未練

玉城真紀

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偽り

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良く晴れた次の日。息子は朝早くから健太の母親と一緒にお祖母ちゃんの実家へ向かった。健太の母親の案内で電車を乗り継ぎ、バスに揺られ着いた先は、とてもここに人が住んでいるとは思えないような場所だった。
「ここ・・・・・・ですか」
「はい」
そこは、見渡す限り山。四方八方山。鳥の声が聞こえ、サラサラと風に揺れる木の葉の音。それ以外は何の音もしない。道路は整備されているが、今乗ってきたバスが行ってしまうと他の車は一台も見当たらない。バス停の時刻表を見ると町の方に行くバスは、一日に3本。これを逃してしまったら野宿確定だろう。
「いや。すごいですね。本当にこの辺りに民家などあるんですか?」
「あるんです。少し歩きますが、こっちです」
健太の母親は林の方に入って行った。
「え?そっちですか?」
俺は慌てて追いかける。こんな所に置いてかれては大変だ。獣道のような道を通りながら林を抜けると、目の前に小さな集落が見えてきた。
「ここです」
健太の母親は振り向き俺に言った。見ると、眼下には田畑が広がり、ポツンポツンと民家が見える。今、俺達が立っている場所は少し小高くなっているようで、村を少し高い所から見下ろすようになる。
「こんな所に・・・・・・」
まるで、別世界に来たような感覚になった。小さい頃、昔話の絵本で見た絵をそのまま取り出したようだ。山に囲まれた家は瓦ぶきの屋根だが、ちらほら藁ぶきの屋根もある。
道は舗装されてはおらず、細い道の真ん中に生えている草がセンターラインのようになっている。昔は、車が通っていたのかもしれない。暫くその光景を見ていたが、人が見当たらない。畑もあるが、農作業している人もおらず静まり返っている。
「人はいるんでしょうか?」
「さあ。あれから来てませんから。取り敢えず、お祖母ちゃんの家へ行きましょう」
「はい」
足元に注意しながら急な坂を下りていく。集落に入り最初の民家が見えてきた。そこは廃墟になっていた。ガラス窓が割れ、屋根など至る所が壊れて穴が開いていた。庭には農作業に使う農機具などがあったが、どれもが茶色く錆て長年使われていないことが分かる。
「ここはもう住んでいないみたいですね」
「ええ」
それから何件かの家の前を通り過ぎたが、どの家も人が住んでいるとは思えないような家ばかりだった。
(こりゃ。山中さんの事を聞けないかもな)
そんな事を思っている時だ。
「ここです」
健太の母親は一軒の家の前で止まった。平屋の大きな家だ。どの家もそうだったが、家の玄関まで行くには細い道を少し歩かなくてはいけない。玄関まで続く花道のようだ。両サイドには、畑があるが手を入れてないので雑草で荒れ放題になっている。

「この家が健太のお祖母ちゃんの家ですか」
「はい」
健太の母親は、花道を通り玄関まで行くとカラカラと軽い音をたてて引き戸を開けた。
「鍵は閉まってないんですね」
「ええ。ここは鍵をかける習慣はないんです。夜もカギ閉めないんですよ。驚いちゃいますよね」
(田舎とはこういうモノなのか?)
