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2章 挑戦
最後の夏休み
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大誠中学校2年A組のクラスの教室で向井輝歩は机の上に置かれたたくさんのドリルを眺めている。他の生徒はそれらをすでに鞄にしまい思い思いにお喋りをしている。
今日は前期の終業式、明日からは夏休み。
終業式を終え担任から夏休みの宿題を渡された所だ。休憩を挟んで帰りの会をして解散になる。
みんなすでに気持ちは夏休み。課題のことなんて見向きもしない。
輝歩は机の上に並んだ課題を眺めてそのうちの一冊を開き出した。
「おいおい、お前もう課題やろうとしてるのか?」
輝歩の前の席の生徒が椅子に逆向きに座り顔を覗かせた。
彼の名前は新藤海夢
「夏休みは明日からだぞ。今からやるのは流石に早すぎるだろ」
「少しでも早く終わらせて俺は夏休みを満喫したいんだ。それにいつも夏休みの最後にお前の課題までやることになるんだから今のうちに終わらせておいた方が楽だ」
「それの方がお前にとって復習になるだろ?」
「お前にとって何の学習にならんだろ。てか、普通の課題をやるならまだわかるけど、お前小学校の時に俺にやらせてたの日記だろ。何で俺がお前の日記を書かないと行けないんだよ」
「ほとんど毎日一緒にいるんだから、お前の日記も俺の日記も同じようなもんだっただろ」
「だとしても俺に書かせるな」
2人は幼稚園からの幼馴染。家族ぐるみで仲が良く小学校も一緒で、夏休み等の長期休みになるとほとんどどちらかの家で遊び毎日を一緒にいる。
中学校になってもその関係性は変わらずだ。
輝歩は頭がよく、何に対しても論理的で全てにおいて意味を大事にする。
海夢は運動ができ活発で、とにかく行動的で思いついたことは何でもやる。常に思ったことを先にする為、それまでのことは全て置き去りになってしまう。
性格上お互いは正反対で、わかりやすく凸凹だ。中学校から2人を知った同級生はどうして2人がこんなに仲が良いのか理解ができないでいる。だが中学2年になり同級生とも1年同じクラスで過ごすと2人のその凸凹コンビは風景化されて誰もなんとも思わなくなっていた。
「そんなことよりさ、昨日見たゴールデンタイムのテレビですごいこと知っちまったんだよ」
海夢が突然話題を切り出す。ほとんど会話は海夢から始めることが多い。
「地球はさ、いつか滅亡するんだよ!」
海夢は声高らかに言う。周りの生徒もまた始まったよ、とクスクス笑っている生徒もいる。そんなこと全く気にせず海夢は続けた。
「それは今日かもしれないし、明日かもしれない。100年後、1000年後かもしれない!」
「そりゃいつかは滅亡するだろ。隕石降ってくるかもしれないし、」
輝歩は呆れてため息をついて言う。その言葉を遮って海夢はまた続けた。
「つまりいつ死ぬかわからないってことだよ。今日かもしれないし明日かもしれない。だから今やりたいことを後回しにしないで今やるんだ!」
海夢は真っ直ぐな澄んだ目で力強く言う。
輝歩は海夢のこういう真っ直ぐなところが好きだった。自分にはない、自分にはなることができない姿に憧れていた。
「てか、そんな番組いつやってたんだよ。ゴールデンタイムにそんな番組やってたか?」
「たしか、12時くらいだったかな?何気なくつけてたテレビから流れてきたからはっきりと時間はわからないけど」
一瞬時が止まった。
「12時ってお前0時だろ?お前にとってゴールデンタイムってどうなってんだよ。ゴールデンタイムって基本7時から9時のことを言うんじゃねえのか?てか、なんでそんな時間まで起きてんだよ。だからお前終業式ずっと寝てたのか」
「俺にとって0時もゴールデンタイムだ!」
海夢は堂々と胸を張る。
「意味わかんねぇよ。ゴールデンタイムはゴールデンタイムだろ。勝手に新しい基準を作るな」
「そんなことより、俺ら今年が最後の夏休みだろ?」
海夢がいきなり話題を変えてきた。
「来年は俺らも3年、受験の年だ。受験勉強も始まるし学生として子供の頃の夏休みを満喫できるのは今年が最後だろ?」
「ん?まぁよくわかんねぇけど、そうかもしれないな」
海夢から受験と受験勉強という単語が出てきたことに驚いた。
海夢にもちゃんと受験勉強をするという選択肢があったのだ。するということは手の届かないような高校に挑戦することを意味する。そこのこだわりがあるようには見えなかった。
「だから、最後の夏休みを俺は満喫したいんだよ。いつ地球が滅亡するかわからない。最後の夏休みを今しかできないことに時間を使いたいんだ!」
その瞳はまっすぐ輝歩を見ていた。それは輝歩も一緒にという意味が少なからず込められているのだろう。
「具体的に何やろうとしてるんだよ」
「まだ何にも決めていない!それをお前と決めようと思ったんだ」
輝歩は呆れてしまった。だが、この無計画な行動力が海夢のいいところでもあった。
「じゃあ、まず俺から提案がある」
輝歩は海夢を指差す。その指の先を海夢は見つめる。次第に目が寄り目になる。
その指を一から四に変えた。
「夏休みの最初の四日間を俺に寄越せ」
海夢は指から視線を外し目が点になる。
「最初の四日間を丸々使って2人で夏休みの宿題を全部終わらせるぞ。終わることができたらあんたのその最後の夏休みってのに何でも付き合ってやる。最後ぐらい最終日まで宿題を残さないでやれ。終わればもう自由だ、何にも縛られずやりたいことを好きなだけできるぞ。」
