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■□□■□□
夜が完全に更けた頃、サティウィンは夜闇でも人目につきやすい金の髪を黒のローブで隠しながら、コロッシアム近くにある独房に赴いていた。
夜更けにサティウィンが周囲を気にして、コソコソと動いているのは独房にいるナトルシュカに会うためである。
サティウィンが罪人であるナトルシュカに合うことを、国の重鎮達は良くは思っていないようで、まともに会いにいけば、独房を守る看守に見つかって門前払いされてしまう。
ただ追い出されるだけならばいいのだが、王に苦言を呈されたり、兄や叔父には嫌味を言われたり、ナトルシュカにも怒られて会うことを拒否される。なのでサティウィンは、表立って独房の中に入ることはせず、独房の外から独房の壁を隔てて、ナトルシュカに会いにきていた。
今夜もナトルシュカがいる独房部屋の前に赴くと、サティウィンは落ちていた小石を拾い、それを頭上の鉄格子の隙間から投げ入れた。
カツン、と投げ入れた小石が床に落ち、小さく音をたてる。
数秒待って看守が現れないのを確認すると、サティウィンは周りを気にしながら、独房のナトルシュカに向かい声をかけた。
「ナトルシュカ…、起きているか?」
しばらくサティウィンが小声でナトルシュカの名前を呼びつづけていると、「サティウィン様」と、躊躇いがちにサティウィンが望んでいた声が返ってきた。
「よかった。今日は反応してくれたな」
ナトルシュカの返事に、サティウィンは声を弾ませる。
ただ返事をしただけなのに、無邪気に喜ぶサティンウィンに、独房の中にいるナトルシュカは、申し訳なさに俯いた。
(またきてくれたんだな…。あんなに昨日拒絶したのに)
昨日、激しい拒絶の言葉を吐いた自分に、再び会いにきた愛しい人に、ナトルシュカは愛しさと不甲斐なさで胸が詰まる。
なによりも誰よりも大切な、愛しい人。
彼に会う前に用意していた拒絶の言葉も、彼の声を聞いてしまえば頭からすっ飛んでしまった。
凶暴な獣を前にしても冷静でいられるのに、サティウィンの声だけで頭は真っ白になってしまう。
「ここは危険だとあれほど」
「だって、お前に会いたかったんだ。とても…」
嗚咽交じり聞こえた声に、また泣いているんだろうな…とナトルシュカは壁の向こうにいるサティウィンを思い描く。
こんな自分のことなど、ほっておけばいいのに、サティウィンは毎回ナトルシュカの身を案じてくれた。
いつ死ぬかわからない、この身のことを。
サティウィンはずっと、見守ってくれている。
「お前が、コロッシアムに出るたびに不安で不安でたまらないんだ。
いつお前が私のもとから去ってしまうのか、いつお前が、一生動けぬ身体になってしまうのか…。私は怖くてたまらない。
お前にあえなくなるかもしれない、その恐怖に、苦しくなって胸が張り裂けそうになる」
「サティウィン様…」
悲痛に濡れるサティウィンの声に、ナトルシュカは口を閉ざした。
ナトルシュカとて、サティウィンが嫌いだからここにくるなと拒絶している訳ではない。
本心はまるっきり逆で、彼自身、誰よりもサティウィンを愛しているからこそ、彼のことを思い拒絶しているのだった。
ナトルシュカはただの敬愛ではなく、恋愛感情で、国の次期王と名高いサティウィンを愛している。
叶うことならば、今ここで抱きしめて自分の腕に閉じ込めたくなるほどに。
サティウィンのためならば、その身を投げ出し盾となれることが本望と思ってしまうくらい、ナトルシュカの中でサティウィンは絶対的存在であった。
サティウィンもサティウィンで、こうしてナトルシュカの身を案じて、毎夜会いにくるほど、彼を愛していた。
つまり二人は相思相愛の仲であるのだ。
しかし…
「ナトルシュカ、愛してるんだ。私は、お前を」
「おやめください。サティウィン様」
「ナトルシュカ…。でも…、私は」
「聞きたくありません」
語気を強めて、愛を告げるサティウィンの言葉をナトルシュカは止める。
「誰かに聞かれたらどうするのです」
「聞かせればいい。私は、誰に聞かれたっていい。それで王になれずとも、誰かに罵られようとも私は…」
