182年の人生

山碕田鶴

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1940ー1974 秋山正二

33-(3/3)

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「死神のくせに必死……だな。そんなに……私が、欲しいか……」

 死神といえど、今対峙しているのは肉体を持つ生身の人間だ。私は既に六十歳であるが、そう簡単に負けるとは思えなかった。

「肉の嫌いな死神……私の肉の色に染まって……愉快だな」

 極限の興奮状態で、死神を挑発するような言葉が次々と口をついて出た。死神の反応を楽しんですらいた。
 そう。私は楽しかったのだ。私を喰らおうとする死神の欲望が私に向けられていることに、満ち足りた思いがした。まさに生きていることを実感していた。

「お前はいつも、ナイフだ……芸がない。魂は心臓に……宿るのか?」

 もはや声にならなかった。命がこぼれるかすれた音が漏れるだけだ。溢れ出る命に溺れて息ができない。
 それでも死神には伝わっているらしい。

「万が一にも命拾いされると面倒だからな。確実に廃棄処分する必要があるから仕方なかろう」

 廃棄処分か。この肉体もアンドロイドの身体も、死神から見れば同じだな。お前は肉の匂いがしない機械の方が好みであろうな。
 私はきっと笑っている。
 生きたいと願いながら、死に直面して最も強く生を感じるこの瞬間を喜んでいる。

「憐れな死神……もっと、私を……欲しがれ……」

 死神もまた、満足気に微笑んでいた。結末が見えたのだろう。
 死神の手首を掴む私の手から力が抜けていく。
 肉体と魂が分離するのを感じながら、赤く染まっていく死神から顔を背けた。
 遠くに小さな明かりがいくつか揺れている。数人の大人がそこかしこで誰かを呼ぶ声が、風に乗ってかすかに聞こえてくる。
 ああ、こんな時間に人探しとは。迷子だろうか……。
 自分の置かれた状況とは無縁なことをぼんやりと考えながら、林の外の景色を眺めた。
 時間にすればわずかもなかったろう。
 動く影が目に入った。
 子供だ。十歳くらいか。
 あの呼び声は、この子供を探しているのかもしれないな。
 恐怖をたたえた顔がこちらをじっと見つめている。暗闇でもはっきりとわかった。
 私はまだ熱の残る肉体の、見開いたままの瞳を通して子供を見ていた。
 子供と私の目が合った。
 目を逸らすこともできず、動くこともできず、何が起きているのか理解にも至っていない放心状態の子供が私を見ている。
 私の意識は、吸い込まれるようにその子供に向かった。

 そこに入れてくれ!

 とっさに強く念じた。
 音もなく、全てが止まったような静寂の向こうから一瞬の衝撃が襲う。生温かい湖にでも飛び込むような感覚に打たれる。
 かつて大陸に渡って船を降りた瞬間に強烈に感じた、異国の匂いに包まれる違和感を思い出した。
 どうしたらそうなるのか。
 私にもわからない。だが、死神が私を掴む感触は消えた。
 私は、赤く染まった若い男と地面に倒れて動かない初老の男を林の外から見つめていた。
 これは、子供の視点だ。
 私は子供の身体の中にいた。
 死神は何が起こったかわからないという様子で、周囲を見回している。
 死神には霊魂が視える。その名を呼び魂がつながった者ならば、なおのことどこにいようがわかるらしい。だが、魂を持つ生きた人間の肉の内側に隠れては、さすがにすぐには気づかないのだろう。

「ぎゃああああー!」

 私は力の限り叫んだ。大人たちがこの子供を探して近くまで来ている。この機を逃すわけにはいかなかった。

「うわああーっ!  助けてー!」

 死神は子供に気づくと、赤く染まった手で掴みかかってきた。

「お前か⁉︎  シキ? ここにいるのか⁉︎」
「ぎゃーっ!」
「おい、答えろ! お前はシキか⁉︎」

 みる間に大人たちが集まってきた。

「修一!」
「お前誰だ? 何やっているんだ⁉︎」

 同時にいくつもの叫び声が交差していた。
 死神は男たちに取り押さえられ、私は父親らしき男に抱きとめられた。
 遠くからパトカーや救急車のサイレンが聞こえてくる。
 雑木林に次々と人が集まり、深夜だというのに辺りは騒然となった。
 事件は新聞やテレビで連日大々的に報道され、逮捕された遠藤寛治の名は世間に知れ渡った。



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