惑わし

玉城真紀

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どうして・・

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後ろ髪を引かれながら俺は家を出ると、飯野の運転するおんぼろ車で買い物に出た。
しかしこの車が半端じゃなかった。停まっている時はいいのだが走っている時に喋ろうものなら舌が血だらけになるんじゃないかと言う程の振動がある。おまけに五月蠅い。ポンポンポンとまるで太鼓をたたいているような音がする。
絶叫マシンに乗った後の様にへとへとになった頃、ようやくスーパーに着いた。
車から降りた時足がフルフルと震えている。
「飯野さん・・・いや~この車・・あの‥何て言うか」
俺は飯野を傷つけないよう・・だが、何か文句の一つでも言ってやりたくて言葉を探す。
「ハハハ。ごめんね田中ちゃん。舌噛まなかった?この車立花ちゃんの車なんだよ。もうだいぶキテるんだけど、買い換えないんだって、気に入ってるんだね~」
「は・・はぁ。立花の・・」
俺は帰ったら立花に文句言ってやろうと思った。
飯野は、盛大に買い物をした。初め愛想が悪かった店員が、最後にはニコニコ笑顔を振りまきながら荷物を車まで運んでくれた位の量を買った。
立花の車は何て言う車かは知らないが比較的小さい車なので、後ろの座席を倒し、運転席と助手席の椅子を少しだけ前に移動させようやく大量の荷物を載せる。
「はぁ~疲れた。よし!帰ろう」
「ああ」
確かに買い物は疲れたが、またこの車に乗って帰らなくてはいけないという事の方が俺にとってはかなり辛い。
「よし」
気合にならない気合を入れ、狭くなった助手席に体を入れた。


「お疲れ~」
辺りは薄暗くなってきている。ようやく帰ってきたようだ。俺の耳には、ポンポンポンという音が余韻の様に残っている。
(もう二度と買い物には行かない)
そう心に誓いながら、荷物を下ろし立花の家の中に次々と運び入れる。途中、佐竹が来てくれたお陰で荷物運びが早く終わったのには助かった。飯野はお礼も言わず不貞腐れた顔していたが。
「じゃ、立花に帰ってきた事言ってくるよ」
部屋の中にいる飯野と佐竹に声を掛け俺は急いで自分の家へと向かった。
立花は自分で言った通り、俺の家の玄関の前で門番のように立って待っていた。
俺の姿を見つけると
「おかえり~大変だったでしょ」
と笑顔で迎える。
一発殴ってやりたい気分だったが
「ああ。かなり大変だったよ」
と、取り敢えずそれだけにとどめておいた。
玄関を開け中にいるちひろに聞こえるよう
「ただいま」
と声を掛ける。
しかし、何の反応もない。人が動く気配も感じない。

俺はちひろの部屋。和室を開け声を掛ける。
「ただいま」
・・・・・・・・・
「田中さんどうした?」
和室の入口で立ちすくむ俺を不思議に思った立花は、家に上がり俺の隣に来て和室を覗き込む。
「⁉」
足の震えが止まらない。立花の車のせいではない。ガクガクと震える足は、一歩でも前に進めるとそのまま崩れてしまうんじゃないかと思う程にやわな感じがした。その震えは次第に全身に広がっていく。
呼吸が早くなり、瞬きもせずソレを見ているせいで涙が滲んでくる。
隣にいる立花も同様のようだ。
ちひろは首をつっていた。
箪笥の一番上の取っ手に紐を括り付け箪笥にもたれかかるようにして両足を前に投げ出し座っている。腕は両脇にだらりと下げ役目を終えた操り人形のようにぐったりとしていた。
「な・・・・なんで・・・」
呼吸と一緒に出たかすれたその言葉は、ちひろには届かない。
初め警戒しながらも、素直に俺の手伝いをしてくれたちひろ。
俺なんかよりもセンスがあり、色々アドバイスをくれるようになったちひろ。
笑顔が出てきて、可愛い八重歯を沢山見せてくれたちひろ。
食事の時、肉より魚が好きと言っていた。でも、それ以上にチョコレートが好きと言って笑ったちひろ。
「チョ・・チョコレート・・・買ってきた・・・」
俺は震える足をゆっくりと擦るように前に出しちひろに近づいていく。
「刺身も・・・」
首がだらりと下がり、長い髪が顔を隠しているので表情が見えない。
一歩ずつ近づく。
ようやく手を伸ばせば触れる位置まで来た。俺はペタンとちひろの前に座り両手でちひろの顔を包むようににし持ち上げる。
冷たい。
足場の悪い場所を通る時、手を取ってやった時のあの温もりはもうどこにもなかった。
「ちひろちゃん」
小さく呼んでみた。
ちひろは、眠るようにして目をつぶっているだけで返事はない。

「田中さん」
俺の後ろで立花の声がする。
俺は、今まで体が震えていたと思えないスピードで、立花の方を向くと思い切り殴った。
見事に吹っ飛んだ立花は驚いた眼をしながら俺を見る。
「お前・・何してたんだ」
「な・・何って・・・俺はちゃんと玄関の前に」
俺は立花の方へ行き胸ぐらをつかみまた殴りつける。
「じゃあ・・・なんでこうなってんだ」
「・・・ズズズ・・分からない。でも、誰も玄関の方には来なかった」
立花は鼻血をすすりながら話す。そんな立花をまた俺は殴りつける。
「なんで・・・なんでだ?昨日の夜言ったんだ・・昨日の夜だぞ⁉」
徐々に声を荒げながら立花を殴り続ける。しかし、俺の殴りつける力が弱くなってきているのに気が付いた立花は、始め抵抗していたが殴られるままになる。
「もう一度頑張ってみるって・・・頑張ってみるって言ったんだ!・・なのに・・おかしいだろ・・」
この理解できない状況を俺は必死になって考えようとしたが、答えが出ない。
もう立花を殴る力もない。
「田中さん」
立花がそう声を掛けてきたが俺には届いていない。必死になって答えがない問題を解いているような感覚だった。
(あんなに喋るようになったのに・・笑うようになったのに・・)

昨日の夜・・・
(田中さん。私ね何となく思い出したかも。家族ってこんな感じだったなぁって)
(ハハハ。じゃあ俺はお父さんかい?)
(そうだね。お爺ちゃんではないよ)
(ハハハ。お爺ちゃんはまだ早いなぁ)
(フフフ)
(・・・田中さん)
(ん?)
(私、もう一度頑張ってみようかなって思う。ここに来た時は絶望しかなかったんだけど、田中さんとこうやって過ごしていく内に、もう一回できるかもしれないって思ったの)
(そうか)
(もし駄目だったら、またここに来てもいい?)
(ハハハ。勿論さ!帰る所はあった方がいいだろ?いつでも大歓迎だよって言うのも変かな?)
(うん変。ハハハ)


俺は昨日ちひろと食事をしながら話した会話を思い出した。ちひろは終始楽しそうだった。
(いずれここを出て、もう一度頑張ってみようって・・・あれは嘘だったのか?いや、嘘じゃない。絶対に嘘じゃない)
「立花」
「はい」
「本当に玄関からは誰も来ていないんだな」
「はい」
「お前がこの町を作ったんだろ?忘れてないか?」
「?」
「ここは元々廃墟だ」
「あ・・・」
「鍵なんてかからん。玄関に人がいようといまいとどこからでも入ることは出来る。俺が飯野と買い出しに行っている間にちひろがこんな事になったという事は、残るは三人。お前と佐竹、後藤だ」
「そんな・・俺達がちひろちゃんを殺したとでもいうのか?」
俺は黙って立花を見た。
犯人扱いされた立花が怒りだすかと思いきや、何か考え込んでいる様子だ。
「何か知っている事でもあるのか?」
「いや・・・」
それだけ言うと立花は家から出て行ってしまった。
俺は立花を追いかける事もなく、ロープ一本で体を支えられているちひろを解放してやると丁寧に布団の上に寝かせる。
「ちひろちゃん。何があったんだい?・・・俺に話してくれたことは嘘だったのかい?いや、そんなことないよね。頑張ってみるって言ったんだ。あの時のちひろちゃんの眼を見ればわかるよ。しっかりした眼をしていたからね」
俺は、布団に横たわるちひろに声を掛けた。自分の娘を亡くしたかのような喪失感を感じていたがふと違う感情があるのではと考える。もしかしたら俺は、ちひろと数カ月共に生活した中で同じ境遇の仲間と言うより女として見ていたのではないか。
「いや違う」
俺はその考えを振り切るように頭を激しく振った。
こんな自由な町に住んでいても、遺体の処理を勝手にやる訳にはいかないのか、ちひろの遺体は立花が丁重に葬ると言い佐竹と一緒に持って行った。俺としては、火葬は出来ないにしても家の隣に埋めて墓を作ってやりたかった。
慰めにもならないかもしれないが、近くにいてやりたかったのだ。
ちひろがいない静かな和室に一人、何もせずぼうっとしていると
「田中さん」
誰かが来た。
俺は誰とも会いたくなかったがゆっくりと部屋を出て玄関を開ける。
後藤だ。
俺はあからさまに嫌な顔をして
「何か」
「ちひろちゃんのこと聞きました。やっぱり無理だったんでしょうかねぇ」
後藤は唐突に意味の分からないことを言い出した。
「無理?」
「ええ。死のうとした人間が、また希望を持ち、もう一度生きようとすることです」
俺はその無神経な物言いに腹が立った。
「あんたに何が分かるんだ!」
突然声を荒げた俺に後藤は一瞬たじろいだが
「田中さん。所詮人なんてそんなものですよ。私は田中さん程ちひろちゃんの事は知りませんが、自分で自分の命を断とうと決意して樹海に来た人間ですよ?簡単に考えは変わらないものです」
「そんな事はない。確かに最初は心に大きな傷を抱えそれに耐えられずに樹海に来たかもしれないが、この数カ月一緒に過ごしていく内に徐々に気持ちが変わって行くのを俺は感じていた。人の気持ちは変わるんだ」
俺は知った風な事を言う後藤を睨みながら言った。
しかし、後藤はそんな俺の事等気にもしていない様子で
「田中さん。あなたも同じなんですよ?忘れちゃいけません」
「なに?」
後藤はそれ以上何も言わず、小さく会釈をすると自分の家の方へ歩いて行った。
一体後藤は何しに来たのか。人が一人亡くなっているというのに、「所詮人なんてそんなもの」なんてよく言えたものだ。
イライラした気持ちが納まらない俺はいつまでも後藤が歩いて行った方向を睨んでいた。
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