「サティンウィン様」
「私は、誰よりもお前を愛している。
お前が、誰よりも好きなんだ。誰に何と言われようと、私は…」
誰よりも愛している。
サティウィンは恥じることなく愛の言葉を告げる。
(この人はいつもそうだ。
いつも、まっすぐで…揺らぐことはない。
強い人なんだ。それに比べて、俺は…)
ナトルシュカは壁の向こうにいるナトルシュカを思い、壁に背を預け目を閉じた。
必死に自分に愛の言葉を口にする自分の思い人を、この腕で思い切り抱きしめることができたのなら、どんなに幸せだろう。
悲し気に言葉を紡ぐ唇を、理性を放り出して、本能のまま貪ることができたら…。
このまま、ずっと一緒にいることができたらどんなに幸せだろう。
何もかも、捨てて、彼と2人きりになれたら…。
(貴方を、愛してます…。誰よりも)
愛している。
だけど、ナトルシュカにそれを告げることはできない。
その腕で抱きしめることなど、到底、許されることではない。
愛の言葉を告げる機会は、永遠にナトルシュカには与えられることはない。
この手は、とうに汚れきってしまっている。
そんな手で、綺麗なサティウィンを抱けるはずがない。
そんな思いが、ナトルシュカのサティウィンへの恋心に歯止めをかけた。
もし、サティウィンが王子ではなかったら?
もし、ナトルシュカが罪人でなければ。
考えなかったこともない、〝もしも〟の数々。
しかし、どれだけ考えようと、もしも、はもしもで、現実にはならない。
水面を漂う飛沫のように、それは淡く溶けていく。
「好きだ…ナトルシュカ…」
「サティウィンさま…」
「好きだ好きだ…好きだ好きだ。何度言えば伝わる?
何度言えば、お前の心は私にむいてくれるんだろうか?
どうしたら、お前はまた私を抱いてくれる?」
「……」
「お前の温もりが恋しい。
お前に抱かれたくて、身体が疼くんだ…」
サティウィンは、独房の壁に身体を寄せると、
「お前の温もりを感じることができなくて、苦しくて仕方ないんだ…」と切なく呟いた。
「いつまで、我慢しなくてはいけないんだ?お前は何も悪くないのに…。悪いのは、私なのに。私のためにお前は罪人になったのに。
どうして私は牢屋に入らず、私を守ってくれてたお前が牢屋に入らなくてはいけないのだ」
「殺さずとも守る方法はあった…。殺してしまったのは、俺の弱さです」
「でも…」
「俺自身は納得しているんです。もういいでしょう、俺のことなんて…」
ナトルシュカが殺した相手は、戦場の敵国の兵などではない。
この国の貴族の息子であった。
ナトルシュカは、暴力的な男ではないし、真面目で温厚な男である。
どちらかといえば、争うことが嫌いで優しく真面目な性格であった。
だが、ことサティンウィンのこととなると温厚で真面目な男が、サティウィンを守る獣と化す。
貴族を殺したのも、サティンウィンに害をなす貴族から彼を守るためであった。
理由はあれど、殺しは殺しである。
あの日、貴族を殺してからナトルシュカはサティウィンへの恋心をも封じた。
まるで、サティウィンへの恋心を封じることが彼ができる償いのように。
ナトルシュカは、独房に入ってから頑なにサティウィンの愛の言葉を拒絶した。
ナトルシュカが罪人として独房に入れられるまで、サティウィンとナトルシュカは恋人同士であった。
といっても、サティウィンばかりが愛を告げるだけで、ナトルシュカからは口付けたこともなければ手を繋いだこともない間柄であった。
いつもいつも、サティウィンにしてもらってばかり。
サティウィンを誰よりも愛してはいたが、時期王であるサティウィンに愛を告げる勇気がナトルシュカにはなかったのだった。
ナトルシュカからサティウィンへ、一度も愛の言葉を告げたことはない。だが、サティウィンは健気にも一途にナトルシュカを想い続けた。
(馬鹿な人だ…俺のことなんて、忘れればいいのに…)
罪人である自分のことなんて忘れ、別の誰かと幸せになればいい。
そう思う反面、誰のものにもなって欲しくない…自分のものでいてほしいと傲慢な独占欲が擡げる。
