未練

玉城真紀

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解決

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ようやく田舎から戻り、慣れた町の喧騒の中を歩く。さっきまでいたのが静かな村だけに結構なギャップを感じながら家に戻った。
「ねねね!おばさん!帰って来たよ!」
真理が大騒ぎしながら、茶の間でテレビを見ていた私の所に来た。
「はいはい」
私はよっこらしょと腰を上げ息子たちを迎えるため玄関に向かった。
「!!?」
玄関で疲れたように靴を脱ぐ二人の後ろに、よれよれのグレーの着物を着た若い青年が立っている。無表情の青い顔をした痩せている青年だ。髪は綺麗に整えられているが、明らかに生きている人間ではない。勿論息子たちは気がついていない。
「なるほどね。あれが健太のお祖母ちゃんの好きだった人かい」
私は詳しい事情は分からないが何となくわかった。家に上がった息子は冷蔵庫から飲み物を用意し健太の母親に渡している。その間も息子たちの近くにその男は立っているのだ。
「お袋、行ってきたよ」
息子が飲み物を飲みながら言ったので、私はいつものノートを出し書き始めた。
(そのようだね。分かった事を聞かせてくれよ)
「それがさ、なんとも複雑な話でさ・・・・・・」
と息子はこの一日で知りえた事を細かく説明してくれた。私はそれをじっと聞いていた。真理にもその男の存在は見えているらしく、少し落ち着かない様子だったが息子の話を黙って聞いている。息子の話をすべて聞き終えた時、真理が
「そんな事ってあるの?ひどくない?ありえないよ」
と驚いていた。確かに今の時代では考えられないだろうが、昔はそういう時代だったのだろう。ましてや場所が場所だ。騒ぐ真理をほっておいて
(なるほどね。まぁなんにせよ、手紙は渡してきたんだ、健太のお祖母ちゃんとの約束は果たしたことになるね。しかしなんだろうね)
「なんだよ」
息子が怪訝そうな顔をする。
(いやね。あんた達の後ろによれよれの着物を着た男が立っているんだよ。何にも話さずにね。黙~って立ってるだけ。もしかしたら、その殺された男。山中さん本人かね)
「うそっ!」
健太の母親はノートを読み、口に手を当てて驚いている。俺も急いで周りを見るが何もいない。
「本当かよ。俺達について来たって事か?どうしたらいいんだ?」
(取り敢えず、健太の家に連れて行こうかね。あそこにはお祖母ちゃんがいるんだ。皮肉な話だけど死んでから一緒になるのもありだろう?)
俺と健太の母親は顔を見合わせた。