どうやらゆったりとした時間が流れている所らしい。
「お邪魔します」
家の中に入ると、少しかび臭い感じがしたが、荒れている様子はない。この家を出る時に置いていった家具などが少し置いてあったが、それ以外は綺麗に片づけられている。
健太の母親は、ガタガタと雨戸を開け家の中に日の光を入れる。日の光にきらきらと舞う埃が、古い木材と合わさるとなんか寂しい世界を見せてくれる。
「こっちの部屋がお義母さんの部屋です」
雨戸を全て開け終わった健太の母親が案内してくれた部屋は、3畳ほどの小さな部屋だった。家具も何もなくがらんとしている。
「ここの荷物はすべて運びましたから何も残ってません。他の部屋には少し家具が等が残ってると思いますが」
「失礼して色々見て回ってもいいですか?」
「どうぞ」
俺は一部屋一部屋、念入りに見て回った。平屋の一軒家なのでそれほど手間はかからないと思っていたが、探し物をするとなると広く感じる。部屋数は台所と風呂を入れると7部屋となる。家の奥の方から探していった。置いてある家具などを覗いたり押入れや納戸、見落とすことなく見ていくが何も見当たらない。最後に台所。
「台所か・・・・・・」
古いタイプの台所だ。部屋から一段下がったところにあり、土間に簀子の様なものを敷いている。ガタガタと音がするので、コッソリとつまみ食いする事は出来なさそうだ。
「何か懐かしいな」
俺は台所に降り、レンジ下、シンクの下の棚を確認した。
「何もないな」
時間をかけて色々探したが、何も見つからなかった。
「何か見つかりましたか?」
「いえ・・・・・・なにも」
「そうですか」
「ご近所の方に話を聞いてみましょうか。山中さんの事知ってる方がいるかもしれないし」
「はい」
俺達は家を出て少し離れた隣の民家を訪ねたが、そこは誰も住んでいなかった。手当たり次第に家を見つけては訪ねてみたが、人が住んでいる家は一軒もなかった。
「もう誰もいないんでしょうかね」
「う~ん。少ないにしても一軒ぐらい人がいてもいいんですが」
「もう日が暮れてきましたね。帰りましょうか」
「そうですね」
何の収穫もないまま俺達は帰路に着いた。疲労だけが残った俺達は黙って歩いていた。
「あれ?」
健太の母親が畑の近くにあるビニールハウスの方を見て変な声を出した。
「どうしました?」
「あれ。何か明かりが見えませんか?」
見ると、ビニールハウスの一部がぼんやりと明るくなっている。
「行ってみましょう」
俺は慎重にビニールハウスに近づいていく。もしかしたら、浮浪者が住み着いてるかもしれない。相手が何をするかもわからないので、俺は近づいていく途中で見つけた木の枝を拾い手に握りしめながら近づいていく。すぐに折れそうな枝だったが何もないよりはいい。
後ろから不安そうな顔をした健太の母親もついてくる。ビニールハウスに近づくにつれ何やらパチパチという音が聞こえてきた。
(なんだ?この音は・・・・・・何か燃えてるのか?)
よく見ると、ビニールハウスの中に何かがあると思ったが違った。ビニールハウスの向こう側に誰かがいるのだ。覗き込んでみるとその人は、焚火をしながらその前で小さくなって火を見つめていた。焚火の炎の灯りが顔を照らす。年老いた男だ。俺達はビニールハウス越しにその人の様子を見ながら
「あれ。誰か知ってますか?」
「・・・・・・いいえ」
「この村の人かもしれません。ここにいてください。ちょっと話してきます」
俺はその男の所へ近づいて行った。ガサガサと言う俺の足音に気づいた男は顔を上げて俺を見た。きちんと髪は短く切りそろえてあり髭も剃っている。上はポロシャツに厚手の上着を着て白っぽいスラックスを履いていた。年は80代だろうか。
(浮浪者じゃなさそうだ)
「突然すみません。俺この村に住んでいる山中さんを探してるんですがご存じないでしょうか?」
男は俺をジッと見たまま返事をしない。
