未練

玉城真紀

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家に着いた私は玄関前に立つ息子に気がついた。私はゆっくりと歩いて来たので、息子の方が先に家についていたらしい。息子は呆気にとられた様子で何かを見ている。何を見ているのかと息子の視線をたどっていくと隣の内山さんのお宅を見ているようだ。息子の近くに行き私も見て驚いた。
「‼」
内山さんのお宅は、まるで廃墟の様になっていた。窓は割れ、壁も所々崩れ落ち家の中が少し見えている。昨日まで、綺麗に手入れされていた木や花が全て枯れ、屋根は穴が開きどこからか飛んできた種が残りわずかの屋根の上で芽を出している。それは、黄色い小さな花だった。
「一体これは・・・・・・」
「これが本来の姿だったんだよ」
日引が庭の方から歩いてきて、唖然としている息子に言った。
「こんな事が・・・・・・」
「現実に起こるんだね。私も長い間生きてきてこんな事は初めてさ。それに言っただろ?厄介だって。さ、まだ厄介なのが残ってるんだ家の中に入れておくれ」
「あ、はい」
息子は慌てて鍵を取り出し玄関を開けた。私は、目の前に立つ廃墟を前に、昨日まで見ていた家を思い出していた。確かに昨日まで、普通に家があった。今、自分が見ている物が本当の姿と言われてもすぐには信じられない。日引は厄介だと言ったが、家自体も偽りとなりえるのだろうか。
「だから・・・・・だから、あの時、家の中で暴れても何も出来なかったんだね!」
内山さんに手紙を勝手に覗かれたことを知ったあの時、私は内山さんの家に上がり込みめちゃくちゃにしてやろうとした。しかし、物が触れるはずの私が何も出来なかった事を今思い出す。
「こんな事が・・・・・・」
私はさっき息子が言った事と同じことを言っていた。
息子は家に入り日引を茶の間に通す。私も二人の後を追い、日引を前に息子の隣りに座る。
「あの・・・・・・」
息子が話し出したのを遮るように日引は
「あんたのお母さんの事だけどね。健太やあの女の子のようにあがるかは分からない。何故ならあんたのお母さんはアレに気にいられてるからね」
「え?アレって何ですか?」
「ん~。何て説明しようかね。妖怪・・・・・・いや。動物?いやそうじゃないような」
日引は困っている。
「そうだね。妖怪にしとこうか」
「は?妖怪?」
息子は素っ頓狂な声を出した。
「なんだい。妖怪ってそんなものがいるのかい?」
私も驚いて言った。しかし、これまでの日引の行動を見ると、日引が嘘や適当な事を言う人物ではないと思う。思ってはいるが、流石に妖怪などと言われてもピンとこない。
「生前あんたの母親は猫が好きだったんじゃないかい?」
「ええ。猫は好きでしたね。普段から、いつでも餌をあげられるようにカバンに餌が入った袋を持ち歩くぐらいでしたから。病気の猫がいれば病院に必ず連れて行って・・・・・・」
「そうかい」
日引はニコリと笑った。

「私がここに入った時にね。沢山の猫がいたんだよ。床を埋め尽くさんばかりの猫がね。もちろん今もいる。恐らくこの猫たちはあんたの母親に世話になった猫たちだとおもうよ」
「猫が・・・・・・」
息子は周りを見渡すが勿論何も見えない。私も同じように周りを見るが何も見えないので
「私にも見えないよ。息子が見えないのは分かるけど、死んでる私には見えてもいいんじゃないかい?」
「だから、妖怪って言ったんだ。猫の妖怪と言うと猫又。聞いたことないかい?猫又が有名だね。長生きした猫が二つの尻尾を持ち猫又になるという。でも、ここにる猫たちは尻尾は一つだ。という事は猫又ではない」
「じゃあ何なんです?」
と息子。
「ん~その辺りの線引きが難しいんだが、化け猫にしとくか」
「化け猫・・・・・・」
「人間に迫害を受け死んだ猫、無念の死を遂げた猫の事だね。そんな猫たちがあんたの母親のもとに集まってるのさ。きっと、生前あんたの母親にとても優しくされたのが嬉しかったんだろう」
確かに私は猫好きで、自分でも買いたかったが息子がアレルギーを持っているために買えずその為、外にいる猫をとても可愛がった。事故を起こしたのも、猫を避けた事で私は死んだのだ。だが、私はこの世に後悔や未練はない。そう。何もない。今は・・・・・・
「私はね、確かに生前猫が大好きだったよ。今も好きさ。その猫たちがこの部屋に敷き詰められるほどにいるとしたらそんなに嬉しいことはないね。でもさ、私はこの世に未練はない。前に未練があると成仏できないと息子は言った。でも私にはそんなものはないんだ。息子だって一人でやって行けるだろうし」
次の言葉がすぐに繋がらなかった。
「・・・・・・そう。そう思ってた。でもね。皮肉な事に死んでから色んなことがあって。その度に息子と会話したり、今まで見たことのない息子を見たりすると、ないと思ってた未練が今はあるんだよ。まだ、息子と一緒にいたいという気持ちがね」
日引は黙って私の話を聞いている。息子はいきなり話さなくなった日引を見て不思議そうな顔をしたが、黙って待っている。
「本当に不思議なもんだね。死んでから分かる事ってあるんだ。生きているうちにこの子の事をもっとよく見てやればよかった。早くに旦那が死んで私一人でこの子を育ててきた。それを苦労と思わず楽しめばよかった」
私は息子の方を見ると、息子の頭の上に自分の手を置いた。もちろん息子は気がつかない。
「ようやく、人並みの未練が出来たんだね。見た所、生前のあんたは傲慢な塊みたいなところがあったんじゃないかい?まあ、そういう人間はいくらでもいるがね。よしよし」
日引の近くに猫が寄ってきたのであろう。猫の頭を撫でる仕草をする。見ると、クロだ。
「この猫たちに感謝するといいよ。動物と言うものは本能で生きている。人間だけだね、本心に嘘ついて周りに良い顔したり、嘘をついたりするのは。死んでからだとしても気がつけて良かったじゃないか。この猫たちと一緒にあがるといいよ」
チリン
日引は持っている巾着を開けた。それを見た私は慌てて
「あ、ちょっと待って。分からないことがまだあるんだよ。健太のお祖母ちゃんと真理の事さ。どうして私が名前を読んだら二人はああなってしまったんだい?健太のお祖母ちゃんはどこに行ったんだろう?連れの人に申し訳なくてね。それに、内山の奥さん、あの人と公園の駐車場で会った時私の顔を見て逃げ出してしまったんだよ。なんでなんだい?・・・・・・そうだ。あの踊り」
私は、今まで不思議に思っていたことを一気に話した。
チリン
黙って聞いていた日引は、開けた巾着を閉じると
「ひひひ。それはね」
そう言うと日引は茶の間から出てあるものを持ってきた。それは私の骨壺だった。
「それはお袋の・・・・・・」
「そう。あんた、いくら納める所がないからって玄関に無造作に置いておくのはいけないね。今の時代は遺骨をブレスレットにして肌身離さず持っているという人もいたり、あんたみたいに墓がなく家に骨壺を置いている人もいるようだけど、本来遺骨を納める所は墓。洋服は箪笥にしまうだろ?あるべき所へ置かなくてはいけないんだよ。それに、旦那が早くに亡くなっているみたいだけど、仏壇もない。一体この家はどうなっているんだか」
日引はため息交じりに言った。次に骨壺蓋に手をかけ躊躇なく開ける。その中を覗き、一番上に置かれている。喉仏を手に取った。
「これを見てごらん」
日引は喉仏を、印籠のように私達の前に出した。
「火葬した時にこれが喉仏だと説明を受けたね」
「はい」
「女の場合はね、男と違って火葬の時にこれが焼失されることがほとんどなんだよ。ましてやあんたみたいな年寄りならなおさらだ。なのに、これだけの立派な喉仏が残っている。これはどういうことなのか。考えられるのは、これは喉仏ではなく、違う部分の骨という事。あるいは、何か意味があって喉仏が残った」
私は目の前に出された喉仏を見て思い出した。あの時見た夢。暗くごつごつした所に自分がいた変な夢。あれは骨壺の中に私はいたんだ。あの光っていた物。あれはこの喉仏だったのだ。私が喉仏を見ていると息子が
「どういう事ですか?」
さっぱり分からないという顔で聞いた。日引は喉仏を骨壺に戻し、私を見ながら
「どちらとも考えられるけど、後者で考える方が無難だね。多分だけど、あんたをこの世にいさせるために残したんだろう。この猫達がね。あんた、この猫達全てに名前を付けてあげたようだね。「名前」とは人がこの世に産まれる前に、両親が初めて子供の事で頭を悩ます問題だね。まだ見ぬ子供に対しての希望、願望、愛が詰まった中で考えられるのが「名前」だ。だからこの「名前」と言うのは、とても大切なものなんだよ。ソレは、その名前を聞かれた相手が答えただけでいなくなるという事は恐らく、この猫たちが関係しているような気がするね」
「猫が⁈」
私はいまだ自分には見えない、猫がいるであろう部屋を見渡した。
日引は猫の頭を撫でながら
「そう。これだけの猫が死人の所に来るというのは珍しい。あんた、生前何かなかったかい?猫に関することで」
私は必死に思い出そうとするが、どの猫にも分け隔てなく可愛がってきたので特別な猫と言うのが思い当たらない。
「わからないね。何かあっただろうか・・・・・・」
「ひひひ。ここにいる猫たちの顔を一匹づつ見て行けば思い出すかもしれないね。それは後でゆっくりやりな。それにね、名前を言ったからって誰もが死ぬわけではないと思うよ。元々、死期の近い人や「死」と言うものを人一倍意識している人がそうなるんじゃないかね。健太のお祖母ちゃんに関してはわからないね。もしかしたら、一度闇に飲まれたからそうなったのかもしれないし・・・・・・私のこの答えがあっているのかは神のみぞ知る。いや。仏のみぞ知る、なのか。私もこんな事は初めてだからね。死を望む者は闇を背負っている。あんたにはそう言うのが見えたはずだけどね」
(確かにそうだった。初めて真理を見た時、何故かあの子だけ暗く感じた。それに健太のお祖母ちゃんは、健太の母への怒りのあまり、あんな「目」となって出てきた)
「後、あの女があんたの顔を見て、腰抜かしながら逃げて行ったのは化け猫にでも見えたんじゃないかい?あんたの顔が。ひひひ。そして、あのお姉ちゃんが踊った事に関しては・・・・・・あんた。猫踊りって知ってるかい?・・・・・・知らないか。昔話にあるんだよ。猫が喋って、手ぬぐいを頭にのせて踊ったとされるお話さ。愉快な話に聞こえるだろうけど、恐ろしい話さ。まぁ、後でゆっくりと猫達に聞くといいよ」
(本当かいな?)
納得は出来なかったが、好きな猫に守られているのなら悪い気はしなかった。
「そう言えば、あの女。健太が聞いた言葉で「こわい、出られる」どこから出ようとしてたんだろうね」
「ああ。前にも言ったけどあの女は、生きた人間に憑いてたわけだよ。憑かれた人は半分以上乗っ取られていたみたいだけど。その憑かれてる人間を全て自分の人格にしてしまう事を「出られる」と表現してたようだね。それに、前にも言ったけど、「疲れる」を「こわい」と表現する地方もある。疲れたんだろうねぇ。結局、全てが偽りなんだから」
「こわいと出られるはそれぞれに、意味があったんですか」
息子は少し怒りながら言ったが、どことなくホッとしているようだった。
「この説明で分かるかね」
「何となくわかったような。わからないような。だって、いくらお袋が猫好きだって言ったって、そんな事ってあるのかな?」
「不思議だよね。それ程「死後」と言うのは分からないものだよ。大丈夫だよ。また後でしっかりと説明してやるから。あんたは私が渡したお守りをしっかり持ってればいいのさ。さて、始めようかね」
チリン
日引は巾着を開け数珠を取り出した。スッと立ち上がり私の隣に座る。
「息子に伝えることはないかい?」
私の番が来たようだ。息子もハッとして日引の動きを見ている。
真理、健太と向こうで会えるだろうか。また3人で楽しくやれるだろうか。そして・・・・・・
「・・・・・・元気でねと。後、朝ちゃんと起きるように、ご飯も自分でなるべく作るように。自分の部屋はきちんと片付けるように・・・・・・今まで・・・・・・今までごめんね。あんたが健太たちと食事をしている時のあの笑顔。私はそういう笑顔にちゃんとさせてこれなかった・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
後は言葉が詰まり話せなくなった。涙で視界がゆがみ、目の前にいる日引がぐにゃりと歪む。
「ちゃんと、伝えるよ。あんたのその言葉。伝えるから安心しな。大丈夫だ。ここにいるこの大勢の猫たちと一緒にあがるんだ。寂しくないよ」
「ありがとう」
私は産まれて初めて人に「ありがとう」と言った。クロが私の膝に上がってくる。
「そうかい。今気がついたよ。あんたが私に触れるのはあんたも私も一緒だったんだね」
「にゃん」
クロは、私を見ながら鳴いた。
日引が私の額に数珠をあてるため、手を持ち上げた時だ。
「待ってくれ!」
息子がいきなり大声を上げた。私は振り向くと、息子が下を向き泣いている。
「俺は・・・・・・俺は・・・・・・お袋が嫌いだった。俺が小さい頃からお袋は、自分の事ばかりでちっとも俺をかまってくれなかった。だから・・・・・嫌いだった。でも、でもさ。やっぱり俺のお袋なんだよ。死んだ時、あの夜。悲しくないと思ってたけど何故か涙が出た。やっぱり悲しかったんだな。・・・・・・ごめん。お袋・・・・・俺・・・・・俺・・・・・・健太の事とか色々あって、紙に書いた会話だったけど、沢山話したよな。あんなに話したのは・・・・・・いなくなるって思うと・・・・・・やっぱり」
しきりに涙をぬぐいながら、一言一言を絞り出すように話す息子を見て、私はとても嬉しかった。息子の頭に手をやり優しくなでる。小さい頃もこうした覚えがある。愛おしくてたまらない。いくつになっても子供は子供だ。
「ありがとう。しっかりね」
私は日引の方に向き直り目を閉じた。日引は数珠を額にそっとあてる。
次第に眠くなってきた。意識がなくなっていくとき遠くの方で「お袋!」という息子の声を聞いたような気がする。     チリン

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