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33. 大好き
しおりを挟む「──ただ、その……」
歯切れ悪く口にすれば、イーライ神官から表情が消えた。
今迄紅潮していた顔は見る間に青褪めていく。
「酷い……」
「ええっ?」
ぐいっと詰め寄るイーライ神官から私は再び後退った。
「期待させておいて落とすなんて、誰だ? 君の隣に収まった奴は。そうかフェンリーも知ってたな? 兄さんめ……だから私をレキシーから遠ざけたのか! あいつら××××……」
「……」
およそ神職らしからぬ台詞は聞かなかった事にしよう。
また妙な勘違いが頭を占めているなあと、私は全力で手を振った。
「違います、誰もいません。ただですね、こうやってまたイーライ神官に会うとは思っていなかったんです。少なくともこんなに早く。だから時間が欲しいんです……」
失意を浮かべるイーライ神官に申し訳なく思ってしまうけれど。それくらい私には、彼の気持ちは不意打ちだったのだ。
そんなに望んで貰えるなんて意外で、くすぐったい。その気持ちは決して嫌な訳では無いけれど……同時にそんな思いを受け取るのには慣れていなくて、戸惑いの方が上回ってしまっている。
そんな私にイーライ神官は不満顔でぶすりと告げた。
「……分かった。君がうんと言ってくれるまで待つよ」
あまり納得していないように見えるが……
「ありがとうございます」
とりあえずほっと息を吐くと、イーライ神官は何かを決意するように頷いた。それから彼は遠路もなんのその、我が家に日参するようになったのだった。
◇
「イーライ様! ドリート家に何をしたんです!?」
イーライ様は我が家まで、馬で片道一時間半で駆けてくる。そうして朝食を共に摂り、仕事へ向かう。
そんな生活を続けて半年。
朝の早い、すっかり規則正しい生活が習慣付いた。
そんな中、昨日のうちに読みきれなかった手紙の一つに目を通し、私はドリート家の顛末に驚く事になったのだ。
朝の挨拶もそこそこに、目くじらを立てる私にイーライ様は固まった。その様を見てはやはりと眉間に指先を添え項垂れる。
本当にこの人はもう、変わらない。
「……べ、別に少し圧力を掛けただけだ。まさかもう君に連絡を取ろうだなんて思わないと思ったが、あいつら……
ドリート家の状況じゃ断っただけじゃしつこいと思ったし、勿論あちらの要請は断るんだろう?」
「それは勿論ですが」
私の顔色を窺いながら弁明するイーライ様に首肯する。そこは当然、あの家に戻るつもりはないけれど。
「あちらも本気でそう思っている訳ではないと思います。ただイーライ様はやり過ぎるきらいがあるでしょう? あちらから丁寧な謝罪文が来たので、もしやと思ったのですが。やっぱり。本当にもう……」
そう言うとイーライ様は益々焦ったように視線を彷徨わせた。
「私は、君の為を思って……」
「分かっていますよ……やり過ぎていないようで良かった。私の為にありがとうございます」
「……うん」
ふうと溜息混じりの笑みを零せば、安心した顔のイーライ様が寄ってきて、ぎゅっと抱きしめられた。
そういえば何度こうして抱きしめてくれただろう。感慨に耽っていると、私が大人しく収まっている事に不思議に思ったのか、イーライ様が覗き込んできた。
「レキシー?」
「……いえ……」
一年前、イーライ様に結婚を申し込まれてから、じっと自分の心を探ってきた。
とはいえ私はずっと義務感に従って生きてきたから……こうして自身の願望を問われると、素直に口にできない性分なようだ。
けれど自分の中にある、今までイーライ様に貰ってきた親切を一つ一つ思い出していけば、自然と気持ちの整理はついていく。
私はイーライ様が好きだ。
だからこそ、それを受け取っていいのかと不安だった。
……だって私の周りは何だか良くない事ばかり起こるから。それが今後も続かないとは限らないと思ってしまう。
私って徳が無いのかも。神職の妻に相応しくないかもしれない……とか。
そんな考えで身体を強張らせているとイーライ様が不安そうに顔を覗き込んできた。彼はいつもこうだ。
私を勝手に翻弄するくせに、私の態度がおかしいと捨て子のように縋り付いてくる。
いい加減、私も覚悟を決めなくてはならないのかもしれない。
きゅっと口元を引き結びイーライ様を振り返ると、その瞳が不安と期待がないまぜになったように揺らいだ。
「イ、イーライ様……今日は、言って下さらないんですか?」
その台詞にイーライ様はきょとんとした後、慌てたように言葉を紡ぐ。
「え、好きって? それとも愛してるかな? それか……」
「……違います」
固い表情でイーライ様の顔を見上げていると、察したらしい彼が一瞬惚けたように口を開き、慌てて口を押さえた。
そのままイーライ様は急いでその場に膝を突き、手を掬い取って見上げてきた。
「レキシー……」
その先に続くのはいつもの、今までも沢山くれた求婚の言葉。けれど言いかけた言葉を遮るように私は言葉を紡いだ。
「イーライ様……私は、貴族令嬢らしからぬ、淑女らしさも、可愛げの欠片もない女なのです」
「そんなこと……っ!」
違うと目を見開くイーライ様に私は感謝を込めて微笑んだ。
「ですが……」
口端を僅かに持ち上げ、何故か込み上げてくる涙を耐え、続ける。
「私はあなたの優しさに触れ、あなたを意識するようになって……変わりたいと思うようになったのです。私はあなたの為に、か、かわいい女になりたいと……思うようになりました」
羞恥に身体が熱くなる。
生まれて初めての告白は、こんなにも胸が苦しく、全身を熱くするのかと、身体が震えた。
こんな年になったのに。この年まで交渉の為に沢山頭を下げて頼み込んで、必死の折衝や交渉で物怖じしない神経を培ってきたと思っていたのに。
自分の台詞に目を回しそうになる。
イーライ様が焦れるように手を動かすのが見え、私は急いで言葉を続けた。
「ですが私は一度結婚し、失敗しております。あなたは将来有望な神職者として、神殿内でも一目置かれる存在となりました。……だから、とても釣り合うとは、思えないと、本当は身を引かなければと──」
段々と小さくなる声に胸だけでなく、身体全体がどきどきと脈動しているようだ。勇気を出せと、ここで捨てなければならないのだと、膝についた手でぎゅっとスカートを握りしめる。
私ははくはくと空気を食むように口で呼吸をし、意を決して最後の言葉に踏み切った。
「──それなのに、私はあなたの隣に少しでも長くいたいと、この時間を長引かせてきました」
はっと顔を上げるイーライ様と視線が絡む。
真っ赤な顔に涙を浮かべ、今にも泣き出しそうな自分の顔が彼の黒の瞳に映っている。
「わ、私はどうしたらいいのか分からないんです。逃げ出す事も考えましたが、そうすればイーライ様を悲しませるかもしれません。でも私はもう、自分の事より誰よりも……あなたの事が大切で、大好きなんです……!」
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