「あの~」
「私が山中だが」
低くしゃがれた声で男は答えた。
「え!あ、あの・・・・・・山中さんですか?」
男は焚火に目を戻し黙っている。
「実は私・・・・・・」
俺はこの村に住んでいた健太のお祖母ちゃんの事を話した。山中はお祖母ちゃんの名前が出るとハッとしたように顔を上げ俺を見る。
「・・・・・・と言う訳でその手紙を山中さんにお渡しなくちゃいけないんです」
細かい所は省き、目的だけを伝えた。山中は俺を見ていたがスッと下を向き
「その手紙は受け取れない」
と言った。
「え?何故ですか?山中さんでいいんですよね?お祖母ちゃんの事ご存知ですよね?」
「ああ。勿論知ってるよ。結婚を約束した仲だったんだから」
「そのお話も聞いてます。それで手紙のやり取りをしていたことも。実は、手紙を渡すようにと頼まれたお嫁さんですが、今ここにいるんです」
俺は健太の母親を呼び、こっちに来てもらった。健太の母親は注意深く山中を見ながら近づき頭を下げる。しかし、山中は健太の母親をちらりとも見ず、焚火をじっと見ているだけだ。
「この人。山中さんだったんです」
「え?!そうなんですか?」
「でも、手紙を受け取れないと言っていて」
「え?どうして?」
俺もその答えが知りたくて山中を見た。パチパチと焚火がはぜる音だけがしている中、ゆらゆらと火の明かりに揺れる山中の顔が、苦悶にも笑っているようにも見えた。
俺はその場に腰を下ろし長期戦を覚悟した。それを見た健太の母親も俺の隣に座る。
暫くそうしている間に辺りは真っ暗になってしまった。
「その手紙は受け取れない」
ようやく、口を開いた山中は同じ事を言った。俺は「なんで?」と言いかけたが飲み込んだ。
「私は受け取れない。何故なら、その手紙は私の兄が受け取る手紙だから」
「?」
「お兄さんが?」
「・・・・・・遠い昔の事で、私も若かった。しかし、あの出来事のせいで私はこの村から出ることが出来なくなった」
「どういう事ですか?」
そのまま山中は黙ってしまった。
「お願いです。何か大変な事情がおありなのは分かります。手紙を受け取るのがお兄さんならそのお兄さんの居場所を教えてください」
健太の母親はすがるように頼み込んだ。山中はチラッと健太の母親を見てまた焚火を見つめる。
「兄は死んだよ」
「え?」
なんてことだ。しかし、墓前にでも仏壇にでも何でも手紙を置くことで、渡したことにはならないだろうか。
「私がね。殺したんだ」
「・・・・・・」
今度は俺達が黙る番だった。(私がね。殺したんだ)頭の中でその言葉が繰り返し流れる。
「どういう事ですか・・・・・・」

ようやく絞り出すようにして言葉が出た。山中は小さくなった焚火に木を足しながら話し出した。
「あの人はこの村でも一番の別嬪さんだった。誰が自分の嫁にするかで村の男どもが目を光らせていたぐらいなんだよ。まさか、途中で引っ越してきた町の奴と結婚するとは思わなかったけどね。私と兄はね双子だったんですよ。しかし、兄の方は生まれつき言葉が話せなくてね。・・・・・・昔はね。特にこんな山奥の小さな村の中でそう言う子供が生まれると、その子供はいなかったことにするんだよ」
「いなかったこと?」
「そう。うちの場合は蔵の奥の方に小さな部屋を作って、そこに兄はいた。だから、村の連中は双子が産まれた事は知らなかっただろうな。私自身も始め知らなかったぐらいだから。だが、ある時ひょんな事から知ることになった。あれは驚いたよ。私と同じ顔の人間が蔵の奥の部屋にいたんだから。確か12歳ぐらいの時かな。驚いたけど、私は嬉しかった。友達にはたくさん兄弟がいたけど私は一人だったからね。両親に聞いたらお前の兄だと言われ、蔵に近寄ってはいかんと言われたが、毎日親の目を盗んでは兄に会いに行っていた。最初、兄は無表情でこちらが何を言っても反応しなかったけど、次第に表情が変わるようになっていった。それも嬉しくてね。兄はたくさんの本を読んでいたよ。きっと不憫に思った親が本だけでもと与えていたんだと思う。私には難しくて読む気にはなれなかったけど。・・・・・・本当にあの時が一番良かった」
