常世に捧ぐゲニタリア

きのこいもむし

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『蜂』

15、三日~七日目

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 脚立や使っていない家具を収納していた二畳ほどの納戸を片付け、そこに布団を運び込んで寝床として使わせてもらえることになった。
 養蜂場は大紫麻邸、翠蛾家方面に続く石畳の道よりも更に山側の、かなり奥まった場所にあるらしい。
 他の蜂宿たちとローテーションを組みながら、今の時期だと蜂が餓死様子をチェックしたり、あとはスズメバチ対策にネットを設置したり、熊よけの罠の点検なんかも彼らの仕事のうちだそうだ。
 当たり前だが俺みたいな素人の部外者が手伝えるようなことは何もない。
 そりゃそうだ、よそ者なんかに大事な蜜蜂を任せて何かあったらたまったもんじゃないもんな。
 でもお世話になっている身の上なので、何か出来る範囲で手伝いがしたいと申し出たら、

「それならひとつ、朝陽くんに是非お願いしたいことがあるんだ」

 にこやかにそう言って、スガレさんは俺を蜂宿邸から少し離れた位置に建つ土蔵の前に連れてきた。

「ここって……」

 最初にこの村に来た日に、スガリと出会った場所だ。
 スガレさんは土蔵を封じていた突き出し錠を解錠し、下戸を開く。
 真っ暗な土蔵の床の中央には、格子窓から射す真っ白い採光がそのままの形でくっきりと浮かんでいた。
 よく目を凝らしてみると、小さな行灯を乗せた文机に衣装箪笥、それと三つ折りに畳まれた布団なんかが部屋の角に寄せられている。
 その文机の前には、藍地に白い六角模様の寝間着浴衣姿の少年が。
 綿がよく詰まった高級そうな座布団の上に、彼はちょこんと正座していた。

「スガリ、いい子にしていたかい?」

 スガレさんの柔らかい声に反応して、白髪赤目の少年がくるりとこちらを振り返る。
 そして、

「にいさん」

 白椿が綻ぶような笑顔で、スガリは兄を出迎えた。
 立ち上がった彼は、ひょこひょこと左足を引きずるようにこちらへやって来る。
 スガレさんは両手を広げて弟を抱き上げ、かいぐるように頭を撫でたくって笑い合っていた。

「ほらスガリ、朝陽くんが遊びに来てくれたよ」

「ちょーの」

 スガレさんに促されて、スガリはこちらにも両手を伸ばして抱きついてくる。

「わわっ」

 足が悪い彼が倒れてしまわないよう、俺は慌てて彼の身体をしっかり抱き留めた。
 ぺたっと無邪気にくっついてくるスガリの白い頬は水まんじゅうみたいに冷たくて触感がいい。
 そんな俺たちの傍らで、スガレさんは目を細めて満足そうに何度も頷いていた。

「ああ、良かった。やっぱり思った通り、朝陽くんにならスガリも懐いてくれると思っていたんだ」

「ど、どういうことですか?」

「頼みというのは他でもないこの子のことだ。朝陽くんには、日中私がいない間にこの子の話し相手になってやってほしいんだ」

 蜂宿スガリについて。
 歳は俺と同じ十八歳、彼は生まれつき足が悪く、言葉が拙くて平均よりも成長がかなり遅れている。
 兄の蜂宿スガレとは腹違いの弟だそうだ。
 翠蛾村の蜂宿と喜母から産まれた子で、兄同様にスガリもまた蜂宿の恩恵を受け継いでいる。
 蜂宿とは、喜母に卵を植え付け子を遺すという村の父たる役目を定められた存在だ。
 そのため蜂宿の人間は翠蛾村の外へ出ることを頑く禁じられ、産まれた時から死ぬ時まで、蜂宿は蜂宿として翠蛾村の父として生きることが決まっている。
 そんな中、スガリは父となるには無垢で愚かで、何より遺伝的に『弱い』生き物だった。
 弱い生き物を父として受け入れることを、村は厳しく拒み許さなかった。
 村から出られない蜂宿には、彼を村の外に連れ出すことすら叶わない。
 だから彼は隔離児として、土蔵でこの歳になるまで隠されて育つしかなかった哀れな子なのだと。

「蜂宿は蜂宿でも、この子は穴蔵の中でしか生きられない蜂なのさ」

 そうスガレさんは語る。
 ……この村の人間たちは、俺の人権なんかまるで初めからないもののようにして踏みにじってきた連中だ。
 遺伝的な負荷を持つスガリが彼らからどんな胸糞の悪い扱いを受けてきたか、簡単に想像できてしまう。

