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3章 里奈と理佐
その後
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あの一件から私の生活は少しずつ変わっていった。私の心の中に理佐がいるかのように。少しだけ自分の意見を表に出すことができるようになってきたように感じる。
「里奈ちゃん、今日の数学の宿題見せてよー」
私が朝、席に座ったのを見計ったかのようにあの子が飛んできた。
「たまには自分で宿題をやったら?それでも間に合わなかったら私のところにまた来て?そしたら見せてあげるから」
私は笑顔でそう答える。
その子は顔が歪み、わざと聞こえるように舌打ちをしながら私の前から消えた。
前の自分ならそのことが不安になってしまっていたが、今は違う。あの子にどう思われようがどうでもいいこと。こっちはしっかりと逃げ道も用意してあげている。
あの子は仲の良い友達の所に駆け寄り同じように宿題を見せて貰おうとしている。
もう私のところには来ないかもしれない。でも、それでいい。むしろ、それが普通のことだから。
「すごい、よく言ったね」
隣の席の子が私に話しかけてきた。
席が隣だからたまに話す程度の子。
「あの子いつもいろんな人に宿題を見せて、見せてってうるさかったのよね。小鳥遊さんがビシって言ってくれてせいせいしたわ」
私よりも前にあの子には理佐が言っている。その時はその空気に負けて結局私の方から宿題を見せた。
「あれが普通よ。あの子も自分で宿題をやれるようにならないと意味がないし。それと、里奈でいいよ」
これも、理佐が私に最初に言ったこと。
「ありがとう里奈ちゃん。なんかあの事故の後からすごい里奈ちゃん変わったね。いや、良い方にね。変に捉えないでね」
あの事故の現場に私がいたことはほとんどの生徒が知っている。その事で敬遠してくる子もいた。
「大丈夫、わかってるよ。理佐ちゃんが最後私に言ってくれたの。素直に生きなさいって。それが理佐ちゃんが残したかったことなのかなって」
「その言葉が里奈ちゃんが変わるきっかけだったんだね。ねぇ、今日のお昼一緒にお弁当食べない?いつも一緒の子も里奈ちゃんと仲良くなりたいって言ってるし」
前までの自分ならここで遠慮していたかもしれない。それは自分に自信がなかったから。今、自身がついた訳ではない。でも、その遠慮をすることが自分に最適な行動ではないってことを自分でもよく分かっていた。
「ほんと?ありがとう。嬉しい!」
こうやって笑顔で話せれるようになった。ちょっとずつでも変わっていけると。
来週から夏休みに入る。学校生活から離れるがまた再開したときに気持ちを切り替えてまた友達を作るところから始めよう。
その日の数学の授業が終わった後、先生に放課後屋上に来るように言われた。
「話ってなんですか?それにどうして屋上に?」
「あんまり他の人に聞かれたらまずい内容でな。いやな、お前が聞きなくないことだったら俺も言わない内容なんだが、聞きたいってなれば言う」
「そんな周りくどく言わないで下さい。何を言われても大丈夫なので」
「すまん、いやな。理佐のことなんだが、いや、理佐の事というよりは理佐の事を轢いた人のことっていうか」
先生はすごい言葉を選んでいる。
「理佐を轢いた人なんだが、理佐と同じように即死だったんだ。病院に搬送されたが頭へのダメージがデカすぎてすぐに息をひきとったんだ。俺もこの前知ったんだが、その人その日子供が産まれて、病院に向かう途中だったみたいなんだ。なんだ、とても運が悪かったというかな」
その人の車が操作が効かなくなり電柱にぶつかったところまで全部見ていた。今でも目を瞑ればあのときの光景が目に浮かぶ。おそらく一生忘れない記憶だろう。
「どうしてそれを私に?」
「いや、お前もかなりの衝撃だったと思うんだが、理佐だけではなく轢いた人も家族がいて子供がいるって事を知って欲しくてな。辛いことかもしれないが、友達が亡くなるってのは。だけど、」
「つまり、友達を殺したその相手を恨むなって言いたいんですよね」
「いや、そこまでは言ってないんだ。だが、元々は理佐の飛び出しが原因で運悪くその運転手が轢いてしまい、そのまま車の頭から突っ込んでしまった。その日に奥さんは子供を出産してる。この近くの大誠大学病院で出産したみたいなんだ。来週から夏休みだろ。会いに行ってみたらどうだ?」
「私がその子にですか?会いに行ってどうするんですか。正直どんな言葉をかけていいか全くわかりませんよ」
「いや、それは俺もそうなんだが、会って話をするだけでも気持ちが変わるかと思ってな。俺も夏休みに入ってからでもその人の家に線香をあげに行こうかと考えてるんだ。それくらいしか俺らにできることってないだろ。余計なことなのかもしれないが、何もしないことの方が辛いんだ。理佐の自殺はいじめの苦によるものとして世間では片付けられている。でも、お前も知っているだろうが真実は世間が知っている内容とは違って家族が原因だった。理佐が虐待されていることを学校側は知らなかったのかとマスコミに指摘される前に早く謝罪して退くことを決めたんだよ。学校側は」
先生は一言一言噛み締めるようにゆっくり言う。その言葉は私に向けたというよりかは自分に言い聞かせるように言っているように感じた。邪魔してはいけない。無意識にそう思い、黙って話を聞いていた。
先生は言い終わって俯く。私の目を見ない、おそらく先生もこの事を私に言うのを悩んだんだと思う。
「先生が言いたいことはわかりました。でも、1つだけ教えて下さい。どうして、それを私に言おうと思ったんですか?」
「そ、それは」
先生は言葉を詰まらせる。その後に続く言葉を黙って待つ。
「それは、お前にそれを言わないといけないと思ったんだ。そして、お前もそれを聞いて行動しないといけないと思ったんだ。これは俺のただのエゴだ。強制じゃない。」
「先生って優しいんですね。他の先生みたいに自分のことだけ考えている先生とは違う」
先生は驚いて目を見張る。そこで初めて目が合った。
「え、どうしてだ?」
「考えてみますね。たぶん、すぐには行けないですし、行ったところで会えるかどうかは運ですしね。先生もいい夏休みにして下さい」
夏休みに入ってからすぐには先生から言われた大学病院には行けなかった。
覚悟が決まらないというのが正直なところだった。行くのが遅れれば遅れるほど会える確率は減るはず。
行くと決めて行くだけでも自分の成長になると思った。でも会わないと意味ないと思っている自分もいる。
行くと心に決めただけで十分!と自分に言い聞かせている自分のことを嫌でしょうがなかった。
実際に行くと決めたのは夏休みに入ってから4日が経ってた。
もうそこまで来たら、病院の場所は何にも見なくても行けるくらいになっていた。
意を決して。
その日はとても晴れた日だった。無駄に強い日差しが鬱陶しい。こういう日くらいは過ごしやすくてもいいだろ。何も本気出して夏をやらなくても。
かいている汗は暑さからくるものなのか、緊張から来るものなのか、わからない。いや、どちらともか。汗の種類が違う。病院までの周回バスに乗って、微かにエアコンが効いているバスの中でも体から汗が噴き出る。
大学病院についていざ目の前にすると、あまりの大きさに息を呑む。
色んな科が1つの建物に入っている為、様々な年齢層の人たちが病院に入っている。老若男女が出入りしている。
どこから入るのかと悩んでいたが、勢いよく私よりも少し歳下くらいに見える男の子2人組が出てきたので、すぐに入口が分かった。
中に入ると上に看板でなになに科と書かれている。私が行かないといけないのはおそらく産婦人科?
