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そして迎えた放課後。
ようやく長かった半日が終わった。
昼休みに依り代に戻ってもらった詫びとして、図書室に向かって十五冊と文庫本を借りたのだが、その行く道中でも声かけは続いた。
一体この日々がいつまで続くのだろう。人の噂も七十五日とあるように、一人歩きする噂も当事者が無反応であればそれくらいまでには納まる。しかし、顕現二日目にしてこの騒ぎだ。風化するまでに何もおきない確信は残念ながら持てない。
では月筆乃命は邪魔かどうかと言われれば即答で邪魔じゃないと言える。今までの生活に大きすぎる変化を与えてくれたし、なにより佐一からの支配から解放されたのだ。この程度のことで邪魔と思うなら、貫之に依巫を名乗る資格はない。
「ひぃちゃん、帰ろー」
太りに太った鞄を右肩に引っ掛け、席を離れたところで呼び声が聞こえた。
入り口には制服姿に着替えた秋雪がいる。ひぃちゃんと言うところ古川を呼びに来たようだ。
つい古川のほうに顔を向けると、まるで一日中運動したかのように疲労感をかもし出す古川は席を立っていた。
「なんか疲れてるね」
「もう朝のことばっかよ。知らないっての! 考えてもないのに勝手にそんな考えが浮かんで体が動いたんだから。何度も何度も何度も何度も聞いて、おまけにメールもそればっかだし」
「災難だねー。まさしく災難だねー」
「二回も言わないでよ」
「でもひぃちゃんも自業自得だよ。だめって言ったのに言うんだから」
「あのチビ神めぇ。今度土下座させてやるわ」
「その前にまた土下座させられそうだけど」
つい古川の愚痴を返してしまった。ギロっと親の敵を見るかのように憤怒の顔を見せる。最早鬼女だ。
「月宮、あのチビ神は!?」
「依り代に戻ってるよ。あ、壊すとか言うなよ。重罪なんだからな」
「そんなことは分かってるわよ。一言文句言いたいのよ文句を!」
「……フミ、出る?」
貫之は万年筆を入れた胸ポケットに声を掛けた。
月筆乃命は姿を現さない。
「なんか嫌みたい」
チッ、と対象者だけでなく周りすら不快にする舌打ちを堂々とする。
「あのにん――」
古川はまた禁句を言いかけ、貫之と秋雪は同時に口を手でふさいだ。
「ひぃちゃんだからだめだってば!」
「僕としても連発は困る。本気であぶないから!」
貫之にとっても古川にとっても、はたまた周囲にいる同級生を含め、その言葉をいま言うのは明らかに危険だ。
「もあー」
口をふさがれても手は動く。それで貫之と秋雪を剥がそうとするが、何らかの拍子で息が合い、二人は古川を教室から出す事にした。
「いい加減離してよ!」
給食のトレイを各階に移動するエレベーターホールまで移動したところで、古川の力が貫之たちの力を上回り、手を引き離して距離を取った。
「ほんっとに今日は厄日だわ! 月宮、この落とし前どうつけるのよ!」
「僕は何もしてないっての。秋雪の言うとおり災難なんだから割り切ったら? 僕だって今日一日勧誘攻めで参ってるし」
「んなの関係あるか。あたしなんか……あたしなんか、人前で土下座してんのよ!? 女が、人前で土下座! 分かるこの屈辱!」
女の品格なんて犬に食わせたかのように荒っぽく叫ぶ。
「同情はするよ? でもフミに責任はないから泣き寝入りするしかないね」
「だからその依巫が責任取れ」
今度は古川が貫之の胸倉を掴んだ。貫之より背が高く、怒りで力が増しているのかつま先立ちをさせられる。
「考えてみたら昨日のコンビニでもあんたらのせいで何も買ってなかったから何か奢れ」
カツアゲ以外のなにものでもない。
「ひぃちゃん、確か神様が独断にしたからって依巫に責任は行かないって言うよ?」
神が起こす事に責任がないのに依巫が負うことは、実質の責任が神にあると認めてしまうからだ。それでは法律違反になる。
が、
「ここは裁判所じゃないし関係ないわ。んな憲法を出したって誰が守れって命令すんのよ」
八百万の神が起こす天災の被害者やその遺族は大抵そう考える。神に対して裁判自体起こせず、その依巫に対して起こしても神単独であれば無罪になる。例えば依巫がいじめを受け、その神が独断で加害者を殺してしまっても依巫が神に頼まない限り天災の扱いになるのだ。例に挙げる四十三人の虐殺も神の独断だったためそれに当てはまる。
逆に直接の指示でも示唆でも依巫が神の判断に大きく関与していれば依巫に全責任が来る。
つまり、神単体の言動なら天災。依巫の言葉で動く神の言動は人災なので責任の動きが違う。
ただし、民間レベルでそんな法律や裁判は知ったことではない。
いくら個人が法律と言おうと、警察や裁判所が絡まなければただの言葉でしかない。だから政府としては天災として扱い、減災や防災になるよう努力義務を強いているが、親族に被害が及んで復讐する例は泣き寝入りと比べて少なくない。
北海道に富士山級の神が顕現した際、何十万人もの人々を踏み潰し、ロシアにまで揺れを伝えた神の依巫は、初めての顕現であったがために故意とは言えず罪にはならなかった。が、その後の遺族や民衆の視線、尋常ではない罪悪感に耐えかねて自殺してしまった悲しき結末がある。
