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第二章 貴族は皆、息吐くように嘘をつく
第40話 策
しおりを挟む自分を見る目がやはり冷たい。
夜会を外れ月明かりの下、アーサーは眉間に皺が寄りそうになるのをこらえつつ思う。
湖水の瞳を見つめ返し、何となく面白くない気分になる。
話していると、どうやらリヴィアには自分が悪者に見えるらしい。おかしい。自分は被害者の筈なのに。皇城でのユーリアの振る舞いを知っていてそんな言い方をされるとは思わなかった。
と、そこで思い至る。そうだ、確かこの令嬢は社交に出ていなかったのだ。
18歳を目前として未だデビュタントを済ませていない。この国の女性は15歳で社交デビューする。早くて13-14歳と、兄妹で一緒に送り出したいという場合などよくある事だ。そうして一~二年で婚約者を探し、一年以内に結婚する。
多少時期はずれたとしても、女性は20歳を過ぎれば行き遅れ扱いを受けるというのに、デビューもせず引きこもっているのでは、婚期を逃すだけだ。
でも何故だろう。じわじわと嬉しいと思ってしまうのは……
自分の感情が理解出来ずに内心首を捻っていると、リヴィアが散々な言葉で自分を罵倒しているのが聞こえる。
むっとしたものの、
一生ライラを愛していればいい
そう言われてはっと息を飲んだ。
冗談じゃない。
「……確かにそうなるのは困るな」
言うが早いかリヴィアに手を伸ばした。
当の本人は驚いたのか、殴られると思ったらしく身を竦めて動けないようだ。すぐ様その手を掬い取り、唇を落として言葉を重ねた。
リヴィアは眉間にぎゅっと力を込めているが、薄らと頬が赤い。嬉しくなって腰を引き寄せると目に見えて動揺して逃げ出そうと身を捩っている。楽しい。
腕の中に囲って微かに聞こえる音楽に合わせてくるくる回して踊りだした。足場が多少悪いが気にならずに踊れる。
リヴィアの身長は少し高いせいか、顔が近くてよく見える。真っ赤だ。
目を閉じて息を整えないで欲しい。いたずらしたくなる。顔を近づけてじっと見ていると、飛び上がらんばかりに驚いて手を振り解こうと必死になっている。
思わず抱きすくめ頭の上に口付けを落とした。リヴィアの身体が硬直したのが分かる。だがあまり拒絶ばかりされるのも面白くない。
この令嬢の中に入り込みたいと思ってしまう。ずっと自分を覚えていればいい。いつでも思い出してしまうくらい。
「だから、もうあなたとは二度と会いません」
気づけばそんな言葉が口から出ていた。
……何か違う。
言いたい事は色々あったが、心から一番遠い言葉が出てきたような。でもリヴィアには響いたようだ。ぱちくりと瞬いた後、混乱やら困惑が顔中を駆けめぐっている。
ひとまず満足し髪にも唇を落とした。するすると滑らかな髪は掴みにくく、手触りがいい。
益々気分が良くなったが、これ以上舞い上がると自分が自分で無くなってしまうようで踵を返した。視界の端でフェリクスが複雑な顔でこちらを見つめている。チラリとリヴィアを見てから後を追ってくる。
「やり過ぎですよ」
……ため息つかれた。
「意趣返しだ……」
微妙な顔が返事として返ってくる。分かっている。子どもの言い訳じみていると。胸の中が騒がしく落ち着かないのに、妙な浮遊感に包まれている。
それこそ子どもの頃楽しみにしていた行事の前日のような高揚感とでも言うべきか。ついでに熱でも出したようだ。
このまま広間に戻るべきか思案していると、一組の男女の寄り添う姿が見えた。……ああ。
「ユーリア嬢。ハストン卿」
二人ははっとこちらを振り向き、この場の言い訳を考えるように立ち尽くしている。
チラリと見ると二人の手はしっかりと繋がれており、第三者の存在にもその力は緩みそうに無い。そんなに上手くいくものかと聞いていた話だが、どうやらレストルの策はしっかりとはまったらしい。
◇ ◇ ◇
「傷心の女性につけ込むのは案外簡単なんですよ」
そんな事しなくても女性に言う事を聞かせる事に長けている奴が何を言うんだか。
「ハストン卿はユーリア嬢に恋情を抱いているようですから、きっと上手くいきますよ」
「任せる。色恋の駆け引きは良くわからん」
「殿下は案外実直な方ですからねえ。まあ任されました。当日の立ち振る舞いにはお気をつけて下さいね」
こいつがにっこりと笑う時は、腹に真っ黒なものを抱えているという事実は知らずにいたかった。
◇ ◇ ◇
ハストン卿は貴族の中では平凡な顔立ちをしている。華が無いというか。中身は優秀なのだが、何故かアピール上手では無い。
そろそろ爵位を継承する頃ではあるのだが、婚約者が決まらないのだとか。選り好みが激しいと、ハストン伯爵が愚痴を零していたらしい。
それでいて女の趣味はイマイチのようだ。美しければ中身はどうでもいいのだろうか……
「こんなところで二人きりとは、疑われても仕方ありませんよ。ハストン卿」
フェリクスの指摘にユーリアが顔を上げる。途方に暮れた眼差しはアーサーではなくハストン卿に向けられていた。
ハストン卿はユーリアの肩を恐る恐る引き寄せ、毅然とした眼差しをフェリクスに向けた。
「勿論です」
恋は盲目というが……見るとユーリアはハストン卿を見上げ嬉しそうに頬を染めていた。
打ちのめされ、窮地に立たされ、こうして庇われれば恋に落ちるのか。
成る程と思いながら、広間へと戻ってゆく二人の背中を見送る。ユーリアは知っているのだろうか。このまま二人は婚約者とならなければ醜聞となると。
二人揃って広間からどこぞへ姿を消し、寄り添って帰ってきたとなれば噂はあっという間に貴族たちに広がるだろう。違うと言えばユーリアの貞操観念が疑われるだけだ。父であるサンジェス侯爵も認めざるを得まい。ただ……
見つめ合う二人が広間の明かりに飲み込まれるのを見送り、アーサーはふと羨ましいと思った。
恋した相手に同じ気持ちを返されたら……こちらを見て笑ってくれたら……。
キラキラと輝く湖水の瞳がこちらを見つめる様を想像し、面映くなった顔を誤魔化すように、そのまま夜会を後にした。
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