輪(りん)

玉城真紀

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出発

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次の朝早く。

「おはようございま~す」

女将の声だ。相変わらず朝でも元気な声である。時計を見るとまだ五時。
普段こんな朝早く起きた事等ない俺はのそのそと起き上がりドアを開けると、昨日は着物姿だった女将が長袖の白いシャツにジーンズというラフな格好で立っていた。

「おはようございます」

「朝早くすみません。下田村に行くならぜひ見てもらいたい場所があるものだから早く来ました」

おたふく顔で、ニコニコと言われるとこちらも嫌な顔が出来ず

「分かりました。すぐに用意して玄関の方へ行きますので」

俺は急いで橋本を叩き起こし準備をする。橋本は寝ぼけながら、「何でこんな朝早くから・・・・・・」など、ブツブツ文句を言いつつもちゃんと着替えていた。
お面が入った箱を持ち玄関の方へ行くと、既に女将は玄関の前に停めた赤い軽自動車の運転席に座って待っていた。

「俺車の中で寝る」

そう宣言をした橋本は迷わず後部座席に乗り込む。俺もその後に続こうとすると

「いいよ。こっちで」

言われた通り俺は助手席に乗り込んだ。

「さ、出発!」

ハイテンションの女将の号令で車は走り出した。

朝靄の中、所々ひびが入り、そのひびの間から雑草が生えている道路を走って行く。余り車などが通っていない事が分かる。目的地に着くまで俺はおかみと色々な話をした。
女将は東京から嫁いできた事。旦那を早くに亡くし、子供達はあの宿を継ぐ気はないみたいだから自分の代で終わり。と色々話してくれた。

「じゃあ。一人でやってるんですか?」

「一応調理場は人がいるのよ。三人だけどね。そんなにお客さん来ないから私一人で何とかなっちゃう」

それで昨日宿についた時、受付には誰もいなかったんだ。

「大変ですね」

「大変よ~。でも、大変って思ってると本当に大変になっちゃうからそう思わないようにしてる。楽しいって思うようにしてるの。現にこんな風に楽しいことあるじゃない?」

おたふく顔のほっぺを少しだけ上気させながら、女将は友達のように話しかけるような口調になっていた。俺も気を使わなくていいのでその方が良かった。

暫くすると車は山を抜け開けた場所に出た。周りは畑だらけで所々に建つ民家が見える。

「着いたわよ」

舗装された道は終わり小石の転がる土の道を、人の歩くスピードと同じぐらいで車はゆっくりと進んで行く。一つ目の民家の前を通り過ぎた。古い家だ。荒れ果てていて人が住んでいる様子がない。

「ここは人は住んでるんですか?」

「どうだろう?余りこっちの方に来ないから分からないけど。もう住んでいないよ。多分」

女将は運転しながらチラチラと家の方を見る。見渡す限りの畑、周りは山に囲まれている村の中を、一つ一つ民家の前を通るように道順を選び走ってくれた。しかし、見る家全て人が住んでいる気配がない。

「誰もいなそうね」

「そうですね・・・・・・あれ?あそこ!誰かいたような・・・・・・」

小さな家だった。あばら家と言ってもいいような家だ。その家に誰かが入ったように見えたのだ。

「え?どこどこ?あ、そこの家?」

「はい」

女将は車をその家の前に停めた。俺と女将は車から出たが、橋本はいびきをかきながら後部座席で寝ている。

「おい。橋本」

起きる気配がない。女将は笑いながら

「まあ寝かせといてあげましょう」

橋本を置いて、俺と女将は家の玄関に向かって歩いていく。

田舎の家は家の玄関に行くまでに歩かなくてはいけない。道の両側には畑が広がっているが雑草が生え長い間手入れしていないのが分かる。
近くまで行くと家の全体像が見えてきた。小さな平屋の家で昔話に出てきそうな家だ。切妻屋根の表面には所々草が生えている。窓は割れ、玄関の戸は外れかかって今にも倒れそうになっている。そんな家の隣には不釣り合いな蔵が二つもある。本当にこの家の蔵なのかと疑うくらい立派な蔵だった。
外れかかっている玄関の戸を慎重に開けながら、中を覗き声を掛ける。家の中は暗く物音一つしない。

「すみませ~ん」

何度も声を掛けるが誰も出てこない。

「人がいるの見たんでしょ?」

女将も家の中を覗きながら俺に聞く。

「ええ。見たと思ったんですけど・・・・・・おばあさんだったような。一瞬だったから」

「そう・・・・・・」

すると女将は失礼しますと小声で言うと家の中に入って行く。

「あ、いいんですか?勝手に入って」

「人がいたら謝るわよ」

橋本に少し似ているようだ。

女将が靴を脱ぎ家に上がり込んだので俺も後に続く。
家の中は、二間しかなかった。奥に並ぶ形で部屋があり、手前に囲炉裏がある板の間があり、奥は和室。両方の部屋はひどいもので、戸や障子、襖などは殆どなく畳はけば立ちカビなのか至る所が変色している。他に家具など何もなくガランとしている。上を見ると、縦横に梁が組まれているがそこは蜘蛛の巣だらけだ。

