未練

玉城真紀

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祖母の秘密

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「あ、あの・・・・・・・はぁ・・・・・・はぁ。もう大丈夫じゃ」
「え?」
俺は夢中で走っていた。途中健太のお母さんに止められなかったらどこまでも走っていただろう。気がつくと、近所の公園まで来ていた。もう辺りは暗くなってきている。ここの公園は比較的大きな公園で、お年寄りが大勢でゲートボール大会を開いたり、小学生が写生をしに来たりと地域の人が何かと利用できる公園だ。平日の昼間も子供を連れた主婦の社交場になっている公園も、今は眠っているかのように静かだ。もし昼間だったら、裸足のまま肩で息をしている大人二人はかなり異様に見えただろう。
「すみません」
俺は誤った。
「いったいどうしたんですか?突然だったからびっくりしましたよ」
全て話した方がいいと思った俺は、近くにあるベンチに座ってもらうと、これまでの事を話した。もちろん自分は普通のサラリーマンで霊能者でもカウンセラーでもないことから洗いざらい全て話した。そしてお袋の事も。
母親は俺の話を黙って聞いていた。。
「こんな非現実的な事を信じてもらえるとは思ってませんが、本当の事なんです。すみません。嘘をついて。初めから正直に話すべきでした」
「いえ。ここまで色々な事が起きると信じざる負えませんよ。それに、私があなたの立場だったら同じ事が出来ないと思います。他人の事に介入するのは難しいですからね。本当に申し訳ありません。今回の全ての原因は私にあります。前にお話ししたと思いますが、お母さんから手紙を渡すようにと頼まれていたのにそれをしませんでした。意地を張っていたのかもしれません。そのせいで、・・・・・・全てを失いました」
母親は悲しそうに下を向いた。
「俺、あの手紙をちゃんと渡すと約束したんですが、何か心当たりはありませんか。何でもいいんです。生前健太のお義母さんが行っていた場所とか好きな本とか何でも構いません。・・・・・・本当は手紙の内容が読めればいいんですが、お恥ずかしいことに俺には達筆すぎて読めないもんですから。でも、いくつかの読める言葉で考えてみるとどうやらラブレターのようなものだと思うんです」
「ラブレター・・・・・・」
「はい」
母親は口元に手を持っていき考える。
「ラブレター・・・・・・そう言えば結婚をする前に主人の実家に挨拶に行ったんです。主人の実家は結構な田舎なんです。山に囲まれた場所にある村で、住んでる方は殆どがお年寄りの方でした。私が行った時はもう空き家が目立ち住んでいる方も主人の実家を含め4世帯しかない状態でした。なので、私達が結婚をするのを機にお義母さんも一緒にこちらに出てきて一緒に住むという話でした。お義父さんの方はその時はいません。大分前に病気で亡くなっていたらしくて。私は産まれも育ちもずっと都会なものですから、主人の実家に行った時はとても感激したのを覚えています。自然が多く空気も澄んでいてとても気持ちが良かった・・・・・・あ、すみません。関係ない話ですね。実は、結婚後、家を建て準備が出来たので、お義母さんを迎えに行った時の事なんです。あらかた荷物はお義母さんの方でまとめてくれてたのでそれほど時間はかからなかったのですが、日帰りで帰る予定だったのに、主人が突然「最後だから一泊して明日出よう」と言い出しまして、泊まることになったんです。突然の事で驚きましたが、先程言ったようにとてもいい所なので私も同意したんです。その夜でした。田舎って夜があんなに静かだとは思いませんでした。普段、車の音や救急車のサイレンなどの音の下で寝るのが当たり前の生活になっていた私には、本当の無音ってこういう事なのかと思い、少し怖くなったぐらいです。だからだと思いますが、中々寝付けなかったんです。私は、寝付けないのなら外に出て星を見てみようかしらと思い、外に出てみました。前に主人、が星が良く見えるって言ってたのを思い出したんです。本当に素晴らしかった。現実なのかと疑うぐらいでした。丁度寒い時期だったので空気も澄んでたからなのかもしれませんね。光の強い星弱い星全てが見えるんです。時間を忘れてずっと見てました」
母親は実際に今、その光景が目の前に広がっているかのように、上を向き嬉しそうな顔をした。
「その時なんですが、家から誰かが出てきたんです。お義母さんでした。手には懐中電灯を持ちどこかに行く様子でした。街灯もなく真っ暗なんですよ。いくら土地勘があると言ってもそんな夜中に出かけるのはおかしいじゃないですか。私はお義母さんの後を付けてみたんです。気が大きくなってたのかもしれません。懐中電灯の明かりを目印にそっとついて行きました。家の裏手の道を道なりに歩いていくと右手に小高い場所があります。そこは、山ではなく畑なんです。山が多いですからね、削って畑として利用していたのでしょう。昼間少し探索に出た時に見ていた場所で、上ると、もう使われていない畑が広がっているんです。お義母さんは迷うことなくそこを上っていきました。私も後から続き、上りきらずにそっと覗いたんです。すると、お義母さんは畑の真ん中にある大きな木の所にいました。そこで灯りが止まってましたから。何をやっているんだろうと思いもっと近くに寄ろうとした時でした。足を滑らせてしまったんです。それほどの高さはないので怪我はしませんでしたけど、お義母さんに見つかってしまいました。お詫びをし眠れなくて外に出た事を話すとその時に話してくれたんです。おぼろげにしか覚えてませんが確か・・・・・・」