高校生の私が受付で産婦人科の場所を聞くのは気が引けた。変な誤解されるのも嫌だ。
看板を頼りに産院に辿り着いて広い待合所を見渡す。私が知っている情報はその人の名前だけ。顔は知らない。こんな状態で来る自体でおかしい。そんなことはわかっていた。会えるかは最初から運だったのだ。
見渡す待合所に白衣を着た女の人と話をしている幼い赤ちゃんを抱っこしている女の人が見えた。
直感であの人だと思った。声をかけてもし違ったら帰ろう。
そう自分に言い聞かせて意を決して話しかける。
「あ、あのすいません。田島さんですか?」
急に話しかけられて目の前の2人は驚いた顔をする。それはどっちの驚きだ?知らない人が自分の名前を言ったことか?知らない名前で話しかけられたからか?違うなら早く違うと言ってくれ。
「どちら様ですか?」
田島かもしれない女の人が言う。その目の周りは赤くなり、メイクが少し崩れていた。
「あ、あの私、誠愛高校の小鳥遊里奈っていいます。学校の前で起きた事故の事で話があって。田島さんであってますか?」
その女の人は更に驚いた顔をする。直感で目の前の人が理佐を轢いて亡くなった男の人の奥さんだということがわかった。腕に抱かれている赤ちゃんはその子供だということになる。心臓を握りつぶされるような感覚になる。
「そうです」
とても落ち着いた声。メイクは崩れているけどとても綺麗な顔な人。優しい人なんだろう思わず見惚れてしまった。
「あ、あの、あの時轢かれた女の子、私の友達だったんです」
「ちょっと!あなた、それを田島さんに言ってどうするの?」
横にいた白衣を着た女の人が声をあげる。思わずすごんでしまった。
「大丈夫です、先生。それはごめんなさい」
先生と言われた女の人は田島に止められた。
「いや、謝らないといけないのは私の方です。ニュースで報道されている自殺の理由は違うくて、本当はあの子、理佐は実の父親に暴力を振るわれていて、その日母親を殺されて」
うまく言えている気が全くしなかった。言いたいこと、言わなきゃことをそのまま口から出すことで精一杯だった。
「それを田島さんに言ってどうするの?気の毒だとは思うけど、そのせいで田島さんの旦那さんは亡くなってしまったのよ」
白衣の先生が今度は落ち着いた声で言う。
「あ、いや、その、私はその事を謝りに来たんです。私が理佐を止めることができれば、近くにいて全てを知っていながら私は理佐を救うことができなかった。理佐を救うことができれば田島さんの旦那さんも亡くなることもなかった」
自然と目から涙が溢れる。瞬きをすることすら忘れていた。渇きを目の涙が潤す。目に溜まった涙は押し出されるように頬を伝う。
田島が抱っこしてる赤ちゃんを先生に託し、座っていた椅子から立ち上がって私の目の前に立つ。
私よりもすこし背が高い。自然と見上げる形になった。両手を私の肩に置く。
「あなたがそれを謝る必要はないわ。あの時あなたの友達が道路に飛び出した時にたまたま陵くんの運転する車が通った。警察の話だと避けようとして反対車線にはみ出してコントロールを失って左の電柱に突っ込んだ。全て偶然の出来事。その子がそのタイミングで飛び出したのも。その子が死のうと決心した事が起きたことも。その時陵くんがそこを通ったのも。全て偶然。そういう運命だったのよ。それにいつまでも苦しんで悩んではいれない。この世界に残った私達は亡くなった人達の分まで生きないといけない。それが私達の使命よ。だから謝らないで。あなたも死んだ陵くんの為に、自殺したそのお友達の為に、幸せに生きて」
ゆっくりと一言一言噛み締めるように。それでいて力強く。私を一点で見つめている瞳からは強さを感じた。
田島の目からも涙が溢れる。大切な人を失って誰よりも悲しいのはこの人だ。
でも、この人はもう過去を振り返らず、しかし決して忘れず、それを力にして強く生きていく。
そういう力強さを感じた。
肩に置かれた手は細かく震えている。
