182年の人生

山碕田鶴

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1913ー1940 小林建夫

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 秋山については、すぐに興信所を使って調べさせた。
 秋山正二しょうじ、二十七歳。学業が優秀で、給費の奨学金を得て大学を卒業し新聞社に入社する。新聞社には就職する以前から出入りしており、見習いのようなことをやっていた。記者としても順当に経験を積んでいる。
 それ以上特筆すべきことはない。
   大正二年生まれの正二。同年生まれの同名は、それこそ山のようにいる。御代替みよがわりのすぐ後で、元号にちなんだ名はありふれていた。
 私も正二を知っている。かつて記者の佐藤が連れていた荷物持ちの少年だ。
 秋山は、あの少年に違いなかった。
 なぜまた私の前に現れた?
 小林の人生は記事にする価値はあろうが、そのためだけに足繁く通うとは思えなかった。
 気をつけよと私の本能が警告する。秋山の個人的事情か。私はどこかで恨みでも買ったのか。
 秋山は村に来るたび、住人たちに当たり障りのない取材をして回っているようだった。私が直接会うのを拒否しているから、伝聞だけでも拾い集めているのだろうか。
 私に黒い噂は何ひとつない。法に触れる行為もない。わずかにも醜聞が出てくることはない。
 そういうやり方があるのだ。秋山がどう探ろうと、小林は清廉だ。

「会長、あの看板とももうすぐお別れですねえ」

 私の隣で事務所から工場を眺めていた現社長の信太郎が、入り口にかけられた木製の表札を名残惜しそうに見ていた。

「小林組。会長の名を記念に残して下さって良かったのに」
「代替わりして製糸業も終わる。心機一転社名を変えるのも悪くなかろう。私は君たちに救われた恩を返したかっただけなのだよ。我ながら頑張った。十分頑張ったろう?」

 私が小林建夫となって二十七年が過ぎていた。

「本当に。いやあ、懐かしいですねえ。実は遺書を見つけた時、私は会長に捨てられたと思ったんですよ。私らを置いて一人で行ってしまうのかって悔しくて。でも、会長はちゃんと帰って来てくれた。私ら社員はみんな感謝しています。村の全員が感謝していますよ」

 信太郎は小林が入水した時に助けに来た一人だ。それ以前からずっと小林を親と慕い、その後も私のそばにいて小林を支え続けてきた。
 私は自分が小林となって救われた、あの時の手の温かさを忘れることはない。あれが私の二度目の人生の始まりだった。
 ……そうか。
 私は失念していたのだ。かつて少年だった正二が、ヤイのもとに集まっていた幽霊たちを消し去ったことを。私が、正二に近づいてはならないと警戒したことを。
 秋山は、私を消しに来たのか?



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