未練

玉城真紀

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次の日の午後。
私達は約束通り健太の家に集まった。勿論、日引も水島と共に来ている。相変わらず日引は家の中に入らずに石の上に腰を掛けている。左官屋も到着して作業開始。さすがプロだ。壊す範囲も狭いという事もあるが、あっという間に頼んだ場所を掘ってしまった。それを興味深そうに健太は見ている。掘ってそのままという事も出来ないので、また来て直してもらうという事で今日は帰ってもらった。左官屋はかなり不思議がっていたが、そこは水島が何とか誤魔化してくれたようだ。
さて、掘り出した場所。土がむき出しになって土の匂いが立ち込めている。
「ここを掘ればいいのかな」
息子は、自宅から持ってきた小さなシャベルでガツガツと掘り出した。かなり固いらしく苦労しながら掘り進めていく。すると、ガツッっと音がしてシャベルが何かにあたった。息子は、周りでかたずを飲んで見守っていた健太の母親と水島の顔を見ると、今度は慎重に土をどけていく。そこから出て来た物は、箱だった。元は白っぽい色をしていただろうが今は所々真っ黒になった箱。大きさは縦三十㎝横二十㎝位だろうか。見えている部分には何も書いていない。
「取り出せるか?」
水島は息子の手元を覗き込みながら言った。
「ちょっと待って・・・・・・よいしょ」
息子は中から箱を取り出した。少し厚みのある箱だ。土まみれのその箱を持ちながら
「日引さんに見てもらおう」
と息子はその箱を持ったまま外に出る。座っていると思った日引はこちらを向きながら立って待っていた。
「そうそう。それだね。どれ見せてみな」
息子は日引の所に箱を持って行くと手渡した。日引は箱を受け取ると、箱の上の土を払いのけながら
「うんうん。そうだね。見つかって良かったよ。今待ってな」
と一人で話すと、箱を開けた。みんな箱の中に何が入っているのか知りたかったので、前のめりになって覗き込んだ。がその瞬間
「うわっ!くさっ!」
「なんだこれ?」
「何か、焼けた匂いがしますね」
とそれぞれに言う。私と真理は匂いが分からないので息子たちの反応を見ていた。箱の中に入っていたのは一体の人形だった。セルロイド製の女の子の人形だ。金髪の髪でクルクルにパーマがかかっている。顔の堀が深く目は青い。おちょぼ口の口は薄っすらと笑っている形になっており剥げてはいるがピンク色をしている。服は、元は青かったと思われるドレスを着ており肩と腰の部分にフリフリのレースがついている。きちんと靴も履いており茶色の紐靴。日引はその人形をゆっくりと箱から取り出す。取り出された人形は髪がはらはらと落ちる。
「人形・・・・・・」
「これはあんたの人形じゃないだろ?」
「ええ。うちのではないです。何であんな所に?」
健太の母親は不気味そうに人形を見る。
「ここは一度火事になってるね。その火事で死人が出てるはず。子供もいるね。その子の人形だよこれは」
「え?火事?」
健太の母親は、過去の事をまだ聞いていないらしい。

「ここの土地では・・・・・・五人死んでるんだね。まあ、そう言ったら色んな所でもそう言う土地は沢山ある。キリがない。でもここは特別だね。・・・・・・なるほど、この子の想いを呼んじゃったんだね。一応これはきちんとお焚き上げをしてもらった方がいいよ」
「日引さんは出来ないんですか?」
「私は出来ないね。取り敢えず、これで一つは大丈夫だよ」
確かに大丈夫そうだ。なぜなら、私と真理には見えていた。日引の持っている人形にしがみついている女の子が。箱が掘り起こされた穴から出た時、箱だけではなく女の子も一緒に箱にしがみついて出てきたのだ。私と真理は言葉も出ないくらいに驚いた。その女の子は服を着ておらず、体の至る所が焼けただれていた。髪はちりぢりになり真っ黒な顔で箱だけを見ている。日引も見えているのだろう。箱を開ける時に言った言葉は、箱にしがみついている女の子に対して言ったのだ。しかし、箱を開け人形を出した途端にその女の子は赤いワンピースを着た綺麗な姿になったのだ。年は八~九歳ぐらいだろうか。髪を二つに結った可愛い女の子だ。
「あの、日引さん。この子って言いましたけど・・・・・・」
「うん。ここにいるからね」
と、人形の下を指さす。
「・・・・・・そうですか。でも、その子の想いを呼んだっていうのはどういうことですか?」
「う~ん。・・・・・・なるほどね。お母さんに隠されちゃったのかい。うんうん。探している間に、ストーブに洗濯物が・・・・・・火事が起きて・・・・・・そうかい。見つけたかったんだね。余程大切にしてんだ」
日引は、今も人形のドレスの端をギュッとつかみ離さない女の子と話している。しかし、今の話で大体の事は把握できた。みんな黙ってしまった。
「これで・・・・・・これで解決できたんでしょうか?」
息子が恐る恐る日引に聞いた。
「まず一つ。数を数えるという事は解決したね。この子の親は、子供が言う事を聞かない時、数を数えていたんだろう。ひと~つ、ふた~つとね。人間カウントダウンのような事をされれば焦るものさ。この子にとってはソレが印象強く残っていたんだろうね。人形を見つけられなかった無念と数を数えられる恐怖の思いが今回出たんだよ。後は・・・・・・」
「後は・・・・・・」
「とても厄介なものだよ」
と言うと日引は私の方を向いて
「あんた。あんたは気づいてるんだろ?」
と言ったので、私は驚いて、自分の顔を指さし
「私?」
と言った。
「そう。あんただよ」
日引は当たり前と言ったようにため息交じりに言った。
「あの・・・・・・」
息子は、何もない所を見て話す日引に戸惑いながら声をかけると
「あんたの母親に話してるのさ」
「え?お袋と?お袋が何か知ってるんですか?」
と、こちらを向きながら言った。
「知ってると言うか、何かおかしいという事は感じているよね。例えば、あんたの家の隣の人さ」
私はドキッとした。すぐに内山さんの事だと分かる。
「おばさん。どういう事?何か知ってるの?」
真理が心配そうに私に話しかけてきた。いつの間にか健太は、人形のドレスの裾を持っている女の子と楽しそうに話している。
「この人は何もかも知ってるようだ」
私はこれまでの事を話そうとすると
「う~ん。ここじゃ何だから。近くに公園があったよね。そこで話そうか」
日引は、健太の母親に人形を渡し供養をきちんとしてあげることを約束させると、公園の方へ一人歩いて行ってしまった。慌てた息子は日引の後を追う。残された水島は興味深く人形を観察している。
私は、不安な気持ちを抱え真理と健太を連れ公園へと向かった。

申し訳なさそうにブランコが一つあるだけの小さな公園だった。先に来ていた日引と息子は今にも崩れそうなベンチに腰かけている。二人の近くに行くと
「さて。話してごらんよ」
と私を見て言う。
「何から話していいのか・・・・・・」
「そうだね。話しづらいかな。そこのお嬢さん。少し席を外してくれないかい?」
と真理を見て言った。
「え?私?何で?」
真理は訳が分からない様子で言った。
「悪いね。後できちんと話すから健太と一緒に向こうで遊んでてくれないかい?」
私も頼んだ。真理は渋々健太を連れブランコの方へ行った。
「最初は真理の事なんだよ」
「そうだね。あんたが名前を聞いた途端に死んじまったんだろ?」
「・・・・・・そう。それと同じことがあった。健太のお祖母ちゃんも消えてしまったんだよ。一体どういう事なんだろう?」
「まあまあ。ソレは後で教えてあげるよ。それより、あんたの隣に住んでる人」
「そう。内山さんの事。あの人は幽霊を利用できると私に言った」
「そうだろうね。あんたの家にお邪魔した時、息子さんの後ろの窓からずっとこちらを見ているような気がしたんだよ。何かがね」
その言葉に息子は反応し
「え?うちに来た時ですか?何がいたんですか?お袋?」
「違うよ。いいから少し黙っておいでよ」
そう言われた息子は、しゅんとして下を向いた。
「あの内山さんは何者なんでしょうね」
「ん?あの人はもう死んでるよ」
「え⁉」
驚きすぎて次の言葉が出てこない。
「健太の家の建つ前に五人死んでると言っただろ?その内の二人さ」
確かに水島が言っていた。火事で家族三人が亡くなる前、若い男女が首吊りで死んでいると。
「まさか・・・・・・」
「アレは凄いね。実体化し始めてるんだよ。つまり、死んだ二人は、生きてる人間にとりついたのさ。とりつかれた人間はもう半分以上支配されて自分と言うものがなくなりつつある。きっと、本人はたま~に出てこれる位だろうね。一番厄介だよ」
「そんな事ってあるのかい?」
「ある。いくらでもあるよ。本人が気がついていないのもある。例えば、普段何も感じないことに対してやけに腹が立ったり悲しかったり、気がつかないうちにタバコ吸わない人が手がタバコ臭かったりとね。無意識に近いんだけど、それは憑りついた者がそうしてる時もある」
日引は着物の裾を手で直しながら
「今回の健太の家での件はその二人が関係しているね。今まで表に出なかったあの女の子の想いが外に出たぐらいだからね」
息子が日引の顔を見て何か言いかけるが、我慢するように黙る。
「あんたの事は後にして、まず、あの二人をどうにかしないといけないよ。これは大変だよ」
そう言いながら、日引は持っていた巾着を開き中から小さなお守りを出した。赤色のお守り。紐の所に小さな鈴がついている。表面には何も書いてなく手作りのようだ。
「これはあんたが持ってな」
と息子に渡す。
「え?これは?」
お守りを受け取りながら聞く。
「見ての通りお守りさ。肌身離さず持ってるんだよ。あんた達は大丈夫だろ。もう死んでるんだから。ひひひ」
日引は楽しそうに笑う。
「さて。どうしたもんかね。あそこまで来ると一筋縄ではいかないよ」
今度は眉間にしわを寄せ考え込んだ。会ってから日は浅いが初めて見る顔だ。余程難しいのだろう。私は
「首吊りした原因を調べてみるのはどうだい?」
と聞いてみる。
「ん~。そうだね。そう言う事を知るのもいいだろう。あんた、その内山さんから上手く聞きだせるかい?あんたが聞くのと同時に、息子は、その二人の身内がいるかを調べてもらって、いたら話を聞いてもらうようにするんだね。上手くやりなよ。あ~あ。こんな疲れる日は久しぶりだよ」
と日引は立ち上がり腰に手をかけ伸びをすると、ゆっくりと公園を出て行ってしまった。
その姿を無言で見送っていた私と息子だったが、息子は周りをキョロキョロ見て
「お袋いるか?どういう話になったんだ?」
と聞いて来たので、私は手頃な小枝を見つけると地面にザラザラと書きだした。

(詳しいことはノートに書くけど、うちの隣にいる内山さんいるだろ?あの奥さん・・・・・・もしかしたらご主人も含めてだね。その二人が元凶かも知れないんだってさ。あの二人は健太の家が建つ前に首吊りで死んだ二人で、関係ない人に憑いているらしいよ。私は本人になぜ首吊りをしたのか聞く。あんたも内山さんの身内を探して死んだ原因を聞いておくれ)
「マジかよ。とりつかれるって言うのは聞いたことあるけど、そんな事が実際・・・・・・」
(日引のばあちゃんが言うには、もう実体化し始めてるんだってさ。こんなことってあるんだね。だから、健太の件は、内山さんの事が解決すればもう平気なんじゃないかって。でも、かなり厄介らしいから気を付けるんだよ)
地面に書かれた文字を読みながらも、息子は信じられない様子だ。しきりに
「本当かよ」
と言う言葉を繰り返していた。
その夜は、私は真理への説明と、息子に内山さんとあの公園で話したことを詳しくノートに書いた。とても疲れた一日だった。
「内山さん」
次の日。その日の朝、数を数える声が聞こえては来なかった。健太の母親は、人形を持ちお寺の方にお焚き上げしてもらいに行った。経をあげてもらいながら燃やされた人形は、一瞬にして灰になったという。これで、あの女の子も成仏したと思いたい。
さて、問題は内山さんだ。
「どうやって話を切りだそうか」
難しい。特にあの内山さんだ。あの公園の駐車場で話した時の内山さんは本当におかしかった。あんなのとまともに会話できるのか。一人で頭を抱え考えていると、真理が
「おばさん。私も一緒にいてあげようか?ほら、おばさん一人より誰かいた方が会話も広がるかもしれないし」
なるほど。
「そうだね。悪いけど一緒にいてもらっていいかい?でも、こちらから話しかける話題もないし、会話の切り出しが難しいね」
「別に無理して話しかけることないんじゃない?きっと、向こうはおばさんと話したがってると思うよ。だって、おばさんを利用したいんだもの。庭をうろうろしてたりすれば声かけてくるんじゃないかな」
「そうだね。でも、私は庭いじりなんてしたことないからね。見ての通り庭があっても花や植木一つない」
「草むしりでもすれば?花が咲いてなくても雑草はいくらでもあるよ。ほら」
真理はカーテン越しに庭を指さした。
「そうだね。じゃあ行くか」
「草むしりするの?」
健太だ。しっかり話を聞いていたらしい。
「そうだよ。健太も行くかい?」
「うん。行く!」
健太は嬉しそうに玄関に走っていった。
「はぁ~」
私は嫌いな内山さんと話すのかと思うと、気が重くため息が出た。

「まあまあ。健太君のためだよ」
真理は笑いながら私に言う。真理は最初にあった頃よりかなり大人な考えをするようになったと思う。死んでからの成長と言うのも皮肉だが、元々この子は頭のいい子なんだろう。先に歩く真理の背中を見ながら私は思った。
天気のいい日だった。確かにうちの庭には雑草が我が物顔で至る所から生えている。先に来ていた健太は
「くさぁ~くさぁ~」
と変なフレーズで自作の草の歌を歌いながらブチブチと草を抜いている。
「何?その歌。ハハハ」
真理は笑いながら健太の側に行く。真理は物は触れないので、見ているだけだが、いてくれるだけで心強い。私は内山さんの家の方をチラチラと見ながら、草むしりを始める。暫くすると
「あら~。草むしり?」
来た。
「ええ。本当に雑草は伸びるのが早いよね。たまには綺麗にしてやらないと」
「そうね。私は綺麗好きだから毎日庭の手入れはしているのよ。そんなに伸びちゃうと大変じゃない?」
チッ!
「本当に定期的にやらないと駄目だね。そう言えば内山さんちは綺麗に花を飾っているけど花が好きなの?」
「そう。私は昔から花は好きね。最初に勤めた会社も花屋だったぐらいだから」
「そうなの。そんなに好きなの。一番好きな花は何?」
「昔はね、カスミソウが好きだったわね。今はオトギリソウね」
「オトギリソウ?初めて聞くね。どんな花なんだい?」
「黄色い小さな花よ。とても可愛いわ」
「ふ~ん。カスミソウは知ってるよ。白い小さな花で他の花と合わさった時なんて豪華に見えるしね。今は白だけじゃなく青いカスミソウもあるそうじゃないか。でも何でカスミソウからオトギリソウを好きになったんだい?」
そう聞いた途端内山さんの顔つきが変わった。
「・・・・・・心境の変化と言うのかしら。私みたいに色々な花を知ってると好きな花も一つだけではないのよ」
「そういうもんかね。そこまで花が好きなら、これは一番好きっていう花は中々変わらないもんだと思うけどね。どんな心境の変化があったんだい?」
「・・・・・・」
黙ってしまった。私は花に詳しくはないが、ここから何か聞けるのではとあまり使わない頭をフルに回転させたが、特にいい案は出なかった。
「別に言いたくなければいいんだよ。人は生きてれば色んなことがあって当然さ。私も旦那があんなに早くに逝っちまうとは思わなかったしね。それからが大変だよ。一人子供は残してくれたから辛いことも耐えられたけど」
「・・・・・・子供ね。そうね。子供がいたら変わってたわね」
そう言うと内山さんは家の中に入って行ってしまった。
「ありゃあ。家の中に入っちゃったよ。参ったね」
私は真理の方へ行き、健太を連れて家の中へ入った。
「ふ~ん。もしかしたら、子供ってのがキーなんじゃない?」
「子供?」
「うん。子供がいたら変わってたわねって言ったんでしょ?何か意味がありそうじゃない」
「そうだねぇ」
「次は、悪いけど健太君を使って話をしてみたら?」
「健太を?」
「そ、健太君と一緒に庭で遊ぶのよ。必ず来ると思うわ」
「ふん」
私は、午後に健太と遊ぶという事で、押し入れから昔、息子が小さい頃に使っていた野球のボールを探し出すと
「健太。お昼過ぎたらこれでお庭で遊ばないかい?」
健太はボールを見ると
「遊ぶ!遊ぶ!」
と嬉しそうに飛び跳ねる。
そして午後。健太と真理と一緒に庭に出て早速ボール遊びを始める。広い庭ではないので、思い切りできるわけではないが、これがやってみると意外に楽しい。昔は旦那と息子がやっていたので私は子供とボール投げなんてやらなかった。
(こんなに楽しいのなら息子が小さい時にやってやればよかった)
なんて思ったほどだ。健太の楽しそうな笑い声が庭に響く。するとその声を聞きつけて出てきたのは内山さんのご主人だった。
「楽しそうですね」
ニコニコしながらこちらに歩いてきた。
「おじちゃんもやる?」
ナイス!健太
「いいのかい?」
ご主人は玄関に回るとうちの庭の方に入ってきた。
「おじちゃんいくよ!」
健太はめちゃくちゃなフォームでボールを投げる。
「ハハハ!ここに投げてごらん?ほら」
ご主人はキャッチャーのようにしゃがみ込むと、自分の胸のあたりを指さす。
「よ~し」
健太は、ピッチャーのようなフォームを思い描いているのだろうが、実際は滑稽な形で思い切りボールを投げる。ボールは明後日の方向へ飛んでいく。しかし、ご主人は上手にそのボールをキャッチする。どのくらいやっていただろうか。見ている私が飽きるほど、二人は楽しそうにいつまでもキャッチボールをやっていた。その間に奥さんの方が出てくるか期待したが、最後まで出てこなかった。ようやく、健太が
「おじさん。僕もうお家に帰るね」
と言ってサッサと家の中に入って行ってしまった。子供は自由だ。私はすかさずご主人の所へ行き
「すみませんねぇ。遊んでもらっちゃって」
「いえいえ。すごく楽しかったですよ。またやろうって言っといてください」
と上機嫌だ。
「あの子の名前ね。健太って言うんですよ」
「健太君かぁ。かわいい子ですね。元気があって本当にいい」
「そう思いますか?」
「え?勿論ですよ。何でですか?」
「いえ。また遊んでやってください」
挨拶をし、私は家の中に入ろうとした。その時傍らで見ていた真理が
「おじさん。こんにちは」
突然話しかけたので驚いた。
「あ、こんにちは」
ご主人も一瞬驚いたようだが、にこやかに真理に挨拶した。
「おじさん。キャッチボール凄くうまいですね」
「そうかい」
少し照れながら
「昔、学生の時に野球やってたことがあってね」
「そうなんですか。これからも健太君とキャッチボールやってあげてください。健太君すごく喜んでるようなので」
「勿論だよ」
「おじさんの家にはお子さんいないんですか?」
直球だ。
ご主人は言葉に詰まったようだが
「そうなんだよ。だから寂しくてね。子供がいればキャッチボールとかもできただろうし、もっと生活が楽しかったと思うよ」
「そうですか。ごめんなさいこんな事聞いて」
「いや。いいんだよ。じゃ」
ご主人はいそいそと家に入って行った。
「真理・・・・・・」
と、私は真理に声をかけると
「ストレート過ぎたかな」
と笑いながら私に言ってきた。
「あんたはたいしたもんだよ」
と呆れ半分、感心半分に言って家に上がる。

「次はもっと突っ込んだこと聞こうと思ってるんだ」
得意げに言いながら真理も家に上がる。居間の方に行ってみると、健太が床に寝てしまっていた。
「あらら。寝ちゃってるよ」
私は健太を抱き上げ二階へ連れて行き、布団に寝かせてやった。
しかし、あの内山さん夫婦の反応から見ておそらく子供が関係している事は間違いない。もっと詳しく聞きたかったが、余りしつこいと、話すどころか会えなくなるかもしれないので今日の所はこれぐらいでいいだろう。
夕方、息子が帰ってきたので、内山さんの件をノートに書き知らせると
「ふ~ん。子供かぁ。そう言えばお子さん見た事ないな。てっきり家を出て独り立ちしてるのかと思ってたけど」
(多分いないと思うよ。ここに引っ越してきた時に内山さん家に挨拶行ったけど、いなかったし。話もなかった・・・・・・多分ね)
「そう言えばさ。昔、内山さんの親戚の人がやってる店があるって言ってたよね?そこってどこの店だっけ?」
(ああ。確か駅前にある写真屋だよ)
「あそこか。明日行ってみるよ。まだやってるかな・・・・・・」
(そうだね。頼むよ)
結局今日は、子供と言うキーワードぐらいしか収穫がなかった。

次の日。
息子は、朝早く家を出ると会社とは反対方向になる駅に向かった。小さな駅なので駅前は余り栄えてはおらず、やってるのかわからないような個人商店がぽつぽつとある。その中に写真店はあった。シャッターが下りておりまだ開店はしていない。
「やっぱり早かったな。まあ。ある場所は分かったし会社帰りにでも寄るか」
写真店の隣にある自動販売機でコーヒーを買い、一口飲んだ。
「さて、行くか」
歩き出そうとした時だ。ガラガラガラと写真店のシャッターがゆっくりと開いた。
「え?」
シャッターを開けたのは初老の男性だった。白のポロシャツに紺のズボンを履いている。髪は床屋に行ったばかりのようにきちんと刈られており清潔感がある。
「あ、おはようございます」
突然の事に驚きながらも慌てて挨拶をした。
男はゆっくりとこちらを向くと
「おはよう」
渋く低い声で挨拶を返してくれた。その顔を見た時ドキッとした。さっき見た時は横顔だったので気がつかなかったが、正面から見たその顔は、右半分が大きく引きつれている。恐らく火傷か何かだろう。
「あの・・・・・・こちらの営業時間は何時ですか?」
「うちは決まっとらんよ。シャッターが開いてればやってるし、閉まってたらやってない」
「そうですか。実は大分前になるんですが、こちらに写真の現像を頼んだのを思い出しまして」
「そうかい。名前は?」
「あ、あの・・・・・・会社帰りに寄らせてもらいます。本当に昔の事なので、探すのに時間がかかるかもしれませんから」
「・・・・・・」
男はいぶかしげな顔で俺を見る。
「では、あとで来ます」
それだけ言うと、慌ててその場を後にした。
早足で歩きながら、
(さっきのは苦しかったかな)
と思ったが、取り敢えず行くと言う事は伝えたし、店主の事も見ることが出来たので良かった。その日は、運よく仕事が余り忙しくなく定時で帰れたので、急いで写真店に向かった。写真店に着くと、シャッターが開いている。引き戸をガラガラと音をたてながら開けると、朝あった店主がカウンターに座っていた。朝は眼鏡をかけていなかったが、今は小さな丸い眼鏡を鼻の上にチョコンと乗せ、カメラをいじっていた。店主は、店に誰かが入ってきたのが分かると、上目遣いに確認したがまた黙って目を戻し、カメラをいじり始める。
「すみません。朝こちらに来た者ですが・・・・・・」
「わかってるよ。名前は」
本当に客商売をしているのかと疑ってしまう程、不愛想で必要最低限の言葉しか話さないようだ。
「鈴木です」
何となく本名は名乗らなかった。名前を聞いた店主は、カメラをいじる手を止め
「鈴木ね・・・・・・あんた嘘はいかんよ」
「え?」
「写真なんてうちに出してないだろ?私はね。こう見えても記憶力だけはよくてね。うちに写真を出しに来た客の顔と名前は忘れないんだ。あんたは初めて見る顔だね。何の用だい?」
全てを見透かすような目で見られたので、ドキリとしたが
「すみません。実はおっしゃる通り写真を出したことはありません。お話を聞きたくて来たんです」
「・・・・・・」
店主はまたカメラをいじり始めた。無言の話せという事なのか。
「あの・・・・・・この場所知ってますか?」
健太の家の住所を書いたメモを見せる。店主はチラッとメモを見ると、今まで動いていた手を止めじろりと上目遣いで睨む。
「ここがどうした?」
「確か、この場所に内山さんと言う方が住んでいたと思うんですがご存じないですか?」
「・・・・・・」
「あの・・・・・・実はここに今自分の知り合いが家を建てて住んでまして・・・・・・その人が最近、変な事が起こるんだって言ってまして。」
「変な事?」
「はい。子供の声で、「こわい」という声が聞こえるそうなんです。凄く気味悪がりまして、もしかしたらここは呪われてるんじゃないかと心配して調べたらしいんです。そうしたら、内山さんと言う方が住んでいたと聞いて・・・・・・」
「ふん。呪われてる・・・・・・そうかもしれんな」
「え?どういう事ですか?」
「昔の事だし、本人たちももうこの世にいないから話すけど、あそこに内山と言う男が住んでたのは間違いないよ」
「はい。・・・・・・確か女性もいたとか・・・・・・」
「・・・・・・いたね。私はその女の方の兄だよ」
驚いた。まさか兄妹だとは思わなかったのだ。
「あ・・・・・・そうでしたか・・・・・・お兄さんで」
「二人兄妹でね。早くに両親を病気で亡くして、それからは二人で頑張って生きてきたんだ。辛いことも楽しいことも・・・・・・それなのに・・・・・・」
店主は苦々しい顔になり黙ってしまった。早く続きを聞きたかったが、ここは黙って相手が話し出すのを待った方がいいと思い、店主の顔をジッと見ながら待った。
「あの男と出会ったせいで・・・・・・あの男がいなければアイツは死なずに済んだんだ」
「あいつとは妹さんの事ですね?」
「ああ。アイツの勤め先に内山は来た。昔、妹は花屋に勤めていてね。そこにアイツが来たのがきっかけで付き合い始めたらしいが・・・・・・最初は良かったんだよ。幸せそうでね。でも・・・・・・結婚してからだよ。あの男が変わったのは」
「暴力とかですか?」
「いや。そうじゃない。暴力は振るわなかったらしいが・・・・・・いや。あれも暴力に入るんだろうな。言葉の暴力で」
「言葉の暴力・・・・・・」
「ああ。妹はね。産まれつき子宮がなかったんだ」
「え?」
「本当に不憫だったよ。子宮がなきゃ子供は産めんだろ?自分が産めなくても、例えば養子をもらうとか、子供が欲しければ色々他に方法はあったんだろうけど、内山が反対してね。妹にはどうすることも出来ないのに内山はその事を、毎日毎日妹にチクチクと言っていたそうだ」
「それは妹さんは辛かったでしょうね。生まれ持った体はどうにも出来ないわけですし」
「そう。そうなんだよ。だから散々言ったんだ。別れろってね。でもそうはしなかった。今思うと、無理やりにでも二人を離れさせるべきだったよ。あんなことになる前にね」
「あんな事・・・・・・?」
「妹は、内山を殺して自分も自殺したんだよ」
「⁉」
「あの日、夜遅くに妹から電話が来てね。いつもは話さない昔の子供の時の事とかをやけに話すんだ。両親が生きてた時の事とか、私と喧嘩したときの事とかね。私はピンと来てね。「お前何か良くない事考えてるんじゃないよな?」って言ったんだ。妹は「何言ってるの?」って笑ってた。電話を切るまで何度も「うちに来い」って言ったが笑ってはぐらかすばかりで・・・・・・その3日後だよ。会社に出勤してこない妹の同僚が心配して妹の家を訪ねて見つかったんだ・・・・・・」
何てことだ。二人で自殺を図ったんだとばかり思っていたが、殺人事件じゃないか。言葉が出なかった。店主はゆっくりとこちらを見ると
「だから。あの場所は呪われてると言われても仕方がないのさ」
「そんな事が・・・・・・すみません。突然訪ねてきて、知らないとは言え辛い話をさせてしまって。先程も言いましたが、知り合いが心配でつい・・・・・・」
「いや。もうだいぶ前の事だし、私自身も、忘れはしないけどあの時よりは落ち着いたからね。それにしても、声が聞こえるって言うのは不思議な話だね」
「その事について思い当たることはありませんか」
「ん~」
店主は腕を組み考え込んだ。
「妹さんとの会話の中で、「こわい」に関することを言っていたとか」
「こわいねぇ・・・・・・特に言ってなかったと思うよ」
「そうですか。あの、何か思い出しましたら連絡貰えますか?些細な事でも構いませんから」
と連絡先を書いたメモを渡し、丁寧にお礼を言って店を後にした。
「今日は出てこなかったね。内山さん」
真理はテレビを見ながら言った。今日も午前中から健太と一緒に庭に出てキャッチボールをしたり、土いじりをしたりしてみたのだが内山夫婦は家から出てこなかった。
「そう毎日は来ないだろ。明日は来るかもしれないから根気よくやるしかないね」
「なんかまどろっこしいなぁ。いっそのこと訪ねて話をしちゃったら駄目なの?」
「なんて話すんだい?」
「何で、お子さんいないんですか?とか、何で首吊りなんかしたんですか?とか」
「聞けたら苦労はないよ。それに奥さんの方は要注意だからね。言っただろ?幽霊を利用するような人なんだよ?」
「そうかぁ~」
「何でもそうだけど、続けて行けば必ず結果は出るんだよ。やるしかないね」
とは言うものの私も不安だった。その夜、内山さんのお兄さんの話を聞いて来た息子が帰ってきた。
(へぇ~あそこの店のご主人はお兄さんだったんだ。それにしても、心中を図ってたとはね)
「ああ。俺もびっくりしたよ。水島からは、自殺と聞いていたからな。後、「こわい」の事については、分からないようだった」
いつものようにノートでの会話だ。真理は、健太と一緒に二階に行っている。その後も、お互いが知りえた少ない情報で色々考えたが、答えが出ないのでもう少し続けようという事で話は終わった。
私は二階に行き健太の様子を見に行った。今日も、昼間沢山遊んだお陰か早くに寝てしまったのだ。顔を覗き込むと可愛い顔で寝ていた。
「可愛いもんだね」
私は健太の寝顔を見ながら先程息子と話したことを考えた。
(あの奥さんも不憫だね。生まれつき子宮がないなんて。だから子供がいなかったのか。でも、私があの駐車場で会った時の奥さんは何か禍々しい感じがしたんだよね。そんな、旦那の嫌味に耐え兼ねて心中するような人には見えなかったけど・・・・・・)
私はそっと部屋を出ようとした。。
「おばさん」
健太の声だ。
「あれ。起こしちゃったかい?」
「おばさん。僕・・・・・・」
何やら言いにくそうにしている。
「どうしたんだい?言ってごらん?」
「・・・・・・うん。僕ね。お家に帰ろうと思うんだ」
「おうち?健太の家かい?」
「うん。だって、お母さん一人で可哀そうだから」
きっと、この間母親と楽しく遊んで里心がついたのかもしれない。
「そうだね。寂しくなるけど、自分の家に帰った方がいいかもしれないね。いつでもここに来るんだよ」
「うん・・・・・・ごめんね」
「謝る事じゃないよ。自分の家に帰るだけさ。真理にもちゃんと言えるかい?」
隣で寝ている真理をちらっと見た。
「うん。お姉ちゃんにもちゃんと言う」
「わかった。いつ帰るんだい?」
「明日」
「随分急だね」
「ごめんなさい」
「いいんだよ。じゃあ、真理には明日言う事にしてゆっくりお休み」
「おやすみなさい」
健太は、布団に潜り込んだ。
「一階に降りて行くと、まだ息子は席に座り考え込んでいる。私はノートの前に座り
(あまり考えてもしょうがないよ。後ね、健太家に帰るって)
「え?健太が?・・・・・・うちに帰るのはいいけど大丈夫なのか?今こんな風なのに」
(どうだろうね。心配だから一応私の方でなるべく見ておくようにするよ)
息子は複雑な顔をした。そんな息子の顔を見ながら、こんなに息子と二人で話すことなんて生きてる時はなかった。(皮肉なものだ)と思った。

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