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余話
おまけ 優しい人 上
しおりを挟む青褪めた顔で机に向かう主を横目に、フェリクスは自分の分の書類を片付けて席を立った。
「それじゃあ俺はこれで帰ります」
「ま、待て! おかしいだろう! 落ち込む主を気にかける度量ぐらい持て!」
その台詞にフェリクスは、はあと息を吐いた。
「面倒臭いです」
「何でだ! じゃなくて何でそんな態度なんだ? 私は確かお前の主人で皇族だったと記憶してるんだが?!」
フェリクスはチラリと時計を見た。
「定時なんで」
「一時期流行ったゆとり世代の台詞か! 仕事はちゃんと終わったんだろうな!」
「当たり前でしょう。あなたと一緒にしないで下さい」
「待て待て待て、だからおかしいだろう!」
「さっきも言いましたが定時なんで。アホですか」
「いや、不敬だろうがああ!!」
ぜいぜいと肩で息をする主を見て、つい口にする。
「元気ですね」
「ああ?」
柄の悪い皇族だ。
「いよいよ夫婦の寝室から叩き出されましたか。毎夜毎夜執拗に抱き潰して、奥方に早々に愛想を尽かされたようで」
その言葉に主はビキリと固まる。
「いくら皇族が離婚出来なくても、このまま永遠に一人寝と言うのも寂しそうですね」
主から、さらさらと風化していく音が聞こえて来たところで、今のうちに退室する事にする。
ガチャリとドアを開ければ、後ろから懲りない声が追いかけてきた。
「……お前こそ、散々見合いに失敗していると聞いているぞ。一方的に断られてばかりいるそうじゃないか」
振り返ればもの凄い性悪が顔全体で表現されている。品性の欠片も無い。
一人不幸を背負いたくないようで、道連れにする気満々だ。寂しがり屋だろうか。他を当たって欲しい。
「あなたと逆でしつこく無いんですよ俺は。朝まで奥方を鳴かせているそうじゃないですか。そんな話が使用人を通して聞こえてくれば、女性は恥ずかしいと思うでしょう。そろそろ実家に里帰りでもする頃合いでしょうか。戻したが最後、きっとあの伯爵は二度と奥方を城に返さないかもしれませんね」
ざあっ! と音を立てて主が完全に風化してしまったので、フェリクスはそのまま部屋を出た。
全くあの人は……
フェリクスは嘆息した。
主が結婚して、ふた月になる。一年の婚約期間を経て二人はめでたく結婚した。
皇族の過ちを目の当たりにした彼は、その業に巻き込むことを恐れ、好いた女性を諦めようとしていた。
けれど幾ら物理的に遠ざけようと、既に心が守護霊よろしく貼り付いていたのだから、土台無理な話だったのだ。
例えば彼女に別に好きな男が出来たら呪い殺していただろうし、結婚でもしたら、直に相手を刺しに行っていたかもしれない。
あの頃彼は病んでいた。正直さっさと結ばれて欲しいと思う程には鬱陶しい存在だった。
そこまで考えてはっと気がつく。思わず忘れそうになるが自分の主だった。一応それなりに尊敬している……
幸いな事に相手も主に好意を返してくれた為、二人は結ばれる事が出来た。一年間は長いとぶーたれながら、今度は絶対に彼女を失わないように、必死に外堀も内堀もあらゆる堀を埋めまくっていた。……彼女の父親だけは全く協力してくれなかったが。
物思いに耽っていると正面から声を掛けられた。
「フェルジェス卿」
「これは妃殿下」
思わぬ人物にフェリクスは目を見開いた。
「何かありましたか?」
挨拶のように聞くと、彼女はぴくりと反応し慌てて笑顔を作った。
「いえ……そういう訳では無いんだけど……」
「殿下と喧嘩しましたか?」
その声に彼女はっと息を飲んで、気まずそうに視線を逸らした。
「ええ……そうなの……ちょっと勘違いしていた事もあって、謝ろうと……」
指先をもじもじと動かしている事から、言いにくい事なのだろう。フェリクスは、ああと当たりをつけた。
「懐妊を勘違いされていましたか?」
「え? どうしてそれを……あっ」
慌てて手を口元に持っていくも、驚きが口に登った方が早い。
「最近、妃殿下の様子がおかしいと、殿下が心配なさってましたから」
閨を拒まれたのはそれが理由だろう。でも……
「そうなの……やっぱり勘違いを伝えなくて良かったわね。実はそれが原因で今朝喧嘩してしまって。侍医の方の診察を受けてからお伝えすべきと思っていたものだから。……結局わたくしの勘違いで殿下を怒らせてしまったから、謝りに来たのだけれど……」
そう言ってふとまつ毛を伏せる。
「そうですか、殿下もお喜びになると思います。何より妃殿下との仲を大切にされておりますから」
「そ、そう。そうかしら、とにかく会って話して来るわね! ありがとうフェルジェス卿」
そう言って嬉しそうに手を振り、足取り軽やかに主の執務室に向かって行った。
その背を見送り、ふと思う。随分雰囲気が柔らかくなった。
知り合った頃はどこか頑なで近寄りがたい人だったのに。
今では淑やかで知性溢れる皇族女性として、臣下から敬意を払われる程になった。
元々社交に出ていなかった為、知らず見逃した事を後悔する令息たちの会話を、うっかり主が聞いてしまった。それが元で、彼女はぞろぞろと護衛や侍女を連れて歩いている。
本人は恐縮するばかりで、移動すると周囲に迷惑が掛かるからと、あまり外に出ない。主の思う壺だ。
しかも、あれで粘って減らしたと言うのだから恐ろしい。
彼は独占欲が強いらしいと、今更知った。
来月の公式訪問が思いやられる。
隣国で魔術の古文書が発見されたらしく、彼女自らが調査へ向かう運びとなった。
本人はそれは楽しみにしているようだが、主は苦虫を噛み締めた様な顔で静かに邪魔をしている。
結婚前にいくらでも魔術に労力を注いで構わないと、確かに言っていた。外交のようにあちこち赴く事を妃殿下も望んでいるのだが、主もついていくと言い出す有様で止めるのが大変なのだ。
それで予定がなかなか纏まらず、やっと来月に初外交となったのだが……あの嫌がりようは詐欺に等しい。
言って無いんだろうな……
フェリクスは少しだけ彼女を気の毒に思う。
多分今彼女が顔を見せれば、顛末は予想出来る様な気がする。
けど……まあ、いいか。
仲直りすれば主のスペックも元に戻るだろうし、拒むと場所を選ばなくなると知れば、寝所で応じるようになってくれるだろう。
だから、彼が最高級の避妊薬をこっそり彼女に飲ませている事は黙っておく事にする。
しばらく独り占めしたいだなんて、子どものような言い訳と一緒に。
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