今、貫之が巻き込まれているのはまさにそれだった。
「……なら聞くけど、朝のことで責任ってあるの?」
古川の迫力は凄まじいが、年がら年中佐一に蝕まれた貫之からにすればまだ冷静でいられた。その冷静さで反論を考えて返すと、何を言っているんだと言わんばかりに古川は絶句する。
「だって騒動の最初は秋雪が口を滑らせたからで、秋雪はちゃんと謝った。フミも許して落ち着いたのに古川が突っかかって禁句を言って土下座だよ? 僕らに責任なんてないだろ」
古川は謝らせた責任を取れと言うが、それでは古川は何も悪くないことになる。月筆乃命にとって恐らく最大級であろう侮辱を言ったのだから土下座をさせても謝らせたいはずだ。強制的とはいえ落とし前はつけたのだから責任なんて現時点ではどこにもないことになる。
「確かにそうだよね。別にフミちゃんは気に食わないから土下座させたわけじゃないし」
貫之が紡いだ正論を秋雪が賛同してくれた。これで二対一だ。
「ゆゆ、あんたもこいつの肩を持つわけ!?」
「ツッキーやフミちゃんが一方的に悪くないからだよ。だから朝謝ったのに、ひぃちゃんが勘違いして怒っちゃって面倒になったんだから。反省しなきゃね」
まるで母親か姉が叱るような口調だった。てっきり強く反論するかと思えば唇をぎゅっと結んだまま聞いている。
ひょっとして古川は秋雪に頭が上がらないのだろうか。
「私のために怒ってくれるのは嬉しいけど、間違った怒り方は嬉しくないよ。前だって同じようなことして校長室に呼ばれたじゃない」
「だってゆゆがおじさんに相談されてると思って」
「うんしてたね。道聞いてた。出張でこの街に来て、方向がわからなくなって聞いてきた普通の会社員だったね」
「……どういうこと?」
話が通じず、貫之は小声で秋雪に解説を求める。
「道を聞かれたのを援助交際の相談とひぃちゃんが勘違いして蹴っ飛ばしちゃったの。で、翌日校長室に呼ばれて一週間トイレ掃除されたってわけ。去年のことだけど知らない?」
「あー、そう言えばあったね。あれ古川だったんだ」
「だーかーらーなんで話しちゃうのぉ!?」
「いくらなんでも昼間の住宅地で中二にそんなことする人はいないよ」
古川の涙の訴えにも秋雪は動じずに一般論を返す。
「それにあと半年で卒業して高校生だよ? もう大丈夫だからそんな心配しなくていいよ」
二人の間で何かがあるのは秋雪の言葉で垣間見えた。でもそのことを貫之に聞く権利はなく黙っておくことにした。
結局古川の要求する奢りは、身勝手なもので秋雪も否定に回ったため却下されたのだった。よって憎悪の熱は余計に過熱する結果になったが、親友がゆえに物怖じをしない秋雪に引っ張られていって強制解散となった。
古川に根付いた恨みの樹木は中々折れそうにないほど大きく育ってしまった。切り倒せればいいのだが、貫之にその術はあっても使い方を知らないし、それでは真の解決には結びつかない上に月筆乃命はきっと怒るだろう。
学校を出た貫之は腕を組みながら一人帰路に付いた。
「古川にはまったく困ったものだな」
学校を出て数分、人気が少し減ったところで左肩に重みが加わり、耳元で男勝りにして澄んだ声が囁いた。
「今出るの?」
「あの場で出ても火に油を注ぐだけだからな。妾とて空気くらい読むよ」
自由奔放を保障されても無駄な問題を作るのは非効率だ。てっきり気にしないかと思ったが読み違えた。
「……古川のあの反応って、秋雪のことが大事だからだよな」
「それで間違いなかろう。親友よりは家族のそれの匂いがしたから赤ん坊から共に遊んだのではないか?」
納得できる見解だ。そこまで深い関係なら古川の反応は理解できる。
「これじゃますます秋雪と仲良くなると古川まで付いてくるけど……」
「贅沢な不満だな。女子二人といっぺんに知り合えたのになぜ弱腰になる。日本男子なら堂々と向かえ。軟派ではなく硬派であってこそ男じゃ」
「言うは易し行うは難しってことわざがあるよね?」
「知らん」
「僕の空気は読まないのね」
「それよりも、間違っても神通力を使って古川の機嫌を直すなよ。それをやろうとすれば十年は軽蔑するからな」
読まれている。考える前に否定しておいてよかった。
「いやいや、そこは協力してよ。火に油を注いでるのは僕じゃなくてフミなんだから、僕にまで責任なんてないとか言わないでよね」
「……妾が同席した状態でまともな会話が出来ると思うか?」
「フミが女の子らしい話をすればいけるんじゃない?」
「性格の相性の問題だ。犬猿の仲と言うもので、時と場合しか意見は一致せんよ。だからがんばれ」
「嬉しい悲鳴だよ。まったく」
そう貫之は悪態をつき、月筆乃命はケタケタと笑う。
「ちなみにフミからして古川のことどう思ってるの?」
「いい奴とは思うよ。友を大事にする輩は心底悪者ではないからな。見た目はアレじゃが」
「認めて話が合わないって……」
「対人関係とはそういうものよ」
精神面で同い年。肉体面では二日目なのに年長者の言葉であった。
「大層な人生経験をお持ちで」
「そう皮肉るな。経験に基づいての言葉ではないが間違ってはおらんよ。多分」
だったら多分をつけないで欲しい。多分をつけるだけでどんな格言も瞬く間に翳る。