私は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。正直ずっと、会いに来ようか迷っていたんです。私なんかが会いに来たって意味がない。私にできることなんて何もない。でも、こうやってお話しができてとても良かったです。本当に良かったです。私、強くなります。亡くなった理佐の分も」
もう一度頭を下げて、私は病院を出た。
来た時の空気と出た時の空気が違うように感じる。おそらく気のせいなのだが、私の感じ方が変わったのだろう。
今日はこんな晴れていたのか。
久しく空を見上げることなんてしてなかった。
人生これからもきっと大変なことがたくさん起こるだろう。
その時は今日のことを思い出して空を見上げよう。きっと晴れやかな気持ちになるはず。
全ては偶然の運命。
過去を変えることはできないが、現在と未来は自分の力で変えることができる。
「里奈ちゃん、今日の数学の宿題見せてよー」
私が朝、席に座ったのを見計ったかのようにあの子が飛んできた。
「たまには自分で宿題をやったら?それでも間に合わなかったら私のところにまた来て?そしたら見せてあげるから」
私は笑顔でそう答える。
その子は顔が歪み、わざと聞こえるように舌打ちをしながら私の前から消えた。
前の自分ならそのことが不安になってしまっていたが、今は違う。あの子にどう思われようがどうでもいいこと。こっちはしっかりと逃げ道も用意してあげている。
あの子は仲の良い友達の所に駆け寄り同じように宿題を見せて貰おうとしている。
もう私のところには来ないかもしれない。でも、それでいい。むしろ、それが普通のことだから。
「すごい、よく言ったね」
隣の席の子が私に話しかけてきた。
席が隣だからたまに話す程度の子。
「あの子いつもいろんな人に宿題を見せて、見せてってうるさかったのよね。小鳥遊さんがビシって言ってくれてせいせいしたわ」
私よりも前にあの子には理佐が言っている。その時はその空気に負けて結局私の方から宿題を見せた。
「あれが普通よ。あの子も自分で宿題をやれるようにならないと意味がないし。それと、里奈でいいよ」
これも、理佐が私に最初に言ったこと。
「ありがとう里奈ちゃん。なんかあの事故の後からすごい里奈ちゃん変わったね。いや、良い方にね。変に捉えないでね」
あの事故の現場に私がいたことはほとんどの生徒が知っている。その事で敬遠してくる子もいた。
「大丈夫、わかってるよ。理佐ちゃんが最後私に言ってくれたの。素直に生きなさいって。それが理佐ちゃんが残したかったことなのかなって」
「その言葉が里奈ちゃんが変わるきっかけだったんだね。ねぇ、今日のお昼一緒にお弁当食べない?いつも一緒の子も里奈ちゃんと仲良くなりたいって言ってるし」
前までの自分ならここで遠慮していたかもしれない。それは自分に自信がなかったから。今、自身がついた訳ではない。でも、その遠慮をすることが自分に最適な行動ではないってことを自分でもよく分かっていた。
「ほんと?ありがとう。嬉しい!」
こうやって笑顔で話せれるようになった。ちょっとずつでも変わっていけると。
来週から夏休みに入る。学校生活から離れるがまた再開したときに気持ちを切り替えてまた友達を作るところから始めよう。
その日の数学の授業が終わった後、先生に放課後屋上に来るように言われた。
「話ってなんですか?それにどうして屋上に?」
「あんまり他の人に聞かれたらまずい内容でな。いやな、お前が聞きなくないことだったら俺も言わない内容なんだが、聞きたいってなれば言う」
「そんな周りくどく言わないで下さい。何を言われても大丈夫なので」
「すまん、いやな。理佐のことなんだが、いや、理佐の事というよりは理佐の事を轢いた人のことっていうか」
先生はすごい言葉を選んでいる。
「理佐を轢いた人なんだが、理佐と同じように即死だったんだ。病院に搬送されたが頭へのダメージがデカすぎてすぐに息をひきとったんだ。俺もこの前知ったんだが、その人その日子供が産まれて、病院に向かう途中だったみたいなんだ。なんだ、とても運が悪かったというかな」
