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1章 屋上
幽霊の女の子
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立花新は1人学校の屋上にいた。雲1つない快晴が返って嫌味に感じていた。
放課後の校舎には生徒の姿はまばらで、外で様々な運動部がそれぞれ練習している。その声が屋上まで音として認識することはできるが、言葉として認識することはできない。
そんな無機質な声を聞きながら屋上で風に当たってタバコをふかしていた。
屋上には高いフェンス等はなく、自分のお腹辺りまでの手すりだけがお情けで取り付けられている。防犯上どうなのかとは思うが、まず屋上は生徒の立ち入りが禁止されている。それを守っている生徒がどこまでいるのかは定かではないが。
この学校は女子高な為、屋上で隠れてタバコを吸うようなヤンチャな男子生徒はいない。それに関してはとても治安は良い。
だが、それ以上に女子生徒というのは難しい。どう接したらいいのか。どこまで踏み込んでいいのか。男の俺には女心なんてわからない。妻はいるがまだ子供はいない。自分にも娘ができたら同じように悩むのだろうか。
それよりも俺は今この仕事をこれからも続けるのかどうかの瀬戸際にいる。
俺の受け持っているクラスから死者が出たのだ。死因は交通事故。現場の状況から自殺の可能性が高いとされた。信号無視だったからだ。その女生徒は赤信号の横断歩道に身を投げそこを通過した止まることのできなかった車にはねられた。即死だったようだ。
世間は自殺に至った経緯の説明を求めた。正直なところ俺はその生徒について何も知らない。自殺をするような理由が何かあったのか。学校側は世間にその自殺をした理由について、予想外な行動に出た。学校側が勝手に理由をつけたのだ。校長は記者会見を開きその女生徒はクラスでいじめを受けておりそれを苦に自殺をしたと架空の話をでっち上げた。もちろん俺が知っている限りそんな事実はない。はすだ。
適当な理由を作り手っ取り早く謝罪をすることで事の沈静化を早める行動に出たのだ。
数ヶ月後にはバスケの強豪である我が高校が国体に出場する。この事件が長引けば長引くほど高校のブランディングに影響すると判断したようだ。何も関係のない教師達は知らん顔だ。しかし自殺した生徒の担任であった俺はそうはいかない。校長と共に記者会見に参加をし、有りもしないことをでっちあげる。勿論、世間の非難の目は担任であった俺に向けられる。いじめの事実は知らなかったのですか?と記者からの質問に知りませんでした。と答える。そう答えるしかなかった。校長は知らん顔だ。おそらく責任を全て俺に背負わせるつもりなのだろう。1人のバッシングで学校が守られるならということだろうか。
不信感しかなかった。教師になることが夢で死ぬ気で勉強をし、実習を乗り越えてようやく教師になった。今年で30歳になる。
納得はいかなかったが、俺には何もできなかった。この話題もすぐにテレビで取り上げることもなくなりあったことすら忘れ去られる。亡くなった女生徒のことも誰も覚えていなくなる。現に俺はその生徒のことは何も知らない。
さっきも言ったが俺は自分のクラスにいじめがあったとは思えない。いや、そう思っているのは自分だけなのか。
今回のことで自分の無力さを知った。何もできない、何もできていない。
咥えているタバコを口から離し、空に煙を吐く。煙は最初目視できるものだが、次第に空に向かって消えていく。それを目で追うように見上げる。3階建ての校舎の屋上、かなり高いところにいるはずだが、自分がちっぽけに感じた。このまま俺は続けていいのだろうか。これが俺がやりたかったことなのだろうか。
いっそのことこのまま飛び降りた方が楽になるんじゃないか。こんなに悩む必要もなくなる。
魔がさした。
強い風が俺の背を押した。体が傾くのがわかる。見えてる世界がスローモーションになっていく。
ーー落ちる
死にたくない。妻の顔が頭に浮かび、ギリギリでそう思った。
「おじさん!」
背後からの声で我に返り、慌てて手すりに身を預ける。ものの数秒の出来事だろうが、数年老けたように感じた。膝が震えている。
確実に背後から声をかけられた。
それを思い出し振り返る。
そこにいたのは制服を着た女子高生だった。見覚えのある制服に思えたが見たことのない制服。ここの生徒ではない。まず生徒はここまで来れない。俺がここに来る時は入り口の鍵を外から閉めている。中から入ってくることはできない。となると
その顔は綺麗でどこか大人びた様子がある。長い明るめな茶色の髪が風になびいている。容姿を見る限り高校生には見える。風に乱された髪を手でおさえて顔に当たらないようにしている。
それよりもあることに気づいてしまった。目の前の女生徒は地面に足がついていないのだ。空中に浮いている。髪は風でなびいているが、制服は一切風の影響を受けていない。体と一体化しているような、この世界の影響を受けないようになっているような。
「き、君は誰だ?ここの生徒じゃないだろ」
それがようやく絞り出した言葉だった。
「おじさん、自殺しようとしてたの?なら死ぬ前に私とちょっとお話をしようよ」
返って来た言葉は質問の答えではなかった。
「おじさんって、俺はまだ30だ」
「私からしたらおじさんだよ」
その子がケタケタ笑う。その様子を見て少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
「もう一回聞く。君は誰だ?ここの生徒じゃないだろう」
立っているとまた風で煽られる可能性があったため、その場に座って手すりにもたれかかる。決して腰が抜けた訳ではない。
「私はきあら。おっさん、ジャンプ読んでる?」
名前はわかった。きあらって何て書くんだ?まず、ジャンプ??
「ジャンプってあの週刊誌のやつか?」
「そそ!おっさん読んでる?」
全然自分が何者なのかを答えてくれない。完全に向こうにペースを持って行かれている。まずいいか、相手してやるか。
「昔は買って読んでたよ。でも今はもう特定の話だけコンビニで立ち読みしてるだけだ。買ってもゴミになるし、妻がまず興味がないからな」
「ふーん、そうなんだ。特定の話ってもしかしてワ○ピース?」
なんでこんな事聞いてくるんだ?と思ったがまず話を合わせる。
「ん?あぁそうだな。他にも一応あるが毎週ちゃんと話を追ってるのはそれだけだな」
「ワ○ピースってあと5、6年で完結しちゃうんだよ。今の人達っていいよね。あと5、6年我慢して生きていればその完結の瞬間に立ち会えるんだよ。私にとってワ○ピースは昔日本中を夢中にさせた面白い漫画の1つでしかないんだし」
そういえば、そんなこと聞いたことあると思いそっちの思考に持って行かれそうになったがすぐに我に返る。「私にとっては完結した漫画でしかない」その言葉がひっかかる。
「おい、それってどういうことだ?」
「私ね。ここで飛び降り自殺したの。もっと遠い未来だけどね。この学校の屋上から身投げした。自暴自棄になってね。片親で、母親も過労で死んで一人ぼっちになっちゃってさ。ん?そう私は幽霊。未来から来たの」
徐々に声が小さくなっていったが、私は幽霊で満面の笑みになった。
「死んだときに、過去に行ける力を得た。それでここに来たの」
顔は笑っているが、心は泣いているように感じた。きあらはそのまま続ける。
「今の人たちはあと少し生きるだけで素晴らしい作品の完結に立ち合うことができるの。今ここで死んだら。それすらできない。勿体なくない?」
その言葉は俺に向けられた言葉なのだろうが、自分自身に向けて噛み締めて言っているように感じる。
「あんたは後悔してるのか?」
自分でもおかしな質問をしたと思う。
「してるよ。何で死んじゃったんだろうって。でも後悔しても遅い。私は死んじゃったから」
きあらは「でもね」とそのまま続ける。
「今は変えることはできる。もしかしたら今を変えたら未来が変わるかもしれない。バタフライエフェクトってやつ?」
もしかしたらそれをする為に過去に来たのだろうか。でもどうしたらそれができるのか検討はついているのだろうか。
「私ね実はね。未来を見せることができるの。私が指を鳴らせばおじさんをちょこっとだけ未来に飛ばすことができるの。おじさんも死のうとしてたのなら死ぬ前に未来見てみる?」
急な提案だった。未来を見ることができる、か。
「そうだ、じゃあワンピースが完結した瞬間に飛ばしてみる?」
きあらは中指と親指をくっつけて人差し指は俺の頭を指差していた。
文字通り有無を言わさず。きあらはパチンっと指を鳴らした。
目の前が一瞬真っ白になり、次第に晴れていく。真っ白な世界から徐々に周りに物質が現れていく。白いキャンパスに色が塗られていくようにその物体は次第に色がはっきりとしていく。
俺は商店街の家電量販店の前にいた。店頭には大きなテレビが販売されており、そのテレビには報道番組が映し出されていた。
テレビ画面の右端には赤字でワ○ピース完結!と書かれていた。30年の連載に幕を閉じる。とコメンテーターがそれぞれの思いを語っていた。家電屋の中に入ると先程の番組とは違う報道番組が流れており、内容は一緒だった。
言ってしまえば一つのただの漫画だ。すごい漫画なのは知っているがそれを読んだことのない人だっている。興味のない人だっているはず。しかしそれを国をあげて、下手をしたら世界中でこの漫画の完結に歓喜しているのではないかと思った。
いったいどういった結末を迎えたのか。興味が湧き読んでみたいと思った。
だが、それは今ではない。今ではいけないと思った。
そう思ったとき、俺の意識は学校の屋上に戻されていた。
「どうだった?おじさん」
「すごかったよ。どこを見ても歓喜一色。漫画1つで世界の意識が1つになってるような気もしたよ」
軽い目前に襲われて目を擦る。
「どういう終わり方だったか見てきたの?」
「いや、それは辞めたよ。リアルタイムで自分の目で見てみることにしたよ」
その言葉が口から出たことでもう命を絶つ気持ちがないことを自分で感じた。
「もったいなーい。でも、まぁあと5、6年したらリアルで読めるしね。あっという間だよ5、6年なんて。私の5年とおじさんの5年ならもっと違うしね」
改めてそう言われると悲しくなる。
「なぁ、もう一回未来に行くことはできるか?」
最初は半信半疑だったが、一度本当に体験すると1つ見たい未来があった。
「ん?まぁあと一回くらいならいいよ。特別だからね、おじさん。これ意外と疲れるんだから。で?なんの未来が見たいの?」
俺が見たい未来は
「姫花の、妻の未来が見たい。あいつが幸せに暮らしているのかを」
俺が死んで1番心配なのは妻の姫花の事だ。
「それは、おじさんが死んだ後の未来?それともおじさんが生きている未来?」
