プリンセス・ロンド 運命の兄王と妹姫

月森あいら

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◆◇第十一章 帰途◇◆

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 クレアをかばったアーシュラの傷は、魔道師たちとラグラールの医師たちの手当てによって、あの深さからは思いも寄らぬほどに早く治りきった。そして、彼女の傷が癒えるとともに、マインラードの姫君は長きの滞在を終え、国もとに戻ることとなった。
「国王陛下、王妃殿下、長きにわたってのご厚情、御礼申し上げます」
 クレアは、この国に来た時まとっていた衣装を再び身に着け、深く頭を下げて臣下の見守る中、ふたりに別れを告げた。
「お名残惜しいこと」
 寝室の中で見せた、あの表情を巧みに隠して、アスティーアは眉を下げてさぞ悲しげに言った。
「また、お目にかかれることを願っているわ」
 それは、よもやラグラールがマインラードに攻め入った時なのだろうか。クレアはそれに固く身をかがめたまま返事はしなかった。
「お二方のこの先のご健勝を、お祈りしております」
 クレアはふたりの方を見ずに言った。
「達者でな、姫」
 王の言葉を最後に、クレアは馬車に乗り込んだ。手綱を取るのは、クレアを迎えに来たマインラードの者だった。馬車の中、アーシュラとともに席を取り、クレアはほぅと大きな息をついた。
「なにかあったの?」
 傷が癒えたばかりのアーシュラは、首をかしげてクレアに尋ねた。
「いいえ、なんでもないわ」
 ため息の意味を見抜かれたかと、クレアは急いで首を振った。
「それよりも、アーシュラ。傷の方はどう? もう大丈夫?」
 アーシュラは剣に裂かれた方の腕を振り回して見せた。
「もう、大丈夫。傷跡も残ってないくらい」
 その姿にクレアは微笑み、そしてつぶやくように言った。
「やっと、マインラードに戻れるのね」
「うん、長かったね」
 アーシュラも、そんなクレアの口調に合わせるかのように言った。
「あの御者、結局なんだったのか、調べはついたの?」
 クレアは首を振った。
「はっきりしたことはわからないそうだわ」
 アーシュラには、本当のことを言わないほうがいいだろう、とクレアは判断したのだ。セラフィスにすべての事実を話すまで、真実は胸の奥に隠しておくほうがよいだろうと。
 セラフィスに早く会いたかった。すべては、あの優しい兄の顔を見た瞬間に終わるような気がする。
「アーシュラには、本当にお世話になったわ。ぜひ、あなたの働きぶりをラーケンにも伝えておくわね」
「うん、是非そうしてね。多少、脚色も加えて」
 ふたりは笑い、馬車の揺れに身を任せながら窓の外を見る。視線の向こうに、白い塩の森が見えた。
「王様は、大丈夫なのかな」
 何か異変があれば、クレアの滞在中にマインラードからやって来ていた使者から連絡があっただろう。しかし、そう言う話は聞かれなかった。兄からもらった手紙にも、ただ父は小康を保っている、とあった。
「ええ、きっと」
 馬車は、緑の大地を駆けた。それは、マインラード戻る道。哀れですらあった姉が、恨みを残すその地へ、クレアは実に一月ぶりに足を踏み入れた。