終われば自由。終われば何でも付き合ってやる。その言葉に顔を輝かせた。
「よし!いいだろう!その話乗った!宿題ををやりながら夏休み何をやるかを考えよう!どうせならとんでもないような事に挑戦をしたい!」
そう言って俺らの夏休みが幕を開けた。
輝歩の家で箱詰めになり宿題を終わらせる。普段は1時間も集中力が持たない海夢もこの宿題が終われば自由な夏休みが待っているとなると文句言わずに黙々と宿題をやっていた。輝歩の両親も海夢のことを赤ん坊の頃から知っている為、宿題を終わらせようとしている2人を理解して2人分ご飯を用意して海夢も遠慮なく輝歩よりも食べていた。盛り盛りと食べる海夢に輝歩の母も美味しいものを食べてもらおうと手料理をふるっていた。
父と宿題を終わらせることができれば、皆で遊びに行こう!と鼓舞した。
極限まで箱詰め状態で四日間丸々かかって全部の宿題を終えた。
「よーーし!やっと終わったーー!」
お互い最後のページを終えて海夢は両手を伸ばし凝り固まった肩と腰を伸ばして後ろに寝転んだ。
「ここから自由な夏休みだー!お前いつもこんな最高な思いしてたのかよ!」
反動をつけて体を起こし輝歩を指差す。
「だからいつも早く終わらせろって言ってただろ」
輝歩は終わった宿題を確認しながら片付ける。
「結局これから何をすることにしたんだ?てか考えてた?」
「それなんだけど、いいこと思いついたんだよ!明日の朝、自転車である所に行くぞ!」
そう言うと海夢は考えなきゃいけないことがあるとその日は夜ご飯を食べずに家に帰った。
考えなきゃいけないことっていったい何だろうと思ったがいつも海夢の考えることはわからないので考えることを辞めた。
次の日自転車に乗った海夢が家の前で待っていた。
輝歩も準備をして外に出る。準備と言ってもどこに行くのか、何をするのかもわからない為とりあえず母親におにぎりを2つ握ってもらって鞄に入れて外に出る。
「どこ行くんだよ。結局お前どこに行くのか言ってないだろ」
自転車で海夢の後を追いかける。
「なぁ、俺たちってほとんど誕生日同じだろ?」
どこに行くのかという質問の答えは返ってこない。海夢は前を向いたまま大きな声で言う。風を切る音でかろうじて聞こえる。
「は?まぁ、そうだな。同じ病院でほとんど同じタイミングで産まれたらしいしな」
「高校に上がったらこんな風に一緒にどっか行ったりすることができないかもしれないよな」
学力的には輝歩の方が上だ。運動は海夢の方ができる。まるで2人は正反対だ。まだどこの高校に行くかお互い決めていないが、おおよそ同じ高校に行くことはないとは2人とも薄々気づいている。
「高校に行っても家は近いし、会おうと思えば会えるんじゃないか?」
海夢のその質問に急に不安になった。そういうつもりで言った訳ではないだろうが、どこか遠くに行ってしまうような気がした。
「会う時間を捻出できないかもしれないだろ。来年は俺もさすがに勉強しないといけないしな。あんただって頭いいんだからいい高校に受験するんだろ?」
どうしてそんなこと聞くんだろう。まだどこの高校に行くかなんて全く決めていない。偏差値的には県内ほとんどの高校を受けることができる為、あとはどこの高校を選んでその後どういう人生を歩むかの選択になる。
1人になるくらいなら海夢と同じ高校でもいいと思っている。
「俺は頭悪いからさ、合格できそうな適当な所を受験するよ。あんたは頭いいんだからさ、いい所の高校に行けよ」
考えていることが読まれたのか。
「今だからこそできる、今じゃないとできないことに挑戦しようと思うんだ」
海夢は急にそんなことを言った。それが今向かっているところに関係しているのだろうか。いまだにどこに向かっているのかわからないが。後を追いかけることしかできない。
「ほらついた」
海夢は大きな建物の前で止まった。
「ここって、病院?」
その大きな建物は病院だった。大学病院でたくさんの車が停まっていて、たくさんの車が駐車場に入っていく。
「俺らはここで産まれたんだよ」
この病院には産婦人科も入っている。海夢がどうして知っているのかはわからないが、輝歩と海夢はこの病院で産まれたようだ。
「どうしてここに来たんだ?お前が言っている挑戦に関係してるのか?」
海夢が言っていた挑戦と2人が産まれた病院がどう関係してくるのかわからなかった。
「ここで、挑戦することを発表する!」
「俺らが産まれたこの病院で、この世に誕生した赤ん坊の名前を俺らで決めるんだ!」
海夢が何を言っているのか理解ができなかった。
「はぁ?何言ってんだお前?赤ちゃんの名前を俺らでつけるって、え?なに?」
輝歩はあまりに理解できなくて困惑する。
「正確には俺らで名前をつけさせてくれる人を探す!」
本人的には分かりやすく言い換えたつもりでいるようだが、それでもまだ意味がわからない。
「ちょっと待て、そんなこと無理に決まってるだろ。最悪捕まって怒られて摘み出されて終わるぞ」
輝歩は不安でならなかった。怒られるのは嫌だし、そんなことをしたら病院内で目立ってしまう。
「無理だと思っていることをすることが挑戦なんだろ。自分たちが産まれた病院で、自分たちの名前を残すのがいいんだろう」
ギリギリ言っていることがわからない。意味はわかるが理解は出来ない。
「待て待て、言いてぇことはわかった。だけど何も手を打たずにその挑戦したって絶対に成功する訳ない。まず無理だろ」
今にも病院に乗り込みに行こうと意気込む海夢を慌てて止めた。