きあらのその一言に思わず「え」と声が出た。
「私が声をかけなかったらもしかしたらおじさんはそのまま屋上から落ちて死んでたかもしれない。さっき言ったでしょ、バタフライエフェクトって。今が変われば未来は変わる。だからどっちの未来も存在するの。どっちの未来も見せることができる」
バタフライエフェクトという言葉は映画で聞いたことがあり、ある程度意味もわかる。
どちらの未来も見ることができる。俺はどっちの未来を見たいのか、
「俺が死んだ後の未来が見たい」
俺が出した答えはこれだった。
「それでいいのね。本当にいいんだね。あと一回だよ、未来を見せれるのは。一緒にいる未来じゃなくていいんだね?」
やたらと念を押される。そう言われると悩んでしまう、が決めた。
「それでいい。その未来を見せてくれ」
腹を決めた。俺がこれから頑張っていけるかどうかはその未来を見てから決める。
「じゃあ、いくよ。どれくらい未来か指定されてないから、めんどいからさっきと同じでいくからね」
俺はうなずく。きあらは先程と同じように中指と親指を合わせ伸ばした人差し指を俺のおでこに当てる。
パチンっ!
また視界が真っ白に包まれる。次第にキャンパスに色が塗られていく。その世界に自分が立っている。
公園にいた。見覚えがある。近所の公園だ。
そうか、俺がいなくてもこの近くに暮らしているのか。
辺りを見回す。姫花の未来をお願いしたのだ、絶対に近くにいるはずだ。
聴き慣れた声の鼻歌と、聴き慣れない歌声が横を通りすぎた。向こうには俺の姿は認識できていないらしい。思わず話しかけてしまいそうになった。おそらく話しかけてもこちらの声は向こうには届かないだろうが。
小さい女の子を連れて楽しそうに歩いていた。見慣れた後ろ姿。
左手はその女の子の小さな手を握り、右手には買い物袋。おそらく家に帰る途中なのだろう。
幸せそうだった。2人楽しそうに鼻歌まじり歩いている。夕日が2人を照らしていた。自然と涙が出てきた。視界が滲んでいく。キャンパスが涙で水滴で滲んでいき、気づいたら俺は屋上に戻っていた。
しばらく何も考えられなかった。頬はまだ濡れていた。
「どうだった?」
その様子を見てきあらが言った。
「子供と楽しそうに帰ってたよ。俺がいなくても幸せそうだった」
そうとしか答えられなかった。
「でも、おじさんと一緒だったらもっと幸せかもよ」
きあらは優しく言った。
「わかっている。このままではダメだ。ありがとう、今日はもう帰るよ」
いつの間にか快晴だった空が夕日に照らされていた。その夕日もあと少しで沈むだろう。いつの間にかこんなに時間が経っていたのか。
「ま、お役に立てたのならいいよ。おじさん、元気出して。強気でね!」
きあらは両手の拳を握り体の前でガッツポーズを作る。その姿がある人と重なった。
屋上を出ようとしても扉には鍵がかかっていた。やはりちゃんと俺は鍵をかけていた。
きあらは本当に突然目の前に現れたのだ。
きあらは新の背を見送りながら元気よく手を振る。「またねー!」と
新が屋上から完全にいなくなった後、その腕を下ろしてだらんと項垂れる。
頬を涙伝う
「お礼を言うのは私の方だよ、おじさん。ありがとね。間に合って良かった」
俺は家路を急いでいた。とんでもない虫の知らせに襲われていたのだ。しかしそれは悪い知らせではなく、いい知らせ。
きあらは俺に俺が死んだ後の未来を見せた。その年数はワ○ピースが完結した年。どんなに長くても5、6年。
姫花には子供がいた。その子供は保育園児くらいの女の子。俺はその左手に注目していた。女の子と手を繋ぐその左手の薬指には指輪は無かった。ということは俺が死んだ後でも姫花は再婚はしていない。子供がいるということは。
いつもはきちんと駐車する車も今日は枠に入っていればいい。
勢いに任せて玄関の扉を開ける。
いい匂いが鼻を掠める。姫花が夜ご飯を作っているのだろう。
「あら、ただいま!」
姫花が笑顔で出迎える。いつもより華やかに見えた。
「いい知らせがあるの!あらた。私今日産婦人科行ってきたのね」
その言葉で全てを察した。勢いに任せて姫花の両肩を掴む。強すぎたようだ姫花は驚いた顔をしたがまたすぐに笑顔になる。
「子供ができていたわ。あらたも大変かもしれないけれど、あなたは1人じゃないわ。私もいるし、この子もいる」
姫花はまだ大きくなっていないお腹をさする。そして体の前で拳を作りガッツポーズを作る。
その姿を見て何も言えなかった。もし死んでいたらと思うと、
「良かった、本当に良かった」
「何泣いてるのよ。らしくない」
俺は涙でぐしゃぐしゃの顔で、姫花はそれでも笑顔だった。
「そういえば、もし女の子ならもう名前考えてるのよ。私の文字とあらたの名前の漢字を合体させた」
姫花は目の前に一枚の画用紙を出した。いつの間にこんなの用意してたのか。涙を拭いその紙を見た時、衝撃がはしった
「私の姫の字にあなたの新で。姫新よ。」
