【完結】婚約破棄令嬢の失恋考察記 〜労働に生きようと思っていたのに恋をしてしまいました。その相手が彼なんて、我ながらどうかと思うけど〜

藍生蕗

文字の大きさ
68 / 110
第三章 偽り、過失、祈り、見えない傷

第68話 幸せを願う

しおりを挟む

 私たちは会うべきではなかった。

 父が私たちを遠ざけた理由を、私は遅ればせながら知る事になる。

 アンリエッタは嫌だと言った。

 第二皇子殿下が結んだ縁は皇都の侯爵家の息子。
 次男ではあるが、陛下の近衛であり、皇都で一二を争う程に、妙齢の令嬢に人気がある美丈夫だそうだ。田舎の男爵家であるアンリエッタには破格の縁談だろう。
 それでも嫌だと言ったのだ。

 ずっとずっと好きだったのだと。家族には皇族に逆らうようなら勘当すると、平民にすると言われてきたと。

 長年待ってくれていた女性。二人だけの結婚式。ずっと一緒にいると約束した事。全てを捨てて自分を選んでくれた彼女を、私は抱き留めた。

 そして彼女は平民になった。

 ◇ ◇ ◇

「私が生まれた頃の話だったな……」

 呟くアーサーに辺境伯の眉がぴくりと動いた。

「話してくれて構わない。当時の皇族、いや貴族社会は貴族の義務に執拗に厳しかったと聞いている。けれど私たちが行った事は、自己都合を押し付け、あなた方の心を軽視した采配だった。申し訳無かった」

 僅かに頭を下げるアーサーに目を細め、辺境伯は口を開いた。

「アーサー殿下がお生まれになり、当時の第二皇子殿下が臣下に降りました。あなたに皇族の陣の適合者たる資格を持つ事が分かりましたから。あの方は、次代の為にその力を一度皇族に返還されたのです。

 皇族の陣を持つ者の伴侶には、魔術の素養のある者が選ばれてきた。ディアナはその必要性が無くなり、あの方の婚約者を外されました。
 彼女はもっとその価値を発揮する場所に嫁がせるべきだと言われて」

 机上の討論なんて言葉は良く話に聞くが、人を駒のように動かす、この気持ちの悪い行為は、そんな言葉では足りない。

 国として最善を考え、この縁を結んだのだろう。だけど────
 現王弟である、幸せそうな叔父の顔が思い出される。

 ◇ ◇ ◇

 幼い頃から夫婦仲の良い二人だと思っていた。だが、今改めて二十年前の話を蒸し返して調べ直すと、叔父は当初の婚約者────ディアナと相性が悪かったと言うものが出てきた。

 皇族として生まれついての、この独自の役割を、他国から嫁いで来た当時の皇妃は受け入れられず、適合者である次男を必要以上に甘やかして育てた。
 妻の嘆きに皇帝も負い目を感じた為、皇太子である長男が次期皇帝として育てばと、妻の次男への溺愛を黙認した。

 いずれ皇室に入るべく育てられたディアナは、隙なく完璧な女性だった。
 本来なら皇族として良い婚約者だと、喜び迎えらる筈だった。けれどその相手である叔父は、甘やかされすぎて、お世辞にも皇族の意識は高いとは言えなかったらしい。

 だがディアナにとっては悪い事に、彼女の婚約者は決して悪人では無かった。
 見限れなかったのだ。
 婚約者というよりは姉のように、口うるさい家庭教師のように。皇族の役割を滔々とうとうと説いて聞かせた。

 そんなディアナに皇妃はいい顔をしなかった。自分が可愛がる息子に厳しく接する婚約者。嫌っていたと言っても過言ではない。

 生家からは婚約者をしっかり支えるようにと、しかし義理の母となる皇妃からは、その様をまるで悪行のように罵られていた。

 ディアナが心身を擦り減らし、忠義を全うしている様を見かねた者が陳情を申し立て、ようよう皇帝が重い腰を上げた時には、彼らの関係は修復が困難なものになっていた。

 そして叔父は新たな皇族が誕生するかもしれないと知った途端、すぐさま魔術の返還と、ディアナとの婚約破棄を望んだという。

 ◇ ◇ ◇

 赤子は生まれるまで性別は分からない。また、生まれた後に後継の適合検査が実施出来るまで、三か月は要した筈だ。

 それでも叔父が譲らず、祖父王もそれを認め、直ぐにディアナの嫁ぎ先も見繕うように動き出した。

 息子の言葉を受け入れたからではない。皇族としての息子を見限ったのだ。
 だが臣下に降り、元婚約の姉を娶った叔父は幸せそうで、また思いの外に優秀だった。

 ◇ ◇ ◇

 それは救いだったのだろうか。
 いっそどこまでも無能でいてくれたら。ディアナが押し付けられた無情も、自分のこの勝手に覚える葛藤も、少しは和らいだのだろうか。

 アーサーはふと息を吐いた。

 以前母から久しぶりの妊娠で、気付くのが遅れてしまったと聞いた事がある。
 その少し前まで体調も崩し、月のものも不順だった為に、上手く妊娠期間が測れなかったそうなのだ。

