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6話 異変
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あの保健室事件以降、ますます木村ゆかりの様子がおかしくなった。
それでも瑞希は普段通り接しようと努めていた。
「ゆかりん、おすすめのハンドクリーム見つけたよ。試してみる?」
瑞希が木村の手を取る。
女子より大きい瑞希の手でハンドマッサージをされながら塗り込まれると気持ちがいいと、女子たちの間ではちょっとしたセラピーになっていた。
いつもと変わらない風景なのだが……。
「塗ってあげるね」
クリームのついた手で瑞希が触れようとした時、木村は手を引っ込めた。
「……大丈夫……」
顔を真っ赤にして俯いていた。
「そう」
瑞希も木村の異変に気付いたようだが、いつもと変わらない笑顔を向けた。
それから徐々に木村は瑞希を避けるようになり、瑞希を取り囲む女子たちの空気感は変わっていった。
瑞希は顔色ひとつ変えないものの、背中が少し寂しそうに見えた。
* * *
グループ発表当日の朝、広崎有紗は慌てて俺に駆け寄った。
「新井くん、今日、ゆかり休みだって……!」
木村ゆかりと葉山瑞希の亀裂は決定的になった。
「四人で練習してたのにごめんね。発表の割り振り組み直さなきゃ」
木村の事情を知っているらしい広崎は苦い表情をして詫びた。
「俺と瑞希でなんとかする」
広崎には抱えきれない何かが溢れてくるのを感じた。
「新井くん、ちょっといい?」
連れ出された校庭の隅で、広崎は登校中の生徒を気にしながら、胸の内を語り出した。
「ゆかり、瑞希ちゃんに告白したらしいの」
木村が保健室に連れて行かれた後日の出来事だったらしい。
俺の予想と合致した。
様子がおかしくなった時期と重なっている。おそらく木村は瑞希にフラれている。
「ゆかり、瑞希ちゃんのこと男の子にしか見えないって。女の子の格好してても自分にとってはかっこいい王子様みたいだって。瑞希ちゃんみたいな女子に寄り添える男の子と付き合いたって……」
「それで、ダメだったのか」
広崎は震えながら頷いた。
「なんでダメだったのかな。あの子、すごくいい子なの。まずは付き合ってみてから考えるとか、瑞希ちゃんを説得してくれないかな」
必死だった。
広崎は親友のために恋を成就させてあげたいと必死に願っていた。
男と女が付き合う。それはこの社会において、ごく一般的な価値観だが、瑞希にとってはどうなのか?
瑞希の恋愛観は聞いたこともない。恋愛対象が一般男子と同じなのかもわからない。
「まずは付き合ってみる」という提案は瑞希の意志が尊重されているのか?
頭の中がぐちゃぐちゃになった。
「わ……ッかんねえよ!!」
広崎を突き離し、俺は教室に戻った。肝心の発表当日なのに最悪の気分だ。
俺たちは事前打ち合わせもなく、ぶっつけ本番でグループ発表に臨んだ。
瑞希の流暢な語り口が俺たちの溝を埋め、最悪の事態は免れた。それでも後味は最悪だった。「お疲れ様」の労いもなく、俺らのグループは解散した。
数日後、木村が登校するも、瑞希とは目線を合わせることもなく日常が過ぎていった。
瑞希の周りには重い空気が漂い、俺たちですら気軽に寄せ付けなくなっていた。
* * *
「葉山、飯食おうぜ」
