【完結】天才強言士の少年ユルは、世界救済の旅だと知らない(上)

ふくねこ

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虐げられる者

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「……わからんかのう。個人の人生だの、命がどうこうではない。県全体……そう、県はひとつの生命体のようなものじゃ。国府のように巨大なものに包まれて育ったユルどのにはわからないかもしれんがの。ところでユルどのは、県民たちがよい結果を出すために思い思いのジンクスを実行しているのを見てこなかったのかの?」

 好々爺ぶりはどこへいったか、感情的な皺を増やして憤りを見せるケインの応えに、ユルは思わず眉と首を捻った。

「このタイミングじゃ。いちどは見聞きしたじゃろ、みなは当たりを引くためのジンクスを実行しておるし、当然のことじゃと思うておる。それが何よりの証拠じゃ」

 ユルは巣で親鳥を呼び続ける雛のように口を開け、そのまま静止した。
 この老人、もしかして。

「……ところでケインさん。ジンクスって、どういう意味でしたか?」

「何を言っておる。自分が望む結果を得るために起こす行動じゃろうが。なんじゃ、国府ではこの程度の教育も受けないのか?」

「いや。真逆ですよ」
「はあ?」

「逆だと言ったんです。ジンクスは、自分にとって良くない出来事を指すんです。皆さん、当たりを引くことをジンクスと考えて、そのジンクスを払うために色々な行動をしてるんですけど」

 息の詰まるような、重苦しい沈黙が流れる。ケインが県民たちをぐるりと見回すが、ユルの言葉を進んで否定するものはいない。
 その様子を見るにつけ、ユルに黒い気持ちが沸々と湧き上がる。
 この老人、手のつけようがない。
 自分の信条を妄信するタイプ。もしかしたら、少しばかり頭の働きが悪くなってきているかもしれない。
 年齢が年齢なので、その点については無理もないが。

「いや……違うぞ。当たりの3人に選ばれることは名誉なことじゃ。もう60年以上、そのおかげでビストの襲撃を受けておらなんだ」

 ――ビストの襲撃。
 目の前の老人が何を信じているか、おおよその見当はつき始めていた。

「違いませんよ。本当のところ、ジンクスはケインさんの認識とは真逆の意味で、遭遇したくない悪い出来事を指すんです。ねえ?」

 ユルは芝居がかった動作で、手前に座る肩幅の広い県民の肩をリズミカルに二度叩いた。ケインも恰幅のよい男を見るが、強ばった顔の県民は肯定も否定もしない。

 男から目を離したケインは視線を宙に彷徨わせていたが、いつの間にか隣に移動していた茶渋スーツの男がその耳に何かを囁いた直後、瞳に光を取り戻す。

「そう。幸せになるんじゃ、幸せに。みな、塔で満足げに10ヶ月を過ごしておる。ソロリのために自分の強い運気と命を捧げるんじゃ、望まぬわけもない」

 10ヶ月、塔で過ごす、運気と命を捧げる、耳にしてきた県民たちの言葉──連想できるのは、為政者が定めた愚劣な儀式。
 最も嫌いな、強者による虐げだ。
 ユルは老人を今すぐ殴り飛ばしたくなったが、今はまだ堪えている。

「──本気でそう思ってるんですね」

 その声が渇いていた。
 体から血の気が引いていくような感覚。
 耐冷を付与せずに薄着でいることとは違う、肌にまとわりつくような寒さ。

「無論じゃ。ところで、お主はワシが説明しても引き返さなかった。ソロリの地に足をつけておる限り、県法違反で処罰できる。覚悟はできておるな?」

「……覚悟、ですか」

 こみ上げる熱量を持った感情を怒りだと自覚し、なぜかユルは無性に可笑しくなった。
 何十人もの幼い子を性的興味の対象にしていた副府長はかなりのものだったが、眼前の老人も相当なものだ。

「ぶっ、はははは……はははは――」

 引きつったユルの笑いが響く。
 ケロコンの兄も含めて、その場にいる全員がビストでも見るかのような目をユルへ向けた。
 目じりに涙を溜めたユルは息が続く限りまで笑い続け、紅潮した顔で激しく咳き込み、何度も深呼吸。
 すん、と真顔になり、決然と言う。

「久しぶりにすっごく頭にきました。ですので、ケインさんが大切にしてる行事というものを、ぶっ壊します」

 命を大切にしようとか、どんな身分でも命は等しいとか。
 小綺麗な標語が載せられた看板には跳び蹴りか拳を叩き込みたくなる。
 何ならスキュラで粉砕してもいいくらいだ。

 そんな性格の自分が抱く今の怒りは正義感や義憤からくるものではない。
 どんな方法でかは知らないが、ケインたちは県民の命を糧に県の安定運営を実現している。
 別にそれ自体は良い。必要なら、そういう手法もあるだろう。
 ただ、その場合は県民の合意か、最低限の納得が必要なはず。
 このソロリに合意はあるだろうか。
 そう考えたとき、ユルの答えは1つだった。

 ない。
 短い滞在ではあったが、今日の日を楽しみにしている者なんて、1人もいないように思えてならない。
 広場に並ぶ陰鬱げな県民たち、様々な場所で見られる奇行。
 みな、当たりを引くまいと必死にジンクスを打ち払おうとしている。

 なのに、県を守るべき立場の県令は、県民の行動の意味を取り違えていた。
 長年の間、従順だったと思われる県民たちを可哀想だとは思わないが、それで命を落とすのはあまりにもケインたちの思いどおり過ぎる。

 薄々とは感じていたが、そもそも自分は横暴な権力者が生理的に嫌いなんだ――
 ユルは頷いていた。

 初対面で国府長を毛嫌いしたのも、1000万ゴルで見逃してくれ、と懇願する副府長の骨を無言で11本ほどゆっくり折ってやったのも。
 この県で馬鹿なことを県民に強制しているケインも、恐らくは参謀のような立場であるケロコンとその兄、茶渋スーツの男も同類だ、と。

(――この人たちは、身をもって実感したほうがいい。虐げられる者の気持ちを)
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