれず切れちまったと言う事か。拾ってきたロープじゃ駄目だったのか。
絶望感と、少しの安堵感を感じていると
「おっさん。死ぬ前に俺と一緒に少しだけ過ごさないか?死ぬのはそれからでも遅くないだろ?」
何も知らないくせに生意気な事を言う。
しかし、何となく憎めない奴だ。笑った顔が少しだけ自分の息子に似ていたからかもしれない。
息子が大人になったらこんな笑顔をするのだろうかと考えながら、俺は男の手を借りて立ち樹海から出た。
不思議な事に男は、俺があてもなく歩いてきた場所から簡単に樹海から抜けた。
しかし、その時の俺は空腹と疲れと眠気で深く考えることが出来ずにいた。男はその事さえも承知とばかりに、ベンチに俺を座らせると近くにある売店から食べ物をたくさん買ってきてくれた。
「ほら、食べなよ」
目の前に出されたおにぎりや焼きそば。この何カ月の間目にしなかった食べ物を出された俺は、それにむしゃぶりつくようにして食べた。
男はそれを黙って見ている。
噛むことを忘れたかのように、俺は食べ物を胃の中に納めると大きく息を吐く。
「ふぅ~」
こんな満足感は久しぶりだ。
腹が満たされると、今度は思考が回復してくる。俺は改めて男を見ると
「ありがとう。でも、今食べた食いもんの金は払えない」
「ハハハ。大丈夫だよ。あんたから金を貰おうなんて思ってないから」
男は楽しそうに笑う。
「何で・・・・」
「は?」
「何で・・・助けたんだ?」
その時の男の顔は俺は忘れないだろう。とても悲しそうな、それでいてどことなく愛おしそうな・・・何とも言えない表情をした。
しかし、すぐに明るい表情に戻ると
「ま、いいじゃん。ただの人助けに理由はないだろ?」
と言った。

確かしそうかもしれないが、俺の場合は助けられても先がない。
この男にとっては良い事をした事になるのだろうが、俺にとっては余計なお世話である。あのロープが切れて死にきれなかったとしても、この寒さの中そのまま寝てしまえば凍死ぐらいは出来たのではないか。それにしても、あの樹海で気を失っていたのによく死ななかったものだ。
俺は黙った。
「おっさんさ、もう何もないんだろ?」
「え?」

何で分かるんだ?それともそんなものなのだろうか。人が自らの死を選ぶ理由は人それぞれだ。病気、いじめ、孤独、他人にとってはそんな事でと思う事もあるだろうが、当人にとっては重要な問題である。その中でズバリ言い当てられたことに少し驚いた。
「死ぬ前に俺と少しだけ一緒にいてみない?」
だから、なんなんだその言い方は。
俺は少しムッとしながら
「一緒に?」
「そう。俺もさおっさんと一緒なんだ。なぁ~んにもない」
「は?」
見た所まだ二十代半ばぐらいの若者が、何もないなんてあり得るか?俺は馬鹿にされているような気がして
「何言ってるんだ。まだ若いだろ?何がなぁ~んにもないだ。ふざけるなよ」
助けてもらったくせに、俺は男に吐き捨てるように言った。
しかし男は、たいして気にした様子もなくケラケラと笑いながら
「本当だって。俺はなぁ~んにもないの。空っぽ!」
(何だこいつ・・・)
癖のない笑顔に、あっけらかんとした物言いが少しだけ気に入った俺は、立花と名乗るこの男と行動を共にしてみることにした。
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