山中の顔は一瞬穏やかな顔になったがすぐに険しい顔に戻ると
「それが崩れる時が来たんだ。あんたのお姑さんの存在だよ。さっきも言ったようにこの村で一番の別嬪さんだ。誰もが狙ってた。私も例外ではなかった。幾度となく、機会を伺っては花を持って行ったり、偶然を装って会いに行ったり、あの手この手で自分を気に入ってもらおうと頑張った。兄にも話したよ。兄は嬉しそうに、本で培った知識の中から色んなアドバイスをしてくれたもんさ。そんな時。妙なうわさが耳に入ってきた。私とあの人が恋仲だと言う噂だった。私は驚いた。私にとっては願ってもないことだったが、その話が変なんだよ」
「変?」
「・・・・・・私とあの人が、どこどこで座って話していたとか、腕を組んでいたとか、とにかく私には身に覚えのないことが噂になっていたんだ。これは変だと思い、あの人の所へ行って聞いてみた。すると「おかしな人ね。一緒にいたでしょ?」って笑って言うんだ。本当に私はおかしくなったのかと思ったね。でもね、ピンときたんだ。だから、あの日ずっと見張ってたんだ。・・・・・・蔵をね」
「ヒュ」
母親は、息を吸ったのか吐いたのか分からない変な音を出した。
「夕方、辺りが薄暗くなった頃に兄が蔵から出てきたんだよ。どうやって出たのかは分からない。普段ドアには、大きな錠前がかかっていたからね。その兄の後をこっそりついて行った。私の睨んだ通り、二人は会っていたんだ。仲良さそうに寄り添いながら座ってた。そう。座ってた。その場所は私が見つけた場所。とても景色が良く、いずれあの人を連れて行こうと思っていた場所。そこで二人は仲良く座ってた。ソレを見た時だよ。私が兄を憎みだしたのは」
「取られたと思ったんですか?」
「それもあるが、あの場所。私が必死で見つけた場所・・・・・・山を少し登るんだが、村一面見下ろせる場所でね。きっと気に入ってくれる。だからあの人を連れて行くんだ。と兄に話をしたことがあってね。今まで外に出ることが出来なかった兄がその場所を知ってるはずはない。取られたと思うと同時に裏切られたような気持ちになったんだね。そしてあの日・・・・・・」
それから、山中は長い時間黙って火を見続けた。
「私は兄を殺したんだ・・・・・・双子だからね。背格好も瓜二つ。兄がいなければ私があの人と交際できるって思ってしまった。村には知られていない存在だからいなくなっても問題ないだろうと。・・・・・・家にあった殺鼠剤を食事に混ぜた。私の前で悶え苦しみ死んでいったよ」
山中は顔を歪めた。俺は信じられなかった。そんな事が現実に起こりうるのだろうか。
「ご両親は・・・・・・勿論ご両親はお兄さんが亡くなった事知ったんですよね?」
「そりゃあね。でも、それほど悲しんでいる様子もなかったな。もしかしたら、厄介払いが出来たとでも思っていたのか。母親でさえ涙流してなかったからね。蔵の奥にあった部屋は、いつのまにか綺麗に片づけられていたよ。・・・・・・それから私はあの人との交際を楽しんだんだ。兄のふりをしてね。でも、そこまでしたのに私達は別の人と結婚することになる。親の言う事は絶対の時代なんだよ。あんた達には考えられんだろうな」
山中は自嘲気味に笑う。
「それで、手紙のやり取りが始まったんですね?」
母親が聞いた。山中は頷くと
「せめて手紙だけでもとね」
「途中から手紙が途絶えたのはなぜですか?健太のお祖母ちゃんは相手からの手紙が来なくなったと言っていましたが」
「・・・・・・手紙はちゃんと書いたよ。書いた。・・・・・・そう書いたんだ。間違いなく」
少し山中の様子がおかしくなった。
「書いたんですか?でも、健太のお祖母ちゃんの手紙読んでませんよね?」
