未練

玉城真紀

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家に戻った私は、健太と話したことを息子と真理に伝えた。
「真っ黒い穴・・・・・・・」
「なにそれ。気持ち悪い」
(やっぱりあの手紙に書いてあることを解読したほうがいいようだね)
「だってこれ、ただのラブレターだろ?関係ないんじゃないか?」
(いや。何となくだけどこの手紙を見つけた時、これがカギになるような気がしたんだ)
「う~ん」
息子は腕を組み考え込んだ。テーブルの真ん中に置いてある手紙を三人で囲み、手紙を睨む。
「健太のお母さんと話してみるか」
「でもさ、いきなり知らない男の人が行って大丈夫かな」
息子の独り言に真理が返事をする。
「そうだね。警戒するだろうし」
「お袋。聞いてるか?」
(聞いてるよ。真理がね。いきなり行ったら警戒するんじゃないかって)
「・・・・・・確かに。あっ!幼稚園の先生!あの人に相談してみよう」
「あ、それがいいかも!幼稚園の先生だったら大丈夫そう」
(真理が。それがいいってさ)
俺は手紙を持ち、早速幼稚園に向かった。幼稚園では園児達が送迎バスに乗り込んでいた。もう帰りの時間らしい。俺は、声をかけてくれた鈴木先生を探した。すると、お迎えに来た保護者と間違えられたのか、他の先生に声をかけられた。
「こんにちは。お迎えですか?」
「あ、あの。先生とお話ししたいと思ってきたんですけど。あの。健太の事で」
健太の名前を出すと、その先生は全てが分かったような顔をして
「ああ。健太君の事ですね。今呼んできますね」
健太の事は幼稚園の先生方全員が知っているらしい。暫くして、鈴木先生が小走りで俺の所に来た。
「お待たせしてすみません。健太君の事でお話しがあると聞きましたが」
「はい。少しお時間もらえませんか?」
先生は不安げな顔をしながらも、俺を健太がいた教室へ案内してくれた。
「すみません。こちらでいいですか?」
先生は、園児達が座る椅子を出してくれた。おままごとのような小さい椅子に腰を下ろすと、先生も俺の向かいに椅子を持ってきて座る。何か変な感じだ。
「お話と言うのは・・・・・・」
「実は、正直にお話しします。俺。健太の叔父でも何でもないんです」
「えっ?!」
「あ、だからと言って怪しいものでもありません」
慌てて言う。
「健太と出会ったのは、俺が外回りをしている時に幼稚園の前を通った時です。なんか懐かしくなって覗いてたら、一人だけ何も食べてない子がいるのに気がついて」
まさか。死んだお袋が連れて来たなんて言えないので嘘をついた。苦し紛れの嘘だったが、どうにか先生は信じてくれたようだ。(今考えたら、よくこの話を信じてもらえたものだと思う)
「・・・・・・と言う訳で他人の子供とはいえ心配だったもので。お節介かも知れませんが弁当を持ってきたと言う訳です」
「そうですか・・・・・・」
「健太のお母さんとも話がしたいと思ったんですが、俺が行って果たして話をしてくれるか不安だったので、できれば、先生に一緒に行っていただけたらと思ったんです」
「・・・・・・そうですね。園長に話をしてきます」
そう言うと、いそいそと教室を出て行った。
俺は、かなり説明に苦戦するだろうと思ったが、意外にもすんなりいったので安心した。おそらくあの先生も心配で仕方なかったのだろう。
「お待たせしました。これから行きましょう。園長の方には許可を頂いてますから大丈夫です。あ・・・・・・一応、あなたの事は健太君の叔父という事にしときました。話がややこしくなりそうだったんで」
先生は、いたずらを隠す子供のような顔で言った。
「すみません」
「いえ、謝らないでください。今の世の中、他人の事なんて気にする人は少ないじゃないですか。そんな中、お弁当まで届けたりする人は悪い人じゃないって思ったんです」