「……あのさ、その犬猿の仲がもし依巫と神に当てはまったらどうなるのかな」
対人関係はそのまま依巫と神の関係にもつながれる。情が顕現への重要な要素であるが、その情が常に正の方向とは限らない。負の情によって顕現しまうと、貫之と月筆乃命とは正反対の、まさに犬猿の仲にもなりかねなかった。
「おそらく顕現をしないか、それとも会話を一切しないかであろうな。前提として妾が貴様のことが嫌いであれば、依り代を持って単独行動を取ると思う」
言って月筆乃命は鼻で笑い、そんなことはありえないだろうがなと正の情を根拠にする断言をしてくれた。
これは信用よりは依巫の全てを知ったからこそだ。親に話せない、本人の胸の中で隠さなければならない秘密すら神は知ることが多い。人は弱みを知られると文字通り弱ってしまう。しかしその弱みを受け入れてくれたとき、相手との繋がりは強固になる。
神は依巫を脅す理由が少ない。ゆえに脅す気持ちすら抱かず、受け入れるような心境を持ち、依巫も神に対して秘密は持たなくなり本音で話す。
月筆乃命は力こそ例外だがその性格は典型的な八百万の神と言えた。
あと半年で大きく切り替わる通学路を歩いていくと左手に林が見えてくる。
草間市のど真ん中に設置された県立の自然公園の雑木林だ。草間市の約四分の一の面積を使って置かれているこの公園は天災時の避難場所として使われ、普段はジョギングや子供たちの遊び場、各種イベントの中心地として使われる。
貫之の家から学校は、直線距離で自然公園の角をかすめている。よって普段の登下校でも百メートル弱だが公園を横切っていた。
今日も普段通りに公園の入り口ではなく境界の石垣を登り、正規の道ではないところから公園へと入る。現在位置は公園の角っこなので、角の内側を横断することで数分短縮できるわけだ。
他の人たちも利用して出来た獣道を通って公園内の道へと出る。
道を出た直後、右側から軽自動車以上の大きさのイノシシが歩いているのを見つける。車を軽々と貫けるほどの牙を三本有し、その目は野性よりは知的な印象を持つ。
地球上にそこまで大きいイノシシは存在しない。つまり神だ。
「わるいなボウヤ」
喋ったのは依巫ではなくイノシシの神である。その背中にはお婆さんが座っていて、貫之に向けて軽く会釈するとその神は避けてのそのそと歩いていった。
「大きい神様」
「神の大きさは様々だからの。しかし公園ならまだしも街中では顕現は難しいな」
日本は神が実在し、見える神も二千万を越えるとされても出会える神は多くない。
月筆乃命のように常時顕現する神より、圧倒的に身内にしか見せない神の方が多いのだ。そのため一日に見える神は五柱といるかどうかで、ゆえに日常生活に於いて支障が出にくい要因でもある。
あのイノシシの神も、良識を持っていれば公園を出れば顕現をやめるだろう。
「良かったな。肩に乗れるくらいの小さな体で」
「そうだね。富士山級じゃなくてよかったよ」
話をする度に大災害が起きたのでは殺されても文句は言えない。
「あ、おいと待ち」
公園の道を横切り、再び茂みに入って公園から出ようとしたところで耳を引っ張られた。
「耳を手綱代わりにするのはやめろ。しかも左ばっか」
「ならこめかみの髪の毛を引っ張るか?」
「じゃなくて声だけでいいっての。それでなに?」
「このまま帰ってもつまらん。少し公園の中を歩いておくれ」
「いいけど、長くはヤダよ。勉強しないといけないから」
「学年八位のくせに何を言う。毎晩勉強しているではないか」
「それでもって志望校が落とした人が家族にいるから油断できないんだよ」
「一時間くらい息抜きしても合格は逃げんよ」
「……分かった。じゃあちょこっとだけね」
県立自然公園は数十万人の避難場所として設計されているので広い。その直径は四キロで、ジョギングコースでも県内では有名で休日には外郭を走る人は多い。年に一度だけマラソン大会も開かれ、貫之も参加して完走賞は何枚か貰っている。
公園は上空から見ると十字に区切られ、各区画でそれぞれテーマがある。北区画は凹凸のない原っぱ。東区画ではスポーツで各競技場。西区画はアスレチック広場。南区画は大きな池だ。
いま貫之がいるのは南区画で、中央に向け歩き出すとすぐ左手には緑色に濁った池が見えてくる。水面には鴨が泳ぎ、ボートが何艘も浮かんで親子やカップルが漕いでいる。この池は釣りが容認されているので特定の場所と限定されているが釣りをする人もいた。
それだけなら穏やかな池の風景だが、珍しく連続で別の神を見ることが出来た。
巨大なイノシシの神の次に見えたのは白く輝く白鳥だ。電球に等しいくらいの光量で水面に浮かぶ白鳥から放たれている。
原則的に大自然の神々は、大きさの違いはあれど人の姿をしているので、動物の姿をした神は道具の神霊となる。近くに依巫がいるのだろう。
「人の姿をした神はいないのかの」
人の姿の神は当然ながら『人外』の型に当てはまらず、体格は人間と大差がない。月筆乃命の場合はあまりにも人外なので『妖怪』となるわけだ。だからもしかしたらすれ違っていて気づいていないのかもしれない。
「さすがに人はね」
池のすぐ横を通る道を歩いて十数分歩くと、公園を十字に割る交差点広場へと差し掛かった。