「本当にお兄さんが憑いてきてるんでしょうか」
「さあ。でもそう書いてあるし・・・・・・取り敢えず行きましょう」
俺は帰って来たばかりなので少し休みたかったが、また家を出た。
健太の家に着き、あの和室に入る。
「あ、お母さん!」
と、廊下の奥の方からパタパタと駆け足で健太が出迎えるが、当の母親はもちろん気がつかない。健太はさみしそうな顔をしながらも私を見つけると
「おばさん。どうしたの?またみんなで遊びに来たの?」
「今日はね。お祖母ちゃんにお客さんを連れてきたんだよ」
「お客さん?」
健太は息子の後ろにいる男に気がついた。
「この人?」
「そうだよ。お祖母ちゃんはいるかい?」
「今は寝てるよ」
「寝てる?悪いけど起こしてくれないかな。大事なお客様なんだ」
「うん。分かった」
健太は息子たちの間をすり抜け、窓の方へ行くと
「お祖母ちゃんお客さんだって。お祖母ちゃん!」
私は健太が何もない宙に向かって話しかけているのを用心深く見ていた。暫くすると、瞼を開けるように、あの目がゆっくりと現れた。私は前に出て目に話しかける。
「あんたの手紙は息子とあんたの息子の嫁が届けて来たよ。ついでにね、ここまでついて来ちゃったお客さんがいるんだよ。あんたに用事なんだろ。会ってやりなよ」
そう言うと、私は持ってきたノートに
(あんた達は少し下がってな)
と書く。息子と健太の母親は部屋の入口まで下がる。部屋の中には私と健太、そしてあの男が残った。真理はこの目が苦手なのか遠くで見守っている。
男を見つけた目は、大きい目をさらに大きく目を見開く。次に部屋中に響く大きな声で「うぉ~んうぉ~ん」と声を上げた。男の方を見ると何も顔色一つ変えず無表情のままだ。
私は男に近寄り
「あんたね。姿形は変わってしまってるけど、あんたが愛した人だよ。何か反応したらどうだい?」
それでも男は黙って表情一つ動かさない。その間も目の大きな声はやまない。
「ちょっとあんた!少し黙ったらどうだい?そんな大きな声を出しちゃあ話も出来やしない!」
私は目を叱るように言った。
「おばさん、おばさん」
健太が私を呼んだ。
「なんだい?」
「お祖母ちゃんね。出して。出してって言ってるんだよ」
「え?出して?どういう事だい?」
「よくわかんないけど、お祖母ちゃん黒い穴に食べられちゃったから、多分そこから出してって事だと思う」
「その黒い穴はこの目の事なんだろ?」
「違うよ!黒い穴と目が違うことぐらいわかるよ!」
「じゃあ。この目は何者なんだい・・・・・・」
大きく見開き男を見ている目を私は見た。
「でも健太。この目の中にお祖母ちゃんがいることは間違いないんだよね?」
「うんいる」
私は考えた。生きてた時にこんなに頭を使った事はまずなかっただろう。
「もしかしたら、自分につかまってるのかもしれないね」
「どういう事?」
遠くの方で見守っていた真理が聞いた。
「いいかい?約束を破られた健太のお祖母ちゃんは、嫁さんを憎んだんだ。その憎しみにお祖母ちゃんは吸い込まれていったんだよ。それが健太が見た黒い穴さ。それからその黒い穴は変化したのさ。目にね。目に形を変えたのは、手紙の行方をよく見るために。それに私はこいつの中に一度入った時、健太のお祖母ちゃんにあったんだ。とても優しい顔をした人だったよ。だから、お祖母ちゃん自身は少し残っているんだと思う。憎しみに飲まれてしまったんだよきっと」
「う~ん。じゃあ、出してって言ってるのは普段のお祖母ちゃんって事?」
「そうだね。黒い穴も、目も、出してって言ってるのも同じお祖母ちゃんだけど、想いが違うんだね」
私は、黙って立っている男を見た。すると、先程まで無表情だった男が、目を大きく開き口を何やら動かしている。息子からは生まれつき話せない人だと聞いていたが、男は何かを話し出した。
「私は・・・・・・私は・・・・・・」
絞り出すように必死になって話そうとしている。次に、男は目の前にある大きな目を包むように両手を差し出すと
「私はここだ」
と言った。
その途端に目から、大きな涙が一つこぼれ落ちた。その涙が畳に落ちた次の瞬間、目が消えた。
「あ、消えた」
真理が言った。
その代わりに、背の低いお祖母ちゃんが立っている。私が目の中で見たあのお祖母ちゃんだ。男とお祖母ちゃんは、二人ゆっくりと近づくと、嬉しそうにしっかりと手を握り合う。何度も何度も握り合った手を撫でている。まるで、お互いの存在を確かめているかのように。
「あ!お祖母ちゃん!」
健太が無邪気に声を上げる。その声に気がついたお祖母ちゃんは、畳に膝をつき自分に抱き着いてくる健太をしっかりと受け止めると
「ごめんね、ごめんね」
と、泣きながら何度も謝る。健太は嬉しそうにお祖母ちゃんの腕の中にいた。
「健太のお祖母ちゃんだね?私と会ったのを覚えているかい?」
私が聞くと、お祖母ちゃんは私を見て
「ええ。覚えてますとも。全て、遠くから見ていました」
「そうかい。じゃあ話が早いね。健太がこうなったのはもう悔やんでもしょうがない。これから健太と一緒にいてくれればいいと思うんだけど、どうだい?」
お祖母ちゃんは健太の頭を愛おしそうに撫でながら
「ええ。ええ。もちろん私は健太と一緒にいつまでもいます。ね。健太」
「うん。お祖母ちゃんと一緒にいるよ!」
健太も嬉しそうだ。
「あと、嫁さんの事はどうするんだい?あんた嫁さんも食べる気でいたそうじゃないか」
「ちゃんと見てましたよ。わざわざ私の故郷にまで行って手紙を渡してくれたこと。本当に申し訳ない」
「じゃあ。許してあげるんだね」
「ええ」
お祖母ちゃんはにこりと笑った。
「良かった!」
健太も嬉しそうだ。
「では、お世話になりました」
お祖母ちゃんは健太と一緒に立ち上がり言った。
「どこに行くんだい?」
「楠の所に行きます。私達あそこから始めます。今度は健太も一緒に」
そう言ったお祖母ちゃんと男は、・・・・・・いや。もうお祖母ちゃんではない。男は変わらないがお祖母ちゃんは若い娘になっていた。
「そうかい。3人で楽しく過ごすんだよ」
「有難うございました」
男と娘は頭を下げると、ニコニコと笑顔の健太と手をつなぎ消えた。
「・・・・・・終わったの?」
真理がこちらに来て言ったので
「そうだね。終わったね」
「はぁ~」
真理はその場に座り込んだ。
「ハハハ。どうしたんだい?」
「何か一気に疲れた」
「私達が疲れるもんかい!」
「気疲れよ。気疲れ」
「取り敢えず、あそこに立っている二人に説明しなくちゃいけないね」
私は部屋の入口に立っている健太の母親と息子を見た。
その後、ノートにたくさんの字を書く羽目になる。ようやく全てを書き終わった頃、二人を見ると泣いている。健太のお母さんは分かるが、息子が結構な勢いで泣いているのには呆れてしまった。
(男がそんなに泣くんじゃないよ!)
「だって・・・・・・だって・・・・・・健太はお祖母ちゃんと一緒に逝けたんだろ?・・・・・・良かった。本当に良かった」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔を上げて息子は言った。
「はぁ~」
私はため息が出たが、嬉しい溜息だった。
その後、息子は赤い目をしながら健太の母親に挨拶をすると家を出た。