◆◇


 「お帰りなさいませ、姫さま」
 古参の侍女が、馬車の扉の向こうに待ちかまえていた。クレアの手を従者任せにはせずに自ら取り、そして涙を浮かべんばかりにクレアを見つめた。
「ただいま」
「まぁ、よくぞご無事で……」
 クレアは、とん、と足を馬車の外に付いた。懐かしい空気が彼女を包む。
「皆も、変わりはないかしら」
「ええ、城の者すべて、姫さまのお帰りをお待ちしておりましたわ」
 クレアは、久方ぶりに見る王宮へ視線をやった。太陽の光に白いそれが反射して、まぶしく目を射る。
「クレア!」
 鋭く声が飛んだ。目をやれば、長い階段の上、そこにあるのはあまりに懐かしい姿。
「お兄様……!」
 夢にまで見た兄の姿がそこにはあった。白く輝く衣装に身を包み、長い髪が風に揺れてそれを彩っている。
 それに飛んで行って抱きつきたい衝動をこらえるのは必死だった。クレアは、釘付けになって離せない視線を無理矢理もぎ取り、ドレスの裾をつまんで深々と会釈をした。
「クレアが、戻りました。お久しゅうございます」
「ああ、よく戻った」
 階段を駆け降りんばかりにして、セラフィスがクレアのもとに駆け寄った。
「よく、無事で。元気そうでよかった」
「ええ、ご心配をおかけいたしました」
 セラフィスがクレアの手を取った。伝わってくる暖かさがじんわりと体の中にしみ込んでゆく。間近で見るその顔が、すがりつきたい思いを揺すぶる。
「アーシュラ、ご苦労様だったね」
 クレアに続いて馬車から降りるアーシュラにセラフィスは振り向いてねぎらいの言葉をかけた。
「先駆けの者から話は聞いている。クレアを守ってくれたそうだね」
「あ、ははっ、危ない目に合わせちゃったけど」
 アーシュラは照れたように笑って、頭の後ろに手をやった。
「詳しい話を聞きたい。また、あとで私の執務室に来てくれないか」
「はい、わかりましたっ」
 アーシュラは勢いよく言って、彼女を迎えに訪れたラーケンの方に手を振った。
「クレア、こちらへ。迎えの用意がさせてあるよ」
 セラフィスはクレアの手を放さなかった。そのまま、階段を上るのを手助けする。周りに控える臣下からいちいちねぎらいの言葉を受け、クレアはそれに答えながら階段を上がってゆく。上りきったところには、セラフィスの腹心であるエクス・ヴィトの姿も見えた。
「姫さま、ご苦労様でしたね」
 クレアは微笑んだ。エクス・ヴィト特有の飄々とした言葉遣いが、故郷に戻ってきたのだという念を強くさせた。
「私が留守の間、しっかりお兄様を守っていてくれたかしら?」
「それはもう、しっかりと。ねぇ、殿下?」
 それに笑って答えるセラフィスは、クレアを促す。
「疲れているだろうけどね、いろいろ報告を聞きたい」
「もちろんです」
 クレアの表情は、さっと引き締められた。それに、何事かを感じ取ったのか、セラフィスはそれ以上は何も言わず、彼女を執務室へいざなった。
「改めて、お帰り、クレア」
 執務室は、ともすれば一番馴染みの深い場所であるかもしれない。セラフィスは、一日のほとんどをこの部屋で過ごしたし、自然、クレアが兄に会うのもこの部屋であることが多かった。
 懐かしさが込み上げる。
「ただいま、お兄様……」
 椅子を勧められ、セラフィスの顔を正面に見、そして懐かしいマインラードの空気を吸い込み、クレアは声が震えるのを知った。
「私、どんなに……」
 視界がぼやけた。声が震えてうまく言葉が紡げない。クレアは、小刻みに揺れる肩を懸命に押さえようとした。
「クレア……?」
 セラフィスの声が、遠く聞こえる。クレアは自分の頬が濡れていくのを感じた。
「私……」
 緊張の糸がぷっつりと切れた。あの事件があってから、いや、ラグラールへ向かったときから張りつめていた彼女の精神は、この安心できる空間に戻って一気に緩んだ。クレアは小さくしゃくり上げ始める。
「クレア……」
 かすんだ視界の向こう、セラフィスの声がした。そして、椅子に腰掛けたままの自分を、その手が柔らかく包み込んだ。
「よく帰ってきたね、立派な妹を持って、私も鼻が高いよ」
「お兄様、お兄様……」
 優しい言葉に、涙はもう止まらなかった。それは止めどなくあふれ、そして自分を包み込むセラフィスの腕の中にそれは吸い込まれてゆく。クレアは腕を伸ばし、すがるようにセラフィスの体にしがみついた。そして、不安なとき、常に求めていたのがこの暖かさであったことを今さらながらに思い知る。
 それは、長い時間だった。しかし、涙がそれでも収まりを見せ、髪をなでるセラフィスの手が離れたとき、クレアはそれを名残惜しく感じた。この腕に抱かれるのが、常に自分であったなら。それを、独占できるのが自分なのであったなら。
