常世に捧ぐゲニタリア

きのこいもむし

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『蜂』

14、二日目②

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 珠沙人さんの姓はクボではなく、本当は笹根ささがねというそうだ。
 というかそもそも、『大紫麻』『翠蛾』『蜂宿』とは違い、クボは苗字ではないらしい。

「クボは漢字で『喜母』と書き、アシナガクモのことを差す漢語由来の古語のことだ。旅人の服についた蜘蛛のことを慶事の予兆としてそう呼んだという俗信が訛って伝わり、道教と共にこの村で定着したのではないかという説がある。『喜』ぶ『母』だなんて、なかなか皮肉が聞いてる呼び名だろ?」

 そう言って、テーブルの向かいに座る珠沙人さんは口の端を片方だけ吊り上げた。
 聞けば珠沙人さんは翠蛾村の出身ではなく、元は北大阪に拠点を置いていたが、今から二年ほど前にこちらに移住してきたそうだ。

「珠沙人は以前フリーのライターをしていてね。オカルト系の雑誌で記事を書いていたことがあるそうで、そういった類いの話に詳しいんだ。彼が取材で翠蛾村に纏わる土着信仰を調べに来たことが切っ掛けで、私たちは知り合うことができたのさ」

 珠沙人さんの隣を陣取ったスガレさんは、自分たちのなれ初めを思い出しているのかうっとりと恍惚の表情を浮かべている。

「信仰って、その、人食いの?」

「なんだ、もうそこまで調べはついてるのか。じゃあ話は早いな」

 感心したように目を見張る珠沙人さん。
 ……時間が巻き戻ったってこと、多分言っても信じてもらえないんだろうな。

「知っての通り、翠蛾村は人肉食を行っていた人間たちの末裔の村だ。食人行為そのものを信仰として『トコヨさま』と呼ばれる土着の神に捧げ続けてきた。大紫麻も翠蛾も蜂宿も喜母も、全員漏れなく人食いの子孫だよ。中でも特に喜母は食人に対する渇望が大きい傾向があって、身体の作りもそのように特化している。至上の肉である大紫麻を身体に取り込み、性別問わず蜂宿と交わり子を宿して産み落とす。昔はそれが喜母のこの村における特別な役目だったんだ」

 俺は膝の上に置いた拳をギュッと握る。
 笹根珠沙人さん。
 俺と同じで、このひとも村の外からやって来た喜母なのだという。
 このひとの話を聞けば、この人肉食に対するどうにもならないような衝動をなんとかできるかも。
 そんな俺の期待は、彼の回答でものの見事に裏切られてしまう。

「可哀想だけど、自分が喜母だと自覚した時点でもうどうにもならないな。食人への渇望は死ぬまで消えないものだ」

「そんな……!どうにかならないんですか?」

「ならないね」

 言い切る口調には迷いすらない。
 隣のスガレさんが甲斐甲斐しくパウンドケーキを切り分け、フォークで珠沙人さんの口に運ぶ。
 それをひとくち咀嚼してから、彼は少し後ろめたそうに話を続けた。

「……でもまあ、別に絶対に人間を食べないと死ぬってわけでもないから。できる対策といえば、我慢が続くようになるべく空腹でいる時間を避けることと、あとは大紫麻と翠蛾の人間にはできるだけ近寄らないことかな。現代人が文化的な生活をしてて誰彼構わず噛みつきたくなるほどの飢餓はよっぽどのことがないと起きないだろうけど、あいつらだけは、どうしたって匂いで喜母を誘引する生き物だから」

 そうだ、大紫麻だけじゃなくて、翠蛾テフやその周囲の老人たちからも空っぽの胃袋を刺激するようなすごくいい匂いがしていた。
 喜母にとっては、大紫麻だけじゃなくて翠蛾も捕食対象なのか?