先生は笑顔で言った。
(はぁ~。良かった。良い先生で。でも、こんな嘘をすぐ信じるなんて余程素直な人なんだろうか。騙されたりしないんだろうか)
など、勝手な事を考えた。俺は、先生の車に乗り健太の家に向かった。
健太の家に着き、インターフォンを押そうと手を伸ばした時
「先生?」
どこからか声がした。声の方を見ると、庭の方からこちらを不思議そうに覗く女がいた。
「あ、健太君のお母さん。お久しぶりです。突然申し訳ありません。今日も健太君の事で少しお話しできればと思い伺いました」
(この女が健太の母親か)
肩までの髪は緩くパーマがかかっており、背が低く顔も可愛らしいが、どことなく落ち着かない様子である。
「ああ」
母親は興味なさそうな顔で返事をした後、俺の方をいぶかしげに見る。
「あ、私は精神的なケアを受け持ってる者です」
「精神的?精神科の先生か何かですか?」
会社から家に戻った時、着替えずそのままスーツを着ててよかった。精神的と聞いた母親は少し安堵の表情をしたからだ。
「少しお待ちください」
母親は鈴木先生の方を見て言うと、庭の方へ戻っていった。
「精神的なんて、上手い嘘ですね」
笑いながらも少し睨むように言う先生に
「ハハハ」
と笑ったが、心が痛む。この先生にも嘘をついているからだ。玄関が開き母親が顔を出す。
「どうぞ」
やはり、先生と一緒に来て正解だった。俺だけだったら玄関は開けてくれないかもしれない。家の中に入ると、茶の間に通された。俺は、お袋から家の間取りなど色々聞いて来たので、あの手紙があった部屋をちらっと見た。その部屋は、きっちり襖が閉めており、入り口に段ボールが積みあがっていて、容易には入れないようになっていた。
(何であんな事するんだ?)
茶の間に入り先生と並んで座る。お茶を入れてくれた母親は俺達の前に座った。
「お話って何でしょう」
俺達から目をそらしお茶を飲みながら母親は聞いた。
「はい。前にお電話でお話ししたと思いますが、健太君。幼稚園で元気がないんです。お弁当も持ってきませんし。ご家庭ではお変わりないのでしょうか?もし、なにかお心当たりがあるようでしたら、お聞かせ願えないかと思いまして。私の方でも、もちろん協力させていただきます」
「別に何もないですよ」
「そんな事ないと思うんですけど・・・・・・」
「うちの家庭で何かあったとしても、あなたに関係ないでしょ?」
「関係はあります。私は健太君の担任です」
先生は毅然とした態度で言った。
「・・・・・・とにかく、なにもありません」
この会話の間、母親は一度も俺達を見ない。人間は何かやましいことがあると目を見て話せないものだと聞く。
「お母さん。大体の事情は先生から聞いています。私からいくつか質問させて頂きます。不躾な質問もあるかと思いますが、予めご了承ください。早速ですがお母さんから見て健太君はどんな子ですか?」
「別に普通です」
「そうですか。分かりました。次に、健太君は望まれてこの世に生まれてきたお子さんですか?」
「どういう事でしょうか?」
母親は、初めて俺の方を見て答えた。少し癇に障ったと見える。眉間にくっきりと皺が寄っているのだ。
「いえ。統計では望まれた子供と望まれずに産まれた子供の家庭環境に明らかに違いがあると出ているものですから」
俺の口は滑らかに嘘を吐く。
「健太は、私が望んで産んだ子です」
母親はハッキリと言い切る。
「そうですか。では、健太君の方に何か問題はありますか?」
これが一番聞きたい事でもある。案の定母親は口をつぐみお茶をしきりに飲んでいる。
「ありそうですね。もしかしたら、健太君の問題には理屈では説明できないような事ではないですか?」
勝負に出た。これは、答えを知っているから言えることで、隣で聞いている先生には何のことやら分からないだろう。しかし、俺がその話をした途端、母親は驚いた顔をして俺を見た。