口では拒絶しているのに、心の底では自分を想っていて欲しいだなんて、自分勝手なことを思っている。
本音と建て前は全く別のところにあった。
「……俺のような罪人に、これ以上貴方はあうべきではない。もう何度も言っているではないですか。
貴方は素晴らしい人です。
こんな…俺みたいな薄汚れた人間など忘れるべきだ。
貴方はもっと別の人を好きになるべきだ…」
嘘です、好きでいてください。
本当は、誰より、貴方を愛しているんです。
誰よりも、1番、貴方が好きなんです。
「貴方は、未来があるんです。こんな罪人である俺を想っていたって意味がないでしょう」
ずっと、愛を告げてください。
ずっと、俺を愛してください。
俺だけを、愛してください。
傲慢な台詞を、心の中で吐き続けている。
「貴方は、私のような人間に捕われるべきではない。
ふさわしい人がいるんです」
「…もったいなくなんかない。意味がなくなんかない。
お前以外誰も欲しくない。今後も、誰も好きにならない。
私はお前が初恋で、お前以外を好きだと思ったことがないんだ。
だから…」
(この方は本当に一途な人だ。
このかたに好きだと言われて落ちない人間はいないだろう…。
美しく、力強い。華のような方だ。
そんな華を俺が手折ってはいけない)
サティウィンの声を聞きながら、ナトルシュカは溢れそうになる本心を必死に抑え、サティウィンを宥めた。
「貴方は、時期王なのですよ」
「王なんかじゃない…。
お前が手に入らないのなら、王なんてなりたくない。私は…」
「貴方は、意地になっているだけですよ。
否定され、意固地になっているだけだ。早く忘れてください。
貴方が好きだったナトルシュカという男は、あの日、人を殺し罪人になった瞬間に、死んだのです。
今の俺は、剣闘士・ナトルシュカ。
コロッシアムで闘い続ける、ただの罪人です。貴方の好きだった男ではない。今の俺は闘いに明け暮れる生活しかできない男なんです。貴方を愛すことはできない」
だから、早く自分を諦めてください。
俺も、貴方を忘れます。
そうナトルシュカが告げると、サティウィンは押し黙った。
しばらくの間、物々しい沈黙が2人の間を流れた。
先に沈黙を破ったのは、ナトルシュカだった。
「もう、いいでしょう。貴方の好きだった男はいないんです。貴方がどれだけ愛を告げようとも、もう俺は答えることはない。
俺は貴方の知るナトルシュカではない」
「それは…、一生か?」
声を震わせて尋ねるサティウィンに、ナトルシュカは感情の起伏のない声で「はい」と残酷な言葉を続ける。
「貴方をお守りする…、それだけです。
貴方がどれだけ俺を思おうと俺は貴方の盾に過ぎない。道具は主人に恋をすることはないんです。だから貴方もこんな…」
「お前は道具なんかじゃない !私の大切な…」
「だから、もう貴方が好きな俺はいないんです!どれだけ思おうと俺は貴方にそれを返せない。
はっきりいって貴方の気持ちは…」
ナトルシュカは続く言葉を言うのを躊躇い、ぎゅっと瞳を閉じた。
言葉を続けることが、サティウィンのためである。
そう意を決すると、ナトルシュカは静かに口を開き
「貴方の思いは迷惑です」とサティウィンを拒絶した。
「俺は俺の生き方がある。
このコロッシアムでの剣闘士の生き方が。そして貴方にもある。王としての生き方が。俺たちの生き方はけして交わってはいけないのです。俺の幸せは…、ここで生きぬくことです。
もう忘れてください。俺を愛していたことなんて…。
忘れて生きるのが、貴方の幸せですよ」
別の誰かを愛せばいい。
考えただけで嫉妬に狂いそうになるけれど、それがサティウィンのため。
ひいては、自分のためなのだ。
彼には未来がある。この国を背負っていく未来が。
だけど、ナトルシュカにはそれがない。
明日死んでしまうかもしれない、軽い命なのだ。
そんな自分を思い続けるなんて、サティウィンが可哀想である。
こんな自分のために、涙など流す必要はない。
彼には、もっと自分以上の人間と誰よりも幸せになってほしいのだ。
「ーたしの…」
「サティウィン様…」
「私の幸せを勝手にお前が決めるな…!!私の幸せは、私が決める…!」
サティウィンはそう怒鳴りつけると、駆け出して、その場から立ち去った。
夜が完全に更けた頃、サティウィンは夜闇でも人目につきやすい金の髪を黒のローブで隠しながら、コロッシアム近くにある独房に赴いていた。
夜更けにサティウィンが周囲を気にして、コソコソと動いているのは独房にいるナトルシュカに会うためである。
サティウィンが罪人であるナトルシュカに合うことを、国の重鎮達は良くは思っていないようで、まともに会いにいけば、独房を守る看守に見つかって門前払いされてしまう。
ただ追い出されるだけならばいいのだが、王に苦言を呈されたり、兄や叔父には嫌味を言われたり、ナトルシュカにも怒られて会うことを拒否される。なのでサティウィンは、表立って独房の中に入ることはせず、独房の外から独房の壁を隔てて、ナトルシュカに会いにきていた。
今夜もナトルシュカがいる独房部屋の前に赴くと、サティウィンは落ちていた小石を拾い、それを頭上の鉄格子の隙間から投げ入れた。
カツン、と投げ入れた小石が床に落ち、小さく音をたてる。
数秒待って看守が現れないのを確認すると、サティウィンは周りを気にしながら、独房のナトルシュカに向かい声をかけた。
「ナトルシュカ…、起きているか?」
しばらくサティウィンが小声でナトルシュカの名前を呼びつづけていると、「サティウィン様」と、躊躇いがちにサティウィンが望んでいた声が返ってきた。
「よかった。今日は反応してくれたな」
ナトルシュカの返事に、サティウィンは声を弾ませる。
ただ返事をしただけなのに、無邪気に喜ぶサティンウィンに、独房の中にいるナトルシュカは、申し訳なさに俯いた。
(またきてくれたんだな…。あんなに昨日拒絶したのに)
昨日、激しい拒絶の言葉を吐いた自分に、再び会いにきた愛しい人に、ナトルシュカは愛しさと不甲斐なさで胸が詰まる。
なによりも誰よりも大切な、愛しい人。
彼に会う前に用意していた拒絶の言葉も、彼の声を聞いてしまえば頭からすっ飛んでしまった。
凶暴な獣を前にしても冷静でいられるのに、サティウィンの声だけで頭は真っ白になってしまう。
「ここは危険だとあれほど」
「だって、お前に会いたかったんだ。とても…」
嗚咽交じり聞こえた声に、また泣いているんだろうな…とナトルシュカは壁の向こうにいるサティウィンを思い描く。
こんな自分のことなど、ほっておけばいいのに、サティウィンは毎回ナトルシュカの身を案じてくれた。
いつ死ぬかわからない、この身のことを。
サティウィンはずっと、見守ってくれている。
「お前が、コロッシアムに出るたびに不安で不安でたまらないんだ。
いつお前が私のもとから去ってしまうのか、いつお前が、一生動けぬ身体になってしまうのか…。私は怖くてたまらない。
お前にあえなくなるかもしれない、その恐怖に、苦しくなって胸が張り裂けそうになる」
「サティウィン様…」
悲痛に濡れるサティウィンの声に、ナトルシュカは口を閉ざした。
ナトルシュカとて、サティウィンが嫌いだからここにくるなと拒絶している訳ではない。
本心はまるっきり逆で、彼自身、誰よりもサティウィンを愛しているからこそ、彼のことを思い拒絶しているのだった。
ナトルシュカはただの敬愛ではなく、恋愛感情で、国の次期王と名高いサティウィンを愛している。
叶うことならば、今ここで抱きしめて自分の腕に閉じ込めたくなるほどに。
サティウィンのためならば、その身を投げ出し盾となれることが本望と思ってしまうくらい、ナトルシュカの中でサティウィンは絶対的存在であった。
サティウィンもサティウィンで、こうしてナトルシュカの身を案じて、毎夜会いにくるほど、彼を愛していた。
つまり二人は相思相愛の仲であるのだ。
しかし…
「ナトルシュカ、愛してるんだ。私は、お前を」
「おやめください。サティウィン様」
「ナトルシュカ…。でも…、私は」
「聞きたくありません」
語気を強めて、愛を告げるサティウィンの言葉をナトルシュカは止める。
「誰かに聞かれたらどうするのです」
「聞かせればいい。私は、誰に聞かれたっていい。それで王になれずとも、誰かに罵られようとも私は…」