「そうだな、こっちはお前の挑戦に協力する約束しちまっているから、俺が作戦を考えるよ」
輝歩のその一言に海夢は足を止めた。
「お前の頭脳と俺の行動力があればこの挑戦は絶対に成功する!あとは時の運だ。俺は運だけはいいんだよ」
どこからそんな自信が来るのだろうか。運なんて人によって変わることはない。
「まず、いきなり病院に乗り込んで赤ちゃんが産まれた人に名前をつけさせて下さいって行ったって相手してもらえる訳がない。そのハードルを下げないとすぐに追い出されて終わっちまうだろ」
2人は病院の外にある簡易のベンチに腰掛けて作戦を練る。
「あとは子供と言えど、男の俺ら2人が産院に乗り込んで行ったって白い目で見られるだけ、最悪通報されて追い出されちまうだろ。いかに怪しまれずに病院の中を散策できるかがポイントになる」
輝歩は顎に手を当て考える人のポーズになる。海夢はおとなしく答えが出るまで待っていた。輝歩ならその答えが出てくるだろうという絶大な信頼があるようだ。
「そうだ!俺らはこの病院で産まれたのは間違いないんだから、夏休み中の自由研究か何かの宿題で、自分たちの誕生の歴史を辿るみたいな感じで、産院の先生に話せばうまくいけば怪しまれずに産院の中を歩けるだろ!」
問題なのは産院の中を男2人で歩いていることだった。絶対に怪しまれる。それをどうやって怪しまれずに歩けるかが鍵だった。
「それいいな!俺、助産師の先生顔見知りだからそのお願いをしたら中に入れてもらえるかも!」海夢も賛成した。
「おい、お前助産師の先生と顔見知りなのもっと早く言えよ。すでにハードル低いじゃねぇか!」輝歩はツッコミを入れる。
「よし!そうと決まれば行動だ!」
海夢は立ち上がり病院の中に入った。
総合病院なので、内科や外科などの様々な看板が矢印とともに上に吊るされている。
2人はその中で産婦人科、産院の看板を探しその矢印の方に向かっていった。
受付のようなところでナース服の女の人がいる。ここで話しかけないと先には進めない。
輝歩には話しかける勇気はなかった。
「どうしました?」
受付の前まできた子供2人に受付のお姉さんは優しく話しかけた。産院はまず基本的に女の人が来る所。男が来る時点でおかしいし、ましてや子供2人でだ。迷子でここまで来たと言えるような年齢ではない。
「あの、立花院長先生にお話しがあって来ました」
輝歩が何も答えれずにいる所を海夢が前に出て受付のお姉さんに話しかける。受付には助産師の先生の名前が書かれた札がある。そこには立花と書かれていた。海夢は最初から名前を知っていたのかそれともその札を見て名前を言ったのかわからない。
「どういった要件かしら。立花先生なら今ちょうど診察中よ」
相手が子供ということもあり受付のお姉さんから敬語は消えた。
「俺たちこの病院で産まれたんです。今夏休みの宿題で先生にインタビューしたいんです」
海夢は流暢に話す。よく自分が考えた作戦ではないことをこうも自信満々に話せるなと。輝歩は感心していた。
「なるほど、そういうことね。それじゃあ先生には私から話してみるからちょっと受付で待っててくれるかしら。先生も忙しいから必ずOKになるかはわからないけれど聞いてはみるわ」
受付のお姉さんは優しかった。作戦がこうをそうしたのかもしれないが、2人は怪しまれることなく、産院の待合所に入ることができた。
中にはお腹の大きな女の人。検診なのだろうかすでに産まれた小さい赤ん坊を抱いた女の人もいた。
どの人もすごい大きく見える。1人の生命を体に宿し、体から生命を誕生させる。改めて思うと妊娠て大変なことで、出産て神秘的なことなんだと思った。
待合所を見ながらそんなことを思っていた輝歩は海夢が1人の女の人の横に座ろうとしているのに気づく。慌てて輝歩も追いかける。
まだ20代くらいの女の人の腕には小さい赤ん坊が抱かれていた。
すごい可愛い。小さい顔に小さい手。何もかもが小さかった。寝ているのか目は閉じているが、口はモゴモゴと動いている。
横に座り赤ん坊を見られていることに気づかれた。しかし、その女の人は怪しむことなく2人に赤ん坊の顔を見せてきた。
「可愛いでしょ。産まれたばかりなのよ」
その女の人は穏やかな表情で目を細める。でもどうしてか悲しい表情にも見えた。
「触ってもいいですか?」
海夢がそう言い出したのに輝歩は驚いた。怒られるかと思ったが女の人は快く了承してくれた。
「今寝ているから起こさないようにね」
女の人は優しくこちらに見えるように赤ん坊を差し出した。
海夢は優しく頬を触る。見てわかるくらいぷにぷにだった。見ず知らずの人の赤ん坊でもとても愛おしく思った。
「お姉さん、この子なんて名前なの?」
海夢は赤ん坊の頬を撫でながら言う。
お姉さんと言われたことに女の人は驚いていた。意外と年齢が行っているのかもしれない。
「俺ら、産まれてきた子に名前をつけさせてもらうという挑戦をしてるんだ!」
その女性が名前を言う前に海夢が言った。
そのお姉さんは驚いて目が点になる。当たり前だ、そんな無謀な挑戦成功する訳もなく相手する人すらいないとも思っていた。
女性はびっくりした顔から吹き出して笑い出した。
「そんなお願い聞いてくれる人なんているかしら。かなり無謀な挑戦をしてるわよ、君たち」
幸い悪い反応をしてるようには見えない。怒られるかと思っていた輝歩は安堵した。
「俺たちは本気だ!ガキンチョ最後の夏休みに無謀なことに挑戦するんだ!」
海夢はさらに食い下がる。海夢の本気が伝わったのか、女性の顔つきが変わる。