そこは円形の小さな広場で、アスファルトによって補強されて露店が開いている。見えたのはワゴンで経営する女子供に人気のあるクレープ屋だ。
「…………」
そのクレープ屋を月筆乃命はジッと見る。
「一つなら買えるけど?」
「いや、食べたい気持ちはあるがまずは肉まんが先よ」
「肉まんにどんだけこだわりがあるのさ」
「そうではない。自分が決めた順番を変えるのが嫌なだけじゃ」
堅物で律儀な神だ。端的に言えば頑固者。
家から離れないように公園を探索するなら西側のアスレチック広場を通る方がいい。それに遊具が乱立する場所を通る方が面白みはあるだろう。
そう思いながらアスレチック広場と看板がある道に行こうとしたとき、クレープ屋から両手いっぱいのクレープを持つ一人の女性が南区画に向けて歩き出した。
その人を見た瞬間、貫之は立ち止まった。
月筆乃命も気づいて「あ」と呟く。
「いひひ、いつもこき使ってるからな。これくらい買い食いしても文句は言わねーだろ」
つい十数分前に強制的に別れたはずの古川が、だぼだぼのトレーナーにジーンズとあまりに似合っていない格好でいたのだ。
「……古川……だよな?」
「見間違う……ことはないが、どこか違う気がするの」
休日にレンタルショップや本屋に出かける際、上下スウェットで出歩く女性を見かけることはよくある。遠出をせず近所だから着替えるのが面倒で室内着のまま出る感じだ。しかし目の前にいる古川は、わざわざ着替えておきながら身近にあったものを着たような印象を受ける。
着替えるのなら顔に見合う服装をするはずだと、勝手ながらそう認識しているので違和感が強くあった。
「双子なのかな」
「にしてはゆゆはそのことを連想させることを何一つ言っておらんな」
他人の空似にしては似すぎている。それこそ当人を思うほどに。
「おーい、古川―」
どうするか選択肢を考えるよりも早く、月筆乃命は大声で叫んだ。
その声に、当該人ではない人も反応する。
「……あん? ひょっとして俺のことか?」
女にして一人称が俺に、さらに古川緋夜ではない考えが強まる。
両手で五つものクレープを持ち、すでに二つに噛み痕がある女子は貫之に近づいてきた。
「あんたら誰?」
古川ではないのが確定する。貫之たちを見ても心底嫌悪するよりは知らない人への怪訝な表情だ。間違いなく目の前にいる人は貫之を知らない。
「すまんな。知り合いと非常に似ていてつい声を掛けてしまった。突然ですまんが、姓は古川か? あ、我が依巫は月宮で、妾はフミじゃ」
名前を聞くならまずは自分からを忘れなかった月筆乃命は貫之の姓を名乗って聞いた。
「あ、ああ。古川で間違いないぜ。名前はキョウだ」
肯定したことで貫之の中で小さな衝撃が走る。少なくとも今通う学校で双子がいるなんて聞いたことがないし、もし双子なんていれば一度でも話題になるからだ。
同じ顔と姓でありながら家族がまったく違うとは考えにくい。いや、養子とかひねり出そうとすればありえるが、赤ん坊の頃からいる秋雪が示唆していない以上別人と考えるべきか。
色々と考えるうちに頭がこんがらがってきた。
古川に似たキョウはクレープを二つ、大口で平らげた。品性は女と言うよりは男だ。
「で、あんたらは緋夜のなに?」
「知り合いじゃ」
「ふーん。ってことは俺とも知り合いとなっても問題ないわけか。ナンパってわけでもなさそうだし、話があるなら付き合うぜ」
ん、と今日はまだ食べていないクレープを二つ突き出した。
「ここのクレープはうめぇんだ。でもさすがに五個は多いから貰ってくれ」
「あ、じゃあお金を……」
「金なんかいらねーよ。俺の金で買ったわけじゃねーし」
突き出すクレープを、貫之は申し訳なさそうに受け取った。生身は生クリームにチョコレート、イチゴにバナナが挟み込まれる定番のものだった。
「ありがとう。ありがたくいただくとするよ」
月筆乃命が礼を言うと、キョウは親指を立ててウインクを決めた。
「でもいいわけ? 肉まんを先にと言ってたけど」
「人の善意を受け取らずに自分の意地を通して良いことなどない」
「うわ屁理屈」
「何とでも言え。ほれ、寄こせ」
開き直ったように月筆乃命は手を伸ばし、貫之は左肩に手を挙げた。
「……うまい!」
物として生まれ、得た魂と持った肉体が初めて感じる味覚の感想はその一言だった。
明らかに大豆一粒入ればパンパンになる胃袋のはずなのに、その数十倍はあろうクレープを小さな口でどんどん食べていく。感想はその一言だけでクレープを食べきってしまった。
「この分では肉まんもさぞ妾を喜ばせそうだな!」
口にクリームをつけ、満面の笑みで叫ぶ。
「でもほどほどにね。お金ないんだから」
ポケットからティッシュを取り出して月筆乃命の口についたクリームをふき取る。
「分かっておるよ。一通り味見をすれば落ち着こうて」
その一通りが百種類を越えないことを祈る。きっと資金面は佐一から得る三十万に頼むのだろう。で、断ると功績云々を出して支払わせるに違いない。
「はは、そこまで喜ばれちゃあやっただけのことはあるな。もう一つ食うか?」
「ありがたいが、さすがに腹が一杯よ」
「その体で一つ全部食べるのでもすごいけど」
貫之のツッコミにキョウは「違いない」と笑うが月筆乃命は無視をした。
