182年の人生

山碕田鶴

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1878ー1913 吉澤識

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 己の孤独に気づいて初めて、父母を思った。大陸での密葬に父母は来ていない。後に本葬をするのかさえわからない。
 父母は、放蕩息子の夭逝ようせいに覚悟と予感はあったのだろう。淡々と日々を過ごしていた。
 大陸で死した私が父母の状況を知っているのは、今こうして実家にいるからだ。
 過去でも未来でもない。現世の吉澤本宅だ。父母を思った瞬間、私はなぜか実家にいた。
 懐かしいが、それだけだ。私が孤独であることには変わりがなかった。
 本葬はまだらしい。私の死は報道されていないから、周囲は大陸に渡ったままだと思っているようだ。
 仏壇に私の遺影はない。世間一般にはそもそもないのかもしれないが、吉澤の家には私の祖父の写真集があった。これは祖父自身の意向である。有力な政財界人が葬儀に際して写真集を作っていたのを見て真似たのか、流行りの噂に飛びついたのであろう。
 私自身は写真など撮ったことがない。弟の経は雑誌に多く取り上げられていたから、後世に写真が残るかもしれないな。これもある意味永遠を生きるということか。
 ここにいると、日に何度も線香の匂いがする。私を弔う様子はどこにもないのに、不思議と意思だけは伝わってくる。私は煙草はやらないが、なにやら煙草をのんでいる気分になる。
 父は数日ずっと書斎にこもっていた。大量に届いた書類を睨んでいる。私の死について大陸で取材をした記者たちの記録のようだ。記者の手帳や走り書きまであって驚く。
   警察の調書らしき冊子はどうやって手に入れたのか。父のやることは全く不可解である。
 ああ、写真か。加藤を始末した三人が、現場の証拠として撮影したものであろう。何枚も。何枚も。加藤がいかに私に執着し、残忍な犯行に及んだのかがご丁寧に写されている。加藤がどれだけ私をけがし、おぞましい関係に至ったのかをいったい誰が証言したがっているのか。
 私は思わず顔を背けた。思い出したくもない。それを父は黙って見続けていた。
 父母より先に逝った親不孝を詫びねばならないな。方法は、思いつかない。
 鬱々とした気を紛らわすのに過去や未来をしばらくさまよって、戻ってみると父に来客があった。
 仏間だ。線香が新しい。
 私服だが物腰から軍人であろうことはすぐにわかった。どうやら私の弔問らしいな。

ゆるせ、吉澤。お前にまた貸しを作った」
「言うな。やつは満足だろうよ。悔いはなかろう」
「加藤も……残念だったな」
「あれはずいぶんとやってくれたものだ。さすがに酷い」
「調書を見たのか?」
「写真があった」

 客人は、父の様子をうかがっていた。息子の惨殺写真をよく見られるな、という顔だ。この男は事件を全て知っているらしい。

「なんだ。おかしいか?  あれがやつの近影だ。識の選んだ最期だ。見届けるのが親の務めであろう」

 父は平然と言った。ずいぶんと満足そうではないか。

「加藤の実家に行ってくれたのだろう?  家族はどうしている?」
「警察から事件のことを全て聞かされていた。あれは父も軍人だ。吉澤に頼まれたとおり、私から説明した」
「手間をかけさせたな、宇都宮。せめて加藤の名誉は守ってやりたい。お前の事情もあるから私が表に出るわけにはゆかぬ。私からの補償は受けると言ってくれたのか?」
「桁が多過ぎる。秘匿任務により殉職した軍人に対する賞恤金しょうじゅつきんのつもりだとお前が言うのを伝えて事情は理解したようだが、金額が大き過ぎて唖然としていたぞ」
「加藤があそこまで派手にやったから、記者たちが騒いだ。商業会の連中も、記者から聞いた吉澤組の醜聞をあちらこちらで隠れて吹聴して回った。お陰でお前の知るところとなった。第二部本部は結局事件を世間的には隠蔽するしかなかったが、大陸部署だけで極秘に処理されずに済んだではないか。識がただ暴漢に襲われただけなら、本当に全て隠蔽されていたぞ。事件があれだけ猟奇的で酷かったから、報道規制も容易たやすかった。吉澤組も守られた。加藤に報いるにはあれでも安過ぎる」
「相変わらずだな。酷いのはお前だ。識が不憫ではないか」

 加藤、どうやらお前は褒められているようだぞ。私は散々だったがな。
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