「わかったわ。じゃあ、その挑戦にのるわ。でも知らない子供に名前をつけさせる訳にもいかないから、これならどう?。私が考えている名前とあなた達が掲示する名前がもし一緒だったらあなた達の勝ち。もし読みが一緒ならその漢字にするわ。これでどうかしら?」
まさかだった。条件は少し変わったが充分だった。名前が一致したら俺達の勝ち。
そういえば輝歩はどんな名前をつけようとしているのか知らなかった。
「いいんだね、お姉さん」
海夢は肩から下がるバックをゴソゴソと漁る。
海夢はすでに名前を考えてきているようだ。それなら俺にも事前に教えて欲しかったと、輝歩は思う。
「俺の名前は海に夢って書いて海夢で、こいつの名前は輝くに歩くって書いて輝歩。その漢字を一文字ずつとって」
海夢は1枚の紙を広げる。その紙には名前が2つ書かれていた。
「男の子なら歩くに夢で歩夢、女の子なら夢に歩くで夢歩。どこまでも夢に向かって歩んで欲しいって意味がこめられるんだ!」
漢字が逆になるだけでちゃんと男女別れていた。
海夢が自分の名前の漢字を入れて考えていたことに輝歩は少し恥ずかしく思った。もっと自分勝手に考えていると思い、ちゃんとした意味のある名前に自分の漢字が使われていることに。
輝歩は恐る恐る女性の反応を確認した。また笑われるとも思った。だが、その女性の反応は2人の予想から大きく外れていた。
その女性は驚いた顔をしていた。考えていた名前と一致したのかはわからない。
2人はその女性の目から涙が一雫頬を伝ったことに驚いた。
女性は慌ててその涙を拭う。
「残念、名前は一致しなかったわ。君たちの負けよ」
女性は笑顔を作る。しかしその笑顔は無理に作られたものに感じた。また目から涙が溢れる。
「残念。他人の子供に名前をつけるって大変なことで、迷惑に思う人もたくさんいるわ。今回の挑戦は無理だったと諦めなさい」
女性は泣いていることを隠すように目尻を拭う。声は明るくて務めていた。
「でも、お姉さんーー」
輝歩が泣いている理由を尋ねようとした時、海夢が腕を掴んだ。
海夢の方を見ると海夢は首を横に振っていた。これ以上は詮索するなと無言で言っているように感じ、輝歩もそれ以上は何も言わなかった。
「お姉さん、ありがとうございました。頑張って下さい。今回の挑戦は失敗に終わっちゃったけど、俺らはめげずに頑張るから」
海夢は立ち上がり女性に深々と頭を下げ、病院の出口に向かった。
海夢のそんな姿を初めて見た。普段、真面目な空気な時にもおちゃらけてよくクラスの女子から怒られている姿を見ている輝歩は驚いてしまった。
ワンテンポ遅れて輝歩も頭を下げ、海夢の後を追いかける。
そのタイミングで女性の腕に抱かれている赤ん坊が目を覚まし、腕を動かしていた。
女性の背後から白衣を着た女性が近づく。
「田島さん。大丈夫ですか?」
「立花先生。見てたんですか?」
その女性は田島といい、近づいてきた女性は産院の院長先生だった。
受付の人が立花先生を呼びに行き、待合所に向かったところ男の子2人と話しているところを見ていたようだ。
「さっきの子達、ここで産まれた子達なのよ。明るい方の子、海夢君はその後も時折この病院に来ていたわ。あの子のお家も大変でね」
「そうだったんですか」
「何か失礼なこと言ったかしら。もしそうなら代わりに謝るわ。泣いていらっしゃったから」
田島はまだ泣いているのかと慌てて目を拭うがもう涙は乾いていた。
「いえ、あの子たちこの病院で産まれた子に自分達で名前をつけるという挑戦をしていたみたいなんです」
「あらまぁ、また変なことして。次来たら私から言っておくわ」
田島は立花先生があの子達を怒るんじゃないかと思い、慌てて続ける。
「いえ、大丈夫です。ただ、まさかあの海歩くん?が言った名前が亡き夫がつけようとしていた名前と一緒だったことに驚いてしまって」
立花先生は何も言わず、田島の横に座る。立花先生は田島に何があったか全て知っている。知った上で田島から話すのを待っていた。
「あの事故で夫を亡くし、いくら悲しがっても夫はもう戻らない。でも、私にはこの子がいると思って」
ゆっくりとまた目から涙が溢れる。
言葉を噛み締めるように、自分に言い聞かせるように田島は続ける。
「忘れようとしたって忘れられない。現実を受け入れなければいけないのはわかっています」
腕の中で赤ん坊が笑い。手をバタつかせる。その手が田島の顔に触れる。偶然その手は顔の涙を拭った。
「私は自分の力でこの子を育てようと決めました。でもやっぱりこの子はあの人の子供です。先生、私、この子の名前決めました」
立花先生は優しく頷く。
「この子の名前はーー」
海夢は病院を出て太陽の日を浴びて伸びをしてる。その顔は清々しかった。
そこで海夢の横を推定女子高生くらいの女の子が通った。横目で見ながら、見慣れない顔だと思った。
「本当にこれで良かったのか?」
その後から輝歩が追いつく。その女の子から輝歩に視線を移す。
「いいんだよ。俺らの挑戦は失敗に終わった。でも大事なのは挑戦したってことだ。これで良かったんだよ」
「あの女の人、どうして泣いていたんだろう」
「そんなこと考えるのは野暮だよ。考えてはいけん。大人には大人の悩みや苦労があるんだよ」
海夢がとても大人っぽく見えた。昔からずっと一緒にいて全部知っているつもりでいたはずだが知らない一面もあるのかもしれない。
「これからどうするか!」
海夢が自転車に跨って輝歩の方を振り返る。
