吸収

玉城真紀

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再訪

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平日の午後と言うのは、朝や夕方のラッシュと比べて街中も穏やかに時間が流れている様だ。
それ程急いでいた訳でもなかった明子だったが、すぐに目的の喫茶店の中にいた。
店内には、窓際に一人老人が小説を読みながらコーヒーを飲んでいる。優雅な午後のひとときという感じだ。
カウンターに座った明子に、マスターが
「今のご気分は?」
と、にこやかに話しかける。そうだ。この店はこういう注文の取り方だった。
今日も、この前と同じ服装。黄色の蝶ネクタイが少しだけ曲がっている所だけが違う所か。
「え~と・・」
明子としては、この前飲んだコーヒーと別のコーヒーとの二つを頼みたかった。飲み比べをしようと思ったのだ。
「この前はこちらのコーヒーお飲みになりましたね」
マスターはカウンターの所にずらりと並べられているコーヒー豆の袋を指さして言った。
「あ、覚えていてくれたんですか?じゃあ、またそのコーヒーと・・そうね。すっきりとしたい気分だからそんな気分を味わえるコーヒーの二つお願いできますか?」
「はは。承知しました。飲み比べですか?」
二つも頼むことで分かってしまったらしい。
「ええ。こういう喫茶店に入るのは初めてなので色んなコーヒーを飲もうかなって思って」
何とも苦しい言い訳である。ならば最初のコーヒーはいらないのではと突っ込まれないかひやひやしたが、マスターはニコニコしながら
「そうですか。ここに並んでいる豆はそれぞれの特徴があって面白いですよ。明らかに違いが分かる物と微妙な物。コーヒー一つでも奥が深いですよ。私はその面白さに惹かれてこの店を開いたんですがね」
「コーヒーが好きなんですね」
「・・・コーヒーだけじゃないですがね。○○にも・・」
「え?」
最後の方は声が小さく聞こえなかった。明子は聞き返してみたが、マスターはコーヒーの準備に入ってしまった。
(何て言ったんだろう・・ま、いいか)
この前は、余りの不味さに驚きそそくさと店を出てしまった。もし今回も同じ様だったらマスターに聞いてみようと考えていた。
明子はカウンター越しに、コーヒーが出来るまでの流れるようなマスターの動きをじっと目で追っていた。
「お待たせしました」
カウンター越しに出された二つのコーヒー。一つは前に来た時に飲んだコーヒーで、相変わらず薄くカップの底が見えている。もう一つは明子が注文した(すっきりとしたいコーヒー)で、こちらはカップの底が見えず黒々としていた。二つの対照的なコーヒーを前に明子はまずこの前飲んだ方のコーヒーに口を付けた。
「!?」
美味しい。この前飲んだ時は、生臭くてとても飲めたものではなかったはずのコーヒーが同じ物とは思えぬほど美味しい。
コーヒーの苦味は控えめで、飲んだ後鼻から抜けるのは柑橘系を思わせるような匂い。乙女チックな感じがするコーヒーだ。
余りの味の違いに、明子は思わずマスターを見た。
マスターは相変わらずニコニコしながらカップを白い布で磨いている。
(違う豆じゃないわよね・・本当にこの前と同じコーヒーかしら)
そう考えながら次に今日初めて頼んだコーヒーに口をつける。
「‼」
美味しい。こちらのコーヒーはとてもすっきりしている。苦味が少ないので飲みやすく飲んだ後、喉の奥に清涼感が残っているようなコーヒーだった。
「とっても美味しい」
「有難うございます。お口に合いましたかな?」
「ええ。でも、こっちのコーヒーだけどこの前頼んだのと味が違うような・・」
「同じ豆ですよ。もしかしたらあの時はとても不味く感じられたかもしれないですねぇ」
「ええ。実はそうなんです。何故分かりました?」
驚いている明子を見て
「不思議な事ではないですよ。あの時不味く感じた理由は・・」
マスターは、そこまで話すと忙しそうに手を動かす。暫くして一息つくと、また話し始めた。
「恐らく、お客様の身の回りで異変が起こりうるので味が不味く感じたのだと思いますよ」
「異変?」
「ええ。自分で言うのも何ですがね。私はとても信心深い方でしてねぇ。この店を始める時、方角や店の色、テーブルやカウンターの位置、ありとあらゆるものを私が慕っている方のアドバイス通りにやったんです。会社を定年退職してから店を開くんです。自分の体の事や、お客さんが来るだろうかなど不安はありましたが、あの方のお陰で細々とですが続いてますよ。そうそう、このコーヒーの話でしたよね。このコーヒー豆もその方に浄化してもらうんですよ」
「豆を浄化?」
「ええ。このコーヒー豆はブラジルやインドネシア、グアテマラ、コロンビアなどと各国から取り寄せています」
「はぁ」
「その豆が取れる木の土地は果たしてどんな土地だと思いますか?」
「え?どんな土地って・・」
「もしかしたら人が死んだ土地かも知れませんよね?」
「そんな・・そんな事言ったらなんでもそうなってしまいます」
「おっしゃる通りです。いちいち気にしていたら何も作れません。でもね、私は自分のある出来事がきっかけで、そのという事をするようになったんです」
「ある出来事・・」
「ええ・・その出来事のお陰で私の女房は持って行かれましたよ」
「・・・・・」
「すみません。お客さんにこんな話するつもりじゃなかったんですが・・まぁとにかく、今お客さんが飲んだ二つのコーヒーの味が美味しく感じたのであれば大丈夫という事ですよ・・あ、いらっしゃい」
新たに入って来たお客に気が付くとマスターはニコニコ笑いながら店へ招く。
明子は気になって仕方がない。
(その出来事のお陰で私の女房は持って行かれましたよ)
一体どう言う事なんだろう。持って行かれた・・・誰に?
マスターに話の続きを聞こうにも、他のお客さんの相手をし始めたので聞きづらい。明子は仕方なくお金をカウンターに置くと後ろ髪を引かれる思いで店を出た。