目の前に出された紙には漢字できあらと書かれていた。姫花の姫に俺の新できあら。
聞き覚えのある名前。
「「私ね。ここで飛び降り自殺したの。もっと遠い未来だけどね。この学校の屋上から身投げした。自暴自棄になってね。片親で、母親も過労で死んで一人ぼっちになっちゃってさ。」」
片親で、母親も過労で死んだ。
もしかして姫花の未来を見た時の子供は、
俺がさっきまで出会っていた女子高生は、
「いい名前じゃないか。その名前にしよう。きっと産まれてくる子供は女の子だよ」
また涙が止まらなかった。それを誤魔化すように姫花を抱きしめる。
「あわわ、もう。今日はご馳走よ。ご飯にしましょ」
姫花は優しく俺の背中をポンと叩く。
今日は寝れなかった。不思議なことが起きたもんだ。成長した娘であろう姿は姫花に似てとても綺麗だった。これは彼氏を連れてきたら許せない自信がある。
姫花はもう寝てしまった。俺は1人ちびちびと酒を飲んでいた。
目的もなくテレビを見ながら。夜中の23時。明日も授業がある、早く寝なければならないがそんな気分にはならなかった。今日起きた出来事を噛み締めるように酒と一緒に胃に流す。
強くならなければならない。俺には守らないといけない存在がいる。このままではならない。でも、
「「人に良く見られる必要はない!自分は自分。自分がそうと決めたことは突き通すこと!まず自分に嘘をついてはいけない!」」
特に見ていた訳ではないテレビ画面から流れてきた声に意識がいく。
なんの番組かはわからないがバラエティ番組のようだ。MCに2人いて、ひな壇に名前も知らない芸人が何人も座っている。
「「まずは言葉に出すこと!自分がなりたい自分を!こうなりたい!こういう人になりたい!はい、言ってみよう、サンハイ!」」
ひな壇にいる芸人が思い思いに夢を語る。いろんな言葉がごちゃごちゃして何にも聞き取れなかった。
MCが皆で一斉に言ったら何が何だかわからないでしょ!とツッコミを入れる。ひな壇の芸人が嘘くさいように笑う。笑い声のSEも入る。
なりたい自分か。
テレビの電源を消して、それを考えながら横になるとすぐに寝てしまった。
次の日も俺の日常は何にも変わらない。変わったはずなのだが、身の回りは何も変わる気配もない。授業中といえど、教室にいる多数の女生徒がそれぞれ思い思いにくっちゃべっている。1つ1つはそんなに気にならない雑音なのだが、それが何人も何組もいるとその雑音は固まりとなり騒音になる。
誰も俺の授業なんて聞いていない。今まではそう思っていた。それでいいと思っていた。
なりたい自分か
教科書を片手に黒板に向かって授業をしていた手を止めて振り返る。
教科書を教卓に置く。その様子を見ている生徒などごく数人しかおらず、雑音のどよめきは鳴り止まない。
一拍を置いて教卓を両手で叩く。バンッ!と自分でも思ったより大きな音がなった。
教室が静寂に包まれる。話し声はコソコソ話になり、その話の中心は俺になっていた。
「え、怒った感じ?」「マジで?」
と生徒たちは俺の様子を伺っている。さすがにこの状態でうるさくする生徒はいない。
別に怒っている訳ではない。むしろ怒っているのは自分にだ。
「先生に子供ができた」
俺の言葉が教室の静寂に響く。
え、え?って生徒達は困惑している様子だった。それはそうだろう。
「俺は父になったんだ!このままではダメなんだ。君たちみたいな子供に負けているようでは強い父親にはなれない!」
これが俺の宣言だ。何も明確ではない。それでもいい。強い人間になる。それが俺がなりたい自分。
「先生!おめでとうございます!」
1人の女生徒が立ち上がって拍手をする。
あんまり目立たない子だった。周りの生徒達もその子の行動に驚き、一瞬時が止まった。
だが端の生徒から先生おめでとう!の声を皮切りに全員でおめでとう!先生やったじゃん、パパじゃん!どっち?男の子?女の子?と質問が飛び交うようになった。
以前の一件で教室にぽっかりと穴が空いたような感覚があったが、ようやくまた1つになったような気がした。また涙が出そうになったが、もう泣かないと心に決め
「うるさい、うるさい!まだわからないよ!昨日わかったんだよ!でも女の子ならもう名前は決まってるんだ」
生徒たちはなんて名前ー?って一斉に聞いてくる。名前を言うといい名前ー!なんて書くのー?って大盛り上がり。後で他の先生から怒られた。
でもこれでいい。これが俺だ。
これが俺が決めた道だ。
放課後の校舎には生徒の姿はまばらで、外で様々な運動部がそれぞれ練習している。その声が屋上まで音として認識することはできるが、言葉として認識することはできない。
そんな無機質な声を聞きながら屋上で風に当たってタバコをふかしていた。
屋上には高いフェンス等はなく、自分のお腹辺りまでの手すりだけがお情けで取り付けられている。防犯上どうなのかとは思うが、まず屋上は生徒の立ち入りが禁止されている。それを守っている生徒がどこまでいるのかは定かではないが。
