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6章
6-1
コールパインがソフォラたちと共同でまとめた論文は、瞬く間に世間へ広まり――世界を驚かせた。
同時に。
その功績の中心にいたソフォラへ、過剰なほどの注目が集まることになる。
――あれから。
季節は巡り、二年が過ぎた。
世間の注目は、少しも収まらないまま。
「……こんなはずじゃ、なかったのに」
書き物机に突っ伏し、椅子から浮いた足をぶらぶらと揺らす。
――八歳になった今でも。
状況は、何一つ変わっていなかった。
静かに、穏やかに。
ただ大切な人たちと過ごしたかっただけなのに。
「僕は……ただ、皆と普通にいたいだけなのに……」
世間の注目は、少しも収まらないまま。
――ヘンリーは、ずっと待ってくれているのに。
小さくこぼれた声は、誰にも届かない。
闇属性であるソフォラにとって、“注目”は心を削るものだった。
知らない誰かの視線も、関わりも、すべてが重い。
だからこそ婚約式も、本当は親族だけの、小さなものを望んでいた。
だが。
「この婚約式はね、ソフォラ」
ブラインドリー公爵エバは、静かに、けれど揺るがぬ声で言った。
「君が“次期公爵の妻になる存在”だと、世間に示さなければならない」
「ヘンリーを慕う者は多い。今のうちに牽制しておかないと、後々面倒になる……ごめんね」
その言葉に、頷くしかなかった。
――それから。
ソフォラの心は、ゆっくりと沈んでいった。
ヘンリーからの手紙は、毎日届く。
「元気にしているか」
「最近は何をしている?」
「また会いに行くから」
優しくて、温かくて。
……だからこそ。
(……なんで、来てくれないの)
胸の奥が、ひどく軋む。
会いに来る時間がないことは分かっている。
当主教育も、社交も、増えていることも。
それでも。
(こんなに……つらいのに)
気づけば、頼ってしまっている。
――あの夜。
“ヘンリーの幸せのためなら、離れてもいい”と、そう思ったはずなのに。
「僕……婚約者、なのに」
ぽつりとこぼれた言葉に、自分で目を見開いた。
(……違う)
胸の奥が、ずきりと痛む。
(今のは……)
(ヘンリーのため、じゃない)
会えないことが寂しいなんて。
来てほしいと思ってしまうなんて。
(それじゃ、まるで――)
そこまで考えて、思考を止める。
(違う。これは、違う)
(僕が弱いだけだ)
(ヘンリーのためを思うなら、こんな気持ちはいらない)
無理やり、そう言い聞かせる。
ゆっくりと顔を上げ、真新しいノートを開いた。
ペンを握る手に、わずかに力がこもる。
(……シナリオ通りにしないと)
使うのは、この世界の誰にも読めない文字――日本語。
忘れないために。
間違えないために。
書き連ねる。
この物語の流れを。
本来の“ソフォラ”は、ヘンリーに執着し、関係を悪化させる存在。
そして――主人公と出会い、物語が動き出す。
(ヘンリーは、主人公と出会って……愛し合う)
その言葉を思い浮かべた瞬間、
胸の奥が、ひどく軋んだ。
(――あい、しあう)
息が、浅くなる。
ペン先が、わずかに止まる。
(……なんで)
分かっているはずなのに。
それが“正しい未来”のはずなのに。
ぎゅっとペンを握り直す。
(僕が婚約者でいるからこそ、二人は燃え上がる)
(だから、僕が……繋げないと)
そのとき、
ノートの下から一枚の紙が滑り落ちた。
「……っ」
ヘンリーからの手紙。
“会いに行きたい”
“顔が見たい”
“忘れないで”
滲むほどの想い。
「……っ、ぅ……」
視界が歪む。
ぽたり、と。
ノートの上に、雫が落ちた。
(……あ)
滲む文字。
拭わないといけないのに――
手は、止めない。
ぎこちなく、震えながらも、
ペン先はまた紙の上をなぞる。
(止めちゃ、だめだ)
(止まったら……考えてしまう)
ぽたり、ぽたり、と
音もなく涙が落ちる。
それでも。
書く。
(ヘンリーが、幸せになるように)
(ちゃんと、主人公と出会って)
(……愛し合えるように)
胸の奥が、ぎゅう、と潰れる。
「……っ、……」
声にならない息が漏れる。
それでも、顔は上げない。
(僕は、いらない)
(僕の気持ちなんて、いらない)
滲んだ視界のまま、
何度も文字を書き直しながら、
それでも――
止まらない。
止めない。
涙で濡れたページの上に、
ただひとつの未来だけをなぞるように。
「……僕が、繋ぐ」
かすれた声で、そう呟いて。
静かに、泣きながら。
それでもソフォラは、
ペンを握り続けた。
涙を拭いながら、それでも手紙を握りしめる。
(違う)
(これは……僕のためじゃない)
何度も、何度も言い聞かせる。
それでも、胸は苦しいままで。
震える手で、新しい便箋を引き寄せた。
『待ってくれてありがとう。婚約式をしよう』
ぽたり、と涙が落ちる前に拭う。
気づかれないように。
優しい彼が、心配しないように。
文字を整えて、書き切る。
――そして。
小さく、呟いた。
「僕が……幸せにするよ」
その言葉の意味を、
自分でも、まだ正しく理解しないままに。
同時に。
その功績の中心にいたソフォラへ、過剰なほどの注目が集まることになる。
――あれから。
季節は巡り、二年が過ぎた。
世間の注目は、少しも収まらないまま。
「……こんなはずじゃ、なかったのに」
書き物机に突っ伏し、椅子から浮いた足をぶらぶらと揺らす。
――八歳になった今でも。
状況は、何一つ変わっていなかった。
静かに、穏やかに。
ただ大切な人たちと過ごしたかっただけなのに。
「僕は……ただ、皆と普通にいたいだけなのに……」
世間の注目は、少しも収まらないまま。
――ヘンリーは、ずっと待ってくれているのに。
小さくこぼれた声は、誰にも届かない。
闇属性であるソフォラにとって、“注目”は心を削るものだった。
知らない誰かの視線も、関わりも、すべてが重い。
だからこそ婚約式も、本当は親族だけの、小さなものを望んでいた。
だが。
「この婚約式はね、ソフォラ」
ブラインドリー公爵エバは、静かに、けれど揺るがぬ声で言った。
「君が“次期公爵の妻になる存在”だと、世間に示さなければならない」
「ヘンリーを慕う者は多い。今のうちに牽制しておかないと、後々面倒になる……ごめんね」
その言葉に、頷くしかなかった。
――それから。
ソフォラの心は、ゆっくりと沈んでいった。
ヘンリーからの手紙は、毎日届く。
「元気にしているか」
「最近は何をしている?」
「また会いに行くから」
優しくて、温かくて。
……だからこそ。
(……なんで、来てくれないの)
胸の奥が、ひどく軋む。
会いに来る時間がないことは分かっている。
当主教育も、社交も、増えていることも。
それでも。
(こんなに……つらいのに)
気づけば、頼ってしまっている。
――あの夜。
“ヘンリーの幸せのためなら、離れてもいい”と、そう思ったはずなのに。
「僕……婚約者、なのに」
ぽつりとこぼれた言葉に、自分で目を見開いた。
(……違う)
胸の奥が、ずきりと痛む。
(今のは……)
(ヘンリーのため、じゃない)
会えないことが寂しいなんて。
来てほしいと思ってしまうなんて。
(それじゃ、まるで――)
そこまで考えて、思考を止める。
(違う。これは、違う)
(僕が弱いだけだ)
(ヘンリーのためを思うなら、こんな気持ちはいらない)
無理やり、そう言い聞かせる。
ゆっくりと顔を上げ、真新しいノートを開いた。
ペンを握る手に、わずかに力がこもる。
(……シナリオ通りにしないと)
使うのは、この世界の誰にも読めない文字――日本語。
忘れないために。
間違えないために。
書き連ねる。
この物語の流れを。
本来の“ソフォラ”は、ヘンリーに執着し、関係を悪化させる存在。
そして――主人公と出会い、物語が動き出す。
(ヘンリーは、主人公と出会って……愛し合う)
その言葉を思い浮かべた瞬間、
胸の奥が、ひどく軋んだ。
(――あい、しあう)
息が、浅くなる。
ペン先が、わずかに止まる。
(……なんで)
分かっているはずなのに。
それが“正しい未来”のはずなのに。
ぎゅっとペンを握り直す。
(僕が婚約者でいるからこそ、二人は燃え上がる)
(だから、僕が……繋げないと)
そのとき、
ノートの下から一枚の紙が滑り落ちた。
「……っ」
ヘンリーからの手紙。
“会いに行きたい”
“顔が見たい”
“忘れないで”
滲むほどの想い。
「……っ、ぅ……」
視界が歪む。
ぽたり、と。
ノートの上に、雫が落ちた。
(……あ)
滲む文字。
拭わないといけないのに――
手は、止めない。
ぎこちなく、震えながらも、
ペン先はまた紙の上をなぞる。
(止めちゃ、だめだ)
(止まったら……考えてしまう)
ぽたり、ぽたり、と
音もなく涙が落ちる。
それでも。
書く。
(ヘンリーが、幸せになるように)
(ちゃんと、主人公と出会って)
(……愛し合えるように)
胸の奥が、ぎゅう、と潰れる。
「……っ、……」
声にならない息が漏れる。
それでも、顔は上げない。
(僕は、いらない)
(僕の気持ちなんて、いらない)
滲んだ視界のまま、
何度も文字を書き直しながら、
それでも――
止まらない。
止めない。
涙で濡れたページの上に、
ただひとつの未来だけをなぞるように。
「……僕が、繋ぐ」
かすれた声で、そう呟いて。
静かに、泣きながら。
それでもソフォラは、
ペンを握り続けた。
涙を拭いながら、それでも手紙を握りしめる。
(違う)
(これは……僕のためじゃない)
何度も、何度も言い聞かせる。
それでも、胸は苦しいままで。
震える手で、新しい便箋を引き寄せた。
『待ってくれてありがとう。婚約式をしよう』
ぽたり、と涙が落ちる前に拭う。
気づかれないように。
優しい彼が、心配しないように。
文字を整えて、書き切る。
――そして。
小さく、呟いた。
「僕が……幸せにするよ」
その言葉の意味を、
自分でも、まだ正しく理解しないままに。
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