次の日。息子は久しぶりに会社へ出かけた。弁当を持たせ息子を見送った私は
「さあて。大きな仕事を終えた気分だね。今日は家でゆっくりしようかね」
「そうね」
真理も伸びをするように両手を上にあげた。本当にゆっくりとした一日だった。天気もいいし、とても静かだ。隣の奥さんもあれから郵便物を勝手に漁るようなことはしなくなった。真理は、私がつけてやったテレビを見ながら居眠りしている。その横で私は本を読んでいた。
その時、外からにゃおんと猫の鳴き声がした。
「おや?この鳴き声は」
無類の猫好きな私は、家の周りにいるすべての猫の鳴き声を聞いただけで、どの猫が分かるぐらいなのだ。カーテンを開け外を見ると、真っ黒な猫がこちらを見上げながらチョコンと座っている。
「やっぱり、クロだったんだね」
カラカラと窓を開け、クロの名を呼ぶ。クロは、じっと私を見たまま、にゃおんと一声鳴くと鍵型の尻尾をピンと立て、茂みのなかに行ってしまった。
「クロがうちに来るのなんて、珍しいね」
クロが消えて行った茂みを見た。
夕方になり
「さて、そろそろ夕飯でも作ろうかね。今日は何にしようかな」
「カレーがいい!」
「え?」
突然の声に驚いてみると、何とそこには健太がニコニコしながら立っている。
「健太!あんた何でここにいるんだい?」
「へへへ。お祖母ちゃんと一緒にいたかったんだけど、おばさんと一緒にいる方が楽しそうだから」
健太はいたずらっぽく笑いながら言った。
「はぁ~。お祖母ちゃんは何て言ってるんだい?」
「気を付けて行っといで。って言った」
健太はニコニコしながら言う。生前はこんな笑顔は見なかった。こんなにも可愛い顔するんだなと思ったら、愛おしくなった。
「仕方ないね。いいよ。一緒にいても」
「やった~!おばさん。カレーね」
「はいはい。でもあんた食べれるのかい?」
「え?食べれるよ?」
「・・・・・・そうかい。今作るから待ってな。息子には魚でも焼けばいいか」
健太は嬉しそうにテレビが置いてある部屋に行くと
「あ、お姉ちゃん寝てる!」
楽しそうな声が聞こえてきた。
(やれやれ・・・・・・)