「・・・・・・分かるんですか?」
「少しですが」
空になった湯飲みを手の中で揉みながら、母親は言いにくそうに話し出した。
「突然。健太はお化けが見えるって言いだしたんです。最初は信じなかったんです。そんな非現実的な事。しかも私はそういうモノが苦手でして」
「分かります。怖いですしね」
先生が同意する。
「だから、健太が何を言っても聞き流していたんですが、あの日。あの日にあった事が私が健太を避けるようになったきっかけです」
やはり何かあったわけだ。
「どういう事があったのですか?」
「健太と一緒に買い物に出かけた時でした。スーパーから出た私は健太と手をつなぎ、
家に帰るため歩いてました。信号に差し掛かり信号待ちをしていると健太が「お母さん。あそこに血でいっぱいの人がいる」って言うんです。今までもおかしなことを言っていたので気持ち悪くなり「そんな人はいないのよ。おかしなこと言わないの!」と叱ったのですが、健太は一か所をじっと見て動かなくなったんです。信号が青に変わり私が歩き出しても健太は動きません。仕方なく抱っこして横断歩道を渡りました。横断歩道を渡りきる時、健太が私の肩に顔をうずめたので、「大丈夫?」って声を掛けました。そうしたら、健太は「こっち」と指をさすので私は足を止め、首だけでその方向を見たんです。その時です。私の近くで声が聞こえました。「痛い」って」
母親は、その時の事を思い出し、恐ろしくなったのかブルっと震えた。
「はっきり聞こえましたか?」
「はい。ハッキリと女の人の声で聞こえました」
「周りの人の声だとは考えなかったのですか?」
「ええ。だって。物凄く近くで聞こえたんです。まるで、耳元で言われたような・・・・・・その時私の近くには人がいなかったんですよ」
「ふん。不思議ですね。それでお母さんは健太君はお化けが見える子なんだと思い、気味悪いと思うようになってしまったという事ですね?」
「はい。それだけじゃないんですよ。他にもいろいろありました」
「子供ですからね、見た事聞いたこと素直に言います。失礼ですが、健太君の家族構成はお母さんとお父さんと健太君でよろしかったですか?」
「はい。主人は単身赴任中ですが」
「そうですか。なら、尚更お母さんは不安で仕方がなかったでしょうね。後、ここの家にお邪魔した時に気になったのですが、あの部屋はどなたの部屋でしょうか?和室の部屋ですよね?仏壇がある」
母親は、目がこぼれるんじゃないかと言うほど見開き俺を見た。
「何で分かったんですか?」
「ふん」
俺は少し気分が良くなっていた。実際はお袋に聞いたのだが。
「あの部屋は・・・・・・主人のお義母さんの部屋です。1年前に亡くなりましたが」
「仏壇の方はきちんとされていますか?」
「いえ。お恥ずかしい話ですが私とお義母さんは仲が良くなかったもので。仏壇もお義母さんが亡くなってからそのままです」
気が引けるのだろう。だから、ああやって部屋の入口に段ボールを置いているのだ。まるで、ここには部屋がないかのように。
「そうですか。嫁姑問題はどこの家庭にもある事だと思いますので恥ずかしいことではないですよ。ただ。仏壇をそのままと言うのは良くないですね。もしかして、お義母さんの荷物などもそのままですか?」
「はい」
「もしよろしければ、私の方で仏壇整理をして差し上げましょうか?」
「仏壇整理?」
「はい。ほったらかしにしていた分の整理です。私は坊さんではないので、供養は出来ませんが仏壇をきちんと掃除し整理することは出来ます。それすらも、お母さんは出来ないでしょうから」
俺はただの掃除をもっともらしく言う。しかし、母親はすがるように俺を見ると
「お願いします」
と、頭を下げた。
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