こんな時に頼もしいのが空気を読まない男・日高だ。
晴れない顔の瑞希を屋上の宴会に引き込んだ。他のやつも気づいてはいたが、しらけないように馬鹿げた話で盛り上げた。
今日は日高ストッパーの飯田が部活の用事で不在だったせいで、日高のエンジンはかかりっぱなしだった。
「葉山、最近女子で流行ってるものって何かあるか?」
何の脈絡もなく梶原が瑞希に質問を投げかけた。
「お前、いきなりどうした……。女子トークか?」
瑞希が答えるより先に日高が割り込んできた。
「いや、ちょっと……」
梶原は気まずそうに指で眼鏡を直す。分が悪くなった時に出る癖だ。日高が狙ったように懐に入り、確信を突く。
「お前、彼女でも出来たんだろ!?」
日高が調子に乗るといつも下世話な話になる。
梶原は飲みかけていた麦茶を盛大に吹き出した。
「きったねぇな!!」
「ティッシュ!」
「拭け拭け」
粗相の処理を済ませた後、梶原が弁明する。
「いや、姉ちゃんに誕生日プレゼントをだなぁ……」
「彼女、の間違いだろ」
日高は更に攻めた。これ以上聞いて欲しくない空気は一切読まない。
梶原が俺に視線を送ってきたが、気づかない振りをした。梶原を助けるよりも瑞希のことが気がかりだった。
傍観していたやつらも面白がって加勢した。
「……で、いつから?」
「……せ、先週の金曜から」
「一週間も経ってねぇじゃねぇか」
梶原の返答に場が沸いた。
「相手は?」
「二年の……」
梶原の声は尻すぼみになり俺には聞き取れなかったが、追加情報が投下されると更に盛り上がった。
「まじか!」
「先輩かよ!」
「カジやるなぁ!」
外野が口々に囃し立てる。日高は仕上げにとっておきの質問をした。
「……で、お前、先輩とどこまでヤッたんだよ?」
「はぁあああ!? 言えるわけねぇだろう」
荒ぶる梶原の眼鏡は曇っていた。
「あー、こりゃキスは確実だな」
興味のない振りをしていた瑞希がピクっと反応した。
「うるせー、ばか!!」
梶原の荒ぶりは最高潮に達していた。
「それ否定になってねぇぞ。バレバレ」
「やるねぇ、エロメガネ!」
梶原が吠えれば吠えるほど場は沸きまくった。
……俺と瑞希を除いては。
瑞希は黙々とパンをかじっていたが、手を止めた。
「あの時、どうすれば……よかったんだろう……」
瑞希がかすかに声を漏らした。
騒いでいる連中の耳には届かなかったが、隣にいる俺にだけ聴いて欲しいかのような呟きだった。俺は瑞希を見たが、目を合わせてはくれなかった。
「ごめん。用事があるから、もう行くね」
食事を済ませた瑞希は立ち上がり、俺たちの輪から離れた。
「カジくん、後でオススメ教えるね」
去り際は笑顔だったが、背中には暗い影を背負っていた。瑞希が去ったことで下世話な雑談に終止符が打たれ、静かになった。
「葉山って、こういう話苦手なんだな」
空気を読まない男・日高が奇跡的に空気を読んでいた。
* * *
教室に戻ろうとした時、校舎の裏で男子と会話している瑞希を見かけた。俺は瑞希が言っていた用事とやらを思い出した。男子はうちのクラスじゃない。
声は聞こえないが、瑞希が困っている様子ははっきりとわかった。深々と頭を下げる瑞希。それでも相手の話は終わらない。
嫌な予感がする。
瑞希は両手を突きつけ、相手を拒絶する姿勢を取っている。それでも相手は引き下がらず、瑞希の両肩を掴んだ。
……まずい!