「サティンウィン様」
「私は、誰よりもお前を愛している。
お前が、誰よりも好きなんだ。誰に何と言われようと、私は…」
誰よりも愛している。
サティウィンは恥じることなく愛の言葉を告げる。
(この人はいつもそうだ。
いつも、まっすぐで…揺らぐことはない。
強い人なんだ。それに比べて、俺は…)
ナトルシュカは壁の向こうにいるナトルシュカを思い、壁に背を預け目を閉じた。
必死に自分に愛の言葉を口にする自分の思い人を、この腕で思い切り抱きしめることができたのなら、どんなに幸せだろう。
悲し気に言葉を紡ぐ唇を、理性を放り出して、本能のまま貪ることができたら…。
このまま、ずっと一緒にいることができたらどんなに幸せだろう。
何もかも、捨てて、彼と2人きりになれたら…。
(貴方を、愛してます…。誰よりも)
愛している。
だけど、ナトルシュカにそれを告げることはできない。
その腕で抱きしめることなど、到底、許されることではない。
愛の言葉を告げる機会は、永遠にナトルシュカには与えられることはない。
この手は、とうに汚れきってしまっている。
そんな手で、綺麗なサティウィンを抱けるはずがない。
そんな思いが、ナトルシュカのサティウィンへの恋心に歯止めをかけた。
もし、サティウィンが王子ではなかったら?
もし、ナトルシュカが罪人でなければ。
考えなかったこともない、〝もしも〟の数々。
しかし、どれだけ考えようと、もしも、はもしもで、現実にはならない。
水面を漂う飛沫のように、それは淡く溶けていく。
「好きだ…ナトルシュカ…」
「サティウィンさま…」
「好きだ好きだ…好きだ好きだ。何度言えば伝わる?
何度言えば、お前の心は私にむいてくれるんだろうか?
どうしたら、お前はまた私を抱いてくれる?」
「……」
「お前の温もりが恋しい。
お前に抱かれたくて、身体が疼くんだ…」
サティウィンは、独房の壁に身体を寄せると、
「お前の温もりを感じることができなくて、苦しくて仕方ないんだ…」と切なく呟いた。
「いつまで、我慢しなくてはいけないんだ?お前は何も悪くないのに…。悪いのは、私なのに。私のためにお前は罪人になったのに。
どうして私は牢屋に入らず、私を守ってくれてたお前が牢屋に入らなくてはいけないのだ」
「殺さずとも守る方法はあった…。殺してしまったのは、俺の弱さです」
「でも…」
「俺自身は納得しているんです。もういいでしょう、俺のことなんて…」
ナトルシュカが殺した相手は、戦場の敵国の兵などではない。
この国の貴族の息子であった。
ナトルシュカは、暴力的な男ではないし、真面目で温厚な男である。
どちらかといえば、争うことが嫌いで優しく真面目な性格であった。
だが、ことサティンウィンのこととなると温厚で真面目な男が、サティウィンを守る獣と化す。
貴族を殺したのも、サティンウィンに害をなす貴族から彼を守るためであった。
理由はあれど、殺しは殺しである。
あの日、貴族を殺してからナトルシュカはサティウィンへの恋心をも封じた。
まるで、サティウィンへの恋心を封じることが彼ができる償いのように。
ナトルシュカは、独房に入ってから頑なにサティウィンの愛の言葉を拒絶した。
ナトルシュカが罪人として独房に入れられるまで、サティウィンとナトルシュカは恋人同士であった。
といっても、サティウィンばかりが愛を告げるだけで、ナトルシュカからは口付けたこともなければ手を繋いだこともない間柄であった。
いつもいつも、サティウィンにしてもらってばかり。
サティウィンを誰よりも愛してはいたが、時期王であるサティウィンに愛を告げる勇気がナトルシュカにはなかったのだった。
ナトルシュカからサティウィンへ、一度も愛の言葉を告げたことはない。だが、サティウィンは健気にも一途にナトルシュカを想い続けた。
(馬鹿な人だ…俺のことなんて、忘れればいいのに…)
罪人である自分のことなんて忘れ、別の誰かと幸せになればいい。
そう思う反面、誰のものにもなって欲しくない…自分のものでいてほしいと傲慢な独占欲が擡げる。
口では拒絶しているのに、心の底では自分を想っていて欲しいだなんて、自分勝手なことを思っている。