「理解力はあるんだ。感情だってはっきり表に出せる。ただ言葉だけはいつまでたっても幼児の時のままでね。私や珠沙人以外の人間と会話する機会が殆んどないから、村の外から来た朝陽くんが話し相手になってくれるとこの子にとっていい刺激になるんじゃないかと思って」

「なるほど、わかりました。俺でよければ」

 こうして、俺は蜂宿邸に滞在している殆んどの時間をスガリと過ごすことになった。

「ちょーの」

「歳はタメなんだし、朝陽でいいよ。あ、さ、ひ」

「あさひー?」

「そうそう」

「あさひっ、あさひ」

「おっとっ!」

 スガリはかなりの甘えん坊だった。
 俺より小柄とはいえ、十八歳の男子が全力で抱きついてくると結構ずしんと体幹にクる。

「もー、いきなり飛びかかってきたら危ないだろ。お前結構力強いんだから」

「ふふふ、あさひ、あさひ」

 でも、そういうところも悪くないなと思った。
 この村に来てからというものの、他人の悪意に晒されて俺はすっかり周りが敵ばかりに見えるようになっていた。
 大紫麻や翠蛾の連中はもちろん、秦巡査だってスガレさんへの態度を見る限り村の手先の可能性が高いと思ってるし、スガレさんのことだってまだ心のどこかで信用しきれていない。
 そんな中、スガリだけはいつでも無邪気であどけなくて裏表がなかった。
 素直に懐いてくれる姿が尻尾を振ってる子犬みたいで癒されるし、正直可愛いなって思ってる。
 この村の中で、唯一信じられるのはスガリだけだ。
 それに、俺は実の弟の小宵に対して兄らしいことを何もしてやれなかった。
 その悔いを、スガリの世話を焼くことで払拭できたらなって、そんな風に思ってる部分もちょっとあるのかも。


 日中はスガレさんも珠沙人も仕事に出てるので、スガリはこれまで外鍵をつけた土蔵で、朝から晩までひとりでお絵描きや折り紙をしながら毎日を過ごしていたそうだ。
 俺もそれに付き合ったり、スマホで一緒に音楽を聞いたりした。
 蜂宿邸には何故かテレビやラジオの類いが一切なくて、そのせいかスガリは動く液晶を見ては頻りに首を傾げ、頭の上に疑問符ばかりを散りばめていた。
 もっと面白い動画とか用意しとけば良かった。
 ネットさえ繋がれば映画とか観させてあげられたのに、残念だ。
 あと、俺が付き添っている間なら土蔵から外出しても構わないとスガレさんに許可を貰ってるので、家の近くを散歩したりもした。
 やっぱりずっと閉じ込められてるのは可哀想だもんな。
 あまり遠くへは連れてってやれないけど、明るい時間に出歩いたことが殆んどなかったのか、スガリは赤い目を輝かせてあちこちに行きたがり、花や石、その辺のダンゴムシなんかに興味津々だった。
 昼間に蜂宿邸の周りを歩いていると、養蜂場の方からやって来ているのか蜜蜂をよく見掛けた。
 橘の花の香りに誘われた蜜蜂たちが、あちこちせわしなく蜜を調達して回る姿を見ていると、「でもこいつら、折角集めた蜂蜜を人間たちに横取りされちゃうんだよなぁ」と、なんだか現代社会のサラリーマンたちが薄給で上層部にこきつかわれてる姿を重ね見てしまうな。

「あさひっ」

「ん、どうした?何か見つけたか?」

 地べたに座り込んだスガリを屈んで後ろから覗き込むと、地面から摘んだらしきペンペン草を耳の横に挿された。
 男の頭に花が生えてる様子を見て、スガリはパアッと満足そうに笑う。
 か、可愛いッ。可愛いんだけど……

「お花さんが可哀想だから、摘むのはやめてあげような」

「???」

 スガリと過ごす時間は本当にのどかで、一緒にいると気持ちが安らぐ。
 そのせいか俺は、ここが味方のいない陸の孤島なんだってことを忘れてしまって、すっかり油断してしまっていたんだ。

「うぉ、マジでいた。結構可愛い系じゃん」

「な?言ったろ。スガリさんが新しい喜母を連れてきてるって」

 スガリと外を歩いている時に、スガレさん以外の蜂宿と遭遇してしまったのだ。
 そのふたり組みの男たちの顔には見覚えがあって……情けない話だが、思考も身体もフリーズして俺はその場で動けなくなった。

「あれっ?どうしたの?おーい」

「具合悪い?あっちの木陰で一緒に休もうか」

「────きっっ、」

 腕を掴まれた瞬間、ビビビ!と凄まじい嫌悪感が全身に駆け巡る。
 悲鳴を上げようとしたのに、喉がきゅうと細まって肝心な時に限って声が出せない。
 そのまま男たちに引っ張られそうになった俺を助けようと、前に立ちはだかったのはスガリだった。

「だめっ、あさひ、だめ!めっ!」

「あ?なんだこいつ」

「あれじゃね?スガレさんが匿ってる土蔵の忌み子の」

「ああ、確かあのひとの親父さんがキンシンで孕ませたっていう、あの」

 スガリは自分よりもガタイの大きな男たちに向かって両手をいっぱいに広げ、震えて怯える俺をあいつらから隠そうとしてくれている。
 同い年とはいえ俺よりも身体が小さいのに、そんなスガリの姿に俺の胸には熱いものが込み上げていた。

「悪いなー、俺たちこのお兄ちゃんに話があるんだ。お前は先に土蔵に帰って待っててくれよ」

「おいやめとけって。こいつ頭がちょっとアレらしいから、どうせ通じねえよ」

 男たちはスガリのことを嘲笑うが、スガリは一歩も怯まない。
 それを疎ましく思ったのか、男のひとりがスガリの肩に手を掛けた。

「スガリ!」

「……やっ!これ、すがりの! めっ!めっ!」

「うわ、暴れるなって。別に何もしねえよ。土蔵に連れて帰ってやるだけだから」

 うんざりした口調でそう言って、男はいとも容易く小柄なスガリを拘束してしまった。
 スガリを助けなきゃって思うのに、足がすくんで動けない。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

「こんなところで何をしているのかな?」

「あ……!」

 パニックになりかけていた俺の前に現れたのは、いつものようににこやかな笑みを湛えたスガレさんだった。
 スガレさんが俺の腕を掴む男とスガリを拘束する男を見比べる。
 その口元に浮かんでいるのはいつも通りの形の微笑みだったけど、俺にはそれが獰猛な肉食獣の威嚇の表情に思えてならなかった。
 焦ったように先に口を開いたのは、俺の手を掴んでいる男だ。

「っ、あんたの弟が珍しく外を歩いてるのが見えたから、好意で土蔵まで送ってやろうと思っただけだ。危害を加えようだなんて思っちゃいない」

「そうだったのか。それは親切にどうもありがとう。君たちは今日は非番だろう?弟のことはそこの彼に一任してあるから、ふたりのことは気にせずどうぞ良い休日を過ごしてくれ」

 口調こそ優しいが、有無を言わせぬという凄みが感じられる。
 俺ならこんな風に圧力掛けられたら、その時点で相手に逆らえなくなってたところだ。
 だが男たちはこれに大人しく引き下がらず、むしろ逆に語調を強めてスガレさんに詰め寄った。

「そこにいるの、喜母でしょう?あんたにはもう珠沙人さんがいるってのに俺たちに黙ってもうひとり囲うなんて、そいつはちょっとやり口が姑息なんじゃないか?」

「確かに彼は喜母だが、大学の夏休み中に帰省しているだけだ。バス道の復旧が終わり次第村を出ていく人間だ。君たちの運命の相手にはならないよ」

「はっ!よく言うよ。珠沙人さんの時だって、あんたが無理やり」

「おい、やめとけって」

 もうひとりに諌められて男は口をつぐむ。
 いつの間にか、スガレさんの顔から笑みが消えていた。
 整った彫りの深い顔立ちが真顔になると彫刻みたいな無機質さがあって、見ていると何故か二の腕が鳥肌が立つ。
 しんと辺りを嫌な静寂が包んでいた。
 重苦しい沈黙を押し付けてきたのはスガレさん本人に他ならないが、この沈黙を破ったのもまたスガレさんの咳払いだった。
 男たちはお互い気まずそうにしていたが、どちらともなく「もう行こうぜ」と肩を叩いてその場を立ち去っていく。
 ひとまず目の前の脅威が去ってくれて、俺は脱力感で地面にへたり込んでしまった。
 そんな俺の首に、スガリがぎゅっとしがみついてくる。

「平気かい?蜂宿たちにはしばらくうちの敷地内には入らないよう事前に通告していたんだが、どうにも若者は好奇心が強いみたいで」

「お、俺は大丈夫です。……スガリが守ってくれたので」

 スガリがニコッと歯を見せて笑うので、俺は感謝の意を込めて彼の白い髪を撫でてやる。
 そんな俺たちの様子にスガレさんは一瞬面食らったように目を見開き、それから「そうか……!スガリが……!」と高揚を隠しきれないとびっきりの破顔一笑を見せた。