「いないな」

その後、女将と家の周りなども探してみたが誰一人見つけることは出来なかった。

「確かに見たと思ったんだけどな。七十代位のおばあさんで少し腰が曲がっててモンペみたいの履いていたような・・・・・・頭に手ぬぐいを巻いてて」

「変ねぇ。そこまで分かっているのなら本当にいたはずよねぇ」

俺達は玄関前で首をかしげていた。

「こっちこっち」

何処からか橋本の声がする。声のする方を見ると橋本は蔵の前で大きく手をおいでおいでをしながら俺達を呼んでいる。

「何だアイツ。起きたのか」

橋本の方へ二人で行ってみると重厚な観音開きの扉が大きく開いている。その中に入って行く橋本の後について俺達も中へと入った。

中は外よりもヒンヤリとしていて気持ちよかった。外の光が奥までは届かないので暗がりが多かったが、目が慣れてくると中の様子が分かってくる。蔵の中は上下に分けられており、上は中二階の様な作りだ。細い木の階段が端の方にあるのでそれで上に行けるらしい。下の方には何も置かれていなかった。

「こっちだ」

橋本は階段を上がりながら俺達を案内する。一段一段上るたびに悲鳴を上げる階段を恐る恐る上って行くと、三畳位の場所があった。少し腰をかがまないと歩けないような所だが、先に着いて何やらガサゴソとやっている橋本の側に行く。

「何か見つけたのか?」

「両方の蔵の中見てみたけど荷物はこれだけなんだ。何かあれば・・・・・・ん?何だこれ」

そう言いながら橋本は、竹で編んだ大きな葛籠籠の中から何かを取り出した。

それは汚れた小さな箱だった。大きさは片手に乗るほどの大きさである。橋本は蓋を開けようとするが中々開かないらしく、渾身の力を込め始めた。そのかいあってか蓋はパンという心地よい音をさせて開いた。その瞬間、中に入っていた何かが外に飛び出してしまいコロンと転がった。

「あら。これ帯留めよ」

女将は転がったものを手に取り俺達の方へ見せながら言った。

「なぁ~んだ。帯留めか」

橋本は残念そうだ。

「お前なんだと思ったんだよ」

「ん?宝でも入ってるのかなぁなんてな」

「あほか」

「でもこれ。よく出来てるわ。手作りだと思う。既製品じゃないわよ」

女将が手にしている帯留めをまじまじと見る。確かに若草色の綺麗なものだ。
「これ貝殻の形ですか?」

「違うと思う。半分になっているけど・・・・・・扇子・・・・・・多分扇子だと思うわ」

「何で半分何ですかね」

「さあ」

他にも何かないかと手当たり次第に探してみるが、古い着物や子供の玩具が乱雑に箱に入れられているだけだった。

取り出した物を葛籠籠にしまう。

「取り敢えず外に出ようか」

狭く薄暗い場所にいるのが窮屈になったのか、女将が眉をひそめながら言った。蔵から出ると日差しが眩しい。周りを見回すがやはり誰もいる気配がない。

「車に乗って。他に誰かいるかもしれないし」

女将の言う通りに車に乗り他の家を見て回ったが、人の姿を見る事はなかった。人が住んでいそうな家には声を掛けたりしたが返事はなく、後は廃墟の様な家ばかり。女将は車を停めると

「どうする?」

と聞いて来たので、何となく気になるあの蔵のある家にもう一度行ってほしいとお願いした。女将は快く車をユーターンさせその家まで行ってくれた。何でまたあの家に行くのかと不思議がる橋本に、さっき見たおばあさんの事を橋本に話した。話を聞いた橋本は

「消えたのかな?」

「やだ~やめてよ~」

おたふくが・・いや、女将がふざけているのか女子高生のように怖がる。

家の前に着くと

「私はここで待ってるわ」

本当に気味が悪かったらしく女将は車を降りようとはしなかった。俺と橋本でまた家の方へ行く。

「あっ‼見ろよ」

橋本が先程入った蔵の方向を指さし声を上げる。見ると、俺が見たおばあさんが二つ並んだ蔵の間に入って行くところだった。俺達は走って追いかけその隙間に入ろうとした瞬間、二人で立ち止まり呆気に取られてしまった。蔵と蔵の間はわずか数cm位しかなかったからだ。