ようやく長かった半日が終わった。
昼休みに依り代に戻ってもらった詫びとして、図書室に向かって十五冊と文庫本を借りたのだが、その行く道中でも声かけは続いた。
一体この日々がいつまで続くのだろう。人の噂も七十五日とあるように、一人歩きする噂も当事者が無反応であればそれくらいまでには納まる。しかし、顕現二日目にしてこの騒ぎだ。風化するまでに何もおきない確信は残念ながら持てない。
では月筆乃命は邪魔かどうかと言われれば即答で邪魔じゃないと言える。今までの生活に大きすぎる変化を与えてくれたし、なにより佐一からの支配から解放されたのだ。この程度のことで邪魔と思うなら、貫之に依巫を名乗る資格はない。
「ひぃちゃん、帰ろー」
太りに太った鞄を右肩に引っ掛け、席を離れたところで呼び声が聞こえた。
入り口には制服姿に着替えた秋雪がいる。ひぃちゃんと言うところ古川を呼びに来たようだ。
つい古川のほうに顔を向けると、まるで一日中運動したかのように疲労感をかもし出す古川は席を立っていた。
「なんか疲れてるね」
「もう朝のことばっかよ。知らないっての! 考えてもないのに勝手にそんな考えが浮かんで体が動いたんだから。何度も何度も何度も何度も聞いて、おまけにメールもそればっかだし」
「災難だねー。まさしく災難だねー」
「二回も言わないでよ」
「でもひぃちゃんも自業自得だよ。だめって言ったのに言うんだから」
「あのチビ神めぇ。今度土下座させてやるわ」
「その前にまた土下座させられそうだけど」
つい古川の愚痴を返してしまった。ギロっと親の敵を見るかのように憤怒の顔を見せる。最早鬼女だ。
「月宮、あのチビ神は!?」
「依り代に戻ってるよ。あ、壊すとか言うなよ。重罪なんだからな」
「そんなことは分かってるわよ。一言文句言いたいのよ文句を!」
「……フミ、出る?」
貫之は万年筆を入れた胸ポケットに声を掛けた。
月筆乃命は姿を現さない。
「なんか嫌みたい」
チッ、と対象者だけでなく周りすら不快にする舌打ちを堂々とする。
「あのにん――」
古川はまた禁句を言いかけ、貫之と秋雪は同時に口を手でふさいだ。
「ひぃちゃんだからだめだってば!」
「僕としても連発は困る。本気であぶないから!」
貫之にとっても古川にとっても、はたまた周囲にいる同級生を含め、その言葉をいま言うのは明らかに危険だ。
「もあー」
口をふさがれても手は動く。それで貫之と秋雪を剥がそうとするが、何らかの拍子で息が合い、二人は古川を教室から出す事にした。
「いい加減離してよ!」
給食のトレイを各階に移動するエレベーターホールまで移動したところで、古川の力が貫之たちの力を上回り、手を引き離して距離を取った。
「ほんっとに今日は厄日だわ! 月宮、この落とし前どうつけるのよ!」
「僕は何もしてないっての。秋雪の言うとおり災難なんだから割り切ったら? 僕だって今日一日勧誘攻めで参ってるし」
「んなの関係あるか。あたしなんか……あたしなんか、人前で土下座してんのよ!? 女が、人前で土下座! 分かるこの屈辱!」
女の品格なんて犬に食わせたかのように荒っぽく叫ぶ。
「同情はするよ? でもフミに責任はないから泣き寝入りするしかないね」
「だからその依巫が責任取れ」
今度は古川が貫之の胸倉を掴んだ。貫之より背が高く、怒りで力が増しているのかつま先立ちをさせられる。
「考えてみたら昨日のコンビニでもあんたらのせいで何も買ってなかったから何か奢れ」
カツアゲ以外のなにものでもない。
「ひぃちゃん、確か神様が独断にしたからって依巫に責任は行かないって言うよ?」
神が起こす事に責任がないのに依巫が負うことは、実質の責任が神にあると認めてしまうからだ。それでは法律違反になる。
が、
「ここは裁判所じゃないし関係ないわ。んな憲法を出したって誰が守れって命令すんのよ」
八百万の神が起こす天災の被害者やその遺族は大抵そう考える。神に対して裁判自体起こせず、その依巫に対して起こしても神単独であれば無罪になる。例えば依巫がいじめを受け、その神が独断で加害者を殺してしまっても依巫が神に頼まない限り天災の扱いになるのだ。例に挙げる四十三人の虐殺も神の独断だったためそれに当てはまる。
逆に直接の指示でも示唆でも依巫が神の判断に大きく関与していれば依巫に全責任が来る。
つまり、神単体の言動なら天災。依巫の言葉で動く神の言動は人災なので責任の動きが違う。
ただし、民間レベルでそんな法律や裁判は知ったことではない。
いくら個人が法律と言おうと、警察や裁判所が絡まなければただの言葉でしかない。だから政府としては天災として扱い、減災や防災になるよう努力義務を強いているが、親族に被害が及んで復讐する例は泣き寝入りと比べて少なくない。
北海道に富士山級の神が顕現した際、何十万人もの人々を踏み潰し、ロシアにまで揺れを伝えた神の依巫は、初めての顕現であったがために故意とは言えず罪にはならなかった。が、その後の遺族や民衆の視線、尋常ではない罪悪感に耐えかねて自殺してしまった悲しき結末がある。
今、貫之が巻き込まれているのはまさにそれだった。
「……なら聞くけど、朝のことで責任ってあるの?」