予感が的中した。
俺は瑞希に向かって全力疾走し、大声で叫んだ。
「瑞希ーー!! 探した!! そこにいたのかっ!!」
俺の声にビビった男子はその場から逃げ去っていく。
瑞希は俺の前で崩れ落ちた。放心状態だった。
「……怖かった」
体も声も震えが止まらない。
「何があった?」
気の利いた言葉は出なかった。
「さっきの彼に告白された。タイプだって。本当に女の子だと思われてた……」
目に涙をためて瑞希は膝をついた。
「何されるかと思った……」
木村ゆかりは瑞希に理想の男子を、あの男子は理想の女子を描いていた。自分の中に存在しないものを無理やり引っ張り出され、瑞希はボロボロになっていた。
「……教室に戻らなきゃ」
瑞希は自身の肩を抱きながらよろよろと歩いていった。
周囲が膨らませる幻想や期待に葉山瑞希は応えきれなくなっていた。自由には責任が伴うように、瑞希が瑞希でいることの代償が試練として降りかかっていた。
こんな弱々しい瑞希は初めて見た。
いや、小五の時以来だ。
あの頃の感情が蘇る。
今の瑞希に、俺は何をしてあげられるんだろう。
握りしめた拳のせいで余計に心が痛かった。いくら自分の中を引っ掻き回しても、その背中にかける言葉は見当たらなかった。
それでも瑞希は普段通り接しようと努めていた。
「ゆかりん、おすすめのハンドクリーム見つけたよ。試してみる?」
瑞希が木村の手を取る。
女子より大きい瑞希の手でハンドマッサージをされながら塗り込まれると気持ちがいいと、女子たちの間ではちょっとしたセラピーになっていた。
いつもと変わらない風景なのだが……。
「塗ってあげるね」
クリームのついた手で瑞希が触れようとした時、木村は手を引っ込めた。
「……大丈夫……」
顔を真っ赤にして俯いていた。
「そう」
瑞希も木村の異変に気付いたようだが、いつもと変わらない笑顔を向けた。
それから徐々に木村は瑞希を避けるようになり、瑞希を取り囲む女子たちの空気感は変わっていった。
瑞希は顔色ひとつ変えないものの、背中が少し寂しそうに見えた。
* * *
グループ発表当日の朝、広崎有紗は慌てて俺に駆け寄った。
「新井くん、今日、ゆかり休みだって……!」
木村ゆかりと葉山瑞希の亀裂は決定的になった。
「四人で練習してたのにごめんね。発表の割り振り組み直さなきゃ」
木村の事情を知っているらしい広崎は苦い表情をして詫びた。
「俺と瑞希でなんとかする」
広崎には抱えきれない何かが溢れてくるのを感じた。
「新井くん、ちょっといい?」
連れ出された校庭の隅で、広崎は登校中の生徒を気にしながら、胸の内を語り出した。
「ゆかり、瑞希ちゃんに告白したらしいの」
木村が保健室に連れて行かれた後日の出来事だったらしい。
俺の予想と合致した。
様子がおかしくなった時期と重なっている。おそらく木村は瑞希にフラれている。
「ゆかり、瑞希ちゃんのこと男の子にしか見えないって。女の子の格好してても自分にとってはかっこいい王子様みたいだって。瑞希ちゃんみたいな女子に寄り添える男の子と付き合いたって……」
「それで、ダメだったのか」
広崎は震えながら頷いた。
「なんでダメだったのかな。あの子、すごくいい子なの。まずは付き合ってみてから考えるとか、瑞希ちゃんを説得してくれないかな」
必死だった。
広崎は親友のために恋を成就させてあげたいと必死に願っていた。
男と女が付き合う。それはこの社会において、ごく一般的な価値観だが、瑞希にとってはどうなのか?
瑞希の恋愛観は聞いたこともない。恋愛対象が一般男子と同じなのかもわからない。
「まずは付き合ってみる」という提案は瑞希の意志が尊重されているのか?
頭の中がぐちゃぐちゃになった。
「わ……ッかんねえよ!!」
広崎を突き離し、俺は教室に戻った。肝心の発表当日なのに最悪の気分だ。
俺たちは事前打ち合わせもなく、ぶっつけ本番でグループ発表に臨んだ。
瑞希の流暢な語り口が俺たちの溝を埋め、最悪の事態は免れた。それでも後味は最悪だった。「お疲れ様」の労いもなく、俺らのグループは解散した。
数日後、木村が登校するも、瑞希とは目線を合わせることもなく日常が過ぎていった。
瑞希の周りには重い空気が漂い、俺たちですら気軽に寄せ付けなくなっていた。
* * *
「葉山、飯食おうぜ」
こんな時に頼もしいのが空気を読まない男・日高だ。
晴れない顔の瑞希を屋上の宴会に引き込んだ。他のやつも気づいてはいたが、しらけないように馬鹿げた話で盛り上げた。
今日は日高ストッパーの飯田が部活の用事で不在だったせいで、日高のエンジンはかかりっぱなしだった。
「葉山、最近女子で流行ってるものって何かあるか?」
何の脈絡もなく梶原が瑞希に質問を投げかけた。
「お前、いきなりどうした……。女子トークか?」
瑞希が答えるより先に日高が割り込んできた。
「いや、ちょっと……」
梶原は気まずそうに指で眼鏡を直す。分が悪くなった時に出る癖だ。日高が狙ったように懐に入り、確信を突く。
「お前、彼女でも出来たんだろ!?」
日高が調子に乗るといつも下世話な話になる。
梶原は飲みかけていた麦茶を盛大に吹き出した。
「きったねぇな!!」
「ティッシュ!」
「拭け拭け」
粗相の処理を済ませた後、梶原が弁明する。
「いや、姉ちゃんに誕生日プレゼントをだなぁ……」
「彼女、の間違いだろ」
日高は更に攻めた。これ以上聞いて欲しくない空気は一切読まない。
梶原が俺に視線を送ってきたが、気づかない振りをした。梶原を助けるよりも瑞希のことが気がかりだった。
傍観していたやつらも面白がって加勢した。
「……で、いつから?」
「……せ、先週の金曜から」
「一週間も経ってねぇじゃねぇか」
梶原の返答に場が沸いた。
「相手は?」
「二年の……」
梶原の声は尻すぼみになり俺には聞き取れなかったが、追加情報が投下されると更に盛り上がった。
「まじか!」
「先輩かよ!」
「カジやるなぁ!」
外野が口々に囃し立てる。日高は仕上げにとっておきの質問をした。
「……で、お前、先輩とどこまでヤッたんだよ?」
「はぁあああ!? 言えるわけねぇだろう」
荒ぶる梶原の眼鏡は曇っていた。
「あー、こりゃキスは確実だな」
興味のない振りをしていた瑞希がピクっと反応した。
「うるせー、ばか!!」
梶原の荒ぶりは最高潮に達していた。
「それ否定になってねぇぞ。バレバレ」
「やるねぇ、エロメガネ!」
梶原が吠えれば吠えるほど場は沸きまくった。
……俺と瑞希を除いては。
瑞希は黙々とパンをかじっていたが、手を止めた。
「あの時、どうすれば……よかったんだろう……」
瑞希がかすかに声を漏らした。
騒いでいる連中の耳には届かなかったが、隣にいる俺にだけ聴いて欲しいかのような呟きだった。俺は瑞希を見たが、目を合わせてはくれなかった。
「ごめん。用事があるから、もう行くね」
食事を済ませた瑞希は立ち上がり、俺たちの輪から離れた。
「カジくん、後でオススメ教えるね」
去り際は笑顔だったが、背中には暗い影を背負っていた。瑞希が去ったことで下世話な雑談に終止符が打たれ、静かになった。
「葉山って、こういう話苦手なんだな」
空気を読まない男・日高が奇跡的に空気を読んでいた。
* * *
教室に戻ろうとした時、校舎の裏で男子と会話している瑞希を見かけた。俺は瑞希が言っていた用事とやらを思い出した。男子はうちのクラスじゃない。
声は聞こえないが、瑞希が困っている様子ははっきりとわかった。深々と頭を下げる瑞希。それでも相手の話は終わらない。
嫌な予感がする。
瑞希は両手を突きつけ、相手を拒絶する姿勢を取っている。それでも相手は引き下がらず、瑞希の両肩を掴んだ。
……まずい!
予感が的中した。
俺は瑞希に向かって全力疾走し、大声で叫んだ。
「瑞希ーー!! 探した!! そこにいたのかっ!!」
俺の声にビビった男子はその場から逃げ去っていく。
瑞希は俺の前で崩れ落ちた。放心状態だった。
「……怖かった」
体も声も震えが止まらない。
「何があった?」
気の利いた言葉は出なかった。
「さっきの彼に告白された。タイプだって。本当に女の子だと思われてた……」
目に涙をためて瑞希は膝をついた。
「何されるかと思った……」
木村ゆかりは瑞希に理想の男子を、あの男子は理想の女子を描いていた。自分の中に存在しないものを無理やり引っ張り出され、瑞希はボロボロになっていた。
「……教室に戻らなきゃ」
瑞希は自身の肩を抱きながらよろよろと歩いていった。
周囲が膨らませる幻想や期待に葉山瑞希は応えきれなくなっていた。自由には責任が伴うように、瑞希が瑞希でいることの代償が試練として降りかかっていた。
こんな弱々しい瑞希は初めて見た。
いや、小五の時以来だ。
あの頃の感情が蘇る。
今の瑞希に、俺は何をしてあげられるんだろう。
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