「こ、ここ曲がったよな?」

「うん」

「見たよな」

「うん」

「あのばあさんだろ?お前が見たって言うのは」

「うん」

信じられず呆然としていた。確かに俺はあのおばあさんが蔵と蔵の間を曲がって歩いて行ったのを見たのに。

「おいこっちだ」

橋本は俺と違いすぐに動き出していた。蔵の裏側に回り込もうとしている。白昼夢でも見ているようなこの状況の中橋本の行動力は有り難かった。俺は橋本の後に続き蔵の裏側に回る。草が生い茂っている中、俺達は今見たおばあさんの姿を探した。

「いた‼」

橋本が走り出す。橋本の行く手には確かにあのおばあさんが少し腰を曲げゆっくりと歩いているのが見えた。それに手に何かを持っているような・・・・・・

「すみませ~ん」

橋本は走りながら声を掛ける。その後を俺も走って追いかける。

家の裏手は畑が広がりその畑をマス目のように区切るあぜ道があった。そのあぜ道に出るまでは腰の高さまでの草に阻まれるので歩くのもやっとだ。やっとあぜ道に出ておばあさんを追いかける。
しかし、すぐに追いつくと思ったおばあさんと距離が中々縮まらない。結構な速さで走っている俺達に対し前を行くおばあさんはどう見てもゆっくりと歩いている。

「す、すみ、すみません」

息も絶え絶えに必死に声を掛ける橋本。俺に至っては声すら発することが出来ない。ついて行くのが精一杯だった。二人とも限界に近くなり走る速度も落ち、ついに走るのをやめ座り込んでしまった。

「はあはあはあ。な、なんだよあの・・・・・・はあばあさん。追いつかねぇ」

「はあはあはあ・・・・・・おぇ」

俺は話すことも出来ない。

「あ、あそこの家に行ったぞ」

「え?」

目に入る汗をぬぐい前方を見ると、あぜ道を降り一軒の家の裏から入って行こうとしているおばあさんが見えた。俺達は最後の力を振り絞りその家に走って行く。
あぜ道を降りると裏木戸があったが木戸は外れかかっている。そこから中に入り家の表に回る。
しかしどう見てもその家は人が住んでいるような家には見えない。窓ガラスは割れ、柱が何本か折れているのか、家自体が傾いている。屋根も崩れ落ちて広い庭は草木が生い茂っている。かなりの荒れようだが今まで回った家の中ではかなりの大きさの家だった。

「はあはあはあ。こんな所誰もいないと思うけど」

「はあはあ。あっちだよ」

母屋の裏側で日当たりが悪い場所にぼろい小さな小屋があった。その小屋におばあさんが入って行く姿がチラリと見えた。橋本はすぐに追いかけようとしたが、ソレを俺は止めた。

「おい待てよ。多分だけどあの小屋に入ってもあのおばあさんいないと思う」

「そんなの見てみないと分かんないだろ?」

確かにそうだが。俺は嫌な予感しかしなかった。あれだけ全速力で走ったのに全然追いつかない何てことあるだろうか。絶対おかしい。考えるより先に行動するタイプの橋本はもう小屋の方へ向かっている。

その場所に突っ立っている訳にもいかず、仕方なく俺もついて行った。
近くで見る小屋は、今まで見てきた家よりもかなり古い印象を受けた。その年季の入った板壁は、元は何色だったのか想像がつかないぐらい変色し何か所かぐずぐずに腐っている。少し手で押しただけでもバタンと倒れてしまいそうだ。小屋の引き戸は開いたままだったので中を覗いてみる。

いない。

「ほらな。やっぱりいないだろ?」

「・・・・・・」

橋本は暫く小屋の中を見ていたが、ぼりぼりと頭をかくと小屋の中へ入った。

入りたくもなかった俺は入り口で中の様子を見る。遠くで見た時は、物置位の大きさだと思っていた小屋は奥行きがあるようで結構広く感じる。奥の方まで歩いていく橋本の姿が暗闇に消えていくと

「おい。来てみろよ」

奥の方で橋本の声がした。行きたくなかったが、少しの好奇心に勝てず小屋の中へ。
入り口は石畳で、上がり框が一段高くなって板の間が奥まで続いている。真っ暗ではなかったが、気味が悪かった俺は携帯のライトをつけて奥へと進むと、ライトの中橋本の背中が浮かび上がる。

「どうした?」

「これ。日引さんが言ってたやつじゃね?」

振り向きもせず言う橋本の横から前方をライトで照らす。照らされた部分には腐食した木の格子が見えた。

「え?これって」

「うん。ここって・・・・・・ここなんだよ」

橋本も驚きの余り何て言っていいのか分からない様子だ。

「もしかして、チヨが閉じ込められていた小屋って・・・・・・」

「ああ多分な」

格子の中を照らしてみたが板の間が広がるだけで何もない。

「なるほどな。戻るぞ」

「え?何で?」

「いいから」

橋本は突然そう言うと小屋から出て女将が待っている車まで早足で戻った。戻っている間、俺が何を聞いても一言も話さない。黙って車に乗り込んだ。









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