「大紫麻は至上の肉だが、よく似た匂いを持つ翠蛾は毒だ。うっかり齧りつきでもしたら、毒が回ってその場で喜母は死ぬぞ」

「毒?でもこの村じゃ、姓のない不信心者以外の村人は全員人毒に耐性があるんじゃ?」

「翠蛾の毒は人毒とは別の、喜母にだけ効く特別な死毒だ。大紫麻や蜂宿が翠蛾の血肉を食べたところで死には至らない。しかも現行の医療技術じゃ検出できない未知の毒成分だから、喜母の遺体を検死しても死因がわからなくて結局突然死扱いされる」

 もうひとくち、運ばれたケーキを小さな口で上品に食べる。
 舌で溶かして飲み込んでから、珠沙人さんはふっと疲れたような笑い方をした。

「……至上の肉を味わえる味覚を得た代償に、好き勝手に食い散らかさないようにってトコヨさまとやらに戒められているのかもな」

 珠沙人さん曰く、大紫麻と翠蛾はどちらも同じくらい喜母を惹き付ける性質を持つため、翠蛾の恩恵を得た人間は進学や就職などで村の外に出ることが許されているそうだ。
 但し、その扱い的には大紫麻の家族よりやや下くらいらしい。
 翠蛾たちは若く美しくいられる間に村の外で喜母を探し、結婚などの契約で縛ってうまく村に連れ帰る役割を持つそうだ。
 当然、連れ帰った喜母は蜂宿の元に連れていかれ、そのまま卵床にされる運命なのだそうだが。

「いや、それってなんかおかしくないですか?そもそも、なんで俺や珠沙人さんみたいな翠蛾村出身でもない外部の人間が喜母になるんだよ。人肉食は翠蛾村の中で行われていた風習だ。それで、蜂宿と喜母の間に産まれた子以外には食人耐性は遺伝しないんだろ?だったら村の外で喜母が見つかるのは変じゃないか」

「なんだ、そんなこと」

 紅茶で唇を潤してから「簡単なことだ」と珠沙人さんは言う。

「かつて飢饉で人食いをしたのは翠蛾村に限った話ではないってことだ」

 どういうことかと視線で問うと、彼は切れ長の目をさらに細めた。

「お前が知らないだけで、世の中には意外と多くの人食いがひっそり社会に紛れ込んでいるということだ。特に飛鳥時代末期頃は、駿河国を中心に民衆の間では常世神信仰が異様なまでに流行っていたからな」

「……トコヨガミ?それって、この村の『トコヨさま』のこと?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」 

 首を傾げる俺に、珠沙人さんは要約して説明してくれる。
 皇極天皇三年、西暦でいうところの644年頃、教祖である大生部多おおふべのおおによって広められた民間宗教について日本書紀に記されている。
 非時香菓ときじくのかぐのこのみ──つまり橘の葉の上に見られる蚕に似た緑色の親指ほどの毛虫を常世神として祀り、この神を祀ると富と長寿が授けられ、貧者は裕福になり、老人は若返ると説かれていたそうだ。
 具体的な信仰方法は、芋虫を戴いた祭壇を囲んで男女が宴をし、富を得るために自らの財産を寄進、廃棄するというごくごく簡単なもの。
 私財を擲つものが後を絶たず損害が大きかったため、当時の渡来人の豪族によって教祖は討ち取られ、常世神信仰は人心を惑わす邪教として滅ぼされたという。

「それも元は道教由来の信仰だったそうだからな。似たような教えが巡りめぐって派生形で他の土地に伝わっていたとしてもおかしくはない。翠蛾村のように救いを求めて正体不明の邪神に祈った村はさぞ多かったことだろう。ここでは人食いのことを定義上、大紫麻、翠蛾、蜂宿、喜母と呼んでいるが、よそでは別の呼ばれ方をしているかもしれないな」

 なるほど、派生して伝わった神さまだから、元になったものとはまた別のものなんだ。
 ……待てよ、それじゃあ何か?
 運良く翠蛾村から逃げられたとしても、この先また大紫や翠蛾に相当する相手と遭遇してしまうかもしれないってことなのか?