「俺の父さんが今度の休み皆でキャンプ行こうって言ってるけど、あんたが良かったら海夢も一緒に行くか?って」
「いいのか?行く!魚釣るぞ!」
2人のガキンチョ最後の夏休みはまだ始まったばかり。
今日は前期の終業式、明日からは夏休み。
終業式を終え担任から夏休みの宿題を渡された所だ。休憩を挟んで帰りの会をして解散になる。
みんなすでに気持ちは夏休み。課題のことなんて見向きもしない。
輝歩は机の上に並んだ課題を眺めてそのうちの一冊を開き出した。
「おいおい、お前もう課題やろうとしてるのか?」
輝歩の前の席の生徒が椅子に逆向きに座り顔を覗かせた。
彼の名前は新藤海夢
「夏休みは明日からだぞ。今からやるのは流石に早すぎるだろ」
「少しでも早く終わらせて俺は夏休みを満喫したいんだ。それにいつも夏休みの最後にお前の課題までやることになるんだから今のうちに終わらせておいた方が楽だ」
「それの方がお前にとって復習になるだろ?」
「お前にとって何の学習にならんだろ。てか、普通の課題をやるならまだわかるけど、お前小学校の時に俺にやらせてたの日記だろ。何で俺がお前の日記を書かないと行けないんだよ」
「ほとんど毎日一緒にいるんだから、お前の日記も俺の日記も同じようなもんだっただろ」
「だとしても俺に書かせるな」
2人は幼稚園からの幼馴染。家族ぐるみで仲が良く小学校も一緒で、夏休み等の長期休みになるとほとんどどちらかの家で遊び毎日を一緒にいる。
中学校になってもその関係性は変わらずだ。
輝歩は頭がよく、何に対しても論理的で全てにおいて意味を大事にする。
海夢は運動ができ活発で、とにかく行動的で思いついたことは何でもやる。常に思ったことを先にする為、それまでのことは全て置き去りになってしまう。
性格上お互いは正反対で、わかりやすく凸凹だ。中学校から2人を知った同級生はどうして2人がこんなに仲が良いのか理解ができないでいる。だが中学2年になり同級生とも1年同じクラスで過ごすと2人のその凸凹コンビは風景化されて誰もなんとも思わなくなっていた。
「そんなことよりさ、昨日見たゴールデンタイムのテレビですごいこと知っちまったんだよ」
海夢が突然話題を切り出す。ほとんど会話は海夢から始めることが多い。
「地球はさ、いつか滅亡するんだよ!」
海夢は声高らかに言う。周りの生徒もまた始まったよ、とクスクス笑っている生徒もいる。そんなこと全く気にせず海夢は続けた。
「それは今日かもしれないし、明日かもしれない。100年後、1000年後かもしれない!」
「そりゃいつかは滅亡するだろ。隕石降ってくるかもしれないし、」
輝歩は呆れてため息をついて言う。その言葉を遮って海夢はまた続けた。
「つまりいつ死ぬかわからないってことだよ。今日かもしれないし明日かもしれない。だから今やりたいことを後回しにしないで今やるんだ!」
海夢は真っ直ぐな澄んだ目で力強く言う。
輝歩は海夢のこういう真っ直ぐなところが好きだった。自分にはない、自分にはなることができない姿に憧れていた。
「てか、そんな番組いつやってたんだよ。ゴールデンタイムにそんな番組やってたか?」
「たしか、12時くらいだったかな?何気なくつけてたテレビから流れてきたからはっきりと時間はわからないけど」
一瞬時が止まった。
「12時ってお前0時だろ?お前にとってゴールデンタイムってどうなってんだよ。ゴールデンタイムって基本7時から9時のことを言うんじゃねえのか?てか、なんでそんな時間まで起きてんだよ。だからお前終業式ずっと寝てたのか」
「俺にとって0時もゴールデンタイムだ!」
海夢は堂々と胸を張る。
「意味わかんねぇよ。ゴールデンタイムはゴールデンタイムだろ。勝手に新しい基準を作るな」
「そんなことより、俺ら今年が最後の夏休みだろ?」
海夢がいきなり話題を変えてきた。
「来年は俺らも3年、受験の年だ。受験勉強も始まるし学生として子供の頃の夏休みを満喫できるのは今年が最後だろ?」
「ん?まぁよくわかんねぇけど、そうかもしれないな」
海夢から受験と受験勉強という単語が出てきたことに驚いた。
海夢にもちゃんと受験勉強をするという選択肢があったのだ。するということは手の届かないような高校に挑戦することを意味する。そこのこだわりがあるようには見えなかった。
「だから、最後の夏休みを俺は満喫したいんだよ。いつ地球が滅亡するかわからない。最後の夏休みを今しかできないことに時間を使いたいんだ!」
その瞳はまっすぐ輝歩を見ていた。それは輝歩も一緒にという意味が少なからず込められているのだろう。
「具体的に何やろうとしてるんだよ」
「まだ何にも決めていない!それをお前と決めようと思ったんだ」
輝歩は呆れてしまった。だが、この無計画な行動力が海夢のいいところでもあった。
「じゃあ、まず俺から提案がある」
輝歩は海夢を指差す。その指の先を海夢は見つめる。次第に目が寄り目になる。
その指を一から四に変えた。
「夏休みの最初の四日間を俺に寄越せ」
海夢は指から視線を外し目が点になる。
「最初の四日間を丸々使って2人で夏休みの宿題を全部終わらせるぞ。終わることができたらあんたのその最後の夏休みってのに何でも付き合ってやる。最後ぐらい最終日まで宿題を残さないでやれ。終わればもう自由だ、何にも縛られずやりたいことを好きなだけできるぞ。」
終われば自由。終われば何でも付き合ってやる。その言葉に顔を輝かせた。
「よし!いいだろう!その話乗った!宿題ををやりながら夏休み何をやるかを考えよう!どうせならとんでもないような事に挑戦をしたい!」