この学校は女子高な為、屋上で隠れてタバコを吸うようなヤンチャな男子生徒はいない。それに関してはとても治安は良い。
だが、それ以上に女子生徒というのは難しい。どう接したらいいのか。どこまで踏み込んでいいのか。男の俺には女心なんてわからない。妻はいるがまだ子供はいない。自分にも娘ができたら同じように悩むのだろうか。
それよりも俺は今この仕事をこれからも続けるのかどうかの瀬戸際にいる。
俺の受け持っているクラスから死者が出たのだ。死因は交通事故。現場の状況から自殺の可能性が高いとされた。信号無視だったからだ。その女生徒は赤信号の横断歩道に身を投げそこを通過した止まることのできなかった車にはねられた。即死だったようだ。
世間は自殺に至った経緯の説明を求めた。正直なところ俺はその生徒について何も知らない。自殺をするような理由が何かあったのか。学校側は世間にその自殺をした理由について、予想外な行動に出た。学校側が勝手に理由をつけたのだ。校長は記者会見を開きその女生徒はクラスでいじめを受けておりそれを苦に自殺をしたと架空の話をでっち上げた。もちろん俺が知っている限りそんな事実はない。はすだ。
適当な理由を作り手っ取り早く謝罪をすることで事の沈静化を早める行動に出たのだ。
数ヶ月後にはバスケの強豪である我が高校が国体に出場する。この事件が長引けば長引くほど高校のブランディングに影響すると判断したようだ。何も関係のない教師達は知らん顔だ。しかし自殺した生徒の担任であった俺はそうはいかない。校長と共に記者会見に参加をし、有りもしないことをでっちあげる。勿論、世間の非難の目は担任であった俺に向けられる。いじめの事実は知らなかったのですか?と記者からの質問に知りませんでした。と答える。そう答えるしかなかった。校長は知らん顔だ。おそらく責任を全て俺に背負わせるつもりなのだろう。1人のバッシングで学校が守られるならということだろうか。
不信感しかなかった。教師になることが夢で死ぬ気で勉強をし、実習を乗り越えてようやく教師になった。今年で30歳になる。
納得はいかなかったが、俺には何もできなかった。この話題もすぐにテレビで取り上げることもなくなりあったことすら忘れ去られる。亡くなった女生徒のことも誰も覚えていなくなる。現に俺はその生徒のことは何も知らない。
さっきも言ったが俺は自分のクラスにいじめがあったとは思えない。いや、そう思っているのは自分だけなのか。
今回のことで自分の無力さを知った。何もできない、何もできていない。
咥えているタバコを口から離し、空に煙を吐く。煙は最初目視できるものだが、次第に空に向かって消えていく。それを目で追うように見上げる。3階建ての校舎の屋上、かなり高いところにいるはずだが、自分がちっぽけに感じた。このまま俺は続けていいのだろうか。これが俺がやりたかったことなのだろうか。
いっそのことこのまま飛び降りた方が楽になるんじゃないか。こんなに悩む必要もなくなる。
魔がさした。
強い風が俺の背を押した。体が傾くのがわかる。見えてる世界がスローモーションになっていく。
ーー落ちる
死にたくない。妻の顔が頭に浮かび、ギリギリでそう思った。
「おじさん!」
背後からの声で我に返り、慌てて手すりに身を預ける。ものの数秒の出来事だろうが、数年老けたように感じた。膝が震えている。
確実に背後から声をかけられた。
それを思い出し振り返る。
そこにいたのは制服を着た女子高生だった。見覚えのある制服に思えたが見たことのない制服。ここの生徒ではない。まず生徒はここまで来れない。俺がここに来る時は入り口の鍵を外から閉めている。中から入ってくることはできない。となると
その顔は綺麗でどこか大人びた様子がある。長い明るめな茶色の髪が風になびいている。容姿を見る限り高校生には見える。風に乱された髪を手でおさえて顔に当たらないようにしている。
それよりもあることに気づいてしまった。目の前の女生徒は地面に足がついていないのだ。空中に浮いている。髪は風でなびいているが、制服は一切風の影響を受けていない。体と一体化しているような、この世界の影響を受けないようになっているような。
「き、君は誰だ?ここの生徒じゃないだろ」
それがようやく絞り出した言葉だった。
「おじさん、自殺しようとしてたの?なら死ぬ前に私とちょっとお話をしようよ」
返って来た言葉は質問の答えではなかった。
「おじさんって、俺はまだ30だ」
「私からしたらおじさんだよ」
その子がケタケタ笑う。その様子を見て少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
「もう一回聞く。君は誰だ?ここの生徒じゃないだろう」
立っているとまた風で煽られる可能性があったため、その場に座って手すりにもたれかかる。決して腰が抜けた訳ではない。
「私はきあら。おっさん、ジャンプ読んでる?」
名前はわかった。きあらって何て書くんだ?まず、ジャンプ??