その人の車が操作が効かなくなり電柱にぶつかったところまで全部見ていた。今でも目を瞑ればあのときの光景が目に浮かぶ。おそらく一生忘れない記憶だろう。
「どうしてそれを私に?」
「いや、お前もかなりの衝撃だったと思うんだが、理佐だけではなく轢いた人も家族がいて子供がいるって事を知って欲しくてな。辛いことかもしれないが、友達が亡くなるってのは。だけど、」
「つまり、友達を殺したその相手を恨むなって言いたいんですよね」
「いや、そこまでは言ってないんだ。だが、元々は理佐の飛び出しが原因で運悪くその運転手が轢いてしまい、そのまま車の頭から突っ込んでしまった。その日に奥さんは子供を出産してる。この近くの大誠大学病院で出産したみたいなんだ。来週から夏休みだろ。会いに行ってみたらどうだ?」
「私がその子にですか?会いに行ってどうするんですか。正直どんな言葉をかけていいか全くわかりませんよ」
「いや、それは俺もそうなんだが、会って話をするだけでも気持ちが変わるかと思ってな。俺も夏休みに入ってからでもその人の家に線香をあげに行こうかと考えてるんだ。それくらいしか俺らにできることってないだろ。余計なことなのかもしれないが、何もしないことの方が辛いんだ。理佐の自殺はいじめの苦によるものとして世間では片付けられている。でも、お前も知っているだろうが真実は世間が知っている内容とは違って家族が原因だった。理佐が虐待されていることを学校側は知らなかったのかとマスコミに指摘される前に早く謝罪して退くことを決めたんだよ。学校側は」
先生は一言一言噛み締めるようにゆっくり言う。その言葉は私に向けたというよりかは自分に言い聞かせるように言っているように感じた。邪魔してはいけない。無意識にそう思い、黙って話を聞いていた。
先生は言い終わって俯く。私の目を見ない、おそらく先生もこの事を私に言うのを悩んだんだと思う。
「先生が言いたいことはわかりました。でも、1つだけ教えて下さい。どうして、それを私に言おうと思ったんですか?」
「そ、それは」
先生は言葉を詰まらせる。その後に続く言葉を黙って待つ。
「それは、お前にそれを言わないといけないと思ったんだ。そして、お前もそれを聞いて行動しないといけないと思ったんだ。これは俺のただのエゴだ。強制じゃない。」
「先生って優しいんですね。他の先生みたいに自分のことだけ考えている先生とは違う」
先生は驚いて目を見張る。そこで初めて目が合った。
「え、どうしてだ?」
「考えてみますね。たぶん、すぐには行けないですし、行ったところで会えるかどうかは運ですしね。先生もいい夏休みにして下さい」
夏休みに入ってからすぐには先生から言われた大学病院には行けなかった。
覚悟が決まらないというのが正直なところだった。行くのが遅れれば遅れるほど会える確率は減るはず。
行くと決めて行くだけでも自分の成長になると思った。でも会わないと意味ないと思っている自分もいる。
行くと心に決めただけで十分!と自分に言い聞かせている自分のことを嫌でしょうがなかった。
実際に行くと決めたのは夏休みに入ってから4日が経ってた。
もうそこまで来たら、病院の場所は何にも見なくても行けるくらいになっていた。
意を決して。
その日はとても晴れた日だった。無駄に強い日差しが鬱陶しい。こういう日くらいは過ごしやすくてもいいだろ。何も本気出して夏をやらなくても。
かいている汗は暑さからくるものなのか、緊張から来るものなのか、わからない。いや、どちらともか。汗の種類が違う。病院までの周回バスに乗って、微かにエアコンが効いているバスの中でも体から汗が噴き出る。
大学病院についていざ目の前にすると、あまりの大きさに息を呑む。
色んな科が1つの建物に入っている為、様々な年齢層の人たちが病院に入っている。老若男女が出入りしている。
どこから入るのかと悩んでいたが、勢いよく私よりも少し歳下くらいに見える男の子2人組が出てきたので、すぐに入口が分かった。
中に入ると上に看板でなになに科と書かれている。私が行かないといけないのはおそらく産婦人科?