「この真っ暗な中、良くついてこれたね」
お義母さんは特に怒る様子もなく逆に感心している感じだった。少しほっとした私は
「お義母さんも眠れなかったんですか?」
と聞いてみた。
「いや。ここにはね。おじちゃんが死んでから毎日来てるんだよ」
「毎日?あ、おじいさんとの思い出の場所なんですか?」
結構ロマンチストな所のある人なんだと思った。
「・・・・・・ううん。おじちゃんとの思い出ではないよ。本当に私が好きだった人との思い出の場所なんだよ。おじちゃんが生きている間は一度も来たことがなかった。だって、悪いじゃないか。でも、おじちゃんはもういない。だからここに来ても大丈夫かなって思ってね」
懐中電灯の明かりで少しだけ見えるお義母さんの顔は、恥ずかしがっているように見えた。
「そうですか。忘れられない人なんですね」
「本当はその人と結婚するはずだったんだよ。だけど、昔は親が決めた人と結婚するのが習わしでね。別れることになったんだ。その最後の場所が、ここなんだよ」
お義母さんは愛おしそうに木を撫でた。
「好きな人と結婚できないんですか?私は無理だな。親が反対しても結婚しちゃう」
「ハハハ。今の人はそうだろうね。でもね。こんな田舎の昔の事だ。そんな大それた事なんてとても出来ないんだよ」
「じゃあ。相手の方は分かってくれたんですか?」
「う~ん。お互い若かったからね。一緒に駆け落ちしようかなんて話も出たけど結局何もできなかった。ただ、一つだけ約束したことがあるんだよ。出来る限りでいいから手紙のやり取りをしようってね」
「文通ですか?」
「そうだね。そんな事が知れたら大事になってしまうから、本当にできる限りでって言ってね」
「で、この木の下で手紙の交換をしてたんですか?」
それを聞いたお義母さんは、否定するように両手を振る。懐中電灯の明かりが木の枝をチラチラと左右に照らす。
「そんな事できるもんかい。会うことが出来ないから手紙のやり取りをするんだ。手紙はね、この思い出の楠の下に箱を埋めておいてその中に入れたんだ。ここは昔畑じゃなかったからね。もし誰かに見られても、野草取りをしていたって言い訳が出来るから」
「そうですか」
「しばらく続いたね。子供が生まれても私達は手紙のやり取りはやめなかった」
「相手の方も結婚されたんですか?」
「うん。したらしいね。こんな小さな村だ。どこの誰と結婚したなんてすぐ耳に入る。私は今まで行っていた村の寄り合いに行かなくなったんだよ。だって、相手とその嫁が仲良く二人で来るかもしれないだろ?そんなの見たかないよ」
お義母さんは笑いながら言った。恐らく当時は笑えなかっただろう。私も同じ女だ。そういう時代に産まれなくても女心は分かるつもりだ。
「でもね。終わりは必ず来るもんだね。ある日私がここに来て埋めてあった箱を開けたら、私の手紙があったんだよ。相手が来なかったんだね。もしかしたら都合がつかないのかと思ってしばらく様子を見ていたんだけど、いつまでたっても手紙はそのまま。
・・・・・・で、それっきりさ」
「亡くなったんですか?」
「さっきも言ったけど、誰がどうしたこうしたなんて事は、小さい事でも耳に入るような村だ。誰かが死んだなんてことは真っ先に分かる。でも、そんな話はなかったんだよ。流石に家を訪ねる事なんてできないからね。うちは他所の家に出入りするのは全ておじちゃんがやってたから、勝手には行けなかったんだ」
「そんな・・・・・・その待ってる時間。辛すぎる」
「そうだね。辛かったね・・・・・・でも、偽りはいつまでも長くは続かないもんさ」
「?」
辛そうに話すお義母さんの最後の言葉は、理解できなかった。
「そう言った後、お義母さんは手紙を私に見せたんです。それがあの手紙です。それから月日が流れ、お義母さんが亡くなる前日、病院にいたんですが、私がお見舞いに行った時に頼まれたんです。「あの手紙をどうか渡してほしい」って」