暫くしてカレーが出来上がり
「健太。出来たよ」
「は~い」
健太は椅子に座ると、両手を合わせ
「いただきます」
と挨拶をしてカレーを食べだした。
「!?」
本当に食べていた。生きている者が食べているようにスプーンでカレーとご飯をすくい、口に運ぶと咀嚼し飲み込む。
「健太・・・・・・美味しいかい?」
「うん!美味しいよ!」
健太はあっという間にカレーを平らげてしまった。
「おかわり!」
「う、うん」
(そうか、健太は食べることが出来るんだね。そう言えば私もコーヒーは飲めたっけ。味はしなかったけど)
私は健太のおかわりのカレーを持って行く。
「あれ~健太君何でいるの?」
寝ぼけた顔をして真理が起きてきた。
「あ、お姉ちゃん起きた!」
「健太は私達と一緒にいたいんだってさ」
「え~?お祖母ちゃんはどうしたの?」
「大丈夫なんだってさ」
「そうなんだ。ハハハ。ここの家は住む人がだんだん増えていくね」
真理は楽しそうに笑って言った。
「全くね」
「ただいま~」
息子が帰ってきた。
「はいおかえり」
息子は久しぶりの仕事だったからか、疲れているようだった。
「風呂入る」
それだけ言うと、風呂に入って行った。
「大分疲れているようだね」
台所に行き夕飯の用意をする。テーブルに出来上がった料理を並べていると、息子が風呂から上がってきた。
「ふぅ~疲れた。今日は魚か。肉が食べたかったな」
「文句言うんじゃないよ。作ってもらえるだけでもありがたいと思いな」
いつもの日常が戻ってきたように感じた。健太と言う可愛い同居人が一人増えたが。
「ね、おばさん。健太君の事、息子さんに言った方がいいんじゃない?」
「そうだねぇ」
当の健太はカレーを食べ終え息子の周りで駆けずり回っている。私はノートを出し健太の事を書いて息子に見せた。それを読んだ息子は
「はぁ?健太いるのか?」
名前を呼ばれた健太は
「僕いるよ」
と返事をしている。
「そうか。俺達と一緒にいたいのか」
「私達、とだけどね」
真理が言いなおす。
「お袋。健太はどこにいるんだい?」
(あんたの右隣に立ってるよ)
「そうか」
食べるのをやめ、息子はそちらの方に体を向けると
「健太。俺の声が聞こえるかい?」
「聞こえるよ」
「お祖母ちゃんと一緒にいなくて大丈夫なのか?」
「うん」
「ここにいてもいいけど。お母さん一人なんだよ。お母さんと一緒にいるのは嫌かい?」
「・・・・・・僕。お母さんの所に行けないんだよ」
「お袋。健太は何か言ってるか?」
(ちゃんとあんたの声は健太に届いてるよ。それにお母さんの所に行けないって言ってるね)
「行けない?なんで?」
(ちょっと待ってな。あんたが入るとややこしいから、私がまず健太と話をするから)
私はノートをパタンと閉じると
「健太。お母さんの所に行けないってどういう事なんだい?」
「わかんない。ここに来る前にお母さんに会いたいからおうちに行ったんだ。でも、お家の中に入れないんだよ」
「鍵が閉まってるって言う事かい?」
「ううん。僕お庭の方から入ろうとしたの。開いてたからお母さん居るんだと思って入ろうとしたら入れなかった」
「ふん。どうしてはいれないんだろうね」
「わかんない」
私は健太から聞いたことをそのままノートに書き、息子に見せた。息子はノートを片手にもう片方の手は頬杖を突きながら考えた。
「う~ん。何でだろうな・・・・・・ま、入れないならしょうがないよな」
私はノートを息子から取り
(じゃあ。いいんだね?これで一人増えて家族が4人になったよ。賑やかでいいね)
「賑やかなのか?俺には何も見えない聞こえないなんだぞ?」
息子は呆れながらまた食事を始めた。
「フフフ」
健太は楽しそうに家の中を探検している。真理はこの話には興味ないのか好きなアーティストが出てるテレビを真剣に見ている。私はこの様子を見て、本当にこれが生きているうちの家族だったらよかったのに、なんて考えた。
(しかし気になるね。何で家に入れなかったのか)
後で確認することにして、その日は私の部屋で床に布団を敷き三人で寝た。

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