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19. 黄昏時
しおりを挟む「……」
薄らと目を開ければ、朱に染まる室内が視界に飛び込んできた。……どうやらあれから随分時間が経っていたらしい。
イーライ神官の馬車に乗ったところから記憶がないから……あれこれあったせいだろうとは思うが、タイミングはよろしくない。……ここはどこだろう。
広々としたベッドから身体を起こし、くらりと起きる目眩に頭を押さえると、横から逞しい腕が伸びてきた。
「レキシー、大丈夫ですか?」
「……っ、イーライ神官様……?」
気遣わしそうなその顔を見れば、先程の情景が目に浮かぶ。
再び滲む涙を誤魔化す為に目をきつく閉じて、頭を振った。
私は自分の道徳心とかけ離れた、ずっと現実味の無いところで生きてきた。
自分で道を切り開くしかないと思っていたのだけれど、その結果、実の家族も失った。
……捨てられた、というべきだろうか。
今のこの状況は、紛れもない現実。
思わず涙が滲む。
「レキシー、……もう大丈夫です。何も心配しないで」
優しく包み込むような言葉に益々涙が溢れてくる。
思えばこの人の前では落ち込んで泣いてばかりだ。自分は間違っていただろうかと、思い詰めては神殿に通うあの日々から。
いつものように頭を撫でて欲しくて項垂れれば、イーライ神官の腕が背に回り、しっかりと抱き寄せられた。
「イーライ神官様っ?」
驚きに喉が詰まってしまう。
今まで私がどれほど泣こうと吐き出そうと、彼が触れるのは、私の頭に掌を置くだけだった。それが今日は、しっかりと抱きすくめられている。
……そういえば頭を撫でられるのもそうだけど、こうして抱きしめて貰う事も、私の人生には無かったなあ、なんて。場違いながらも嬉しさと切なさを噛み締めてしまう。
「遅くなってすみません」
「……え?」
ぼけっとする私にイーライ神官は不思議な笑みを浮かべていた。
「本当はもっと早く言うべきだって、分かってたんです。でもあなたは忙しいからと。きっと前夫が亡くなったばかりで、口にしても受け入れてくれないだろうと。勇気が出ない事に言い訳を連ね、あなたを傷つけてしまった。もっと早くこうして囲い込めばよかったのに……」
「囲い……?」
何やら神職らしからぬ発言が聞こえたような気がするが、気のせいのようなので黙っておく。
「一線を引く為といいながら、家族の為に懸命なあなたを優先したかったのもあります。でも……自信が無かった。あなたは私を頼ってくれたけれど、それはセセラナ教のイーライ神官としてだったでしょう? その信頼を裏切って、あなたから距離を取られたらと思うと、怖くて……」
下げていた視線を上げ、イーライ神官と目を合われば、苦しげに歪められた表情とぶつかり、動揺に胸が騒ぐ。
どくどくと鳴る心臓が先程の会話を思い出させた。
──結婚。
でも……そう、言っていた。私に会いにきたと、結婚すると……
思い出して頬に熱を感じ、そわそわと視線を彷徨わせる。
「あの……イーライ神官様……ですよね?」
そっくりさんではなく。
それとも、もしかしてこれは夢だろうか。
「そうですよ、レキシー? 可哀想に、まだ混乱しているのですか? もう大丈夫、これからは私があなたを支える夫となります」
私はびくっと身を震わせた。
だってそれは、多くを失った私が可哀想だからでは無いのか。こんな状態の私を見過ごす事が出来なかったからでは……? だってイーライ神官だ。ずっと優しくて温かく見守ってくれた、私の支え……
驚きに固まる私の手を捉え、イーライ神官はふっと口元を綻ばせた。
まるで小さな子供に言い聞かせるように、イーライ神官は優しく口にする。
「言わなければ伝わらないのだと分かっているつもりでしたが……伝わるととても幸せな気持ちになると知りましたから」
あっと息を飲む。
「それは、その……私の気持ちが……」
あの挙動不審な様子から、知られてしまったのかと思うと急に恥ずかしくなってきた。それにどうせならきちんと伝えたかった、ような気がする……
「はい。だから今度は私の話を聞いて欲しいのです。あなたが私に話してくれたように。今度は私の話を聞いてくれませんか? あなたに私を知って欲しいのです」
穏やかなイーライ神官の表情に私は瞳を瞬いた。
「イーライ神官のお話?」
そう口にして、私はこくりと頷いた。
だって知りたい。聞かせて欲しい。
イーライ神官の半生なら、見たい、触れたいと思った。
そんな私にイーライ神官は、ふふっと笑みを零した。
「そうですね、どこから話しましょうか……?」
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