未練

玉城真紀

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約束

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「では、早速」
と、母親の案内の元あの部屋へ向かう。
母親は、段ボールを全部どけ引き戸を開けた。開いた瞬間、プンとかび臭い匂いが漂ってくる。カーテンは閉め切って中は暗い。そんな部屋を見て、俺は自分で言った事を少し後悔しながらも部屋に入った。まず、カーテンを開け外の光を入れる。明るい中で見る部屋の中はお袋に聞いていた通りだった。その中で、仏壇は雪が積もったようにうっすらと白く埃が積もっている。
「始めますか。ぞうきんと掃除機お借りしてもいいですか?」
「は、はい」
健太の母親は急いで用意してくれた。
「私も手伝います」
先生は、俺と一緒にぞうきんを持つと仏壇やら畳やらを掃除し始めた。あらかた掃除が終わった時、俺は部屋の入口で何もせずに、ずっと俺達を不安そうに見ていた母親に声をかけた。
「お母さん。これはお母さんが拭いてもらえますか?」
と俺は位牌を差し出した。母親は一瞬嫌な顔をしたが、目の前の位牌とぞうきんを受け取り立ったまま恐る恐る拭きだした。
「怖いですか?」
俺の突然の問いに
「え!」
母親は手を止め、こちらを見た。結構な驚きようだ。
「それは、健太君のお祖母ちゃんの位牌ですよね。怖いですか?」
俺はもう一度聞いた。すると母親はその場に座り込んだ。
「大丈夫ですか?」
先生が心配して駆け寄ろうとするのを俺は止めた。
「お母さん。健太君のお祖母ちゃんの事で何かありますね。ただ単に仲が悪かっただけではないとか」
「・・・・・・」
座り込み下を向いたまま何も言わない。俺は母親が話し出すまで待った。
「私、お義母さんとの約束を破ったんです」
消え入りそうな声で母親は言った。
「約束・・・・・・どんな約束ですか?」
「手紙を渡してほしいと」
来た。
「恐らく。健太君がお化けを見ることが出来るようになったのはそれが原因のようですね」
「ただいま」
玄関の方から小さな声が聞こえた。健太が帰ってきたようだ。先生がすかさず部屋から出て健太を出迎える。
「おかえり。健太君!」
「先生?何でお家にいるの?」
健太は驚いて聞いた。
「ん?ちょっとお母さんとお話ししたいことがあってね」
健太は部屋の前で座り込んでいる母親を見た。
「・・・・・・」
健太は何も言わず家に上がると、部屋の前まで来た。部屋の中にいる俺と目が合う。
「あ、おじさん!おじさんも来てたの?」
「やあ。おかえり健太君」
俺は何気ないふりをして出迎えた。
「え?健太は知ってる人なの?」
母親が健太に聞く。健太は何て言っていいのか迷っている様子だったが、何かに気がつき母親の質問には答えず、部屋の中の奥をじっと見始めた。
「どうした?」
俺は健太の見ている方向を見るがなにもない。
「変なのがいる」
健太がそう言った時、母親の叫びにも近い言葉が出た。
「やめて!」
母親は手に持った位牌を部屋の中へ投げその場で号泣し始めた。
「っ!お母さん?」
突然大声を出した母親に健太は驚いた。
「健太君。健太君のお部屋はどこかな?先生に教えてくれる?一緒にお絵かきでもしようよ」
先生が気を利かせ、健太を連れて行った。
泣き崩れる母親を前に俺は健太が見ていた場所をじっと見る。窓の方を見ていたが、何も見えない。
(本当に見えるのか・・・・・・・お袋もつれてくりゃ良かったかな)
健太のあの変わりようを目の当たりにした俺は、弱気になっていた。
(さて、これからどうしようか)
暫く考えているうちに母親が泣きやみ、必死に涙を手で拭いている。
「・・・・・・あの・・・・・・健太は元に戻るんでしょうか」
俺はすぐには返事が出来なかった。霊能者でも坊さんでもない俺に何が出来るのか。しかしここまで来た以上しかたがない。一か八か。
「戻りますよ。まず、やることは、理解するという事です。頭では分かっていても人間には感情があります。ソレをいかに抑え相手を理解できるかです。今、健太君にはお化けが見えているようです。でも、大人であればそれを見て見ぬ振りできますが、4歳の子供にはそれは無理ですよね。そこは身近にいるお母さんが理解してあげなくてはいけません。このままの生活をいつまでも続けるわけにはいかないでしょう?」
「はい。わかってるつもりですけど・・・・・・気持ち悪くて」
「誰でも、目に見えないものに対して不安になるのは当然です。だから、お母さんが気持ち悪いと感じるのはいけない事ではない。では、健太君はどうでしょう。いないものが見えると分かった時、その時に、助けてほしい人に気味が悪いと言われ相手にされない。健太君は誰に助けてもらえばいいんですか?4歳の子供はそんなに上手に説明はできませんよね?見たままを言うだけです。そうですね。今回の件はお母さんも健太君も両方辛かったでしょう」
俺は、学生の時に読んだ本の内容を思い出しながら言った。理解力についての本だった。たしかあの本を読んだきっかけは、お袋と喧嘩した時だ。笑いもせず他人の悪口ばかり言うお袋に嫌気がさし、初めてお袋に意見した。まぁ。予想通り数倍にもして言い返してきたので家を飛び出し、近くの本屋に入ってたまたま読んだ本だった。
(こんな所で役に立つとはなぁ)
心の中で苦笑いしていると、母親は
「そうですね・・・・・・健太も辛いですよね。私本当にそう言うのが苦手なもので健太の事さけてました。時には突き飛ばしたり。まるで、人間じゃないかのように。自分で産んだ子なのに・・・・・・あの。健太とよく話してみます」
俺の顔を見ながら言う母親の顔は、決意した顔だった。俺はニコッと笑うと
「そうですね。俺も手伝いますよ。お母さんばかり頑張るのはいけない事ですからね。なにかあったら、遠慮なく電話ください」
俺は、家の電話を書いて渡した。
「あ、そうだ。ここに来る前に健太君に言ったんです。うちでご飯食べないかって。お母さんも一緒にどうですか?」
「え?」
「材料もあります。簡単なカレーしかできませんが。先生も一緒に」
「フフ。カレーの材料ならうちにもありますから、もしよかったらうちでみんなで食べませんか?私が作ります」
「それはありがたいです。図々しいですがお言葉に甘えてご馳走になります。実は俺。料理苦手で」
「フフフ」
母親は、一気に涙を拭くと少し笑いながら台所の方へ行った。