 そんなことを願ってしまうのは、ともすれば血のつながりはないのではないかとの話を聞いてしまったからなのか。
 目の前に、白い布が差し出された。抱きしめる腕を解いたセラフィスが、それを差し出していた。
「顔を拭きなさい。涙でぐしゃぐしゃだ」
 クレアはそれを受け取り、そっと頬をぬぐった。白い布が、たちまち湿る。
「ごめんなさい、私……」
 慌ててこの失態の弁解をするクレアに、セラフィスはにっこり微笑んで見せた。
「謝ることはないよ、無理のないことだ」
 どこまでも優しい表情でセラフィスは言う。その笑みに、クレアは自分の胸にしまい込む、ある事実を告げる勇気を失いかけたが、気力を振り絞り、白い布をつかむ手に力を込めた。
「お兄様」
 まっすぐな声でそう言うと、セラフィスの表情もさっと緊張を帯びた。クレアの報告の重要さを、その表情から伺い知ったらしい。
「ラグラール皇国に関して、とても大切なことをお耳に入れなくてはなりません」
 セラフィスはうなずいた。机の向こうの椅子に座り直し、そしてじっと耳を傾けるふうにクレアを見つめる、部屋に、緊張の空気がみなぎった。セラフィスと、その部屋に控える重臣たちもが皆クレアの言葉に耳をそばだてる。
「私が、ラグラールの地で不審な輩に襲撃されたのは、お聞き及びのことと思います」
 クレアが言うと、セラフィスはうなずいた。
「報告は受けているよ。ずいぶんな目にあったらしいじゃないか」
 怒りにセラフィスは肩を反らせる。
「ええ、私は、アーシュラが助けてくれたので無事でしたが」
 痛々しいまでの傷を受けたアーシュラを、クレアは思った。
「我々の調査を拒否してきた。自国での不始末は自国内で片づけたいと言ってきてな。そして、受けた報告は外国から進入した盗賊の一味の仕業だと。お前を一国の王女と知って、身代金目当てに誘拐をたくらんだと言うことだ」
 そういう報告がなされているのか。クレアは息を飲んで言葉を継いだ。
「すべては、ラグラール皇国の策謀でした」
「……なに」
 部屋にみなぎる緊張が一気に高まった。それに包まれて、クレアは息を求めて小さく喘いだ。
「そして、お姉様の」
 クレアは、あのとき寝室で聞いたことを吐露した。ラグラールが発展してこられたのはいかなる理由によってか、その策謀の裏と、アスティーアの実家への裏切り。その理由。
 彼女はすべて口にした。しかし、ただひとつ、口にしなかったことがあった。セラフィスの出生への疑い。それは、この件には関係なかろうと自分に言いわけしながら、それを口には出さなかった。
「……」
 重い空気が部屋をよぎる。重臣たちは、しばらく口を開かなかった。そして、セラフィスは右手を額に添え、そこに深い皺を作って言葉を飲み込んでいた。
「よく、無事に戻ってきてくれた」
 セラフィスはうめくようにそう言った。
「避けられぬこととはいえ、私は何と愚かな。たったひとりの妹を、そのような敵地へ送り込んだとは」
「いいえ、私が志願したのです」
 クレアは自らを責めるセラフィスの言葉に首を振った。
「それに、私が行かなければ、真相がわかることはなかったでしょう。私は、お役に立ててそれだけでも満足です」
「ああ……」
 セラフィスはため息とも返事とも付かぬ声を洩らす。
「よく、戻ってきた……」
 唇を噛んでそう言うと、セラフィスは立ち上がった。
「クレア、本当にご苦労だったね。部屋の用意はさせてある、ゆっくり休むといい」
「ありがとうございます」
 セラフィスはそれににっこり微笑むと、背後に控える重臣たちに指図をする。
「緊急に会議を執り行う。その旨の達しを伝えよ。そして、今の話は他言無用だ」
「はっ」
 ずらりと並んだ彼らがそろって頭を下げる。セラフィスはクレアのもとに歩み寄り、その肩に手を置いて微笑みかけた。
「また、後で。それまでゆっくりしておいで」
「はい……」
 この場でそのようなことを思うのは不謹慎なのかもしれなかった。しかし、クレアはその緊張に張りつめた手から伝わるぬくもりを、今更ながらに愛おしいと思う気持ちを止められなかった。
 もし、姉の言う噂が真実なら。
 クレアは、その考えにすがった。
 この思いを、肯定してもいいのかもしれない。
 坂を転がり落ちるように、クレアは傾倒してゆく。許されるのかもしれないという、淡い希望にすがりながら。
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