光陰の足跡

阿丘

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第二十話 切り株

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 木の葉の命が尽きて、落ちていく音がする。
 そんな小さな音まで聞こえているというのに、変異者特有の不規則的な足音どころか、村民の生活音ですら聞こえない。
 まるで世界から隔離されてしまったかのような静けさは、リオーネに猛烈な不安感と違和感を感じさせた。

「君達、何か聞こえた?」

「いえ、何も。」

 リオーネに尋ねられて、兵士達は首を横に振った。
 いろんな可能性がリオーネの頭の中に浮かんでは、矛盾点が見つかって消されていく。
 そんなことを繰り返していくと、ある一つの可能性が最終的に生き残った。

「あの悲鳴は、俺達をここに誘い込むための罠だった……?」

 それは全ての事象の中で、リオーネが最も考えたくないものだった。それすなわち、この村の中に裏切り者がいるということになってしまうからだ。それにリオーネは安易に仲間を疑ったりはしたくなかった。
 しかし他の可能性を探そうにも、見つからず、却って今あるたった一つの可能性が帯びる現実味を強めてしまう。
 霞に紛れ込んだかのように、姿が見えなくなってしまった村民の捜索をするべきか。または南入り口にいる兵士達の元へ戻るべきか。
 明らかな緊急事態に、兵士たちは黙ってリオーネから指示が下されるのを待っていた。
 人数が少なすぎて、これ以上分割してもいい成果はあまり期待できない。
 普段はどうってことはないのに、兵士たちからの視線は迫り来る棘のついた壁のように見えた。できることならその棘で、目と耳を機能させないようにして、のしかかってくる錘から逃れたいとリオーネは思ってしまった。
 そのとき、南入り口の方から誰かからの「族長、助けてください!」と救援を求める声がした。
 リオーネは一瞬で血の気が引いた気がした。
 冷たい空気が気道を刺激する。痛むのも構わずに進んでいくと、リオーネは自分の使用しているものと同じ石鹸の匂いを嗅ぎ取った。

「シュターヴ?アート君?」

 返事はない。
 不確実なことに地面を蹴る足を止めるわけにはいかない、けれども本当に誰かがそこにいるとしたら、リオーネには言いたいことがあった。

「ここはもう安全じゃない、早く逃げて!」

「リオーネさん、僕……」

 警告をしたのは、リオーネが急いで遠ざかる足音を聞きたかったからだ。それなのに耳に届いたのは、ぼそりと発せられた言葉だけで、求めていた音は一向に聞こえてこない。

「俺達もこの峠を乗り越えたら後を追う。逃げた先でまた会おう。だから今はとにかく早く走って!」

 リオーネはたった今、この瞬間に嘘をついた。本当は南入り口の方に向かった後、生きて戻れる気がしなかったのだ。
 これはリオーネが初めてついた、人の心を傷つける嘘だった。あんなにも心が痛くなる嘘も初めてだった。
 なにせ逃がすためだったとはいえ、アートからのそばにいたいという、真っ直ぐな気持ちを利用したのだ。
 一瞬だけ、リオーネの視界の端に、アートの手を伸ばす姿が写った。リオーネを呼び止めたくて、身体に触れようとしたのだろう。けれど実際はどうだろう。アートはリオーネにタッチするどころか、その衣服の端に手を掠めることも、残り香を掴むことすらもできなかった。
 アートが言った通りに動いてくれたかどうか心配しつつ、リオーネは兵士達の先頭を走っていた。
 あと一つ建物の角さえ曲がれば、南入り口が見える。
 紙芝居のように壁が横に移動していき、リオーネがうっすらとした影の中から飛び出すと、風景は住宅ばかりのものから一変した。
 閑静から言葉のない騒然へ。南入り口向かって、それなりに規模のある村を結成できそうなほどの数の変異者が押し寄せて来ていた。
 南入り口に留まった兵士たちの体力もこの短時間では回復しきれるはずがなかった。怪我も抱えているため、素早く動くことは叶わない。
 危うく変異者の拳が当たりそうだった兵士のところにリオーネが助太刀に入る。しかしそれでも、変異者からの攻撃は完全に避けられなかった。あんなに走ったのだから当然疲れは溜まる。
 やっと一体倒したかと思ったら、横から二体目、三体目と続々と現れる。甚大な個体数を踏まえると、変異者は分裂して増える細菌のようだ。

「撤退しよう!このまま剣を振い続けたとしても、いずれ体力を消耗し切って、俺達は負けてしまう。それどころか、俺達の大切な家への侵入を許してしまうことになる!もしかしたら、村のどこかに身を潜ませているかもしれない家族も危険な目に遭ってしまう!だからいっそのこと、皆んなを連れて目立たない場所に避難しよう!」

 リオーネは腹の底から声を出したつもりだ。それにヘルク村の村民は全員もれなくうさぎの獣人であるため、兵士達のいる位置からであれば、故意に声を小さくしても問題なく聞こえるはずだ。
 それなのに、兵士達は依然と変異者と攻防を繰り返しているままで、前進はすれども、後ろには一歩たりとも下がろうとしない。