「話したい事はたくさんあったからね。離れてしまった分何通でも手紙はかけたんだ。でもね・・・・・・」
「どうしました?」
パチンと勢いよく木がはぜた。
「書いた手紙が、ことごとくなくなってしまうんだ」
「え?」
「私もその頃には嫁さんをもらっていてね。勿論、嫁の目の前でそんな手紙を書くことは出来ないから、自分の部屋でこっそり書いていた。誰にも分からないように書いた手紙を隠し、次の日に持って行こうと思ってた。でも、隠していた所に手紙はないんだ。いくら探してもない。最初は嫁さんを疑ったね。だから、何度か手紙がなくなった時、一度嫁さんを実家に帰らせたんだ。体のいい用事を作ってね。その日に手紙を書き、直ぐにそのまま出しに行こうとした。しかし、急に腹の調子がおかしくなってトイレに行った。ほんの数分の事だよ。戻ってきたら手紙がないんだ。嫁さんが帰ってきた様子もない。一体どういう事なんだと恐ろしくなった。それからも、諦めずに手紙を書くが出せないんだ。なくなっちまう」
最後は吐き捨てるように山中は言った。
どういう事なんだろう。この男が単に勘違いしているのか。忘れっぽいのか。
「あ。あなたのご両親はどうですか?一緒に住んでいたんですか?」
「あの時はもう両親は亡くなっていたんだよ」
「ふ~ん。不思議ですね。出せない手紙・・・・・・」
俺は腕を組み考え込んだ。すると、健太の母親がポツリと
「お兄さんじゃないんですか?」
「え?お兄さん?だって、その時はもう・・・・・・亡くなってるんですよ?」
俺は思わず「殺されてるんですよ」と口から出そうになったのを慌てて言いなおした。
「はい。確かに今のお話を聞く限りそうでしょうけど、私に今まで起こったことを考えるとやっぱり幽霊っていると思うんです。だから・・・・・・つい。お兄さんではと思って」
健太の母親は少し気味悪そうに言った。
「そうだね。私も当時はそんなこと思いもよらなかったが、何年かしてようやく私もそう思うようになった。アレは、兄がやった事なんだろうと。それに、私の身に起こる不幸も私に対する兄の怒りの表れだと思ってる。嫁との間には子供は出来なくてね。それでも仲良くはやっていた。でも、嫁は病気で死んでしまった。結婚して5年目の頃だったかな。その後、私はこの村を出ようとしたが、ことごとく、邪魔が入るんだよ」
「邪魔?」
「ええ。例えば、知人の車を借りいざ出発と言う時に、車が故障。しかたなく、別の知人に車を手配してもらい次の日に車が来ると言う時、その知人が亡くなる。荷物を持っていくのをあきらめ体一つで行こうと思い、小さなカバン一つで村から出ようとすると、突然胸が痛みだしその場にうずくまり動けなくなる。見送りに来てくれた友人が担いで家に連れて行ってくれてね。家に着いた途端、痛みが嘘のように治ったんだ。それは3回ほどあった。もうその後は村を出ることを諦めたんだよ。・・・・・・で、今に至るって訳」
山中は焚火の火を棒でカサカサといじり始める。
「それからずっとここに住まわれてるんですね?ここにはあなた一人だけですか?」
「ええ。若い人は町に出てしまい、残った年寄りはみんな亡くなりましたね。・・・・・・もう暗い。うちに来るかい?」
山中は立ち上がり、腰を伸ばしながら言った。俺はどうしようか迷ったが、俺より先に健太の母親が返事をする。
「はい。もしよろしければ」
結構肝が据わっている。山中は足で焚火に砂をかけ火を消すと歩き出した。俺達は後をついていく。山中が入って行ったのは、健太のお祖母ちゃんの家から2軒隣の家だった。
「え?ここ?」
余りにも近いことに驚いた。近いと言っても、街中の住宅街の2軒隣の距離よりは離れているが。
山中はガタガタと古い引き戸を開け、暗い家の中に吸い込まれていく。外でその様子を見ていると部屋の電気がついた。電気は来ているようだ。
「お邪魔します」