喫茶店を出た明子は、暫く行っていなかった図書館へ行こうか迷ったがやめておいた。今の気分でミステリーなんて読めるような気がしなかったからだ。
(一体何だっていうの?)
家路を行く明子の頭の中はこの言葉がグルグルと回っていた。
「ただいま~」
時間は十三時。
勿論今の時間は香織は学校、行平は会社だ。誰もいない家に上がり込みリビングに行くとソファにばたりと倒れ込んだ。
(一番最初におかしいと思ったのは香織の独り言だ。誰かと会話しているように話していた。学校でも同じことをしていたらしい。子供がそんな行動に出ると言うのは何が原因なんだろう。ストレス?香織がそんなストレスを感じているようには思えない・・・後は・・)
明子はアレを思い出した。
香織の部屋で聞いたカタンという音・・その音の原因を探ろうと二階に行った・・香織の部屋の戸が僅かに開きそこで見た・・目・・真っ赤な二つの小さな目。明子は確かに見た。今でも鮮明に思い出すことが出来る。
「はっ!」
明子は急いで体を起こして部屋を見渡した。
誰かに見られているような気がしたのだ。
「気のせいか・・」
何も変わりがない事を確認すると、ホッとしてまたソファにゴロンと横になった。

(・・・・・)
(・・・お・・・ん・・・・・お母・・・ん・・・・・お母さん)
「・・・・誰?」
(・・お母さん)
「香織?」
(・・・香織?)
「帰って来たの?香織」
(・・・・帰ってきた?香織?)
「・・・・誰・・・」
(私は・・・私よ・・・お母さん)

明子はそこで目が覚めた。
時計を見ると十五時四十五分。
ソファで考えているうちに寝てしまったらしい。体を起こすと髪の毛や服がしっとりとするほど汗をかいていた。
(今のは夢?でも声だけの夢。真っ暗な中から声がしていただけの夢)
あの声は子供のような声だった。小さな小さな子供の声。子供の声だったからてっきり香織だと思ったが、よく考えて見ると明らかに違う。

(私は・・・私よ・・・お母さん)

妙な感じがする。
明子は、急いで起き上がり洗面台の方へ行くとバシャバシャと勢いよく顔を洗った。
「ふぅ~。色々考えているからあんな変な夢見るんだわ。もう気にしない!」
そう言いながら、また勢いよくバシャバシャと顔を洗った。よく分からない今の現状を洗い流すように。
何度も顔を洗い流し、さっぱりとした気分になった明子は少し早いが夕食の買い物に出かけた。
スーパーは、明子の家から歩いて十分ほどの所にある。歩いている途中、今日は何にしようかなどと考えながら歩いているとすぐ着いてしまう距離だ。結局店内に入って食材を見ながら考える事になる。
店内は軽快な音楽が鳴り、先程までの明子の不安を忘れさせてくれる。古い曲だが客層が若者ではなく主婦なのでこれでいいのだろう。
明子は野菜コーナーから順に見て行った。
「行平さん?」
不意に声を掛けられた。
折角、不安な事を忘れ買い物を楽しんでいた明子を振り出しに戻すような人が立っていた。
「鈴木さん・・こんにちは」
「こんにちは。買い物?」
「ええ」
(スーパーにいてカゴ持ってりゃ買い物以外ないでしょ?)
内心そう思ったが、勿論表情には出さない。
「その後、香織ちゃん大丈夫?」
「え?大丈夫って?」
「京子が心配してたのよ。香織ちゃんなんかおかしいって」
(そうか。屋上の踊り場で一人で話していたのを最初に見たのは京子だったっけ)
「ええ。大丈夫よ。京子ちゃんには心配かけちゃってごめんなさいね」
「ううん。そんな事はいいのよ。それより、明日で一週間になるわよね」
「一週間?」
「あら、京子は言わなかったのかしら。あの人形一週間したら返してもらうようにって言ったのに」
「あ・・そう言えば」
「そうなの。必ず明日返して頂戴ね。ん~そうね。私取りに行くわ。そのまま持って行っちゃうから」
「持って行っちゃうって、何処に?」
「フフフ」
鈴木は意味ありげな含み笑いをすると
「じゃ、明日」
そう言ってスタスタと行ってしまった。
「なんなの?本当に訳が分からない人ね」
明子は、歩いて行く鈴木の背中を少し睨みながら小さく呟いた。
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