そう言って俺らの夏休みが幕を開けた。
輝歩の家で箱詰めになり宿題を終わらせる。普段は1時間も集中力が持たない海夢もこの宿題が終われば自由な夏休みが待っているとなると文句言わずに黙々と宿題をやっていた。輝歩の両親も海夢のことを赤ん坊の頃から知っている為、宿題を終わらせようとしている2人を理解して2人分ご飯を用意して海夢も遠慮なく輝歩よりも食べていた。盛り盛りと食べる海夢に輝歩の母も美味しいものを食べてもらおうと手料理をふるっていた。
父と宿題を終わらせることができれば、皆で遊びに行こう!と鼓舞した。
極限まで箱詰め状態で四日間丸々かかって全部の宿題を終えた。
「よーーし!やっと終わったーー!」
お互い最後のページを終えて海夢は両手を伸ばし凝り固まった肩と腰を伸ばして後ろに寝転んだ。
「ここから自由な夏休みだー!お前いつもこんな最高な思いしてたのかよ!」
反動をつけて体を起こし輝歩を指差す。
「だからいつも早く終わらせろって言ってただろ」
輝歩は終わった宿題を確認しながら片付ける。
「結局これから何をすることにしたんだ?てか考えてた?」
「それなんだけど、いいこと思いついたんだよ!明日の朝、自転車である所に行くぞ!」
そう言うと海夢は考えなきゃいけないことがあるとその日は夜ご飯を食べずに家に帰った。
考えなきゃいけないことっていったい何だろうと思ったがいつも海夢の考えることはわからないので考えることを辞めた。
次の日自転車に乗った海夢が家の前で待っていた。
輝歩も準備をして外に出る。準備と言ってもどこに行くのか、何をするのかもわからない為とりあえず母親におにぎりを2つ握ってもらって鞄に入れて外に出る。
「どこ行くんだよ。結局お前どこに行くのか言ってないだろ」
自転車で海夢の後を追いかける。
「なぁ、俺たちってほとんど誕生日同じだろ?」
どこに行くのかという質問の答えは返ってこない。海夢は前を向いたまま大きな声で言う。風を切る音でかろうじて聞こえる。
「は?まぁ、そうだな。同じ病院でほとんど同じタイミングで産まれたらしいしな」
「高校に上がったらこんな風に一緒にどっか行ったりすることができないかもしれないよな」
学力的には輝歩の方が上だ。運動は海夢の方ができる。まるで2人は正反対だ。まだどこの高校に行くかお互い決めていないが、おおよそ同じ高校に行くことはないとは2人とも薄々気づいている。
「高校に行っても家は近いし、会おうと思えば会えるんじゃないか?」
海夢のその質問に急に不安になった。そういうつもりで言った訳ではないだろうが、どこか遠くに行ってしまうような気がした。
「会う時間を捻出できないかもしれないだろ。来年は俺もさすがに勉強しないといけないしな。あんただって頭いいんだからいい高校に受験するんだろ?」
どうしてそんなこと聞くんだろう。まだどこの高校に行くかなんて全く決めていない。偏差値的には県内ほとんどの高校を受けることができる為、あとはどこの高校を選んでその後どういう人生を歩むかの選択になる。
1人になるくらいなら海夢と同じ高校でもいいと思っている。
「俺は頭悪いからさ、合格できそうな適当な所を受験するよ。あんたは頭いいんだからさ、いい所の高校に行けよ」
考えていることが読まれたのか。
「今だからこそできる、今じゃないとできないことに挑戦しようと思うんだ」
海夢は急にそんなことを言った。それが今向かっているところに関係しているのだろうか。いまだにどこに向かっているのかわからないが。後を追いかけることしかできない。
「ほらついた」
海夢は大きな建物の前で止まった。
「ここって、病院?」
その大きな建物は病院だった。大学病院でたくさんの車が停まっていて、たくさんの車が駐車場に入っていく。
「俺らはここで産まれたんだよ」
この病院には産婦人科も入っている。海夢がどうして知っているのかはわからないが、輝歩と海夢はこの病院で産まれたようだ。
「どうしてここに来たんだ?お前が言っている挑戦に関係してるのか?」
海夢が言っていた挑戦と2人が産まれた病院がどう関係してくるのかわからなかった。
「ここで、挑戦することを発表する!」
「俺らが産まれたこの病院で、この世に誕生した赤ん坊の名前を俺らで決めるんだ!」
海夢が何を言っているのか理解ができなかった。
「はぁ?何言ってんだお前?赤ちゃんの名前を俺らでつけるって、え?なに?」
輝歩はあまりに理解できなくて困惑する。
「正確には俺らで名前をつけさせてくれる人を探す!」
本人的には分かりやすく言い換えたつもりでいるようだが、それでもまだ意味がわからない。
「ちょっと待て、そんなこと無理に決まってるだろ。最悪捕まって怒られて摘み出されて終わるぞ」
輝歩は不安でならなかった。怒られるのは嫌だし、そんなことをしたら病院内で目立ってしまう。
「無理だと思っていることをすることが挑戦なんだろ。自分たちが産まれた病院で、自分たちの名前を残すのがいいんだろう」
ギリギリ言っていることがわからない。意味はわかるが理解は出来ない。
「待て待て、言いてぇことはわかった。だけど何も手を打たずにその挑戦したって絶対に成功する訳ない。まず無理だろ」
今にも病院に乗り込みに行こうと意気込む海夢を慌てて止めた。
「そうだな、こっちはお前の挑戦に協力する約束しちまっているから、俺が作戦を考えるよ」
輝歩のその一言に海夢は足を止めた。
「お前の頭脳と俺の行動力があればこの挑戦は絶対に成功する!あとは時の運だ。俺は運だけはいいんだよ」
