57 / 200
1913ー1940 小林建夫
27-(1/5)
しおりを挟む
その日も朝からよく晴れていた。ヨーロッパでは、独国軍、伊国軍が周辺国を次々と侵攻している。本国内はここ数日、この二国と我が国が同盟を結んだという報道でもちきりであった。
人生晩年となった私は、ただ知り、考えることしかできない。せめて一日でも長く生きて、世情の多くを見届けたかった。
秋山は二十七か。徴兵が及ばなければ、これからの人生を記者として長く生きて行けるのか。羨ましい限りだな。
早朝の散歩は私の日課だ。すっかり整備された大通りは行かず、工場敷地裏手の竹林をのんびりと散策する。八十を越えた身体には、これでもかなりの運動だ。
田舎暮らしには慣れた。肉体を鍛えることで魂とよく馴染んだのか、身体はどこにも違和感がない。
過去が遠くなるにつれ記憶は勝手に補正され、まるではじめから小林だったような気さえする。意識は既成事実を是とするらしい。
私は奇跡の時間を生きてきた。どうせ奇跡ならば、これが永遠に続けばよいのにと思う。
しばらく歩いて、はたと足が止まる。
監視の気配だ。
天から見張られているような、背筋が寒くなる異様な空気に思わず辺りを見回した。
竹林に人影がある。
じっとこちらを見たまま動かない。
「秋山……」
秋山は無表情のままこちらに向かって来た。意志の強そうな顔立ちは子供の頃と変わらない。かつての痩せた少年は、細身のまま私の身長を越していた。
「おはようございます。散歩はお済みで?」
「見ての通り、まだ途中だよ」
「そうですか。とっくに終わっていると思っておりましたが」
「……何が言いたい?」
「言わずとも貴方はご承知でしょう」
秋山は淡々と言った。
ああ、この目だ。私を監視してきたあの視線の主はこの男なのだ。
直感で確信した。私が小林となった時から常に感じ続けた恐怖が今、目の前にある。
「君は私をずっと監視していたのか?」
「俺は第二部の所属ではないので、諜報のやり方など知りません。気配を完全に消すことはできなかったようですね」
私を嘲笑するかのように、秋山の口角がわずかに上がる。射るような目は私の動揺を見逃さない。
第二部か。懐かしい言葉だ。
秋山は私が吉澤識であった過去を知っている。私の全てを知っている。
かつてヤイが言っていた。秋山は人ならざる何か大きな存在だと。それならば納得がいく。
この男は、私が監視の視線に気づき、怖れるように仕向けていたのだ。私が小林となって再びこの世を生き始めた時から。
秩序を乱すものは、速やかに排除されなければなりません。
秋山の言葉だ。
秩序とは、すなわちこの世での生き死にのことか。私は存在してはならないということか。
「……お前は死神か?」
馬鹿げている。そう思いながら、それ以外が思いつかない。
「呼び方はどうとでも。貴方が二度目の人生にすぐ飽きてあの世へ行くと思い、黙って見ておりました。しかしながら、向かう様子が微塵もない。仕方なくこうして直接会いに来ました」
秋山はつまらなそうに言った。
「貴方は存在してはならない。可及的速やかにこの世から消えていただかねばならない。おわかりか? 貴方は規則違反なのだ」
「小林を殺して肉体を奪ったことか? その罪を罰するために私を消すのか?」
「この世でそれを立証できる者はいない。俺はこの世の善悪を問うてはいない。この世の善悪は、俺の関与するところではない。ひとつ教えてやる。小林建夫は自らこの世を去った。お前はただその場に居合わせただけだ。お前が殺したわけではない」
秋山は、はっきりと人ならざる者に変わっていた。
いや、はじめからこれが秋山なのだ。
正二と初めて会った時の強い視線を私は覚えている。今と同じだ。
秋山は私に対してなんの感情も持っていない。ただ排除しようとしている。平然と。
はじめから敵う相手ではない。
目の前にいるのは、秋山正二という人間の姿をした死神なのだ。
人生晩年となった私は、ただ知り、考えることしかできない。せめて一日でも長く生きて、世情の多くを見届けたかった。
秋山は二十七か。徴兵が及ばなければ、これからの人生を記者として長く生きて行けるのか。羨ましい限りだな。
早朝の散歩は私の日課だ。すっかり整備された大通りは行かず、工場敷地裏手の竹林をのんびりと散策する。八十を越えた身体には、これでもかなりの運動だ。
田舎暮らしには慣れた。肉体を鍛えることで魂とよく馴染んだのか、身体はどこにも違和感がない。
過去が遠くなるにつれ記憶は勝手に補正され、まるではじめから小林だったような気さえする。意識は既成事実を是とするらしい。
私は奇跡の時間を生きてきた。どうせ奇跡ならば、これが永遠に続けばよいのにと思う。
しばらく歩いて、はたと足が止まる。
監視の気配だ。
天から見張られているような、背筋が寒くなる異様な空気に思わず辺りを見回した。
竹林に人影がある。
じっとこちらを見たまま動かない。
「秋山……」
秋山は無表情のままこちらに向かって来た。意志の強そうな顔立ちは子供の頃と変わらない。かつての痩せた少年は、細身のまま私の身長を越していた。
「おはようございます。散歩はお済みで?」
「見ての通り、まだ途中だよ」
「そうですか。とっくに終わっていると思っておりましたが」
「……何が言いたい?」
「言わずとも貴方はご承知でしょう」
秋山は淡々と言った。
ああ、この目だ。私を監視してきたあの視線の主はこの男なのだ。
直感で確信した。私が小林となった時から常に感じ続けた恐怖が今、目の前にある。
「君は私をずっと監視していたのか?」
「俺は第二部の所属ではないので、諜報のやり方など知りません。気配を完全に消すことはできなかったようですね」
私を嘲笑するかのように、秋山の口角がわずかに上がる。射るような目は私の動揺を見逃さない。
第二部か。懐かしい言葉だ。
秋山は私が吉澤識であった過去を知っている。私の全てを知っている。
かつてヤイが言っていた。秋山は人ならざる何か大きな存在だと。それならば納得がいく。
この男は、私が監視の視線に気づき、怖れるように仕向けていたのだ。私が小林となって再びこの世を生き始めた時から。
秩序を乱すものは、速やかに排除されなければなりません。
秋山の言葉だ。
秩序とは、すなわちこの世での生き死にのことか。私は存在してはならないということか。
「……お前は死神か?」
馬鹿げている。そう思いながら、それ以外が思いつかない。
「呼び方はどうとでも。貴方が二度目の人生にすぐ飽きてあの世へ行くと思い、黙って見ておりました。しかしながら、向かう様子が微塵もない。仕方なくこうして直接会いに来ました」
秋山はつまらなそうに言った。
「貴方は存在してはならない。可及的速やかにこの世から消えていただかねばならない。おわかりか? 貴方は規則違反なのだ」
「小林を殺して肉体を奪ったことか? その罪を罰するために私を消すのか?」
「この世でそれを立証できる者はいない。俺はこの世の善悪を問うてはいない。この世の善悪は、俺の関与するところではない。ひとつ教えてやる。小林建夫は自らこの世を去った。お前はただその場に居合わせただけだ。お前が殺したわけではない」
秋山は、はっきりと人ならざる者に変わっていた。
いや、はじめからこれが秋山なのだ。
正二と初めて会った時の強い視線を私は覚えている。今と同じだ。
秋山は私に対してなんの感情も持っていない。ただ排除しようとしている。平然と。
はじめから敵う相手ではない。
目の前にいるのは、秋山正二という人間の姿をした死神なのだ。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる