大好きな小説の悪役令息に転生したら、婚約破棄するはずの婚約者に執着されていました

エアコン

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6章

6-2



二日後。

ブラインドリー公爵エバとヘンリーが、馬車で邸を訪れた。

「お久しぶりです、公爵様」
「久しぶりだね、ソフォラ」

柔らかなやり取りのあと、ソフォラはヘンリーへと視線を向ける。

「お久しぶりです、ヘンリー」

次の瞬間、強く抱きしめられた。

「……ごめん、会いに行けなくて」

低く、押し殺した声。

「速度魔法も練習したのに……本当に、ごめん」

腕にこもる力が、少しだけ震えている。

ソフォラもそっと抱きしめ返した。

(……あたたかい)

その体温を、ちゃんと覚えておこうと思った。

あと何回、こうして触れられるのか――
そんな考えがよぎっても、もう顔には出さない。

(大丈夫)

(僕は、選んだ)

「会いに来てくれて、ありがとう」

静かにそう言うと、ヘンリーの力が少しだけ緩む。

額に落ちる口づけ。

以前は、驚いて、顔を赤くしていたはずなのに。

(……嬉しい、って思っちゃだめだ)

(この人は、僕のものじゃない)

心の奥が、すう、と冷えていく。

それでも表情は崩さない。

「くすぐったいよ、もう」

いつも通りに、軽く笑う。

「待たせてごめんね、ヘンリー」

あの時と同じ言葉。同じ仕草。

――違うのは、自分の中だけ。

ヘンリーは一瞬固まり、すぐに顔を赤くして、再びソフォラを抱き寄せた。

「なんなんだよ……会ってない間に可愛くなりすぎだろ」

その言葉に、ほんの少しだけ胸が痛む。

でも。

もう、それを確かめようとはしない。

息子の一喜一憂を眩しそうに見ていたエバが話し出す。

「手紙でも伝えていたけど、今日は衣装選びをするよ」

エバが軽やかに手を叩き、場を進める。

「会場は公爵邸。当日までのお楽しみだ」

ウインクをひとつ。

その華やかさに、場の空気が明るくなる。

ソフォラは頷きながら、

(……これでいい)

と、静かに思った。

(これで、いいんだ)

怖くないわけじゃない。

分かっている。
この先にあるものも。

――それでも。

(ヘンリーが幸せになるなら)

そのために進むと決めた。

ただ、それだけだ。

ーーー

当日の衣装選びのため、応接間と隣の部屋はすべて開け放たれていた。
並べられた布地や装飾品の数は圧倒的で――それだけ、ブラインドリー公爵家の本気が伝わってくる。

中央の三人掛けソファにはトネリコ、ソフォラ、ティペス。
向かいにエバとヘンリーがそれぞれ一人掛けに腰を下ろし、
その背後には使用人や護衛たちが控えていた。

「これでも減らしたんだけどね。こうして見ると多いな」

「どう見ても多すぎるだろ」

トネリコが眉を寄せると、エバは肩をすくめる。

「オトンナにも手伝ってもらったんだけど、逆に増えそうでね。途中で止めたよ」

そして、さらりと続けた。

「――これは全部、私じゃない。ヘンリーが選んだ」

「えっ……」

思わず視線が向く。

ヘンリーは、少し照れたように笑った。

「婚約式をやるって聞いてから、少しずつ調べて……ソフォラに似合いそうだなって思ったら、こんなになってた」

その言葉に、胸が強く揺れる。

(……ダメだ)

(揺れるな)

「っ……忙しいのに、ありがとう」

かろうじて笑みを作る。
喉の奥が詰まりそうになるのを、押し込める。

「……どういたしまして」

嬉しそうに笑う顔が、余計に苦しい。

ヘンリーに手を引かれ、隣の部屋へと移動する。

色とりどりの布地。
光を受けてきらめく糸や装飾。

「ソフォラは黒も似合うけど、白もいいと思うんだよな。黄みがかったのもいいし……あー、でも純白も――」

布を当てながら話していたヘンリーは、次第に自分の世界に入っていく。

その横顔を、ぼんやりと見つめる。

(……あと何回)

(こうやって、隣にいられるんだろう)

(あと何回、名前を呼んでもらえるんだろう)

「……ソフォラ?」

「ん? なあに?」

我に返ると、すぐ目の前に顔があった。

「何かあったのか?」

小さな声で、周りに聞こえないように。

その気遣いが、胸に刺さる。

「何もないよ。どうして?」

笑う。
ちゃんと、いつも通りに。

けれどヘンリーは眉を寄せたまま、

「……消えていきそうに見えた」

と、ぽつりとこぼす。

「急に、遠くに感じて」

一瞬、言葉を失う。

それでも。

「ここにいるよ」

やわらかく、笑う。

「ふふ、おかしなヘンリー」

――嘘をついた。

遠くに行こうとしているのに。

衣装は順調に決まっていった。

周囲の声を聞きながら、
ソフォラはふと、隅に置かれたガラスケースへと目を向ける。

(……きれい)

色とりどりのアクセサリーの中に収められていたのは、エメラルドグリーンのブローチ。

(ヘンリーと、同じ色……)

指紋がつかないよう、そっと縁に触れるだけにする。

(届かないものみたいだ)

ガラス越しにしか触れられないそれが、妙に重なった。

「綺麗だな」

隣に、ヘンリーが立つ。

「アクセサリー、まだ決めてなかったよな」

ケースを開けさせ、中を覗き込む。

「気になるのあるか?」

優しく問いかけられて、

「……ううん、見てただけ」

すぐに視線を逸らした。

これ以上、見ていたら――

「そうか。じゃあ――これ、どうだ?」

ヘンリーはブローチを手に取り、自分の胸元に当てる。

「似合う?」

距離が、近い。

視線を合わせるように、膝を折ってくる。

――逃げられない。

(……ずるい)

そんな顔で、見ないでほしい。

「……とても、似合う」

自然に言葉が出た。

それが余計に、苦しい。

「はは、よかった」

無邪気に笑う。

そのまま今度は、黒のリボンと淡い青のブローチと同じ色の宝石が付いたラペルピンを手に取る。

「ソフォラの髪って、黒だけど光に当たると青く見えるだろ」

ひとつひとつ、確かめるように合わせていく。

「だから、ずっと探してたんだ。これ、似合うと思って」

息が詰まる。

(やめて)

(そんなふうに、僕のことを考えないで)

「……これを、つけてほしい」

まっすぐな視線。

逃げ場がない。

気づけば、手が伸びていた。

ヘンリーの手を――掴んでいた。

「っ……うん」

声が、わずかに震える。

「これが、いい」

離したくない。

そう思ってしまった自分に、遅れて気づく。

(……だめだ)

(縋るな)

それでも――

指先に力が入る。

ほんの少しだけ。

「……ありがとな」

優しく握り返される。

その温もりに、心が崩れそうになる。

(ごめんなさい…今だけ)

必死に、内側で押し殺す。

顔は上げたまま、笑みを崩さずに。

それでも胸の奥では、

離れなければならない現実が、

静かに、確かに迫っていた。
感想 6

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