【完結】転生後宮録―花毒と禁符の記憶―

@あおはる

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第二話

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 王朝の象徴ともいえる後宮には、いま一つの不在が影を落としていた――“皇后の空位”である。

 帝が即位して五年。だが、いまだ后妃は定まっていない。
 
 四妃(貴妃・賢妃・淑妃・徳妃)がそれぞれの宮を預かるも、後宮は中枢を欠いたまま、静かに膨れあがる緊張を抱えていた。

 そのなかでも、淑妃が帝の寵愛を一身に受けているという噂は、宮中で密やかに囁かれている。
 ただ、噂はあくまで噂。

 帝の行動は慎重で、寵愛を公に示すことはなく、どの妃にも決定的な差は与えられていない。
 それゆえに、各妃の背後にある有力貴族たちの動きも、なおさら不穏なものとなっていた。

 翠薇スイビ姉さまが、“徳妃”の位を授かり、清華宮に入ってから、すでに二ヶ月が過ぎていた。
 今年の春──桜が舞う季節に入内した翡翠は、まだ十八歳。
 その品位と、節度ある立ち居振る舞いは、内外の評判も高く、侍女や内官たちの間では“いずれ后の器”との声も囁かれている。

 ただし──帝の通いは、まだ一度もない。

 入内から二週間ほど過ぎた夜、御駕籠が清華宮に入ったと記録されているが、あれは形式的な挨拶に過ぎないのだろう。

 翠玲スイレイが、眠りについた後のことなので、詳しくは聞かされていない。

 (そういう、センシティブな事案は、たとえ姉妹でも難しいよね。それに今の私は、十五の乙女だし)

 それ以降、皇帝が、翠薇姉さまのもとを訪れた気配はないらしく、清華宮には、張り詰めた空気と静寂だけが残されている。

 理由は定かではないが、清華宮には、かつて“前徳妃”が急逝したという不穏な前例がある。

 病とされたが、真相は曖昧なまま。
 帝がその件に、どれほど心を残しているのかは知られていない。
 だが、同じ“徳妃”の位を継いだ、翠薇姉さまに近づかぬのは、無意識の警戒か、あるいは──後宮に渦巻く陰の気配を、帝自身が感じ取っているのかもしれなかった。

 それゆえにか、翠薇姉さまの十九の誕辰は、綺羅びやかな祝宴ではなく、身内だけで祝う静かな茶席にとどめられていた。
 場所は清華宮の中庭。
 藤棚の花が揺れ、涼やかな風鈴の音が鳴っている。

「姉さま、お誕生日おめでとうございます」

「ありがとう、翠玲」

 翠玲が、そっと差し出したのは、翠薇姉さまの好きな干し梨と手製の香袋。
 茶を淹れる紅玉ホンユイ、控える可馨クゥシン蘊華リュウチー、飾り付けを担当した雨萱ユィシュエン小春ピンイン

 清華宮で働く者達だけでの、控えめで温かな誕辰のひと時を過ごす。

 地元を離れて、初めての誕辰だが、それでも、清華宮に届けられた贈り物は、予想していた以上に多かった。

 四妃の一角とはいえ、皇后が空位のいま、各妃の背後には有力貴族の思惑が渦巻く。
 翠薇姉さまにも、代々尚書官を務める名家出身として、相応の注目が集まるのも当然の事ではある。

 沢山の贈り物の中身を、清華宮の侍女と宮女が総出で吟味していく。
 絹布に香包、薬湯に玉細工──そして、白磁に盛られた花環が一つ。
 特に、花々の間に飾られた、一輪の淡い紫の花が、翠玲の目を引いた。
 
「これは……何の花かしら?」

 妹と同じ物が気になるのは、仲良し姉妹たる由縁か。

「桃花、夜来香、それに……見覚えのない花ですね」

 花環に触れずに、顔だけを近付けた翠玲は、眉をひそめた。
 甘く重たい香りに混じる、どこか鋭い薬臭。

「……っ!」

 翠玲の代わりに、花環に触れていた宮女が、突然身体を震わせ、その場に崩れ落ちた。

「大変!蘊華、水を! 可馨、医官を!」

「「はいっ!」」

 翠玲の声に、すぐさま動く侍女たち。

 その間にも翠玲は、倒れた侍女の脈と呼吸を確かめていた。

(……遅い。呼吸が浅い。これは──)

「毒、ですね。しかも……選別毒」

 翠玲は、花環を睨むように見下ろす。
 桃花でも夜来香でもない。
 問題はあの淡紫の──

(まさか、“玉芙蓉”……!?)

 淡紫の五弁花。
 幻の毒花と呼ばれ、後宮では禁花とされている。

 香気を吸い続けることで、体内に毒素が蓄積され、体質によって発症する。
 即効性はないが、まれに短時間で昏倒する者もいる。

 翠薇姉さまは、無事だった。
 だが、すぐ傍にいた宮女が倒れた。

 (──偶然じゃ……ない?)

 意図的に置かれた、“選別の毒”。

「雨萱。この花、見たことある?」

「……おそらく“玉芙蓉”かと。正式には“玉芙蓉花”。毒性が強く、育成や持ち込みは禁止されています。三代前の后妃様が、それを髪飾りにして倒れたという記録も……」

「──徳妃の記録には?」

 翠薇姉さまの言葉で、翠玲は宮女に頼んで、帳面を取りに行かせる。

 宮女が持ってきたのは、翠薇姉さまの前任──病で急逝した前徳妃の献上品一覧。

 翠玲は、急いで帳面を繰る。

 そこに、小さな文字で記された一行を見つけた。

「“芙蓉を髪飾りに用いしことあり”……」

 ──やはり、同じ花。

 そして、当時と同じ毒。

 二度までも、徳妃の宮に“玉芙蓉”が贈られた意味。

 それはすなわち、翠薇姉さまもまた狙われているということ。

 (──翠薇姉さまは、私が絶対に守る!)

 風が吹く。
 藤棚が揺れ、風鈴が鳴った。

 だがその音は涼やかというには重く──毒の予兆を告げるように、耳に残った。
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