古川の迫力は凄まじいが、年がら年中佐一に蝕まれた貫之からにすればまだ冷静でいられた。その冷静さで反論を考えて返すと、何を言っているんだと言わんばかりに古川は絶句する。
「だって騒動の最初は秋雪が口を滑らせたからで、秋雪はちゃんと謝った。フミも許して落ち着いたのに古川が突っかかって禁句を言って土下座だよ? 僕らに責任なんてないだろ」
古川は謝らせた責任を取れと言うが、それでは古川は何も悪くないことになる。月筆乃命にとって恐らく最大級であろう侮辱を言ったのだから土下座をさせても謝らせたいはずだ。強制的とはいえ落とし前はつけたのだから責任なんて現時点ではどこにもないことになる。
「確かにそうだよね。別にフミちゃんは気に食わないから土下座させたわけじゃないし」
貫之が紡いだ正論を秋雪が賛同してくれた。これで二対一だ。
「ゆゆ、あんたもこいつの肩を持つわけ!?」
「ツッキーやフミちゃんが一方的に悪くないからだよ。だから朝謝ったのに、ひぃちゃんが勘違いして怒っちゃって面倒になったんだから。反省しなきゃね」
まるで母親か姉が叱るような口調だった。てっきり強く反論するかと思えば唇をぎゅっと結んだまま聞いている。
ひょっとして古川は秋雪に頭が上がらないのだろうか。
「私のために怒ってくれるのは嬉しいけど、間違った怒り方は嬉しくないよ。前だって同じようなことして校長室に呼ばれたじゃない」
「だってゆゆがおじさんに相談されてると思って」
「うんしてたね。道聞いてた。出張でこの街に来て、方向がわからなくなって聞いてきた普通の会社員だったね」
「……どういうこと?」
話が通じず、貫之は小声で秋雪に解説を求める。
「道を聞かれたのを援助交際の相談とひぃちゃんが勘違いして蹴っ飛ばしちゃったの。で、翌日校長室に呼ばれて一週間トイレ掃除されたってわけ。去年のことだけど知らない?」
「あー、そう言えばあったね。あれ古川だったんだ」
「だーかーらーなんで話しちゃうのぉ!?」
「いくらなんでも昼間の住宅地で中二にそんなことする人はいないよ」
古川の涙の訴えにも秋雪は動じずに一般論を返す。
「それにあと半年で卒業して高校生だよ? もう大丈夫だからそんな心配しなくていいよ」
二人の間で何かがあるのは秋雪の言葉で垣間見えた。でもそのことを貫之に聞く権利はなく黙っておくことにした。
結局古川の要求する奢りは、身勝手なもので秋雪も否定に回ったため却下されたのだった。よって憎悪の熱は余計に過熱する結果になったが、親友がゆえに物怖じをしない秋雪に引っ張られていって強制解散となった。
古川に根付いた恨みの樹木は中々折れそうにないほど大きく育ってしまった。切り倒せればいいのだが、貫之にその術はあっても使い方を知らないし、それでは真の解決には結びつかない上に月筆乃命はきっと怒るだろう。
学校を出た貫之は腕を組みながら一人帰路に付いた。
「古川にはまったく困ったものだな」
学校を出て数分、人気が少し減ったところで左肩に重みが加わり、耳元で男勝りにして澄んだ声が囁いた。
「今出るの?」
「あの場で出ても火に油を注ぐだけだからな。妾とて空気くらい読むよ」
自由奔放を保障されても無駄な問題を作るのは非効率だ。てっきり気にしないかと思ったが読み違えた。
「……古川のあの反応って、秋雪のことが大事だからだよな」
「それで間違いなかろう。親友よりは家族のそれの匂いがしたから赤ん坊から共に遊んだのではないか?」
納得できる見解だ。そこまで深い関係なら古川の反応は理解できる。
「これじゃますます秋雪と仲良くなると古川まで付いてくるけど……」
「贅沢な不満だな。女子二人といっぺんに知り合えたのになぜ弱腰になる。日本男子なら堂々と向かえ。軟派ではなく硬派であってこそ男じゃ」
「言うは易し行うは難しってことわざがあるよね?」
「知らん」
「僕の空気は読まないのね」
「それよりも、間違っても神通力を使って古川の機嫌を直すなよ。それをやろうとすれば十年は軽蔑するからな」
読まれている。考える前に否定しておいてよかった。
「いやいや、そこは協力してよ。火に油を注いでるのは僕じゃなくてフミなんだから、僕にまで責任なんてないとか言わないでよね」
「……妾が同席した状態でまともな会話が出来ると思うか?」
「フミが女の子らしい話をすればいけるんじゃない?」
「性格の相性の問題だ。犬猿の仲と言うもので、時と場合しか意見は一致せんよ。だからがんばれ」
「嬉しい悲鳴だよ。まったく」
そう貫之は悪態をつき、月筆乃命はケタケタと笑う。
「ちなみにフミからして古川のことどう思ってるの?」
「いい奴とは思うよ。友を大事にする輩は心底悪者ではないからな。見た目はアレじゃが」
「認めて話が合わないって……」
「対人関係とはそういうものよ」
精神面で同い年。肉体面では二日目なのに年長者の言葉であった。
「大層な人生経験をお持ちで」
「そう皮肉るな。経験に基づいての言葉ではないが間違ってはおらんよ。多分」
だったら多分をつけないで欲しい。多分をつけるだけでどんな格言も瞬く間に翳る。
「……あのさ、その犬猿の仲がもし依巫と神に当てはまったらどうなるのかな」