「そ、そんな……!」

 逃げてもどこにも逃げ場がないなんて……!
 がっくりと項垂れる俺を励ますように、苦笑いのスガレさんがカステラを勧めてくれる。
 

 ふたりに話を聞きながら水とカステラで空腹を凌いでいると、出し抜けに『カランカラン』とドアベルが鳴った。
 続けざまに、やや乱暴なノックが響く。

「すいませーん、駐在所の秦でェーす。こちらに翠蛾テフさんのお宅の蝶野朝陽くんいらっしゃってませんかー?おうちの方に頼まれて、お迎えに来たんスけどー」

 警察の来訪に、俺は自分の身体がビクッと強張るのを感じていた。
 怯えている俺の気配を察したのか、ふたりは一度顔を見合せ、それから「私が出よう」とスガレさんが席から立ち上がる。

「どうも、秦巡査。お仕事ご苦労さまです」

「どうもー蜂宿さん。朝陽くん、来てますよね?おばあさんが心配してるんで、早く連れ帰ってあげたいんスけど」

「朝陽くんは養蜂の仕事に興味があるみたいでね。是非仕事を見学させてほしいとのことだ。今夜はうちに泊まる予定なので、君の口からおばあさまに心配はいらないと伝えてはいただけないだろうか」

「……いいからガキを出せっつってんだろ」

 はじめこそ表面上の物腰だけは丁寧だった秦巡査が、焦れたような低い声でスガレさんを威圧をかけてきた。
 警察らしからぬ脅しの態度にも、スガレさんに動じた様子はない。

「朝陽くんは十八歳の立派な成人だ。既に親の保護義務対象ではない。彼は自分の意思でここにいるのだから、警察である君には、それを強制的に連れ帰る権限はないんじゃないかな?」

「……」

 玄関から伝わってくる剣呑な雰囲気に呼吸が浅くなる俺の背を、いつの間にか後ろに回ってくれていた珠沙人さんが擦ってくれていた。
 どれぐらい重い沈黙が続いただろうか。
 やがて、「チッ!」と秦巡査の舌打ちが聞こえた。

「胡散臭せェ偽善者野郎が。いつか必ずお前の化けの皮を剥いでやるからな」

「皮なんか被ってるつもりはないんだが……。警察の仕事は疑うことだろうからね。君が職業病の疑心暗鬼に苛まれている姿を見ると、いつも力になってやれなくて歯痒く思うよ」

 因縁の宿敵のように睨み合み合うふたり。
 先に視線を放棄したのは秦巡査だった。
 戸口のスガレさんに見守られながら、彼は何事もなかったかのように立ち去っていく。

「お待たせ、なんとか穏便に帰ってもらえてよかったよ」

「ぁ、ありがとうございます。俺、最初はあなたのことを疑っていたのに、結局何から何まで面倒見てもらって」

「いいんだよそんなことは。蜂宿と喜母は互いを疑い恨み合う存在ではなく、手を取り愛し合える存在なんだとわかってくれればそれでいいんだ。それより、話の流れでつい君が今夜ここに泊まると巡査に嘘をついてしまったのだが……どうだろう?君さえ良ければ、土砂の撤去が済んで帰る目処が立つまでうちに滞在しないかい?」

「おい、スガレ……!」

 諌めるような口調の珠沙人さんを制し、スガレさんは「もちろん君が嫌だというのなら無理強いはしないよ」と付け加えた。
 バス道の復旧は二週間かかる。
 翠蛾の家には帰れないし、大紫麻とは金輪際関り合いになりたくない。
 蜂宿の家も、完全に信用できるわけじゃないけど……。
 でも喜母の珠沙人さんが酷い目に遭わされてるような感じもないし、それに今になってよく思い返してみると、俺に乱暴した蜂宿の男たちは皆スガレさんに不満を持っていた、みたいなことを言っていた気がする。
 ……他に行く宛もないし、このひとの手を借りるしか俺には道が残されていなさそうだ。
 
「それじゃあ、おふたりの生活の邪魔になってしまうのは心苦しいのですが、……お言葉に甘えてしまってもいいでしょうか?」

 俺のこの返事にスガレさんは満面の笑みで頷く。
 何か物言いたげだった珠沙人さんはしばらく口元をもごもごと動かしていたけど、それ以上あからさまに嫌がるような言葉を発することはなかった。

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