どこからそんな自信が来るのだろうか。運なんて人によって変わることはない。
「まず、いきなり病院に乗り込んで赤ちゃんが産まれた人に名前をつけさせて下さいって行ったって相手してもらえる訳がない。そのハードルを下げないとすぐに追い出されて終わっちまうだろ」
2人は病院の外にある簡易のベンチに腰掛けて作戦を練る。
「あとは子供と言えど、男の俺ら2人が産院に乗り込んで行ったって白い目で見られるだけ、最悪通報されて追い出されちまうだろ。いかに怪しまれずに病院の中を散策できるかがポイントになる」
輝歩は顎に手を当て考える人のポーズになる。海夢はおとなしく答えが出るまで待っていた。輝歩ならその答えが出てくるだろうという絶大な信頼があるようだ。
「そうだ!俺らはこの病院で産まれたのは間違いないんだから、夏休み中の自由研究か何かの宿題で、自分たちの誕生の歴史を辿るみたいな感じで、産院の先生に話せばうまくいけば怪しまれずに産院の中を歩けるだろ!」
問題なのは産院の中を男2人で歩いていることだった。絶対に怪しまれる。それをどうやって怪しまれずに歩けるかが鍵だった。
「それいいな!俺、助産師の先生顔見知りだからそのお願いをしたら中に入れてもらえるかも!」海夢も賛成した。
「おい、お前助産師の先生と顔見知りなのもっと早く言えよ。すでにハードル低いじゃねぇか!」輝歩はツッコミを入れる。
「よし!そうと決まれば行動だ!」
海夢は立ち上がり病院の中に入った。
総合病院なので、内科や外科などの様々な看板が矢印とともに上に吊るされている。
2人はその中で産婦人科、産院の看板を探しその矢印の方に向かっていった。
受付のようなところでナース服の女の人がいる。ここで話しかけないと先には進めない。
輝歩には話しかける勇気はなかった。
「どうしました?」
受付の前まできた子供2人に受付のお姉さんは優しく話しかけた。産院はまず基本的に女の人が来る所。男が来る時点でおかしいし、ましてや子供2人でだ。迷子でここまで来たと言えるような年齢ではない。
「あの、立花院長先生にお話しがあって来ました」
輝歩が何も答えれずにいる所を海夢が前に出て受付のお姉さんに話しかける。受付には助産師の先生の名前が書かれた札がある。そこには立花と書かれていた。海夢は最初から名前を知っていたのかそれともその札を見て名前を言ったのかわからない。
「どういった要件かしら。立花先生なら今ちょうど診察中よ」
相手が子供ということもあり受付のお姉さんから敬語は消えた。
「俺たちこの病院で産まれたんです。今夏休みの宿題で先生にインタビューしたいんです」
海夢は流暢に話す。よく自分が考えた作戦ではないことをこうも自信満々に話せるなと。輝歩は感心していた。
「なるほど、そういうことね。それじゃあ先生には私から話してみるからちょっと受付で待っててくれるかしら。先生も忙しいから必ずOKになるかはわからないけれど聞いてはみるわ」
受付のお姉さんは優しかった。作戦がこうをそうしたのかもしれないが、2人は怪しまれることなく、産院の待合所に入ることができた。
中にはお腹の大きな女の人。検診なのだろうかすでに産まれた小さい赤ん坊を抱いた女の人もいた。
どの人もすごい大きく見える。1人の生命を体に宿し、体から生命を誕生させる。改めて思うと妊娠て大変なことで、出産て神秘的なことなんだと思った。
待合所を見ながらそんなことを思っていた輝歩は海夢が1人の女の人の横に座ろうとしているのに気づく。慌てて輝歩も追いかける。
まだ20代くらいの女の人の腕には小さい赤ん坊が抱かれていた。
すごい可愛い。小さい顔に小さい手。何もかもが小さかった。寝ているのか目は閉じているが、口はモゴモゴと動いている。
横に座り赤ん坊を見られていることに気づかれた。しかし、その女の人は怪しむことなく2人に赤ん坊の顔を見せてきた。
「可愛いでしょ。産まれたばかりなのよ」
その女の人は穏やかな表情で目を細める。でもどうしてか悲しい表情にも見えた。
「触ってもいいですか?」
海夢がそう言い出したのに輝歩は驚いた。怒られるかと思ったが女の人は快く了承してくれた。
「今寝ているから起こさないようにね」
女の人は優しくこちらに見えるように赤ん坊を差し出した。
海夢は優しく頬を触る。見てわかるくらいぷにぷにだった。見ず知らずの人の赤ん坊でもとても愛おしく思った。
「お姉さん、この子なんて名前なの?」
海夢は赤ん坊の頬を撫でながら言う。
お姉さんと言われたことに女の人は驚いていた。意外と年齢が行っているのかもしれない。
「俺ら、産まれてきた子に名前をつけさせてもらうという挑戦をしてるんだ!」
その女性が名前を言う前に海夢が言った。
そのお姉さんは驚いて目が点になる。当たり前だ、そんな無謀な挑戦成功する訳もなく相手する人すらいないとも思っていた。
女性はびっくりした顔から吹き出して笑い出した。
「そんなお願い聞いてくれる人なんているかしら。かなり無謀な挑戦をしてるわよ、君たち」
幸い悪い反応をしてるようには見えない。怒られるかと思っていた輝歩は安堵した。
「俺たちは本気だ!ガキンチョ最後の夏休みに無謀なことに挑戦するんだ!」
海夢はさらに食い下がる。海夢の本気が伝わったのか、女性の顔つきが変わる。
「わかったわ。じゃあ、その挑戦にのるわ。でも知らない子供に名前をつけさせる訳にもいかないから、これならどう?。私が考えている名前とあなた達が掲示する名前がもし一緒だったらあなた達の勝ち。もし読みが一緒ならその漢字にするわ。これでどうかしら?」