「ジャンプってあの週刊誌のやつか?」
「そそ!おっさん読んでる?」
全然自分が何者なのかを答えてくれない。完全に向こうにペースを持って行かれている。まずいいか、相手してやるか。
「昔は買って読んでたよ。でも今はもう特定の話だけコンビニで立ち読みしてるだけだ。買ってもゴミになるし、妻がまず興味がないからな」
「ふーん、そうなんだ。特定の話ってもしかしてワ○ピース?」
なんでこんな事聞いてくるんだ?と思ったがまず話を合わせる。
「ん?あぁそうだな。他にも一応あるが毎週ちゃんと話を追ってるのはそれだけだな」
「ワ○ピースってあと5、6年で完結しちゃうんだよ。今の人達っていいよね。あと5、6年我慢して生きていればその完結の瞬間に立ち会えるんだよ。私にとってワ○ピースは昔日本中を夢中にさせた面白い漫画の1つでしかないんだし」
そういえば、そんなこと聞いたことあると思いそっちの思考に持って行かれそうになったがすぐに我に返る。「私にとっては完結した漫画でしかない」その言葉がひっかかる。
「おい、それってどういうことだ?」
「私ね。ここで飛び降り自殺したの。もっと遠い未来だけどね。この学校の屋上から身投げした。自暴自棄になってね。片親で、母親も過労で死んで一人ぼっちになっちゃってさ。ん?そう私は幽霊。未来から来たの」
徐々に声が小さくなっていったが、私は幽霊で満面の笑みになった。
「死んだときに、過去に行ける力を得た。それでここに来たの」
顔は笑っているが、心は泣いているように感じた。きあらはそのまま続ける。
「今の人たちはあと少し生きるだけで素晴らしい作品の完結に立ち合うことができるの。今ここで死んだら。それすらできない。勿体なくない?」
その言葉は俺に向けられた言葉なのだろうが、自分自身に向けて噛み締めて言っているように感じる。
「あんたは後悔してるのか?」
自分でもおかしな質問をしたと思う。
「してるよ。何で死んじゃったんだろうって。でも後悔しても遅い。私は死んじゃったから」
きあらは「でもね」とそのまま続ける。
「今は変えることはできる。もしかしたら今を変えたら未来が変わるかもしれない。バタフライエフェクトってやつ?」
もしかしたらそれをする為に過去に来たのだろうか。でもどうしたらそれができるのか検討はついているのだろうか。
「私ね実はね。未来を見せることができるの。私が指を鳴らせばおじさんをちょこっとだけ未来に飛ばすことができるの。おじさんも死のうとしてたのなら死ぬ前に未来見てみる?」
急な提案だった。未来を見ることができる、か。
「そうだ、じゃあワンピースが完結した瞬間に飛ばしてみる?」
きあらは中指と親指をくっつけて人差し指は俺の頭を指差していた。
文字通り有無を言わさず。きあらはパチンっと指を鳴らした。
目の前が一瞬真っ白になり、次第に晴れていく。真っ白な世界から徐々に周りに物質が現れていく。白いキャンパスに色が塗られていくようにその物体は次第に色がはっきりとしていく。
俺は商店街の家電量販店の前にいた。店頭には大きなテレビが販売されており、そのテレビには報道番組が映し出されていた。
テレビ画面の右端には赤字でワ○ピース完結!と書かれていた。30年の連載に幕を閉じる。とコメンテーターがそれぞれの思いを語っていた。家電屋の中に入ると先程の番組とは違う報道番組が流れており、内容は一緒だった。
言ってしまえば一つのただの漫画だ。すごい漫画なのは知っているがそれを読んだことのない人だっている。興味のない人だっているはず。しかしそれを国をあげて、下手をしたら世界中でこの漫画の完結に歓喜しているのではないかと思った。
いったいどういった結末を迎えたのか。興味が湧き読んでみたいと思った。
だが、それは今ではない。今ではいけないと思った。
そう思ったとき、俺の意識は学校の屋上に戻されていた。
「どうだった?おじさん」
「すごかったよ。どこを見ても歓喜一色。漫画1つで世界の意識が1つになってるような気もしたよ」
軽い目前に襲われて目を擦る。
「どういう終わり方だったか見てきたの?」
「いや、それは辞めたよ。リアルタイムで自分の目で見てみることにしたよ」
その言葉が口から出たことでもう命を絶つ気持ちがないことを自分で感じた。
「もったいなーい。でも、まぁあと5、6年したらリアルで読めるしね。あっという間だよ5、6年なんて。私の5年とおじさんの5年ならもっと違うしね」
改めてそう言われると悲しくなる。
「なぁ、もう一回未来に行くことはできるか?」
最初は半信半疑だったが、一度本当に体験すると1つ見たい未来があった。
「ん?まぁあと一回くらいならいいよ。特別だからね、おじさん。これ意外と疲れるんだから。で?なんの未来が見たいの?」
俺が見たい未来は
「姫花の、妻の未来が見たい。あいつが幸せに暮らしているのかを」