(ふ~。ちょっと強引に話を持っていき過ぎたかな。ま、いいか)
俺は、台所で料理の準備をしている母親に許可を取り、二階の健太の部屋へ向かった。
この時の俺は、すっかり手紙の事を忘れていた。
ノックをしドアを開けると、先生と健太がお絵かきをして遊んでいる。
「健太。今日はお母さんがカレーを作ってくれるそうだぞ」
「え!本当?やった~」
無邪気に喜ぶ健太を見て、嬉しくなった。本来子供はこうであるべきなんだ。俺は自分の子供時代を思い出していた。親父が早くに亡くなりお袋と二人で生活をしてきた。お袋は優しさと言うものはなくいつも俺は顔色を窺いながら生活をしてきた。
(もしかしたら、健太と自分を重ねてたのかな。普段の俺ならここまでしないもんな)
よく分からない自分の気持ちを振り切るかのように
「なんだ?何描いてるんだ?」
と、健太の絵を覗き込んだ。
「!!」
そこには、大きな目が紙一杯に一つだけ描かれていた。
「健太これ・・・・・・」
それ以上言葉が出ない。カッと見開いた目。一本一本のまつ毛まで丁寧に書かれている。
健太は黒のクレヨンで、目の球をぐるぐると描きながら
「これね。お祖母ちゃんの部屋にいたの」
俺と先生は顔を見合わせた。先生は少し泣きそうな顔をしている。
「お祖母ちゃんの部屋ってさっきの和室だよね。今・・・・・・いるんだ」
「うん。いるよ」
もう先生は半分泣き始めている。さっきの「変なのがいる」って言うのはこれだったのか。
「そうか。健太。これからお話しすることをよく聞いてくれるかい?」
「うん」
「じゃあ。少しだけお絵かきお休みしよう」
「・・・・・・うん」
健太は渋々クレヨンを置いた。
「健太はお化けが見えるだろ?」
「うん」
「何でお化けが見えるってわかったんだい?」
「お母さんがそう言ったから。気持ち悪いって」
健太にはお化けが生きている人間の様に見えるのかもしれない。
「・・・・・・そうか。あのね。お化けって言うのは他の人には見えないものなんだよ。健太がどうして見えるのかはわからないけど、その見えることをね、余り人に言ったりしてはいけない時もあるんだ」
「何で?」
「お化けが怖い人もいるからさ」
「ふ~ん。僕は怖くないよ」
「健太は強いからな。でも、弱い人もいるだろ?」
「いる。美幸ちゃんは怖がりだよ」
幼稚園のお友達の事なんだろう。
「そうだろ?健太は強いから平気でも弱い人は平気じゃない。だから、やたらにお化けが見えることを言うのは可哀そうなんだよ」
「そうなんだ」
「健太は最初に見たのはお祖母ちゃんのお化けだったよね?」
「うん」
「で、そのお祖母ちゃんは真っ黒い穴に食べられちゃった」
「うん」
隣に座る先生の顔が引きつっていくのが分かる。
「で、今はお祖母ちゃんはいなくて、その大きな目がいるんだな?」
「うん」
「お祖母ちゃんとはお話しできたんだろ?」
「うん」
「じゃあ。その目とお話しすることは出来るかい?」
「わからない。だって、お祖母ちゃんのお部屋に入っちゃダメってお母さんから言われてて入らなかったから。今日初めて見たんだもん」
俺は背筋がゾッとした。
「そうか・・・・・・健太。その目と話してみる気はないか?」
「何を言ってるんですか!」
先生が慌てて言う。
「・・・・・・・まあ。その前に健太のお母さんの美味しいカレーを食べてからにしようか」
二階にまでカレーのいい匂いがただよって来ていた。
「うん!」
健太は走って部屋を出ると、階段をバタバタと駆け降りて行った。
「何を考えてるんですか?あんな小さい子に話をさせるなんて」
先生が俺を睨みながら言う。
「いや。俺が出来るならやりたいけど、お化けとか見えないし話せないからね。根本的なものを取り除けば、解決するような気がしたもんだから」
「だからって・・・・・・」
「ま、カレーをご馳走になってからまた相談しましょう。腹減った」
俺は部屋を出て下の階に向かった。後ろから先生のため息が聞こえた。

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