【完結】転生後宮録―花毒と禁符の記憶―

@あおはる

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第四話

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 風が変わった──そう感じたのは、詩涵シハンとの出会いから一月後のことだった。

 清華宮に吹き込む初夏の風は、いつもより湿り気を帯びていた。
 香炉にくべた香の匂いも、どこか鈍く、重たく感じる。
 
 翠玲スイレイは、香の変化に真っ先に気づいた。

「……香が、籠もってる?」

 気のせいではない。

 雨萱ユィシュエンも、可馨クゥシンからも、なんとなく頭痛や吐き気を訴えていた。

 だが、翠薇スイビ姉さまはお元気で、御前でも微笑みを崩さない。
 
 それが、逆に不気味だった。

「毒の作用が、時間差で侍女にだけ……?」

 直ぐに、具合いの悪い者達を医官に診せて、大事無いことに安堵する。
 
 翠玲は、ふと思い出す。

 前世、日本で過労死寸前まで働いていた頃──唯一の楽しみは、静かな自室で本を読むことだった。

 ジャンルは多岐に渡った。
 所謂、活字中毒者だったのだ。
 小学生の頃からその傾向はあり、記憶力も良かったのも原因かも知れない。

 陰陽師の存在を知ってからは、風水や占術、陰陽五行、香と薬草に関する分野にハマった。
 紙の本だけでは飽き足らず、最終的には電子書籍や論文アプリで、マニアックな資料まで読み漁っていたのだ。

 そして転生後、この世界でもそれは変わらなかった。
 文字を覚えるより前に、書物に興味を示し、李家の文庫に入り浸っては、古書を抱えて眠る日々。
 医術や薬草の知識に始まり、風水や祭礼、各地の言い伝えまで片っ端から読み漁った。
 その結果、貴族の女性としては異常なほど、雑学の引き出しが増えていた。

 (それが今、後宮で役立つなんてね……)

 と、皮肉にも思う。

 しかも、今世では──“気の流れ”や護符などを扱える様になったのだ。

 (これが、よく言われる、転生特典かしらって思ったのよね)

 詩涵が残していった押し花のような護符。
 それを目にした時、翠玲は、ただの飾り物ではないと、直感していた。

「風水符……“気の流れ”を操作するもの。もしこれで空気を操っていたら……毒の巡り方すら、変えられるかも」

 風水とは、空気と香りの見えない導線。
 それを符で操作すれば、特定の場所に毒を留め、広げることができる。

「まさか、“結界”が張られてる……?」

 監察司の詩涵を訪ねて、その事実を確認すると、彼女は小さく頷いた。

「後宮を守る為、四夫人の住まい……賢妃の翠和宮、淑妃の香蘭宮、貴妃の緋雲宮、そして徳妃とあなた様が住まう清華宮。それらが、宮城の東西南北に沿って、ほぼ正確な円を描くように配置されております」

「円……?」

 (……源氏物語の、六条院みたいな感じ?)

「風水で言えば、“結界”の基本形。気の流れを操りやすい構造よ。そして、この配置が歪められているの。わずかだけど、確実に外からの力で」

「つまり、この風水符は……」

「毒の“拡散”を助ける結界でもあり、同時に“選別”するための罠でございます」

 ターゲットは翠薇スイビ姉さまだけではない。

 翠薇姉さまの、“周囲”だ。 
 徳妃付きの侍女が、次々と体調を崩せば、翠薇姉さまは、他の妃から『不浄』と遠ざけられる。
 孤立はやがて、徳妃本人の失脚に繋がる。

「姉さまを直接狙うのではなく、支えを崩す。ずっと前から、計画されていた……」

 翠玲は、翠薇姉さまが以前、ふと漏らした言葉を思い出す。

『春の頃、禁苑に珍しい花が咲いていたの。でも、御花女官に言っても、そんなものは記録にないって言われたの……不思議ね』

「──禁苑……!」

 翠玲は可馨と蘊華を連れて、こっそり禁苑へ向かった。
 宮中でも、立ち入り制限のあるその場所は、古くからの草木が残り、時に野草や薬草も見つかる。

 踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
 冷たい風が、ひやりと頬を撫でる。
 それはまるで、よそ者を拒むようだった。

「ここ……“気”が乱れてる」

 足元には、他と色の違う土が円状に広がっている。
 根こそぎ引き抜かれた跡、周囲の草だけが妙に成長が早く、不自然に繁っている。

「誰かが、何かを育てていた……そして、持ち出された」

 蘊華が、落ち葉の下から割れた陶器の欠片を拾った。
 薬瓶か鉢の破片だ。
 さらに可馨が、風にさらされた和紙の残片を発見する。
 文字は滲んでいたが、風水符に用いられる筆致に酷似していた。

「毒花を栽培し、それに結界をかけていた……」

 犯人は、後宮の誰かか。

 それとも──もっと外から入り込んだ存在か?

 長い時間をかけて計画されていたのは確かだった。

 翠玲の背に、一筋の風が囁く。

 (この計画は、まだ終わっていない)

 拳を握りしめ、翠玲は小さく呟いた。

「誰が、こんな回りくどいやり方を……。いいえ、回りくどいからこそ、怖い。“仕組まれた孤独”だ」

 翠薇姉さまを守る為に、次に動くのは自分、そう心に決めた、その時──

 清華宮に帰り着いた翠玲は、ふと立ち止まった。

 軒下に吊るされた風鈴が、一つとして音を立てていなかった。

 ──風が、止まっていた。
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