俺が死んで1番心配なのは妻の姫花の事だ。
「それは、おじさんが死んだ後の未来?それともおじさんが生きている未来?」
きあらのその一言に思わず「え」と声が出た。
「私が声をかけなかったらもしかしたらおじさんはそのまま屋上から落ちて死んでたかもしれない。さっき言ったでしょ、バタフライエフェクトって。今が変われば未来は変わる。だからどっちの未来も存在するの。どっちの未来も見せることができる」
バタフライエフェクトという言葉は映画で聞いたことがあり、ある程度意味もわかる。
どちらの未来も見ることができる。俺はどっちの未来を見たいのか、
「俺が死んだ後の未来が見たい」
俺が出した答えはこれだった。
「それでいいのね。本当にいいんだね。あと一回だよ、未来を見せれるのは。一緒にいる未来じゃなくていいんだね?」
やたらと念を押される。そう言われると悩んでしまう、が決めた。
「それでいい。その未来を見せてくれ」
腹を決めた。俺がこれから頑張っていけるかどうかはその未来を見てから決める。
「じゃあ、いくよ。どれくらい未来か指定されてないから、めんどいからさっきと同じでいくからね」
俺はうなずく。きあらは先程と同じように中指と親指を合わせ伸ばした人差し指を俺のおでこに当てる。
パチンっ!
また視界が真っ白に包まれる。次第にキャンパスに色が塗られていく。その世界に自分が立っている。
公園にいた。見覚えがある。近所の公園だ。
そうか、俺がいなくてもこの近くに暮らしているのか。
辺りを見回す。姫花の未来をお願いしたのだ、絶対に近くにいるはずだ。
聴き慣れた声の鼻歌と、聴き慣れない歌声が横を通りすぎた。向こうには俺の姿は認識できていないらしい。思わず話しかけてしまいそうになった。おそらく話しかけてもこちらの声は向こうには届かないだろうが。
小さい女の子を連れて楽しそうに歩いていた。見慣れた後ろ姿。
左手はその女の子の小さな手を握り、右手には買い物袋。おそらく家に帰る途中なのだろう。
幸せそうだった。2人楽しそうに鼻歌まじり歩いている。夕日が2人を照らしていた。自然と涙が出てきた。視界が滲んでいく。キャンパスが涙で水滴で滲んでいき、気づいたら俺は屋上に戻っていた。
しばらく何も考えられなかった。頬はまだ濡れていた。
「どうだった?」
その様子を見てきあらが言った。
「子供と楽しそうに帰ってたよ。俺がいなくても幸せそうだった」
そうとしか答えられなかった。
「でも、おじさんと一緒だったらもっと幸せかもよ」
きあらは優しく言った。
「わかっている。このままではダメだ。ありがとう、今日はもう帰るよ」
いつの間にか快晴だった空が夕日に照らされていた。その夕日もあと少しで沈むだろう。いつの間にかこんなに時間が経っていたのか。
「ま、お役に立てたのならいいよ。おじさん、元気出して。強気でね!」
きあらは両手の拳を握り体の前でガッツポーズを作る。その姿がある人と重なった。
屋上を出ようとしても扉には鍵がかかっていた。やはりちゃんと俺は鍵をかけていた。
きあらは本当に突然目の前に現れたのだ。
きあらは新の背を見送りながら元気よく手を振る。「またねー!」と
新が屋上から完全にいなくなった後、その腕を下ろしてだらんと項垂れる。
頬を涙伝う
「お礼を言うのは私の方だよ、おじさん。ありがとね。間に合って良かった」
俺は家路を急いでいた。とんでもない虫の知らせに襲われていたのだ。しかしそれは悪い知らせではなく、いい知らせ。
きあらは俺に俺が死んだ後の未来を見せた。その年数はワ○ピースが完結した年。どんなに長くても5、6年。
姫花には子供がいた。その子供は保育園児くらいの女の子。俺はその左手に注目していた。女の子と手を繋ぐその左手の薬指には指輪は無かった。ということは俺が死んだ後でも姫花は再婚はしていない。子供がいるということは。
いつもはきちんと駐車する車も今日は枠に入っていればいい。
勢いに任せて玄関の扉を開ける。
いい匂いが鼻を掠める。姫花が夜ご飯を作っているのだろう。
「あら、ただいま!」
姫花が笑顔で出迎える。いつもより華やかに見えた。
「いい知らせがあるの!あらた。私今日産婦人科行ってきたのね」
その言葉で全てを察した。勢いに任せて姫花の両肩を掴む。強すぎたようだ姫花は驚いた顔をしたがまたすぐに笑顔になる。
「子供ができていたわ。あらたも大変かもしれないけれど、あなたは1人じゃないわ。私もいるし、この子もいる」
姫花はまだ大きくなっていないお腹をさする。そして体の前で拳を作りガッツポーズを作る。
その姿を見て何も言えなかった。もし死んでいたらと思うと、
「良かった、本当に良かった」
「何泣いてるのよ。らしくない」
俺は涙でぐしゃぐしゃの顔で、姫花はそれでも笑顔だった。
