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第三章 偽り、過失、祈り、見えない傷

第67話 彼らの過去

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 当時私には婚約者がいた。隣接する領地の娘で、幼い頃からお互い憎からず思い合い、結婚を約束した相手。

 ごくごく普通の貴族の婚約者だった。
 国境を管理するゼフラーダにはいくつか決まり事があったけれど、結婚相手にあまり身分を気にしないものだった。最優先事項は必ず次代に繋ぐ事。だから結婚には自由主義の風土があった。

 周囲にも暖かく見守られ、私たちは幸せの中愛を育んでいった。
 婚約をして数ヶ月、結婚式まであと僅かというところで、皇族から婚姻不可の通達が早馬で届いた。

 一体何の冗談だと私は笑ったが、当時の家長である父はその書類を手に血相を変えて皇都に向かった。皇都は往復だけで最低でも十四日、天候が悪ければもっと掛かる。

 けれどいくら待っても父は帰らなかった。

 私は焦れた。不安がる家族に親類、そして婚約者の悲しそうな顔をこれ以上見ていられなかった。

 ある日私は婚約者の手を取り、こっそりと教会に忍び込んだ。御神体の前で二人愛を誓おう。彼女もきっと喜んでくれる。もうこれ以上不安な顔はさせたくなかった。

 指輪を交換し、ドレスは着て来られ無かったけど、ベールだけは持ち出して。

 それをそっと持ち上げて花嫁に口付けた。ずっとずっと離れないと誓いながら。

 私たちの結婚予定日からすでに二か月が経っていた。

 ◇ ◇ ◇

 やがて父が帰って来た。
 どこまでも続く行列の先頭には父がおり、そのずっと後には皇族の紋の入った馬車が連なっていた。

 帰ると先ぶれがあったのは数時間前の事。大事な話がある。出迎えはいらないと。

 呆然と立ち尽くす私を見つけた父は急いで馬を駆って近寄り、私と妻の繋いだ手を叩き落とした。
 父は妻が私に近づかないように使用人に言い聞かせ、私を執務室に引っ張り込んだ。

「お前とディアナ姫との婚姻がまとまった」

「何の話です?」

「突然の話だ。混乱するのも無理はない。私も皇都でギリギリまで立ち回ったが、覆す事は出来なかった。すまないが受け入れてくれ」

 言うだけいい、私に対し深く頭を下げる父を呆然と見つめた。あの父が自分に頭を下げている。そんな事天地がひっくり返ってもありえないと思っていた事なのに。そしてこれはそれ程のことなのかと私は背中を強張らせた。

 おそらく皇都には、辺境伯の味方になってくれるような輩はいなかったのだろう。戦争の脅威でもなければ、この国では辺境伯など国境のお飾りに過ぎないのだから。

「今日このまま挙式を行い、お前たちは夫婦になる。皇都から神父が派遣されてきた。お前たちが作成した婚姻の届け出書は、受理前に無効とされた。そしてこの婚姻に陛下も頷かれた」

 もう逃げられないと言われている気がした。

「それでは妻は────アンリエッタはどうなるのです!彼女は私の!」

「彼女には第二皇子殿下が別の良い相手を見つけて下さった」

 良縁だ。と呟く父の声が弱々しい。

「ディアナ────姫はどう思っているのです。私との婚姻を」

「果たすべく義務の一つだと……」

「……」

 理解出来ない。ゼフラーダの当主はずっと想い合う相手と婚姻を結んで来た。

 執務室から彼女が馬車から降り、ゆったりと歩いてくるのが見える。
 いわゆる皇都の気品漂う貴族の手本のような女性。凛と背筋を伸ばし歩く姿は、会った事も無い皇族を彷彿とさせた。
 
 けれど屋敷を見上げたその眼差しは、太陽の光の眩しさで隠すように一瞬だけ寂しげに揺れた。

 ◇ ◇ ◇

 式は滞りなく進んだ。
 本当ならアンリエッタと歩く筈だったバージンロード。何故自分がここにいるのかわからないまま、私たちは夫婦となった。実感も達成感も何もない。責めるべき相手はディアナでは無いのに、何故ここに来たのかと詰りたくなる。

 頭と心が乖離しているような状態で、それでも早鐘のような心臓の音がいつまでも身体を打ち鳴らし続け、自分の存在いきていることを主張し続けた。
 それでも言わなくてはと思った。自分が愛してるのはアンリエッタだと。

 ◇ ◇ ◇

「それがなんだと言うのです」

 淡々と彼女は口にする。
 彼女は家長である父に従い辺境の地へ嫁いだ。それだけだ。自分の魔術がいつかゼフラーダの助けになるという理由で、そして陛下からも御了承いただいた。だから来たのだ。

「わたくしにだって恋しいと思った方くらいいましたわ」

 ふっとディアナは自嘲気味に笑ったが、その目はやはりどこか寂しそうで。

「勅命に逆らえますか?」

 そして今度は挑戦的で。

「話は以上でしたら、さっさと初夜を済ませて頂けますか?長旅で疲れていますの」

 私はぐっと目を閉じた。

「アンリエッタは……幸せになれるだろうか」

 何を言っているんだろうかと我ながら思う。
 それでも口にしなければ何かに押しつぶされそうで。
 目の前の強い女性もまた、幸せになるべき人だという事は、頭の片隅にも登らなかった。

「殿下が良きに計らって下さいます」

 そう言って彼女はまた寂しそうに笑った。
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