対人関係はそのまま依巫と神の関係にもつながれる。情が顕現への重要な要素であるが、その情が常に正の方向とは限らない。負の情によって顕現しまうと、貫之と月筆乃命とは正反対の、まさに犬猿の仲にもなりかねなかった。
「おそらく顕現をしないか、それとも会話を一切しないかであろうな。前提として妾が貴様のことが嫌いであれば、依り代を持って単独行動を取ると思う」
言って月筆乃命は鼻で笑い、そんなことはありえないだろうがなと正の情を根拠にする断言をしてくれた。
これは信用よりは依巫の全てを知ったからこそだ。親に話せない、本人の胸の中で隠さなければならない秘密すら神は知ることが多い。人は弱みを知られると文字通り弱ってしまう。しかしその弱みを受け入れてくれたとき、相手との繋がりは強固になる。
神は依巫を脅す理由が少ない。ゆえに脅す気持ちすら抱かず、受け入れるような心境を持ち、依巫も神に対して秘密は持たなくなり本音で話す。
月筆乃命は力こそ例外だがその性格は典型的な八百万の神と言えた。
あと半年で大きく切り替わる通学路を歩いていくと左手に林が見えてくる。
草間市のど真ん中に設置された県立の自然公園の雑木林だ。草間市の約四分の一の面積を使って置かれているこの公園は天災時の避難場所として使われ、普段はジョギングや子供たちの遊び場、各種イベントの中心地として使われる。
貫之の家から学校は、直線距離で自然公園の角をかすめている。よって普段の登下校でも百メートル弱だが公園を横切っていた。
今日も普段通りに公園の入り口ではなく境界の石垣を登り、正規の道ではないところから公園へと入る。現在位置は公園の角っこなので、角の内側を横断することで数分短縮できるわけだ。
他の人たちも利用して出来た獣道を通って公園内の道へと出る。
道を出た直後、右側から軽自動車以上の大きさのイノシシが歩いているのを見つける。車を軽々と貫けるほどの牙を三本有し、その目は野性よりは知的な印象を持つ。
地球上にそこまで大きいイノシシは存在しない。つまり神だ。
「わるいなボウヤ」
喋ったのは依巫ではなくイノシシの神である。その背中にはお婆さんが座っていて、貫之に向けて軽く会釈するとその神は避けてのそのそと歩いていった。
「大きい神様」
「神の大きさは様々だからの。しかし公園ならまだしも街中では顕現は難しいな」
日本は神が実在し、見える神も二千万を越えるとされても出会える神は多くない。
月筆乃命のように常時顕現する神より、圧倒的に身内にしか見せない神の方が多いのだ。そのため一日に見える神は五柱といるかどうかで、ゆえに日常生活に於いて支障が出にくい要因でもある。
あのイノシシの神も、良識を持っていれば公園を出れば顕現をやめるだろう。
「良かったな。肩に乗れるくらいの小さな体で」
「そうだね。富士山級じゃなくてよかったよ」
話をする度に大災害が起きたのでは殺されても文句は言えない。
「あ、おいと待ち」
公園の道を横切り、再び茂みに入って公園から出ようとしたところで耳を引っ張られた。
「耳を手綱代わりにするのはやめろ。しかも左ばっか」
「ならこめかみの髪の毛を引っ張るか?」
「じゃなくて声だけでいいっての。それでなに?」
「このまま帰ってもつまらん。少し公園の中を歩いておくれ」
「いいけど、長くはヤダよ。勉強しないといけないから」
「学年八位のくせに何を言う。毎晩勉強しているではないか」
「それでもって志望校が落とした人が家族にいるから油断できないんだよ」
「一時間くらい息抜きしても合格は逃げんよ」
「……分かった。じゃあちょこっとだけね」
県立自然公園は数十万人の避難場所として設計されているので広い。その直径は四キロで、ジョギングコースでも県内では有名で休日には外郭を走る人は多い。年に一度だけマラソン大会も開かれ、貫之も参加して完走賞は何枚か貰っている。
公園は上空から見ると十字に区切られ、各区画でそれぞれテーマがある。北区画は凹凸のない原っぱ。東区画ではスポーツで各競技場。西区画はアスレチック広場。南区画は大きな池だ。
いま貫之がいるのは南区画で、中央に向け歩き出すとすぐ左手には緑色に濁った池が見えてくる。水面には鴨が泳ぎ、ボートが何艘も浮かんで親子やカップルが漕いでいる。この池は釣りが容認されているので特定の場所と限定されているが釣りをする人もいた。
それだけなら穏やかな池の風景だが、珍しく連続で別の神を見ることが出来た。
巨大なイノシシの神の次に見えたのは白く輝く白鳥だ。電球に等しいくらいの光量で水面に浮かぶ白鳥から放たれている。
原則的に大自然の神々は、大きさの違いはあれど人の姿をしているので、動物の姿をした神は道具の神霊となる。近くに依巫がいるのだろう。
「人の姿をした神はいないのかの」
人の姿の神は当然ながら『人外』の型に当てはまらず、体格は人間と大差がない。月筆乃命の場合はあまりにも人外なので『妖怪』となるわけだ。だからもしかしたらすれ違っていて気づいていないのかもしれない。
「さすがに人はね」
池のすぐ横を通る道を歩いて十数分歩くと、公園を十字に割る交差点広場へと差し掛かった。
そこは円形の小さな広場で、アスファルトによって補強されて露店が開いている。見えたのはワゴンで経営する女子供に人気のあるクレープ屋だ。