「隙を見つけて早く下がって!そうしないと逃げる力も——」

 焦りで早まる鼓動を厚い肉の壁越しに聞いたリオーネの言葉を、一人の兵士が断ち切って言った。

「リオーネ族長!烏滸がましいかもしれませんが、俺、いや俺達の頼みを聞き入れてくれませんか?」

 その兵士は、全ての兵士の中でも、十本指の中に入るほどの実力の持ち主だった。リオーネも覚えている、彼は武器の扱い方が上手だった。

「族長は、どうか村民達を連れてここから避難してください!俺達はここでこいつらの足止めをします!」

「それなら、君達が村民を連れて行って!囮なら俺がなる!部下を、友達を、家族を置いていくような人にだなんて絶対になりたくない!」

「族長じゃなければ、無理なんですよ!リオーネ族長、貴方はこの村で一番信頼されている人であり、愛されている人でもあります。貴方が先頭に立ってくれさえいれば、どんな暗闇の中でも、村民は安心できるでしょう。」

 兵士達は皆、眉尻を下げて、似たような表情をしてリオーネに向けていた。

「先ほど族長は俺達のことを家族だっておっしゃってくれましたよね?貴方が俺達に生きて欲しいと思うように、俺達も貴方に生きて欲しいと思っています。さあ、村民を連れて、ここから離れてください!お願いします、弟達の我儘だと思って!」

 リオーネは何か言いたげにしていたが、それを抑え込んで、鉄と血肉がぶつかる音に背中を向けて走り出した。兵士達の表情が無理に作った微笑みから、苦痛の顔に変わっていくところが見ていられなくなったのだ。
 リオーネは一心不乱になって、家屋の扉を開けては、中に人がいないか捜索し、誰もいないとわかれば、扉を閉めずに次へと向かうことを繰り返した。

「誰かいませんか!いたら出て来てください!」

 そう呼びかけても、無駄なことをするなとリオーネを嘲笑うように、姿を現してくれる人は誰もいない。

「そうだ、医療所にはシュターヴがいる!」

 転びそうになりながらも、リオーネは医療所に駆け込んで、真っ先にシュターヴのいる病室に向かった。
 勢いを殺しきれず、大きな音を立てて病室の扉を開くと、リオーネは鼻が曲がってしまいそうな血生臭さに襲われ、光に見せられた光景に無様に座り込んだ。
 病室の窓は割れていて、可愛らしい表現をするならば、そこにできた穴は、ケチャップがついた子供の口周りのようだ。地面には真っ赤な川ができ、その川の元を辿ったところでシュターヴが力なく倒れていた。

「……シュターヴ。」

 この病室に二つ目の呼吸音はなかった。今日の朝に冗談を言ったりして笑い合ったりしていたはずのシュターヴは首に血痕を残して息絶えた。
 ぼやけ始めた視界の中で、リオーネはシュターヴの袖が不自然な形をしていることに気がついた。布地がシュターヴの腕の二回りぐらいまで伸びていたのだ。ズボンの方も同様だった。
 リオーネが離れた後、シュターヴは変異が始まってしまったのだろう。変わっていく途中で、シュターヴは勘づいてしまったのだろう。まもないうちに自分は村全体に恐怖の影を落としている変異者になってしまうことを。それでシュターヴは——
 リオーネはシュターヴの身体を抱きしめた。しっかりと抱きしめた。シュターヴの身体は氷雪のように冷たく、絶え間なくリオーネの体温を奪い続けている。それなのに、シュターヴは一向にあったかくなる気配がしない。この部屋の中で、初雪がひと足先に降り出した。

「族長、いや、リオーネ・ブルーミエ。」

 悲しみに暮れ、その場から動けないでいると、突如背後から聞き馴染みのない声で、リオーネは名前を呼ばれた。
 自分の声がやっと誰かに届いたのかと思いながら、リオーネは振り向いた。扉の前には黒髪の女性がたくさんの人を後ろに携えて立っていた。
 彼女は今朝シュターヴの病室を訪ねて来た看護師であることは間違いなかったが、そのほかのものは誰一人として見覚えがある者はいない。

「今の気分はどうですか?」

 何回か聞いたことのあるはずなのに、今回の彼女の声は、リオーネの神経を逆撫でた。

「……その言葉はどういう意味ですか?」

「質問を質問で返すだなんて、マナーがなっていませんよ、リオーネ。そんなことより、どうしてこの村がこんな惨状になったか気になりませんか?」

 黒髪の女はそう言って笑った。その口角は限界まで上がっていた。

「まさか……」

「ええ、そのまさかです。人々を襲うあの怪物も、村民達を弱らせたあの病も、私達が作って、貴方達にプレゼントとしてあげたものです。どうです?嬉しいですか?」

「あぁ……」

 リオーネは強い目眩を感じて、その場に手をついた。頭を上げる力すら出ない。
 彼女の口ぶりからして、いなくなった他の村民達も彼女がどこかへ連れて行ったのだろう。
 目の前に禍の元凶がいるというのに、何もできない。そんな自分に嫌気がさしたのだろうか、リオーネは強烈な吐き気を感じた。

「毒の効果がやっと出て来ましたか。さ、私達にも影響が出る前に、こいつを運び出しますよ。」

 黒髪の女がそう指示すると、奥に控えていた何人かの仲間らしき人物がリオーネの四肢を持ち上げた。
 リオーネはもう抵抗する気になれなかった。
 リオーネは森に生えた一本の樹木のような人だと言えるだろう。木は地下深くまで張った根によって、動物達に安定した居場所を与えるが、同時に根のせいで自由に動くことができず、襲いくる鋸の進みを止めることも、逃げることもできないのだから。
 

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