高校生の私が受付で産婦人科の場所を聞くのは気が引けた。変な誤解されるのも嫌だ。
看板を頼りに産院に辿り着いて広い待合所を見渡す。私が知っている情報はその人の名前だけ。顔は知らない。こんな状態で来る自体でおかしい。そんなことはわかっていた。会えるかは最初から運だったのだ。
見渡す待合所に白衣を着た女の人と話をしている幼い赤ちゃんを抱っこしている女の人が見えた。
直感であの人だと思った。声をかけてもし違ったら帰ろう。
そう自分に言い聞かせて意を決して話しかける。
「あ、あのすいません。田島さんですか?」
急に話しかけられて目の前の2人は驚いた顔をする。それはどっちの驚きだ?知らない人が自分の名前を言ったことか?知らない名前で話しかけられたからか?違うなら早く違うと言ってくれ。
「どちら様ですか?」
田島かもしれない女の人が言う。その目の周りは赤くなり、メイクが少し崩れていた。
「あ、あの私、誠愛高校の小鳥遊里奈っていいます。学校の前で起きた事故の事で話があって。田島さんであってますか?」
その女の人は更に驚いた顔をする。直感で目の前の人が理佐を轢いて亡くなった男の人の奥さんだということがわかった。腕に抱かれている赤ちゃんはその子供だということになる。心臓を握りつぶされるような感覚になる。
「そうです」
とても落ち着いた声。メイクは崩れているけどとても綺麗な顔な人。優しい人なんだろう思わず見惚れてしまった。
「あ、あの、あの時轢かれた女の子、私の友達だったんです」
「ちょっと!あなた、それを田島さんに言ってどうするの?」
横にいた白衣を着た女の人が声をあげる。思わずすごんでしまった。
「大丈夫です、先生。それはごめんなさい」
先生と言われた女の人は田島に止められた。
「いや、謝らないといけないのは私の方です。ニュースで報道されている自殺の理由は違うくて、本当はあの子、理佐は実の父親に暴力を振るわれていて、その日母親を殺されて」
うまく言えている気が全くしなかった。言いたいこと、言わなきゃことをそのまま口から出すことで精一杯だった。
「それを田島さんに言ってどうするの?気の毒だとは思うけど、そのせいで田島さんの旦那さんは亡くなってしまったのよ」
白衣の先生が今度は落ち着いた声で言う。
「あ、いや、その、私はその事を謝りに来たんです。私が理佐を止めることができれば、近くにいて全てを知っていながら私は理佐を救うことができなかった。理佐を救うことができれば田島さんの旦那さんも亡くなることもなかった」
自然と目から涙が溢れる。瞬きをすることすら忘れていた。渇きを目の涙が潤す。目に溜まった涙は押し出されるように頬を伝う。
田島が抱っこしてる赤ちゃんを先生に託し、座っていた椅子から立ち上がって私の目の前に立つ。
私よりもすこし背が高い。自然と見上げる形になった。両手を私の肩に置く。
「あなたがそれを謝る必要はないわ。あの時あなたの友達が道路に飛び出した時にたまたま陵くんの運転する車が通った。警察の話だと避けようとして反対車線にはみ出してコントロールを失って左の電柱に突っ込んだ。全て偶然の出来事。その子がそのタイミングで飛び出したのも。その子が死のうと決心した事が起きたことも。その時陵くんがそこを通ったのも。全て偶然。そういう運命だったのよ。それにいつまでも苦しんで悩んではいれない。この世界に残った私達は亡くなった人達の分まで生きないといけない。それが私達の使命よ。だから謝らないで。あなたも死んだ陵くんの為に、自殺したそのお友達の為に、幸せに生きて」
ゆっくりと一言一言噛み締めるように。それでいて力強く。私を一点で見つめている瞳からは強さを感じた。
田島の目からも涙が溢れる。大切な人を失って誰よりも悲しいのはこの人だ。
でも、この人はもう過去を振り返らず、しかし決して忘れず、それを力にして強く生きていく。
そういう力強さを感じた。
肩に置かれた手は細かく震えている。
私は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。正直ずっと、会いに来ようか迷っていたんです。私なんかが会いに来たって意味がない。私にできることなんて何もない。でも、こうやってお話しができてとても良かったです。本当に良かったです。私、強くなります。亡くなった理佐の分も」
もう一度頭を下げて、私は病院を出た。
来た時の空気と出た時の空気が違うように感じる。おそらく気のせいなのだが、私の感じ方が変わったのだろう。
今日はこんな晴れていたのか。
久しく空を見上げることなんてしてなかった。
人生これからもきっと大変なことがたくさん起こるだろう。
その時は今日のことを思い出して空を見上げよう。きっと晴れやかな気持ちになるはず。
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