話し終わった母親は、裸足の両足をすり合わせた。
「何とも、今の俺達の時代では考えられない話ですね。そういう時代もあったんだ」
「そうですね。きっと、お義母さんだけではなく他にもそういう思いをしている人はいたのかもしれませんが、大変な時代ですね」
「そうなると、やっぱりあれはその相手に送るはずだったラブレターって事になりますね。その人に届ければいいわけだ。・・・・・・相手の名前とかは聞いてないんですか?」
「確か・・・・・・山中って言ってました」
「山中・・・・・・下の名前は」
「すみません。それだけしか・・・・・・」
「俺。健太のお祖母ちゃんの実家へ行って調べてきます。もしかしたら、山中さんがまだいるかもしれないし、いなくても知ってる人がいるかもしれない」
母親は驚いたように俺を見たが、すぐに口元をキュッと結ぶとこう言った。
「私も行きます」
俺達は健太の家には戻らず、俺の家に行くことにした。いつまでも裸足で外にいるわけにもいかないし、あの家に帰る気にもなれない。
「お。帰って来たね」
息子が帰ってきたのを見た私は、健太の母親が一緒なのを見て
「全て話したようだね」
「え?何?何?」
真理が私の所に来て聞いたが、息子と健太の母親を見ると
「え?何で健太君のお母さんも一緒なの?」
と不思議そうにしている。
「そりゃあんた。あんなことがあった家に一人で帰せるわけないだろ?それに、家に来たって事はだ。息子が全て話したんだよ。それを理解したから家に来たんだ」
「ふ~ん。信じてくれたのかな?」
「だから、信じたから来たんだよ!」
私は真理をほっといてノートを取るとサラサラと書き始めた。
(話したようだね。あんた達が出て行ったあと少しだけ分かったことがあるよ。アイツが言ってたんだ。「嘘つき」「許さない」「時間」「楠」これだけだね)
息子は顔の前に出されたノートの字を読むと
「ああ。知ってる」
とだけ言った。隣の健太の母親はひとりでに動くノートを驚いた表情で見ていたが、口元を固く結び一緒に読んだ。
(そうかい。なら話が早い。これからどうするんだい?)
「取り敢えず、俺。風呂入りたい」
息子は健太の母親を茶の間に案内すると、自分は風呂に入りに行った。
茶の間に一人残された健太の母親にお茶を入れてやる。
「本当に大事になっちまったね。親より子供の方が先に逝くというのは猫が死ぬ事と同じように辛いだろうね」
「おばさん。猫より子供の方が辛いと思う」
すかさず真理が訂正する。
「何言ってんだい!あんな可愛い動物いないんだよ?全く平等だよ!」
「何か違うような気がする」
真理は、首をかしげながら言った。
健太の母親は、ひとりでに動く急須と湯飲みに目を奪われている。熱いお茶が入った湯飲みが自分の前に来ると周りをキョロキョロ見ながらも、ぺコンと頭を下げお茶を飲んだ。
私は台所に立ち取り敢えず夕飯の用意をし始めた。その間に息子は風呂から上がり茶の間に来る。
「今日よかったら家に泊ってってください」
「え?」
「あ・・・・・・いえ無理にとは言わないんですが、あの家に戻って大丈夫かなと思って・・・・・・」
健太の母親はほっとしたように笑うと
「有難うございます。お言葉に甘えさせていただきます」
と頭を下げた。
「ね!ね!ね!今日泊まっていくってさ!」
何故か真理が慌てて私の所に来て言う。
「分かってるよ。ここで聞いてたもの。何そんなに慌てて」
「だって。お泊りって・・・・・・」
「馬鹿だね。あんたみたいに子供じゃないんだよ?大人なんだよ。それにこんな事態だ。あんたが思ってるような事はないよ」
私は真理にそう言ったが、真理の耳には届いてないようだ。しきりに顔を赤くして息子と健太の母親を見ている。
「はぁ~」
ため息が出た。

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