本音と建て前は全く別のところにあった。
「……俺のような罪人に、これ以上貴方はあうべきではない。もう何度も言っているではないですか。
貴方は素晴らしい人です。
こんな…俺みたいな薄汚れた人間など忘れるべきだ。
貴方はもっと別の人を好きになるべきだ…」
嘘です、好きでいてください。
本当は、誰より、貴方を愛しているんです。
誰よりも、1番、貴方が好きなんです。
「貴方は、未来があるんです。こんな罪人である俺を想っていたって意味がないでしょう」
ずっと、愛を告げてください。
ずっと、俺を愛してください。
俺だけを、愛してください。
傲慢な台詞を、心の中で吐き続けている。
「貴方は、私のような人間に捕われるべきではない。
ふさわしい人がいるんです」
「…もったいなくなんかない。意味がなくなんかない。
お前以外誰も欲しくない。今後も、誰も好きにならない。
私はお前が初恋で、お前以外を好きだと思ったことがないんだ。
だから…」
(この方は本当に一途な人だ。
このかたに好きだと言われて落ちない人間はいないだろう…。
美しく、力強い。華のような方だ。
そんな華を俺が手折ってはいけない)
サティウィンの声を聞きながら、ナトルシュカは溢れそうになる本心を必死に抑え、サティウィンを宥めた。
「貴方は、時期王なのですよ」
「王なんかじゃない…。
お前が手に入らないのなら、王なんてなりたくない。私は…」
「貴方は、意地になっているだけですよ。
否定され、意固地になっているだけだ。早く忘れてください。
貴方が好きだったナトルシュカという男は、あの日、人を殺し罪人になった瞬間に、死んだのです。
今の俺は、剣闘士・ナトルシュカ。
コロッシアムで闘い続ける、ただの罪人です。貴方の好きだった男ではない。今の俺は闘いに明け暮れる生活しかできない男なんです。貴方を愛すことはできない」
だから、早く自分を諦めてください。
俺も、貴方を忘れます。
そうナトルシュカが告げると、サティウィンは押し黙った。
しばらくの間、物々しい沈黙が2人の間を流れた。
先に沈黙を破ったのは、ナトルシュカだった。
「もう、いいでしょう。貴方の好きだった男はいないんです。貴方がどれだけ愛を告げようとも、もう俺は答えることはない。
俺は貴方の知るナトルシュカではない」
「それは…、一生か?」
声を震わせて尋ねるサティウィンに、ナトルシュカは感情の起伏のない声で「はい」と残酷な言葉を続ける。
「貴方をお守りする…、それだけです。
貴方がどれだけ俺を思おうと俺は貴方の盾に過ぎない。道具は主人に恋をすることはないんです。だから貴方もこんな…」
「お前は道具なんかじゃない !私の大切な…」
「だから、もう貴方が好きな俺はいないんです!どれだけ思おうと俺は貴方にそれを返せない。
はっきりいって貴方の気持ちは…」
ナトルシュカは続く言葉を言うのを躊躇い、ぎゅっと瞳を閉じた。
言葉を続けることが、サティウィンのためである。
そう意を決すると、ナトルシュカは静かに口を開き
「貴方の思いは迷惑です」とサティウィンを拒絶した。
「俺は俺の生き方がある。
このコロッシアムでの剣闘士の生き方が。そして貴方にもある。王としての生き方が。俺たちの生き方はけして交わってはいけないのです。俺の幸せは…、ここで生きぬくことです。
もう忘れてください。俺を愛していたことなんて…。
忘れて生きるのが、貴方の幸せですよ」
別の誰かを愛せばいい。
考えただけで嫉妬に狂いそうになるけれど、それがサティウィンのため。
ひいては、自分のためなのだ。
彼には未来がある。この国を背負っていく未来が。
だけど、ナトルシュカにはそれがない。
明日死んでしまうかもしれない、軽い命なのだ。
そんな自分を思い続けるなんて、サティウィンが可哀想である。
こんな自分のために、涙など流す必要はない。
彼には、もっと自分以上の人間と誰よりも幸せになってほしいのだ。
「ーたしの…」
「サティウィン様…」
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