 だからこそディアナの婚約者候補であったゼフラーダ家は待たされたのだろう。恐らくディアナの輿入れ候補の筆頭であっただろうから。

 アーサーの誕生日の度に、無事に生まれて本当に良かったと嬉しそうに話す母に面映い思いをしていた。だがそんな自分の誕生に割りを食った者たちいると知り、それが理由で罪が生まれた事に、自嘲したい気分になる。

「私が言うのもおかしいでしょうが、ご自分を責めないで下さい。生まれてきた子どもには、当たり前ですが何の罪もない」

 ヒューバードの事だろうか。アーサーは俯けていた視線を上げた。

「ヒューバード殿があなたの子というのは間違いが無いのですね」

「ええ」

 私とアンリエッタの子です。小さく呟いた辺境伯の目はただ静かだ。

「実はその陳情の記録は探しても残っていないのです。これは推測ですが、恐らく陳情者はエルトナ伯爵では?」

「ええそうです。記録が無いのはエルトナ伯爵も当時の陛下から、縁談を勧められておりましたから。妙な噂もありましたし、無かった事にしたかったのでしょう」

「辺境伯夫人とエルトナ伯爵の恋愛ですね」

「ええ、ディアナから恋した相手がいると聞いておりますし、私も間違いないとは思っておりましたが、どうやら片恋だったようで……伯爵は、友情を持って接していたと」

 泣きそうに顔を歪めた辺境伯を、アーサーは思わず呆然と見つめた。
 せめて伯爵もディアナを想っていてくれれば良かったのにと。そんな風に聞こえる泣き顔。

「私は、彼女が輿入れしてきて、しばらく顔を会わせられなくて、ずっとアンリエッタと共に別邸にいたのです。本来なら逆だったのだと今なら分かります。だが、流されてしまう自分自身が恐ろしく、向き合う事が出来なかった。強行してきたディアナを受け入れられなかったのです」

 辺境伯がディアナを思い返したのは、アンリエッタが身篭ったからだった。幸せだと思ったからこそ、彼女と向き合わなければならないと、侍従に命じてディアナの身辺を調べさせた。

 彼女は女主人として屋敷を切り盛りし、堂々と振る舞っていた。屋敷で領地経営に関するものも全てこなしている。これからの事についても話し合いたかった。けれど、

「旦那様お帰りなさいませ。早速ですがお話があります。外腹の子の事ですが────」

 自分がディアナを調べたように、ディアナも自分を監視していたのだろう。思わず息を呑みこんだ。

 ◇ ◇ ◇

 屋敷の中について、領地経営について、屋敷の者に聞きながら学んでいる事を話してくれた。屋敷内の様相を整えた事。この地の慣わしを知りたい事。それから自分も子どもが欲しい事────

 驚く私にディアナは鋭い目を向けて答えた。

「正妻が子を成さず、愛人だけ子を持つなど許されない事でしょう」

 皇都で幼い頃から期待され、必死で努力し続けた結果、それらを全て否定され、用済みとばかりにそこから追いやられて来た人。

 それでも誇り高く、媚びる事も強請る事もしない。
 ただ、今までそうであったように、正しくあろうとするだけだ。

 愛してあげたかった。
 受け入れて家族となりたかった。
 自分が出来る事は何だったのだろう。
 どうすれば良かったのか。これが正しい事かどうかは分からない。ただせめて、彼女の子どもがゼフラーダを継げれば良いと思った。

 けれど自分たちの間に子が成される事は無かった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

揺れぬ王と、その隣で均衡を保つ妃

ふわふわ
恋愛
婚約破棄の断罪の場で、すべては始まった。 王太子は感情に流され、公爵令嬢との婚約を解消する。 だが、その決断は王家と貴族社会の均衡を揺るがし、国そのものを危うくする一手だった。 ――それでも彼女は、声を荒らげない。 問いただすのはただ一つ。 「そのご婚約は、国家にとって正当なものですか?」 制度、資格、責任。 恋ではなく“国家の構造”を示した瞬間、王太子は初めて己の立場を知る。 やがて選ばれるのは、感情ではなく均衡。 衝動の王子は、嵐を起こさぬ王へと変わっていく。 そして彼の隣には、常に彼女が立つ。 派手な革命も、劇的な勝利もない。 あるのは、小さな揺れを整え続ける日々。 遠雷を読み、火種を消し、疑念に居場所を与え、 声なき拍手を聞き取る。 これは―― 嵐を起こさなかった王と、 その隣で国家の均衡を保ち続けた妃の物語。

「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」

イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。 ある日、夢をみた。 この国の未来を。 それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。 彼は言う。 愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...