まさかだった。条件は少し変わったが充分だった。名前が一致したら俺達の勝ち。
そういえば輝歩はどんな名前をつけようとしているのか知らなかった。
「いいんだね、お姉さん」
海夢は肩から下がるバックをゴソゴソと漁る。
海夢はすでに名前を考えてきているようだ。それなら俺にも事前に教えて欲しかったと、輝歩は思う。
「俺の名前は海に夢って書いて海夢で、こいつの名前は輝くに歩くって書いて輝歩。その漢字を一文字ずつとって」
海夢は1枚の紙を広げる。その紙には名前が2つ書かれていた。
「男の子なら歩くに夢で歩夢、女の子なら夢に歩くで夢歩。どこまでも夢に向かって歩んで欲しいって意味がこめられるんだ!」
漢字が逆になるだけでちゃんと男女別れていた。
海夢が自分の名前の漢字を入れて考えていたことに輝歩は少し恥ずかしく思った。もっと自分勝手に考えていると思い、ちゃんとした意味のある名前に自分の漢字が使われていることに。
輝歩は恐る恐る女性の反応を確認した。また笑われるとも思った。だが、その女性の反応は2人の予想から大きく外れていた。
その女性は驚いた顔をしていた。考えていた名前と一致したのかはわからない。
2人はその女性の目から涙が一雫頬を伝ったことに驚いた。
女性は慌ててその涙を拭う。
「残念、名前は一致しなかったわ。君たちの負けよ」
女性は笑顔を作る。しかしその笑顔は無理に作られたものに感じた。また目から涙が溢れる。
「残念。他人の子供に名前をつけるって大変なことで、迷惑に思う人もたくさんいるわ。今回の挑戦は無理だったと諦めなさい」
女性は泣いていることを隠すように目尻を拭う。声は明るくて務めていた。
「でも、お姉さんーー」
輝歩が泣いている理由を尋ねようとした時、海夢が腕を掴んだ。
海夢の方を見ると海夢は首を横に振っていた。これ以上は詮索するなと無言で言っているように感じ、輝歩もそれ以上は何も言わなかった。
「お姉さん、ありがとうございました。頑張って下さい。今回の挑戦は失敗に終わっちゃったけど、俺らはめげずに頑張るから」
海夢は立ち上がり女性に深々と頭を下げ、病院の出口に向かった。
海夢のそんな姿を初めて見た。普段、真面目な空気な時にもおちゃらけてよくクラスの女子から怒られている姿を見ている輝歩は驚いてしまった。
ワンテンポ遅れて輝歩も頭を下げ、海夢の後を追いかける。
そのタイミングで女性の腕に抱かれている赤ん坊が目を覚まし、腕を動かしていた。
女性の背後から白衣を着た女性が近づく。
「田島さん。大丈夫ですか?」
「立花先生。見てたんですか?」
その女性は田島といい、近づいてきた女性は産院の院長先生だった。
受付の人が立花先生を呼びに行き、待合所に向かったところ男の子2人と話しているところを見ていたようだ。
「さっきの子達、ここで産まれた子達なのよ。明るい方の子、海夢君はその後も時折この病院に来ていたわ。あの子のお家も大変でね」
「そうだったんですか」
「何か失礼なこと言ったかしら。もしそうなら代わりに謝るわ。泣いていらっしゃったから」
田島はまだ泣いているのかと慌てて目を拭うがもう涙は乾いていた。
「いえ、あの子たちこの病院で産まれた子に自分達で名前をつけるという挑戦をしていたみたいなんです」
「あらまぁ、また変なことして。次来たら私から言っておくわ」
田島は立花先生があの子達を怒るんじゃないかと思い、慌てて続ける。
「いえ、大丈夫です。ただ、まさかあの海歩くん?が言った名前が亡き夫がつけようとしていた名前と一緒だったことに驚いてしまって」
立花先生は何も言わず、田島の横に座る。立花先生は田島に何があったか全て知っている。知った上で田島から話すのを待っていた。
「あの事故で夫を亡くし、いくら悲しがっても夫はもう戻らない。でも、私にはこの子がいると思って」
ゆっくりとまた目から涙が溢れる。
言葉を噛み締めるように、自分に言い聞かせるように田島は続ける。
「忘れようとしたって忘れられない。現実を受け入れなければいけないのはわかっています」
腕の中で赤ん坊が笑い。手をバタつかせる。その手が田島の顔に触れる。偶然その手は顔の涙を拭った。
「私は自分の力でこの子を育てようと決めました。でもやっぱりこの子はあの人の子供です。先生、私、この子の名前決めました」
立花先生は優しく頷く。
「この子の名前はーー」
海夢は病院を出て太陽の日を浴びて伸びをしてる。その顔は清々しかった。
そこで海夢の横を推定女子高生くらいの女の子が通った。横目で見ながら、見慣れない顔だと思った。
「本当にこれで良かったのか?」
その後から輝歩が追いつく。その女の子から輝歩に視線を移す。
「いいんだよ。俺らの挑戦は失敗に終わった。でも大事なのは挑戦したってことだ。これで良かったんだよ」
「あの女の人、どうして泣いていたんだろう」
「そんなこと考えるのは野暮だよ。考えてはいけん。大人には大人の悩みや苦労があるんだよ」
海夢がとても大人っぽく見えた。昔からずっと一緒にいて全部知っているつもりでいたはずだが知らない一面もあるのかもしれない。
「これからどうするか!」
海夢が自転車に跨って輝歩の方を振り返る。
「俺の父さんが今度の休み皆でキャンプ行こうって言ってるけど、あんたが良かったら海夢も一緒に行くか?って」
「いいのか?行く!魚釣るぞ!」
2人のガキンチョ最後の夏休みはまだ始まったばかり。
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