と健太の母親が先に入ったので俺も慌てて家に入る。古い家だが、こざっぱりと片付けられており廃墟感はない。山中に勧められ高い敷居を上がると、居間のような所に座った。
「何もないがこんなものでよければ」
と、出してくれたのは山で採ったものか山菜のお浸しだった。
「すみません。お構いなく」
そう言いつつも、俺は腹が減っていたので早速つまむ。
「うまい!」
本当に美味かった。山菜の苦みもきつくなく、歯ごたえも程よく残っている。俺はあっという間に食べてしまった。それを見て、山中は嬉しそうに笑うと
「蕎麦もあるから、ちょっと待ってくれるか」
と奥の部屋へ消えた。
健太の母親も恐る恐る食べたが、「美味しい」と笑顔になる。その後、山中が作った山菜蕎麦を3人で食べる。食べている間は、手紙や昔の話はあえてしなかった。山中は、村から出られないので、外の様子はテレビで情報を得ているらしいが、やはり気になるらしく俺に色々聞いてきては嬉しそうに頷く。そんな様子を見ていると何だか気の毒になってくるが、あの話が本当なら目の前で一緒に食事をしている男は、人殺しなのである。どんな理由があっても人殺しなのだ。
食事も終わり、大分打ち解けた俺達は健太の母親が食器を洗いに行っている間も、二人で話しは続いていた。初め警戒しているようだった山中も、丁寧に俺達をもてなしてくれているのが分かる。しかし、ここに遊びに来たわけではない。俺は思い切って手紙の話を切り出した。途端、山中の表情は険しくなる。
「すみません。俺、手紙を開けてしまったんです。達筆すぎて俺にはなんて書かれているかわからなかったんです。もし読めてたら、もっと早く届けることが出来たのに」
俺は手紙を出しながら言った。山中は手紙を穴が開くほどじっと見た後
「最初にも言いましたが、その手紙は兄が受け取るべきでしょう」
「え?でも、あなたと手紙のやり取りをしていたんですよね?でしたらこの手紙はあなた宛てという事に・・・・・・」
「形はそうでも中身は違うんです」
「どういう事ですか?」
「あの人は知っていたんだと思います。自分が愛した人ではないと」
「なぜそう言えるんですか?双子ですよね?瓜二つの」
「ええ。でもわかるんでしょうね。何通目かの手紙に書かれてました。
(あなたにお詫びしなくてはいけません。あの人にそっくりだからとお会いしたり、結婚後も手紙のやり取りをしている事を。我儘な私を許してください)とね」
「それって・・・・・・お兄さんではないと分かっていたという事になりますよね?なぜ、分かったんでしょう?」
「わかりません」
「う~ん」
「多分女の勘だと思うわ」
手を拭きながら居間の方に入ってきた健太の母親が行った。
「女の勘?」
「ええ。理屈じゃないんですよ。これで分かりました。お義母さんが言ったあの言葉」
「あの言葉?」
「はい。偽りはいつまでも長く続かないもんさってあの時言ったんです」
何に対しても鈍感な自分には想像がつかないが、女と言うのは妙に勘が働くものなのか。
「う~ん。そうだとしても取り敢えず手紙を見てください。これはあなた宛てに書いたものなんでしょうから」
俺がそう言うと、渋々山中は手紙を取り中を読み始めた。ゆっくりと一つ一つの文字を丁寧に読んでいるかのように暫く手紙を見ていた。
「やはり、私は手紙を出さなくて正解だったのかもしれません」
読み終わった手紙をパリパリと音をたて丁寧にたたむとそう言った。
「どういう事です?なんて書いてあったんですか?」
「・・・・・・終わりを告げる内容です」
「終わりを告げる・・・・・・」
「ええ。愛した人を裏切っているのでは。と言う気持ちを抱えながら手紙のやり取りをしてきたけど、例えこの世にいなくても自分が愛した人は一人。偽りは長くは続かないからもう終わりにしましょうという事が書かれてますね」
(この世にいなくても・・・・・・そこまで知っていたのか?)
