吸収

玉城真紀

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異変 参

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明子が買い物から帰って来ると、香織の靴が玄関にある。帰ってきている様だ。
「ただいま~」
今日二回目のただいまである。しかし、今度は返事が返ってくるはず、香織がいるのだから。しかし、何の反応もない。
「香織~。帰ってるんでしょ?」
買い物袋を玄関の所に置きながら家の中の方へもう一度声を掛ける。
「お帰りなさい」
ようやく気が付いたのか二階から声がしてきた。
「二階にいるのね」
返事が返って来た事で、納得した明子は台所へ行き買って来た物を冷蔵庫に入れようとした。
「何買ってきたの~」
「えっ!?」
明子は驚いて袋を落としてしまった。
振りかえると、香織が食事をするテーブルの所にいるのだ。宿題をしているらしい。
「どうしたの?そんなに驚いて」
香織は怪訝な顔をして明子に聞く。
「あ・・香織・・今・・二階にいなかった?」
「え?ここで宿題やってたけど?今日の宿題凄く多いの!やんなっちゃう!」
いや・・そう言う事じゃなく・・
「お帰りなさいって言ったよね?」
「ううん。言ってないよ」
じゃあ、誰が・・
その時、明子はある事に気が付いた。
いつも肌身離さず持っているはずの人形がない。
「ね、香織。人形はどうしたの?」
「人形?私の部屋にあるよ。宿題済ませてから遊ぼうと思って」
「そう・・いつも一緒にいるからどうしたのかなって思ったの」
「側にあると遊んじゃうから。本当に今日の宿題は大変なの!お母さん手伝って~」
甘えた声を出す香織に、明子はすぐに答えることは出来なかった。
お帰りなさいと言ったのは人形だと何故かその時確信したからだ。
「取り敢えず、自分で出来る所まで頑張ってやりなさい。どうしても無理なら手伝ってあげるから」
そう言うと、落ちた袋からこぼれ落ちた食材を拾い冷蔵庫の中へと入れ始めた。
(手が・・手が震えて・・)
香織の前では平静を装っているがやはり怖い。
確かに聞いたあの声。
「お帰りなさい」
あの声を聞いた時、明子は納得して台所へ向かった。何故納得したのか。
それは、あの声は紛れもなく香織の声だったからだ。
「あのさ・・香織?」
「ん~」
「今日ね、スーパーで京子ちゃんのお母さんにあったのよ」
「ふ~ん」
「でね。香織も知ってると思うけど、あの人形明日京子ちゃんに返さなきゃいけないでしょ?」
「えっ‼」
今まで、宿題の方に意識が行っていたので気のない返事ばかりしていた香織が顔を上げ驚いた表情をして明子を見る。
「やだ~!何で返すの?あの人形私にくれたんじゃなかったの?」
「違うわよ。覚えてないの?京子ちゃんがあの人形を持ってきた時に言ってたでしょ?一週間だけ貸してあげるって言ってたじゃない」
「知らない!それに今日、京子ちゃん何にも言ってなかったよ!明日返すのなら、「明日返してね」って言うはずじゃん!」
子供は都合の悪い事は忘れてしまうのか、京子との約束を香織はすっかり忘れている。
「香織が分かっていると思ってるから言わなかったのよ。いい?必ず明日返すのよ」
明子は言い聞かせるように語尾を強めて言った。
悲しそうに俯く香織だったが、明子にとっては一日も早くあんな気味の悪い人形はこの家から排除したい。
「そうだ。別の人形を買ってあげる。明日、京子ちゃんに返したらすぐに買いに行きましょう。ね?」
「・・・・別のがいい」
「え?」
「人形じゃなくて、別のおもちゃ買って?」
「え・・ええいいわよ」
「やったね!」
さっきまで泣きそうな顔をしていたのに、ニコニコしながら宿題に向かい始めた。子供なんて現金なものである。
しかし、あの人形ではなく別の物に興味が移ってくれるのなら有り難い。多少の出費は我慢しよう。
少しだけ、気持ちが軽くなった明子は夕食を作り始めた。

行平も帰り、夕食の時間になる。
宿題は、香織の言うように結構な量だったが明子と行平が手伝った事で遅い夕食にならずに済んだ。
香織は相変わらず、あの人形をテーブルに乗せ一緒に食事をしている気分を味わっている。そんな香織の様子を見て行平は
「香織は人形が好きだったんだな。知らなかったよ」
「そうね。小さい頃もお人形遊びなんてしなくて外を駆けずり回っていた方なのにね」
「体を動かすことが好きだもんな。香織も女の子だったって訳だ」
「ハハハ」
行平と明子の、香織の小さい頃の思い出と一緒に笑いあっていた時だ。
「好きじゃないよ」
香織がご飯を食べながらぼそりと言った。
「え?」
「私人形そんなに好きじゃないよ」
「え・・でも、そうやっていつも一緒にいるし」
「人形じゃない。これ赤ちゃんなの」
「・・・・・・」
二人は、香織の言っている事がすぐに理解できなかった。
「あ・・そうね。赤ちゃんなのね。そう言う設定って事かしら」
「設定?」
「実際は違うのにそう言う事にしようって事よ」
「違うよ。分からないの?どう見たって赤ちゃんじゃない」
明子と行平が、自分の言う事を理解していない事に少しイライラしたのか香織は口調が強くなった。
「・・・・・・」
行平と明子はそれ以上何も言わず、食事を続ける香織を不安そうに見ていた。

その夜。
明子は行平と寝室で話していた。勿論話題は、先程の夕食の時の香織の発言に対してである。
「ねぇ。どう思う?」
「ん~。よく分からないけど、子供って自分の中の考えで遊ぶ事ってあるんじゃないか?俺は人形で遊ばなかったけど、カブトムシなんか捕まえてくると「キング」なんて名前を付けて王様みたいに強いカブトムシだなんて言って遊んでたしな」
「でも、香織の場合そう言う可愛い物じゃないような気がするのよね」
「人形だからじゃないか?カブトムシは虫だ」
「そうかしら・・」
「ま、少し様子を見ようよ。それに明日返すんだろ?大丈夫だよ」
そう言うと行平は布団に潜り込んだ。
「ちょっと・・まだ話が・・」
明子は、あの事を行平に行ってしまおうか悩んだ。
担任の山口に言われた、香織が一人二役で会話をしている事。それに、今日帰って来た時のあの「お帰りなさい」という声。
しかし、行平は信じてくれるだろうか。固い人間ではないが理屈っぽい所があり人知を超えた物に関して懐疑的な所がある。
明子は、気持ちよく寝息を立て始めた行平を恨めしそうに見たが、あの人形は明日でこの家からいなくなる。考えても分からない事、不思議な体験をしたという事で納得するしかない。早く明日が来るのを願いながら明子は布団に入った。

次の日。
明子はいつもより早く目が覚めてしまった。時計を見るとまだ四時十五分。起きるまであと一時間ぐらいある。
(中途半端だな~。起きちゃおうかな・・どうしよう)
布団の中でもぞもぞとしながら迷っていたが、こういう時の布団の中は何故か一番気持ちがいい。ついまた、ウトウトしてしまう。

(・・・・・)
(・・・お・・・ん・・・・・お母・・・ん・・・・・お母さん)
「・・・・誰?」
(・・お母さん)
「香織?」
(・・・香織?)
「香織でしょ?」
(・・・・違う)
「・・・・誰・・・」
(私は・・・私よ・・・お母さん)

明子は目が覚めた。
寝てしまったらしい。時計を見ると五時半。布団からモソモソと這い出ると着替えを済ませ顔を洗う。
さっきの夢なのか現実なのかはっきりしないあの声との会話が頭の中で繰り返し響く。
確か、ソファで寝てしまった時も同じような会話をした。しかし、前回と少し違う所があるのに明子は気が付いていた。思い出さないようにするのだが、頭の中では張り付けられた絵のようにその光景が消えない。
最後にあの声が「お母さん」と行った後、真っ暗な中に少しだけぼんやりと明るくなった場所があった。そこに目をやると何かがある。人ではない。床に丸めておいた洋服のようなそんなシルエット。それを見た明子は「お母さん」と言ったのは、その得体のしれない物が言ったと確信している。
次第にぼんやりとした灯りは赤く強い光となった所で目が覚めた。
その目が覚める瞬間、そのシルエットが一瞬だがハッキリと見えた。
赤い塊・・ぐちゃっとしたぬらぬらと光る赤い塊・・その塊の中に辛うじて形になっている部分がある・・頭だ。髪の毛はなく赤く丸い塊に二つの目・・
明子が香織の部屋の所で見たあの目にそっくりだった。
朝食を作りながら考えていた明子だったが、余りにも思い出したものがグロテスクなものなので気持ち悪くなってきた。
「おはよう」
行平が寝癖を盛大につけて起きてきた。
「っ!あ・・・おはよう」
突然声を掛けられたことに驚いている明子を見て
「どうしたの?・・なんか顔色悪くない?大丈夫か?」
「うん・・変な夢見ちゃったから」
「変な夢に限って覚えてるんだよなぁ。そう言うもんなんだよ」
行平は、一人で納得すると顔を洗いに行った。
「・・そうね」
すぐにでも、夢の内容を行平に伝え自分の中の不安を少しでも軽くしたかったが、朝からそんなことを聞いてくれるはずもなく。
明子は頭を強く振り、朝食作りに専念した。


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