「…………」
そのクレープ屋を月筆乃命はジッと見る。
「一つなら買えるけど?」
「いや、食べたい気持ちはあるがまずは肉まんが先よ」
「肉まんにどんだけこだわりがあるのさ」
「そうではない。自分が決めた順番を変えるのが嫌なだけじゃ」
堅物で律儀な神だ。端的に言えば頑固者。
家から離れないように公園を探索するなら西側のアスレチック広場を通る方がいい。それに遊具が乱立する場所を通る方が面白みはあるだろう。
そう思いながらアスレチック広場と看板がある道に行こうとしたとき、クレープ屋から両手いっぱいのクレープを持つ一人の女性が南区画に向けて歩き出した。
その人を見た瞬間、貫之は立ち止まった。
月筆乃命も気づいて「あ」と呟く。
「いひひ、いつもこき使ってるからな。これくらい買い食いしても文句は言わねーだろ」
つい十数分前に強制的に別れたはずの古川が、だぼだぼのトレーナーにジーンズとあまりに似合っていない格好でいたのだ。
「……古川……だよな?」
「見間違う……ことはないが、どこか違う気がするの」
休日にレンタルショップや本屋に出かける際、上下スウェットで出歩く女性を見かけることはよくある。遠出をせず近所だから着替えるのが面倒で室内着のまま出る感じだ。しかし目の前にいる古川は、わざわざ着替えておきながら身近にあったものを着たような印象を受ける。
着替えるのなら顔に見合う服装をするはずだと、勝手ながらそう認識しているので違和感が強くあった。
「双子なのかな」
「にしてはゆゆはそのことを連想させることを何一つ言っておらんな」
他人の空似にしては似すぎている。それこそ当人を思うほどに。
「おーい、古川―」
どうするか選択肢を考えるよりも早く、月筆乃命は大声で叫んだ。
その声に、当該人ではない人も反応する。
「……あん? ひょっとして俺のことか?」
女にして一人称が俺に、さらに古川緋夜ではない考えが強まる。
両手で五つものクレープを持ち、すでに二つに噛み痕がある女子は貫之に近づいてきた。
「あんたら誰?」
古川ではないのが確定する。貫之たちを見ても心底嫌悪するよりは知らない人への怪訝な表情だ。間違いなく目の前にいる人は貫之を知らない。
「すまんな。知り合いと非常に似ていてつい声を掛けてしまった。突然ですまんが、姓は古川か? あ、我が依巫は月宮で、妾はフミじゃ」
名前を聞くならまずは自分からを忘れなかった月筆乃命は貫之の姓を名乗って聞いた。
「あ、ああ。古川で間違いないぜ。名前はキョウだ」
肯定したことで貫之の中で小さな衝撃が走る。少なくとも今通う学校で双子がいるなんて聞いたことがないし、もし双子なんていれば一度でも話題になるからだ。
同じ顔と姓でありながら家族がまったく違うとは考えにくい。いや、養子とかひねり出そうとすればありえるが、赤ん坊の頃からいる秋雪が示唆していない以上別人と考えるべきか。
色々と考えるうちに頭がこんがらがってきた。
古川に似たキョウはクレープを二つ、大口で平らげた。品性は女と言うよりは男だ。
「で、あんたらは緋夜のなに?」
「知り合いじゃ」
「ふーん。ってことは俺とも知り合いとなっても問題ないわけか。ナンパってわけでもなさそうだし、話があるなら付き合うぜ」
ん、と今日はまだ食べていないクレープを二つ突き出した。
「ここのクレープはうめぇんだ。でもさすがに五個は多いから貰ってくれ」
「あ、じゃあお金を……」
「金なんかいらねーよ。俺の金で買ったわけじゃねーし」
突き出すクレープを、貫之は申し訳なさそうに受け取った。生身は生クリームにチョコレート、イチゴにバナナが挟み込まれる定番のものだった。
「ありがとう。ありがたくいただくとするよ」
月筆乃命が礼を言うと、キョウは親指を立ててウインクを決めた。
「でもいいわけ? 肉まんを先にと言ってたけど」
「人の善意を受け取らずに自分の意地を通して良いことなどない」
「うわ屁理屈」
「何とでも言え。ほれ、寄こせ」
開き直ったように月筆乃命は手を伸ばし、貫之は左肩に手を挙げた。
「……うまい!」
物として生まれ、得た魂と持った肉体が初めて感じる味覚の感想はその一言だった。
明らかに大豆一粒入ればパンパンになる胃袋のはずなのに、その数十倍はあろうクレープを小さな口でどんどん食べていく。感想はその一言だけでクレープを食べきってしまった。
「この分では肉まんもさぞ妾を喜ばせそうだな!」
口にクリームをつけ、満面の笑みで叫ぶ。
「でもほどほどにね。お金ないんだから」
ポケットからティッシュを取り出して月筆乃命の口についたクリームをふき取る。
「分かっておるよ。一通り味見をすれば落ち着こうて」
その一通りが百種類を越えないことを祈る。きっと資金面は佐一から得る三十万に頼むのだろう。で、断ると功績云々を出して支払わせるに違いない。
「はは、そこまで喜ばれちゃあやっただけのことはあるな。もう一つ食うか?」
「ありがたいが、さすがに腹が一杯よ」
「その体で一つ全部食べるのでもすごいけど」
貫之のツッコミにキョウは「違いない」と笑うが月筆乃命は無視をした。
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