健太の母親は、何も言わず悲しそうな顔をしていた。
分からない事が残ったが、答えを知っているお祖母ちゃんはもう亡くなっている。取り敢えず手紙は渡したわけだし、これで、成仏してくれるだろう。その後、山中が用意してくれた埃臭い布団で音のない静かな部屋で眠りについた。
朝になり目が覚めると、良い匂いが漂ってくる。居間の方へ行くと健太の母親が朝ご飯を作りテーブルに並べている所だった。
「あ、おはようございます」
「おはようございます。早いですね」
「何か眠れなくて。勝手に台所借りちゃったんですけど大丈夫だったかしら?」
「大丈夫じゃないかな。あ、おはようございます」
俺達の話声で起きてしまったのか、山中が俺の後ろに立っていた。
「おはようございます。朝ご飯作ってくれたのかい?悪いね。久しぶりだなぁ誰かに作ってもらったのを食べるのは」
山中は嬉しそうだ。それを見た健太の母親はほっとした様子で
「さ、食べましょう」
と言った。
朝食を食べ終わり、一夜の宿のお礼を言い家を出ようとしたが、ある事を忘れていたのを思い出した。
「あ、そうだ。お兄さんのお墓はどちらですか?手を合わせて行きたいのですが」
「・・・・・・それが分からないんですよ。昨日話したように、いつの間にか蔵の中は綺麗に片づけられてたので。新しく墓を建てたのか、家の墓にいれたのか。うちの墓でしたら、この横の道を行くと道沿いにありますよ。一つだけしかないのでわかると思います」
「そうですか。行ってみます。有難うございました」
俺達は頭を下げ、もう一度お礼を言うと教えてもらった道を歩きお墓を目指した。お墓はすぐに見つかった。何年も掃除をしていないらしく雑草が伸び放題になって、墓石も薄汚れている。
「大分掘ほっといたみたいですね」
「ええ。少しだけ草むしりしていきますか?」
「え?よそのお墓ですよ?」
「そうですけど、こうやって縁が会ってここに立ってるわけだし、駄目ですか?」
健太の母親は申し訳なさそうにしたが、確かにそうだ。
「そうですね。少しやっていきましょうか」
俺達は、お墓周りの雑草を抜き始めた。腰が痛くなってきた頃、ようやくお墓の周りが綺麗になる。
「ふぅ~」
俺は大きく息を吐くと、ある物を見つけた。墓石の隣に小さなお地蔵さまが置かれている。
「このお地蔵さまは何でしょうね」
「え?あ、本当だ。・・・・・もしかしたら、お兄さんのお墓の代わりなんじゃないでしょうか。ちゃんとお墓を立ててあげることが出来ないから、お地蔵さまで代用したとか」
「なるほど。そうかもしれませんね」
俺達はお墓の前で並んでしゃがむと、手を合わせた。
「じゃ、行きましょうか」
「はい」
今日もいい天気だった。町の中と違い空気もうまい。歩きながら俺は考えた。
(時代がそうさせたのか、想像もつかない出来事だったな。しかし、人を一人殺しておいて、それを家族が隠す。いくら初めから世間に出していないにしても、それがまかり通る時代があったのか。恐ろしい時代だ。・・・・・・いや。孤立した村だから出来る事なんだろう。時代は関係ないのかもしれない)
等、頭の中では答えのない問題のようにぐるぐると回っている。
「何か。やりきれないですね」
健太の母親も同じ気持ちらしい。
「はい」
俺達は、何かすっきりしないまま町に戻った。

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