7 / 8
第六話
しおりを挟む夜の禁苑に、静かな風が吹いていた。
「花の儀式」と呼ばれる祭の最中。
香炉の中心には、紫煙とともに、ある“香”が立ちのぼっていた。
それは、数年前に失われたはずの幻の毒――“花毒”を微量に調合したものだった。
香炉のそばに立つのは、淡い水色の衣をまとう美琳美人。
金糸の刺繍が入ったその装束は風に揺れ、その姿は神秘と不穏の間を漂っていた。
「やっぱり、あなたでしたか」
香炉の外縁に立つ翠玲は、手にした符を構えて言い放つ。
「あら?意外と早く来たのね……李 翠玲さん。あと少しで、この儀はすべて完成していたのに……残念ね」
全く悪びれた様子もない、美琳 美人。
飄々とした態度で、翠玲を見据える。
『美琳美人。
後宮の片隅──芳心宮にて、ひっそりと暮らす下位の美人。
容姿は端麗だが控えめで、御前にもほとんど顔を出さない。
噂すらほとんど聞かない、影のような存在』
翠玲は、先ほど聞いた、美琳美人の人となりを反芻する。
(えっ?違くない?目の前の女性は、妖艶な美人お姉さんだよぉ)
「終わらせません。姉さまも、後宮も、私が守ります」
「まあ、大きくでたわねぇ。やっぱり、若さかしら」
「まぁ──否定はしません!」
(ぶっちゃけ、もう少しでアラフィフですけどね!)
翠玲は、禁苑に到着してからと、この一連のやり取りの中で、前世と転生後の知識を総動員しながら、香炉の結界構造と禁苑の風水の流れを読み解いていた。
翠玲は、香と風の流れが重なる“穴”を突いて、符を滑り込ませる。
読み通りに紫煙がはじけ、香炉が鈍くうなる。
次第に、香に仕込まれていた花毒の結界が大きく軋み、崩れ始めた。
「……あなたが、琳琅 さんを動かしたんですよね」
「動かした? いいえ。私はただ“道”を示しただけ。
欲望の芽に花毒の香を添えれば──人は自ら選ぶものよ」
美琳美人は、静かに微笑んだ。
花毒は、吸った者の感情をゆるやかに増幅し、判断力を鈍らせる性質がある。
琳琅の心にあった闇が、それに反応した──そういうことだろう。
「……どうして、こんな事を?」
「……帝からの寵愛が欲しかったから──という理由で、あなたは信じてくれるかしら」
美琳美人の、本気とも冗談とも取れるその答えに、翠玲は、敢えて何も答えなかった。
その様子を、ふふふと笑う美琳美人。
術の補助香には花毒が含まれていたが、あまりに薄く、直接的な加害の証拠にはならないだろう。
しかし、美琳美人が香と術を導いていた事実は動かしがたく、結界の破綻とともに、雪崩込んできた禁軍によって、術士たちは次々と拘束されていった。
可馨と蘊華が密かに準備していたのだと、翠玲の側に駆けつけた本人達自ら教えてくれた。
調査によって、術士たちの背後に一部高官の名が浮かぶも、結局は、明確な証拠は出ず、黒幕の全容は掴めず。
美琳美人は、自ら手を下すことなく儀式を構築していた為、幽閉という形で処分されることとなった。
去り際、翠玲は問いかける。
「もう一度、問います。あなたの目的は、何だったのですか?」
「……ただ、流れを変えたかったの。閉じきったこの空気の中に、新しい風を吹かせたかった。例え、それが毒にまみれた風でもね」
それだけを残して、美琳美人は静かに去っていった。
◇
一方、琳琅は術補助の罪で処罰されたが、花毒による心理操作の影響が認められ、減刑された。
結界は崩れ、儀式は未遂に終わった。
無事、翠薇姉さまに害は及ばず、後宮の危機はひとまず回避された。
翠玲の知識と行動力は高く評価され、後宮内での信頼も厚くなった。
しかし彼女の中には、拭いきれない疑念が残る。
術士が使っていた符の一部に、王宮内部でしか知られていない秘文と酷似した構造があったのだ。
「……まだ、裏がある」
空を仰ぎながら、翠玲はそう呟いた。
その肩に、翠薇姉さまがそっと手を置く。
「ありがとう。翠玲が傍にいてくれて、本当に良かったわ」
そう言いながら微笑む翠薇姉さまに、翠玲もつられて微笑む。
「姉さまを守るのは、私の天命ですから」
風が止んだ清華宮の庭を、二人は並んで歩き出す。
恐れも迷いも、もうない。
けれど──
完全な終わりではないと、翠玲は理解していた。
これはひとつの区切り。
そして、また次の“陰”への扉。
ここは、陰謀渦巻く“伏魔殿”と呼ばれる──後宮なのだから。
風を断ち、夜を越えた少女は、再び歩き始める。
次なる闇に、静かに挑むために。
0
あなたにおすすめの小説
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシェリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる