【完結】転生後宮録―花毒と禁符の記憶―

@あおはる

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第三話

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 毒花の件から三日後。
 清華宮には、日常の静けさが戻ったかに見えた。
 けれど、翠玲スイレイは知っている。
 表面の平穏こそ、嵐の前触れだと。

 毒を仕込まれた花環は、いくつかの品とともに内廷に提出され、御医と典薬署による調査が進められていた。
 だが、決定的な証拠は出ていない。
 誰が、何の目的で“玉芙蓉”を紛れ込ませたのか──その核心に迫るには、まだ糸が足りなかった。

「翠玲様。監察司より、御目通りを求めております」

 午睡明け、可馨クゥシンが帳面を持って現れる。
 その背後には、見慣れぬ身形の女官が立っていた。
 黒衣に金縁の襟。
 刺繍はなく、装飾もないが、一目で分かる──監察司の服装だ。

「……通して」

 足音もなく歩み寄ったその女官は、翠玲を正面から見据えた。
 細身で背は高く、姿勢は凛として崩れがない。
 頬の輪郭は引き締まり、唇の端がわずかに引き結ばれている。
 目元には薄化粧が施されているが、むしろそれが彼女の冷ややかな眼差しを際立たせていた。
 その瞳は黒曜石のように深く澄み、何かを測るように一瞬たりとも揺れない。

「初めまして、徳妃様の妹君。私、監察司の詩涵シハンと申します」

「……李 翠玲です。姉──徳妃様の補佐を務めております」

 二人の間に、しばしの沈黙が流れる。
 詩涵は、微動だにせず直立し、呼吸すら整っているように見える。
 彼女の手は、前で軽く組まれているが、指先にはわずかな緊張を含んでいる。
 やがて、無駄な抑揚を排した声音で口を開いた。

「一つ、申し上げておきます。私は、前任徳妃付きの監察女官でした」

 (前任──!)

 翠玲の眉がわずかに動く。
 病で急逝したとされる、前徳妃。
 あの人の死に、どこか不自然な気配があったことは確かだ。

「私が監察司に戻されたのは、あの方が崩御された直後。調査は中断され、口外も禁じられました」

「……ということは、今も調べているのですね?」

「ええ。“玉芙蓉”が現れたと聞いたとき、私は確信しました。あれは偶然じゃない。何者かが、再び動き出したのだと」

 互いに相手を探る視線。
 詩涵は、感情のない仮面のような微笑みを一瞬浮かべたが、それはすぐに消える。
 彼女の左手が、無意識に袖口を撫でた。
 何かを思い出すような、あるいは抑え込むような仕草だった。
 だが目的は、同じ“真相”だ。

「協力する気は?」

「ありません。ただ──情報交換なら、互いの為になるかと」

 その言葉に、翠玲はわずかに口元を緩めた。

「いいでしょう。情報は、等価で」

 手始めに、詩涵は、前徳妃が亡くなる直前に受け取った贈り物の中に、“香を染み込ませた押し花”が含まれていたという記録を見せてくれた。
 それは薬効ではなく、“風水呪”に通じる儀式的な処理が施されていたと。

「この押し花、まだ残っていたかもしれません」

 そう言って、翠玲は翠薇スイビ姉さまが保管していた贈答品の一部を可馨に調べてもらう。
 そして、可馨と共に細工の甘い箱を開け、裏地を剥がしてみると──

「……あった」

 一枚の花弁の裏に、微かに文字が記されている。
 風水で用いられる“封”の符字。
 護符に似て非なる、呪を導くための誘導符だった。

「風水と呪術を併せた手口……。古い時代のものね」

 詩涵が、低く呟いた。
 彼女は、花弁に視線を落とし、指先で慎重に持ち上げる。
 その動作は、仏前の香を扱うように慎重で、どこか祈りにも似ていた。

「これは、普通の内官や妃には扱えません。専門知識を持つ誰かが、手を貸している」

(──内通者がいる……?)

 翠玲は、寒気にも似た予感を覚えた。

「“玉芙蓉”と“風水符”……ふたつが揃ったとき、死は選ばれる」

 詩涵の言葉は、静かであったが、そこに含まれる重みは確かだった。
 前徳妃は、それで命を落とし、そして今、翠薇姉さまが狙われている。

 敵は誰か?
 狙いは何か?
 ──そして、次に動くのは誰か。

「……しばらく、情報交換を続けましょう。目的は同じ。真実に辿り着くこと」

「了承しました、翠玲様」

 二人の目が合う。
 冷静と情熱──対照的な視線が、そこに交差した。
 詩涵は、背筋を伸ばしたまま、深く一礼する。
 その所作は、武人のように隙がなく、清潔な気迫をまとっていた。

 清華宮の奥。春が終わり、初夏の風が吹く頃。
 後宮の陰は、ますます深く、濃くなってゆく。 
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