「そういえば、もし女の子ならもう名前考えてるのよ。私の文字とあらたの名前の漢字を合体させた」
姫花は目の前に一枚の画用紙を出した。いつの間にこんなの用意してたのか。涙を拭いその紙を見た時、衝撃がはしった
「私の姫の字にあなたの新で。姫新よ。」
目の前に出された紙には漢字できあらと書かれていた。姫花の姫に俺の新できあら。
聞き覚えのある名前。
「「私ね。ここで飛び降り自殺したの。もっと遠い未来だけどね。この学校の屋上から身投げした。自暴自棄になってね。片親で、母親も過労で死んで一人ぼっちになっちゃってさ。」」
片親で、母親も過労で死んだ。
もしかして姫花の未来を見た時の子供は、
俺がさっきまで出会っていた女子高生は、
「いい名前じゃないか。その名前にしよう。きっと産まれてくる子供は女の子だよ」
また涙が止まらなかった。それを誤魔化すように姫花を抱きしめる。
「あわわ、もう。今日はご馳走よ。ご飯にしましょ」
姫花は優しく俺の背中をポンと叩く。
今日は寝れなかった。不思議なことが起きたもんだ。成長した娘であろう姿は姫花に似てとても綺麗だった。これは彼氏を連れてきたら許せない自信がある。
姫花はもう寝てしまった。俺は1人ちびちびと酒を飲んでいた。
目的もなくテレビを見ながら。夜中の23時。明日も授業がある、早く寝なければならないがそんな気分にはならなかった。今日起きた出来事を噛み締めるように酒と一緒に胃に流す。
強くならなければならない。俺には守らないといけない存在がいる。このままではならない。でも、
「「人に良く見られる必要はない!自分は自分。自分がそうと決めたことは突き通すこと!まず自分に嘘をついてはいけない!」」
特に見ていた訳ではないテレビ画面から流れてきた声に意識がいく。
なんの番組かはわからないがバラエティ番組のようだ。MCに2人いて、ひな壇に名前も知らない芸人が何人も座っている。
「「まずは言葉に出すこと!自分がなりたい自分を!こうなりたい!こういう人になりたい!はい、言ってみよう、サンハイ!」」
ひな壇にいる芸人が思い思いに夢を語る。いろんな言葉がごちゃごちゃして何にも聞き取れなかった。
MCが皆で一斉に言ったら何が何だかわからないでしょ!とツッコミを入れる。ひな壇の芸人が嘘くさいように笑う。笑い声のSEも入る。
なりたい自分か。
テレビの電源を消して、それを考えながら横になるとすぐに寝てしまった。
次の日も俺の日常は何にも変わらない。変わったはずなのだが、身の回りは何も変わる気配もない。授業中といえど、教室にいる多数の女生徒がそれぞれ思い思いにくっちゃべっている。1つ1つはそんなに気にならない雑音なのだが、それが何人も何組もいるとその雑音は固まりとなり騒音になる。
誰も俺の授業なんて聞いていない。今まではそう思っていた。それでいいと思っていた。
なりたい自分か
教科書を片手に黒板に向かって授業をしていた手を止めて振り返る。
教科書を教卓に置く。その様子を見ている生徒などごく数人しかおらず、雑音のどよめきは鳴り止まない。
一拍を置いて教卓を両手で叩く。バンッ!と自分でも思ったより大きな音がなった。
教室が静寂に包まれる。話し声はコソコソ話になり、その話の中心は俺になっていた。
「え、怒った感じ?」「マジで?」
と生徒たちは俺の様子を伺っている。さすがにこの状態でうるさくする生徒はいない。
別に怒っている訳ではない。むしろ怒っているのは自分にだ。
「先生に子供ができた」
俺の言葉が教室の静寂に響く。
え、え?って生徒達は困惑している様子だった。それはそうだろう。
「俺は父になったんだ!このままではダメなんだ。君たちみたいな子供に負けているようでは強い父親にはなれない!」
これが俺の宣言だ。何も明確ではない。それでもいい。強い人間になる。それが俺がなりたい自分。
「先生!おめでとうございます!」
1人の女生徒が立ち上がって拍手をする。
あんまり目立たない子だった。周りの生徒達もその子の行動に驚き、一瞬時が止まった。
だが端の生徒から先生おめでとう!の声を皮切りに全員でおめでとう!先生やったじゃん、パパじゃん!どっち?男の子?女の子?と質問が飛び交うようになった。
以前の一件で教室にぽっかりと穴が空いたような感覚があったが、ようやくまた1つになったような気がした。また涙が出そうになったが、もう泣かないと心に決め
「うるさい、うるさい!まだわからないよ!昨日わかったんだよ!でも女の子ならもう名前は決まってるんだ」
生徒たちはなんて名前ー?って一斉に聞いてくる。名前を言うといい名前ー!なんて書くのー?って大盛り上がり。後で他の先生から怒られた。
でもこれでいい。これが俺だ。
これが俺が決めた道だ。
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