「あ、いや、違った。そうではなくて、怖い思いをさせてしまってすまなかったね朝陽くん」

「いえ……」

 前の時間軸で俺が彼らから陵辱を受けたことは誰にも言ってない。
 でもこんな風に謝られるってことは、蜂宿にとっても喜母は『そう』扱ってもいい存在なんだ。
 あのまま蜂宿の男たちに掴まっていたら、やっぱり前回と同じ結果を迎えていたのかもしれないな。

「彼らにも決して悪気があったわけではないことはわかってあげてほしい。どうしてもこの村に根付いた権力構造がそうさせるんだ」

 蜂宿の役割について。
 翠蛾村には大紫麻、翠蛾、蜂宿、の御三家の間に複雑な上下関係が存在している。
 まず何より一番大事にされるべきは、生け贄の家系である大紫麻だ。
 大紫麻として生まれた人間はその血肉を死ぬまで村に捧げ、その特性こそ遺伝はされないが、大紫麻の血縁者は村での権力の維持のために生け贄の延命に全力を注ぐ。
 翠蛾と翠蛾でない不信心者は共に大紫麻に尽くし、ひたすら働くことが役目だ。
 また、毒持ちの翠蛾は村の外に出て喜母を誘惑し、村に連れてくる役割も担っている。
 蜂宿は喜母に卵を植え付けることが役目だ。
 直系の子、主に大紫麻か喜母の子を遺すことが望ましいとされた。
 村に大紫麻を増やすには蜂宿と喜母が子を成すか、もしくは不信心者が後天的に恩恵を獲得するかのどちらかしか方法はない。
 そのため彼らは翠蛾よりも大事にされているが、扱い自体は種馬そのものだ。
 他の二家と違って村の外に出ることは許されず、喜母に卵を植え付けるためだけに村の中で一生を終えることを定められている。
 この権力構造が出来上がった当時、村で権力の大部分を握っていた大紫麻は、大紫麻同士で掛け合わせても大紫麻が産まれないことが不都合だった。
 そこで村で産まれた蜂宿と喜母をどんどん掛け合わせ子を産ませることにした。
そのために自分たちの血肉は惜しみ無く差し出したし、翠蛾を外に出して喜母を連れてこさせた。
 喜母以外の人肉食が廃れてもこの状態を続けたのは、信仰のためというよりも、大紫麻主体の村の権力体制を守るためだった。
 しかし近年、この体制が崩れ始めている。

「簡単な話さ。村の大紫麻が激減したんだ」

 権力を握っていた大紫麻が減り、代わりに戦後から養蜂業を立ち上げ始めたスガレの曾祖父の代から蜂宿の権力が強くなり始めた。
 それまで家畜の交配のように子を作ることを強いられていた喜母の管理は、大紫麻から蜂宿主体へと切り替わっていく。

「とはいっても、人口はまだまだ翠蛾の方がずっと多くて蜂宿は若い人間ばかりだから、大紫麻の力が強い部分も多いんだけどね」

 お年寄りは信心深いからどうしても昔のやり方に固執しがちになるのだと、スガレさんは肩を竦めた。

「私はね、大紫麻が喜母を管理している時代のことをよく思っていないんだ。産めよ増やせよとばかりに複数の蜂宿がひとりの喜母によってたかって卵を産み付けるなんて、あまりに野蛮だ。子どもの誕生というものは、もっとひととひととが愛し合って、神の名の下に祝福されながら行われるもののはずなんだ!」

 しっかりと拳を握って力説するスガレさん。

「一生にただひとりだけを愛し、その相手だけと愛の結晶を結ぶことこそが何よりも素晴らしいんだ!……この思想を他の蜂宿の者とも共有したいんだが、見ての通り私の力不足でなかなかわかってもらえなくて。だがそれでも、私とパートナーの珠沙人の関係を公表することで、少しでも彼らの意識に変化をもたすことができたらって。そんな風に思っているんだ」

 少し照れたようにはにかみ、それからスガレさんは俺の肩にべったり身を預けているスガリに視線をやる。
 弟を見詰めるその目には、いつもの温かい熱が込められている。
 思えば、スガレさんのスガリに対する愛情はいつだってまっすぐで疑いようのないものだった。

「今は辛うじて大紫麻家が実権の多くを握っているが、それも間もなく終わるだろう。現当主の大紫麻立羽が逝去すれば大紫麻の系譜は完全に断たれる。そうなれば、これまで村外不出の身だった蜂宿も自由に村の外へ出れるようになる。スガリだって、いつまでも生まれを恥じて穴蔵の蜂でい続ける必要はなくなるんだ」

 もしかしたら、スガレさんは本気で蜂宿と喜母の在り方を正し、この狂った村を根底から変えてくれるのかもしれない。
 理想を語る彼の姿には後光すら射して見えてしまって、俺はそう思わずにはいられなかった。
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